27-魔獣乱舞

 赤く染まっていた西の空は日没とともにその色を無くし、暗い宵の空へと移り変わる。



 長い振動とつんざく雑音に晒されていたアネッタはなんとか崩れ落ちる教会の瓦礫から這い出せた。


「はぁ……はぁ……みんな、無事です!?」


 アネッタが背後に呼びかけると、瓦礫の隙間からすすり泣くような声が聞こえてくる。


「う、うぇぇん……」

「怖いよぉ……ネイラねぇちゃん……」

 

 施設の子供たちはアネッタの指示でとっさに食堂の大テーブルの下に隠れ、天井から落ちる瓦礫から身を守ることができた。


 さらに彼らがいる部屋はさほど崩れず天井と壁の一部分が残っていた。


 しかし、爆心地である教会のロビーはそうも行かなかった。


 擦り切れた赤い絨毯と古い床材を残し、壁や天井、ベンチなどの調度品に至るまでその殆どが衝撃で吹き飛んだ。祭壇の壁と食堂へと続くドアが僅かにその面影を残すばかりであった。


 そして、その中心にはアネッタが見上げるほどの巨大な影が鎮座していた。


 大きな牙、びっしりと並んだ黒い鱗、牛や馬よりも遥かに太い胴体とそこから生える一対の二翼、大人一人を鷲掴み出来るほどの手と鋭い爪、長くしなる細長い尻尾。


 暗い中ではっきりと分かる、その一つ一つが凶悪で暴虐な特徴をもつ四つ足の一体の魔物。


 その重圧は姫の護衛で荒事に長けたアネッタでさえ、戦慄を覚えるほどであった。


「これはまさか……ドラゴンか!?」


 ドラゴン――飛空騎士団が所有するワイバーンと同じ竜種に属する魔物の総称。


 人間界では殆ど目撃例のない伝説上の存在と言ってもいいそれが、たった一人の魔族の手によって召喚されてしまった。


「『ディ・ハーガ』――我ら魔界の領域では実にありふれた竜種の一つだよ」

「……っ!」


 声が投げかけられアネッタが視線を上へと向けると、セルティを抱えた魔族の男が魔物の後方上空に浮いていた。


「うっ………」

「姫様!」

「この娘はもらっていくぞ」


 そう言って魔族の男が後ろに振り返りその場から飛び去ろうとする。


「待て!」


 アネッタが追いかけようとした瞬間、魔物ディ・ハーガの視線が彼女に向いて、片爪が降りかかる。


「――――っく!」


 斜め横から降ろされた凶爪にアネッタは素早く反応して横跳びで回避する。メイド服のロングスカートの裾がぎりぎり掠め、空中に切れ端が飛散する。

 

「……アネッタ!」


 魔族の男に抱えられるセルティは先ほどから感じる頭痛に耐えながら眼下のアネッタになんとか声を届けようとする。


 魔族の男はしばらく沈黙し、セルティの声をそのままアネッタに聞かせるように空中で動きを止める。


「アネッタ、どうか子供たちを……安全なとこまで……」

「姫様、それは……!」

「これは主の命令です、アネッタ!」

「…………っ!」


 己の使命か、主の命令か。


 姫の安全を第一に考えるアネッタにとっては迷うべきもないことであったが、はらりと崩れる瓦礫の音に視線を向ければ、未だにその場を動けず怯えた表情で固まる子供たちがいた。

 

「びええええん!!!」

「うわあぁあああーーーん!」

「みんな泣かないで、落ち着いて……!」


 恐怖のあまり喚き出す小さな子供たちを年長の女児がなんとかあやそうとする。そんな彼女の声もまた震えて、その両眼からは涙が滲んでいた。


「お願いです、アネッタ。どうかネイラ様の分まで……」


 その声を最後にセルティの声はその意識とともに途絶える。


「姫様……!?」

「別れはすんだな」 


 律儀にも会話が終わるのを待っていた魔族の男はまた再び移動を開始しセルティを抱えながら瞬く間にその上空から北の方へと飛び去っていった。


「く……っ!」


 歯噛みするアネッタは己の無力さを握った拳の中にしまい込みながらディ・ハーガの巨体の周りを走り出して後方の子供たちに呼びかける。


「あなたたち、私がこの魔物の気をそらしますから、その隙に逃げて下さい!」

「…………!」


 アネッタが目端で確認した子供たちは七人ほど。内二人は歩けない赤ん坊であり、子供の腕で抱えて逃げ出すにはあまりにも時間がかかる。


 本当ならアネッタがその子らを抱えるべきなのだろうが目の前の凶暴な魔物相手にそうはいかなかった。


 今の彼女に出来ること、それは一秒でも長く魔物の囮となって子供たちが逃げ出す時間を稼ぐこと。


「早く逃げなさい!」

「で、でも……ネイラお姉ちゃんが……!」


 鬼気迫るアネッタの声に赤子を抱えた女児は泣き出しそうな目で訴える。


「彼女はもう……」


 アネッタは悲痛な目で視線を向けると子供たちの姉がわりであった少女は崩壊した教会の床の隅で冷たく横たわっていた。


 魔族の魔術に撃たれ、流れ出る血が固まり始め、その目に再び光が宿ることはもうない。


「フシュルルルルル………!」


 薄暗闇の中でディ・ハーガの目がきらりと光る。その視線が背後の子供たちに向けられる気配を察知したアネッタは足元に転がった木材の破片を手づかんで投げはなった。


「あなたの相手はこっちよ!」


 木材が当たるのを確認するのを待たずしてアネッタは魔物に飛びかかり、その巨体を瞬く間に駆け上って回し蹴りを相手の眼の辺りに繰り出す。


「―――――――――!」


 アネッタの接近に気付いたディ・ハーガは彼女の攻撃を瞬膜と瞼を素早く閉じて防ぐ。渾身の蹴りが不発に終わっても彼女は流れるようにディ・ハーガの頭の上に中腰で足をつけて右の拳を固く握りしめる。


「やぁあーーっ!!」


 狙い澄ました正拳の一撃がディ・ハーガの脳天に目掛けて振り下ろされ、まるで釘を打たれたかのようにディ・ハーガの頭が地面へと叩き落される。


「――――グゥッ……!」


 その衝撃が土煙となって周囲に吹き荒れ、後方で見守っていた子供たちはたまらず身を縮め、空中で宙返りをしたアネッタは教会の床に着地をする。


「…………くっ」 


 全身全霊の一撃に確かな手応えを感じたと思ったアネッタではあったが、顔をしかめながらディ・ハーガに正拳を打ち込んだ右手を見下ろす。


「これは……毒……!」


 彼女の手の甲には割れた細かな鱗が皮膚に突き刺さり出血を伴いながらその傷口から広がるように紫色の痣が皮膚の表面を侵食していた。


 まだ動かせない程ではないが、痺れるような感覚が指先から広がり時間の経過と共にそれが腕全体へと広がっているようにアネッタは感じる。


 アネッタは軽く舌打ちしなが右腕を素早く振るい突き刺さった鱗をとり払った。


「やけに固い割に鱗が飛び散ると思ったらそういうこと……。そして、肝心の本体は……」


 アネッタが身構えるのと同時に、ディ・ハーガの首がのっそりと持ち上がる。


 ぱらりと頭の上から剥がれ落ち、その黒い鱗のその下には青紫色をした本当の鱗が敷き並べられていた。


 ギロリと両眼がアネッタを睨みつけるディ・ハーガ。アネッタの放った拳が大したダメージになっていないのは見て明らかであった。


「これが……魔族領域に住まう魔物……!」


 スカートの裾を破り、その切れ端を右の二の腕辺りをきつく縛るアネッタ。毒の応急処置にしては気休め程度にしかならず、さらにこれで右腕も満足に動かせなくなってしまった。


 子供たちもまだ逃げ出す瞬間を掴めていない。時間が進めば宵の空はさらに暗がりを増して辺りは一寸先も見えない闇となる。そうなれば明かりもなしに子供たちは満足に逃げることなど出来はしない。


 まさに、絶体絶命。


「けど、今ここで諦めるわけには……!」


 彼女は確かに姫から賜った。子供たちを守ってほしい、と。


 危機に瀕する主の心からの願いを無下にするわけにはいかない。

 

「どうしよう、暗いなあ……」


 その時、暗がりに怖がっていた子供の一人が食堂のテーブルの側に転がっていたランタンに気付いていた手を伸ばした。


「……あっ、ケイト、ここに魔石灯があったよ!」


 それは誰にでも使える大気中の純魔力マナと反応して明かりを灯すありふれた道具であった。ネイラから使い方を教わった記憶のあるその子供は暗がりの中、当たり前のように明かりを点けようとした。


「……魔石灯?」


 子供の声に反応した年長の幼女。そして子供の言葉を聞いたアネッタは危機を察知した。


「待って、それを点けては駄目!」

「――えっ?」


 子供たちが素っ頓狂とんきょうな声を出すのと同時に魔石灯の柔らかい光がぼんやりと点った。


「―――――グッ」


 その光にディ・ハーガは一瞬動きを止めた。


 人間にしてみれば、安物の魔石灯の明かりなど足元を照らす程度にしかならない。


 しかし、それは魔物の目にとっては話は別だった。


「オオオオオオオオオオーーーー!!!」

「ヒ、ヒィッ!?」


 突如吠えたディ・ハーガの圧力にたまらず持っていた魔石灯を落とす子供。


「……くっ、やはり!」


 アネッタの予想は的中した。


 純魔力マナを消費して放つ魔石灯は闇を照らす光だけではなく人間の目には見えない様々な波長の電磁波のようなものを発する。


 それこそ魔物の目によっては陽の光よりも魔石灯の明かりのほうが眩いことすらある。


 そしてあの安物の魔石灯は運悪く、ディ・ハーガの視界を強く刺激することになった。


「早くなんとかしないと……!」


 対策も見いだせぬまま動き出そうとしたアネッタだったが、突如全身の力が抜けるように片膝から姿勢が崩れる。


「……んな!?」


 驚愕するアネッタは力を振り絞り動こうとするも足が動かない。きつく縛った右腕以外の箇所も痺れて感覚がなくなり始めていたのだ。


「なんて……毒なの……!?」


 セルティの侍女として仕える彼女には常人以上の毒に対する免疫を有していた。そんな彼女ですらこの魔物の放つ毒は強力であった。


「グオオオオオオ………」


 子供たちに――正確には魔石灯に向かって唸るディ・ハーガはその光源を消し去ろうと鋭い爪を揃え、高々と前脚を振り上げる。子供たちの遥か頭上に掲げられたそれが子供たちをそしてアネッタに絶望をもたらそうとした。


「み、みんな、逃げて!」

「足が……動かな……!」

「う、うわあぁあああん!」


 恐怖に支配されながらも懸命に年下の子供たちを逃がそうとする女児、腰が抜けて歩けない男児、ただ泣いて喚く乳児。


 それらすべてに、ディ・ハーガの凶爪が迫る。


「間に合わな――――」


 アネッタの苦心に満ちた声が漏れ出した――その時だった。


「――――――――」


 アネッタの側を風のような何かが通り抜け、ディ・ハーガと子供たちの間に割って入り込んだ。


 そして、目にも止まらぬ速さでそれは降りかかるディ・ハーガの腕を空中で横から蹴り飛ばした。


「グオオッ!?」


 突然の攻撃にディ・ハーガの前脚は大きく軌道を変え真横の瓦礫に衝突し粉塵が舞い上がる。


「わぁっ!?」

「きゃぁっ!?」


 撒き散らさられる破片に子供たちは悲鳴をあげ身をかがめる。


 そんな彼らの目の前にそれは降り立った。


「な……あれは……!」


 アネッタの目に写ったのは質素な麻布のマントに身を包み、明らかに背の低い身なり。


 白い髪をした一人子供。


「姫様の前に現れた、あの異世界人………!」


 驚愕に満ちたアネッタに、彼は振り向いてその粉塵の向こうで笑みを浮かべていた。


「――――にぃっ」


 いつもと変わらぬ、狂気に似た笑顔であった。

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