28-魔と聖と

「グオオオオーーーー!!!」


 突如現れた異質な存在にディ・ハーガは最大の警戒と威嚇を咆哮に乗せて放つ。


 一方で食堂のドアのあった辺りに立つユウトは巨大な顎を晒す漆黒の魔物を前にしても笑顔を崩さない。


「どうしてあの時の子供が……」


 昼間の出来事を思い出すアネッタ。あの時とは違い質素な衣服を纏う彼は倒れた魔石灯に照らされ、薄暗闇に浮かぶその表情がさらに不気味さを醸し出していた。


 背後のテーブルの陰に隠れる子供たちはユウトを困惑と不気味さをもった眼差しで見つめていた。


「な、なんだよあいつ。急に現れて……」

「あの魔物に立ち向かっていくなんて……。私たちと同い年にみえるのに……」

「……はっ、みんな! 今のうちに逃げよう!」


 年長の女児は慌てて床に落ちた魔石灯を拾い上げると、再び前方のディ・ハーガがピクリと反応して動き出す。


「ガァァァーーーーーー!!」

「うわぁっ!?」

「こっちに来る〜〜〜!」


 暴虐な意思を剥き出しにしたディ・ハーガが大きく口を開きながら、目の前のユウトごと後ろの子供たちまで轢き潰して噛み砕こうと突進する。


「――にぃ」


 ユウトは笑顔のまま右腕を上げ魔力を手の内に集め、ディ・ハーガの頭の方へ跳躍する。そして空中に舞ったままディ・ハーガの額の辺りを叩きつけるように平手打ちを繰り出す。


「――グゥッ…………!」


 バシンッ! と軽快な打撃音と共にディ・ハーガの頭が下方にもたげ動きが止まる。


 威力こそアネッタ程にないにしろ、何かが溶けて弾けるような音がディ・ハーガの頭から響く。


「あれは……聖素の……!?」


 アネッタは遠巻きからユウトが繰り出す魔力を知覚しながらなんとか動こうとするが、時間の経過と共に巡る体内の毒が彼女をよりいっそう身体の自由を奪う。


(この毒さえなければ……)


 毒の耐性に自信があった故にディ・ハーガの毒に遅れをとる結果となり自身と教会の子供たちの命運を得体のしれぬ異世界人に委ねることになった。


「グオオオオオオ!」


 またしても威勢を挫かれたディ・ハーガはその場で狂い踊って頭上のユウトを振り落とそうとする。

 ユウトは身軽に跳躍しながらディ・ハーガの背後に回って着地する。


 ユウトが繰り出した魔力の一撃はどうやら浅かったようだが、彼の魔力に晒されたディ・ハーガの額は溶け焼けたような痕が残っている。


(聖素――すなわち聖属性の魔力はのような性質を持つと聞く。あの力ならばディ・ハーガの毒を浄化しながら、僅かな傷からでも燃え広がるようにダメージを与えられる……)


 アネッタが予測した通り、ユウトの攻撃が加わった箇所は徐々にディ・ハーガの額全体を侵食して青紫色の鱗の下の皮膚が露わになっていく。


 アネッタの剛力ですら弾く鱗の鎧をこうもたやすく剥がすユウトに、アネッタは再び驚愕と畏怖を抱く。


「グゥッ!」

「――イヒッ!」


 振り回されるディ・ハーガの尾が辺りの瓦礫を蹴散らしながらユウトに迫る。


 それを難なく躱すユウトはディ・ハーガの懐まで潜り込む。


「―――――ニッ!!」


 ユウトの手の内に溢れる魔力の奔流。


 その瞬間、アネッタの背筋に悪寒が迫る。


「あ、あの魔力量は……!?」


 先ほどユウトが放ったものとは比べ物にならないほどの純魔力オドの気配。


 最初のは小手調べで次のは本気ということなのだろう。


 魔術士ほどでないアネッタですら感じ取れる膨大な魔力。そしてそれは白い光となってユウトの手の内に収斂する。


「うわっ、眩し……!」

「なに……あの光……?」

「……なっ!?」


 ユウトの放つ魔力の光に子供たちは眩しそうに手をかざし、冷や汗とともにアネッタは絶句する。


(――普通の人間にも肉眼で視認できるほどの魔力密度……!?)


 アネッタは面積の大半が消滅したゴブリンの樹海の被害については大まかには聞いていた。もしやあれがそれを引き起こした張本人だと今更ながらに悟る。


(あんなものこんなところで解放したら……!)


 今いる場所は周囲が耕作地であり住宅街からは離れているものの、ゴブリンの樹海と同じ規模で引き起こされるならば遠くに見える人口密集地まで被害があるかもしれない。


 そのような事態を我がセルティが望むはずもない。


 どうにかして静止しなければと思う一方で、毒によって侵されたアネッタの身体はその思いごと地に強く縛り付けられている。


「や、やめ……」


 アネッタが苦し紛れに声を絞り出したその時、ユウトの動きが突如止まる。


「いっ…………!」


 手の魔力が萎縮し、光がたち消えたと思った途端、何かが軋む音が辺りに鳴り響く。ユウトの表情は変わらないのの、何かに悶えるように全身が縮こまっている。


「…………ッ!」


 そして、彼の衣服の内側から何かが飛び出した。


「んな……あれって……」 

「木が……生えてる!?」


ユウトのマントを突き破ったのは白く細く歪んだ葉のない一本の枝木。右の肩甲骨あたりから飛び出したそれは徐々に大きさと長さを伸ばして彼の片腕ほどまで成長する。


 その正体が彼が昼間体内に取り込んだ種子のせいであることを誰も知る由もなかった。


「あいつの身体どうなってるんだよ!?」

「に、人間じゃないの……?」


 奇異に満ちたユウトの身体に気味悪がる子供たちを他所にして、ユウトは口端を吊り上げつつ、歯を食いしばっていた。


「ギ、ギギ……!」


 冷や汗を垂らし始める彼の笑顔は、もはややせ我慢のように見えた。


「なにが起きて……」


 戸惑いを向けるアネッタだったが、その直後ディ・ハーガの咆哮が辺り一帯にこだまする。


「ガァアアアアア!!!!」


 大きく後ろへ跳躍するディ・ハーガは背中の翼をはためかせ空中へと高く上昇する。そして、長い首をうねらせ大きく息を吸い込むような仕草をし始めた。


「……! 今度はあの魔物から魔力が……!?」


 ユウトに感じたものと似た反応を察知したと思った次の瞬間、ディ・ハーガの喉奥から紫色の一筋の閃光がほとばしった。


「―――――――――――!!!」


 空気を切り裂くような甲高い金切り音と共に閃光が走り抜ける。


「わぁあああーーーっ!!」

「きゃぁあーーーーー!??」


 教会周辺の耕作地を駆け抜けたそれは、着弾と共に真っ赤な火柱が立ち上り爆発音と烈風が周囲に吹き抜けた。

 悲鳴をあげる子供たちはたまらずテーブルの下と地面に伏せ、飛ばされる砂埃や瓦礫の破片からなんとか逃れようとする。


「……くっ!」


 アネッタもまたその爆風に耐えようと身をかがめた時、真横から走ってきたユウトが彼女の腕を掴んで強引に引っ張った。


「っ……!? 一体何を……」


 真意も分からずユウトに肩を担がれたアネッタはそのままテーブルの下でうずくまる子供たちのところまで運ばれる。


 その直後、アネッタがいたあたりの場所にディ・ハーガの光線が走り抜けた。


「―――――――――!」


 ユウトは彼らの上にあるテーブルを軽々と持ち上げアネッタたちの前に壁のように立てかける。近くに着弾したディ・ハーガの閃光がもたらす

凄まじい爆風と熱風が古びたテーブルの面にぶつかる。


「うわあっ!」

「みんな、姿勢を低く……!」


 子供たちとアネッタは必死にテーブルの陰に全員が収まるように集まって縮まる。ユウトは両手でテーブルの後ろから支え、衝撃によってテーブルが吹き飛ばされぬように耐えていた。


 テーブルの後ろにいなければその余波だけでもきっと無事ではすまなかっただろう。


「――――――フシュゥ……!」


 やがてディ・ハーガは光線を撃ち終え、地上へと舞い降りる。


「……止んだ?」

「ケイトねぇちゃん、周りが……」


 顔を上げた子供たちはその光景をみて絶句する。


 教会周辺に生い茂っていた麦などの畑。今の時期、収穫に備えた麦たちが黄金色の穂を実らせながら風に揺れる様子がついさっきまであった。


 自分たちの畑ではないものの、その景色は子供たちにとって変わらぬ日常の象徴そのものであった。


 しかし、今はそのすべてが焼き払われていた。


 ディ・ハーガの光線によって、激しい炎が辺りを取り囲い、舞い上がる火の粉が宵の空を赤く染め上げる。


 直撃を免れた教会の残骸にもいくつか飛び火したのか、燻るように煙を上げところどころ火が燃え移っていた。


 一瞬にして地獄。


 じんわりと肌に焼き付くその熱風が彼らに確かな現実を見せつけていた。


「わ、私たちの家が……」

「ケイトねぇちゃん……ネイラねぇちゃん……」


 絶望の色に染まる子供たちを前にアネッタはいたたまれない表情を向けていると横にいたユウト

がボロボロの穴だらけになったテーブルを地面に打ち捨てて、アネッタの右腕を不意に掴んだ。 


「…………」

「今度は、一体……っ?」


 予想だにしないユウトの行動にアネッタはなすがままであったが、突如右腕に焼け付くような魔力を感じた。


「――――あぁっ!」


 ユウトが発する聖属性の魔力がアネッタの右腕から全身に注がれる。何かしらの魔術が発動しているのか、ユウトに掴まれている右腕全体が白い陽炎のような光を発していた。


(あ、熱い……! まるで内側から焼かれているようで……)


 全身から汗を吹き出しながらその熱に耐えるアネッタはふと自身の身体に変化が起きているのに気付く。


 ディ・ハーガの毒に侵され紫色に変色していた彼女の右腕が徐々にもとの肌色へと変わっていく。魔力の熱が右腕から全身に渡るにつれ彼女の身体を縛っていた毒気が抜けて自由に動かせるようになる。


(これは……解毒魔術? たしか高度な回復魔術のはずでは……)


 やがてアネッタの身体から毒気が抜けきったところでユウトの手が離れる。

 その直後、ユウトの腕や肩からまた白い枝のようなものが皮膚の上から突き出て、ユウトは項垂れながら地面に膝から崩れ落ちた。


「き、君……大丈夫なのですか!?」


 とっさにアネッタはユウトの身体に手を回して支える。そして、その身体が服の上からでもわかるほど激しい熱を発していることに気が付く。


(この枝……少年の身体の中からではない。少年の身体が枝に変化しているのか……?)


 アネッタが彼の全身を眺めながら冷静に分析していると、ユウトの顔がゆっくりと持ち上がった。


「……!」


 そして、その場にいたアネッタや子供たちがユウトの顔を見て息を呑んだ。  

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