29-災禍の序章

「フゥ……フゥ……!」


 荒い息遣い、苦しみを紛らわせるような歪んだ笑み、そして――紅く光る双眸。


 先ほどまでは確かに黒かった瞳が、今は燃え盛る炎の中でも分かるような赫赫と真紅の輝きをたたえている。



 比喩などではない、暗闇の中で確かに光っているのだ。



「この眼は……」


 アネッタはそれに見覚えがあった。

 昼間、セルティの湯浴みを行っていた大浴場にて現れたユウト。その子供とは思えぬほどの身のこなしで飛空騎士団隊長の槍を難なくいなし、あどけない幼い表情で見せた不相応な妖しき眼光。


 それを有した彼の周囲の空気が変わったようなそんな錯覚さえ覚えるほどに。


「…………う」


 ユウトはふらりとよろめきながら前に進み、教会のロビーがあった方へと向かう。

 そして大小の残骸が散らばる地面から何かを拾い上げた。


(あれは、私の……)


 ユウトが手にしたのはアネッタが最初に魔族の男に放った小振りなナイフ。


 ユウトはそれを片手で構えながら、その刃先にもう片手をかざすとその内側に魔力の気配が生じた。


 銀色の刃に白色の魔力を伴った光が生じ、その煌々さは周囲の麦畑のから燃え立つ炎の明かりの中ですら目立つほどだった。


魔法付与エンチャント……!」

 

 アネッタが目を見張るのも束の間、遠く離れていたディ・ハーガもその輝きに気付く。


「ガァアアアアアーーー!!!」


 先ほど放った閃光ブレスの反動からかいくらか動きを鈍らせながらもユウトの魔力に対して脅威を見出しさらに咆哮を重ねた。


 一方のユウトは魔力を使い魔法付与エンチャントを行ったことで身体から生える枝木がさらに成長し始める。パキリと枝が軋むような音が響きながらもユウトは笑みを崩さない。


 そしてゆらりと歩み出したユウト。


 ゆったりとしたその速度は、次第に、そして唐突に加速する。


 白く光る魔法付与エンチャントされたナイフと紅く輝く両眼の異なる二色が闇夜の黒い背景に長い軌跡を描いてディ・ハーガへ向かう。


 彼我の距離を詰められるディ・ハーガは唸り声と共に爪を振りかざす。


「グゥッ!」

「…………にっ」

 

 闇に霞む爪を避けながらナイフの切っ先が弧を描いてディ・ハーガの手を切り裂く。


「ギィアアアアア!?」


 爪先のほんの僅かな刃創から燃え広がるようにナイフから生じた聖なる魔力がディ・ハーガの傷を手の甲あたりまで広げていく。


 たまらずディ・ハーガは全身を反転させ長い尾をユウトの頭上から叩きつける。それをユウトは素早く後ろ跳びで大きく避ける。


「―――――ガッ!」


 ユウトとの距離が離れたとみるや、ディ・ハーガはすかさず息を吸い込み己の体内に巨大な魔力を蓄積させる。


(あの閃光ブレスがまた……!?)


 その魔力の兆候を感じ取って、すぐにアネッタはユウトの方に振り向く。


「少年、今すぐ……!」

「――――に」


 走って避けろ、と言うより早くユウトは真横に向かって既に駆け出していた。


 その直後、ディ・ハーガの喉奥から再び紫色の光が闇を切り裂いた。


「みんな、伏せて!」


 アネッタが子供たちに叫ぶのと同時にディ・ハーガの光線が地面を滑走し、ユウトを追いかけるように横に薙ぐ。


「―――――!」


 走るユウトの背後からディ・ハーガの閃光ブレスが地面をえぐりながら邁進する。


 しかし、風よりも素早く走るユウトをディ・ハーガの閃光ブレスは捉えきれていなかった。


(あの閃光ブレスは強力な分、反動が凄まじく制御しづらいのだろう。そのおかげか先は直撃を免れたみたいだが……)


 遠く離れた所から様子を伺うアネッタは半円状に薙ぎ払うディ・ハーガの光線を引き連れながら常人以上の動き走り回るユウトを見て息を呑む。


 

「――――ツ!」


 気を揉んだのかディ・ハーガは思い切って光線を素早く斜めに振り切った。

 狙いはユウトを逸れて遥か遠くへと着弾し、耕作地を抜けた市街地、さらに横進してアルトリアノ城の城壁へと達する。

 

 ディ・ハーガの光線が駆け抜けた市街地に火柱があがり、建物の残骸が空中に吹き飛ばされる。アルトリアノ城の演習場があるあたりも切り裂かれ、その上部の外壁に展開されてた魔術結界に光線がぶつかり火花のようなものが飛び散る。


 広範囲に被害を撒き散らすディ・ハーガだったが気を急いた行動に致命的な隙を晒した。


「……フッ!」


 円を描くように走っていたユウトは軌道を変えてディ・ハーガに向かって突進する。


 一方で閃光ブレスを撃ちきったディ・ハーガはまた再び空へと飛び上がろうと翼をはためかせる。


「…………!」


 地面を蹴り上げて高くジャンプしたユウトは手にしたナイフをディ・ハーガの胴体に振りかぶるが、紙一重のところでディ・ハーガが上空へと逃れた


「ゴガァッ!」


 地上のユウトを見下ろし、まるで勝ち誇るかのように吼えるディ・ハーガはまた再び息を吸い込み始める。


「……させない!」


 機を見たアネッタが立ち上がって走り出す。


 全身を支配していたディ・ハーガの神経毒はユウトのおかげで浄化され、幾分か手足を動かせるようになったものの、アネッタの足取りはやはりまだ重い。


 しかし、魔族と魔物によって家族と住む場所を無くした教会の子供たち、そして自分の代わりに戦う名も知らぬ異世界人こども、そんな彼らにに報いるためアネッタは全身に喝を入れた。


「異世界の少年! 私の足に……!」


 全速でユウトの元に駆けるアネッタの方をユウトは背中ごしに少し振り向いて一瞥する。


 そしてそのままアネッタの方に高く後ろ跳びする。


「……よし!」


 ほんの僅かな指示だったがユウトがアネッタの意図を理解したことを信じ、アネッタら向かってくるユウトに合わせて片足を大きく振りかぶる。


「――はぁあーーーーっ!!」


 アネッタは空中でユウトの足の裏に自分の足の甲を当てながらそのままディ・ハーガに向けて蹴り飛ばす。


 渾身の脚力を全霊にして放ったそれはユウトの身体を凄まじい速度で空中へと打ち出した。


「!!!??」


 閃光ブレスを放つ大勢だったディ・ハーガは、虚をつかれたまさかの行動に身動きが出来なかった。


 そして、高速で向かってくるユウトの紅眼と視線が重なる。


 ――いつの間にか、ユウトの表情からは笑顔が消えていた。


「…………終わりだよ」


 燃え盛る地上を背景に、たった一匹に向けられた静かな声


 その声を聞いた瞬間、ディ・ハーガの眼前に白き剣閃が迸った。


――――――◇◆―――――――


「オギャア! オギャア!」

「おー、よしよし……大丈夫だから」


 壊れた教会の隅で少女は泣きじゃくる赤子を抱えなんとかあやそうとする。


 顔を煤まみれにし、滲む汗を手の甲で拭い、そしてまた赤子をあやし始める。


 自身もまた不安ながらも、この場にいる子供たちの中ではもう自分しか年長がいないという責任が彼女をただの子供ではなくした。


 どこかで横たわっている姉替わり、あるいは母替わりだった者の姿がいる方向を彼女はあえて見ずにいた。


「ケイトねぇちゃん、あれ……!」


 背後から男の子の声がして彼女はそこを振り向く。


 それは魔物と異世界人の戦いに決着がつく瞬間だった。


 燃え上る麦穂から舞い上がる粉塵と火の粉。暗い夜空に見える赤と白の軌跡。


 その光景を子供たちは逃げるのも忘れてただ眺めていた。


「――白い光に、赤い眼……」


 夜空で光る二つの色を見ていた子供たちの誰かが、ぽつりとそうつぶやいた。


「まさか……おとぎ話の」

「そうだよ、ネイラねぇちゃんが読み聞かせてくれた本であった……」

 

 子供たちは不安と恐怖を綯い交ぜにしながらそのことを思い出す。


 かつて千年前にこの国を護った聖女と同じ時代、人類を破滅の危機に導いたとされる人物。


「――【怠惰の騎士】」


 赤子を抱く少女は少年と魔物が舞う空をじっと見上げる。


 その光景がこの国にもたらす災禍の始まりであるかのような、そんな未来を彼女は僅かに感じとっていた。

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