24-決闘 黄昏③

 それはほんの数分前のことだった。


「……さて、また的に刺さっていた矢を抜きますので少々お待ちを」


 シノルドのその言葉を受けてしばらく待機となったアイカとクリフーンの王子サリエル。


 弓矢を使い的に矢を当て続ける決闘。


 日は傾き、演習場内に薪と魔晶石の明かりが広がるとともに、その終焉は近づいていた。


 これまでの結果を見れば両者ともに互角の勝負を繰り広げているものの、実際のほどは差は歴然であった。


 これまで一度も矢を的に外していない二人ではあるが、体力の消耗も精神の乱れもないアイカと比べサリエルは小さく息を荒らげ額に滲んだ汗が一筋頬を伝って顎先から滴り落ちている。


 的に刺さった矢に関してもアイカの方がより中心に近い位置への命中精度が高い。


 誰の目から見てもこの対決の行方を容易く予想できた。


「あんた、まだウチに勝つ気なん?」


 アイカは呆れた調子で尋ねると彼は反感に満ちた視線を送り返す。


「……っ、勝負は最後まで分からないだろ」

「わかるて。あんたもう限界やろ。ウチとあんたの矢の精度だって、一目瞭然や」

「だからどうした」


 篝火に照らされるサリエルの瞳は未だに戦意を失わず、弓を持つ手は震えながらもまだ力強く握り締められていた。


 その姿にアイカはしばし眉をひそめた。


「……なんでそこまでこだわるん?」

「決まってるだろ……誇りだ」

「誇り?」

「クリフーンの王子が一度決闘をけしかけたのだ。それも庶民の女にだ。負けを認めるわけにはいかず、また退くことも許されない。僕は、勝たなければいけないのだ」

「わからんなぁそういうの。なんとなく立派な気はするけど」


 そう存外に言うアイカにサリエルはもはや怒るのも面倒なのか分かりきった様子でため息を吐く。


「……庶民ごときに分かってたまるものか」


 そう小声で独り呟くサリエルはしきりに何度も弓の弦の張りを確かめるように弦を引いたり離したりを繰り返す。


 あまりにも強情で尊厳の高い姿。相手がアイカで無ければ、それは強がりには見えなかったのかもしれない。


(なんだか懐かしいなこの感覚)


 それはアイカが弓道に出会うまでどんなスポーツも楽しめなかった時期に感じていたものだった。


 同じ実力で競い合える相手もいなければ乗り越えたい相手もいない。ほんの少し本気を出せばどんな競技も一等賞を取れる。


 自分の強さを誇りに思えればどれだけ幸せだったのだろうか。


 勝利によってもたらされたものに自分の価値があれば良かったのに。


 前に立つ人間をみな打ち倒してきた彼女にはもはや望むのを諦めたものだった。


(まぁ、少なくともこの勝負に関しては価値あるやろ)

 

 あくまでもこの対決の成果を達成することに専念することにしたアイカにふと傍らのサリエルは思い出したように言う。


「そういえば、ヒメカといったな」


 唐突に上げられた名前にアイカの視線が自然とサリエルの方に向けられる。


「貴様の妹……例えばどんなものが好きなのだ?」

「は?」

「いや、僕の従者となった際になにか贈り物をしてやろうと思ってな。好きな食べ物か服でも差し与えれば喜ぶだろう」

「いやいやいやいやいや」


 いきなりわけの分からないことを言い出したサリエルにアイカは心の底から困惑する。


「お前、なに言うとんねん。ウチに負けたらヒメカは従者にならんやろ」

「さっきから言ってるだろ、勝負は最後まで分からないと」


 サリエルの表情は真剣マジであった。自分が負けることなど微塵にも感じてない。そんなふうにアイカは見えた。


「ウチがお前に負けるわけないやろ!」

「いーや、僕が勝つね! というか勝つ! あんな可愛い娘、絶対僕のお嫁さんにするんだ!」

「お前、それが目的かいな!?」

「朝イチに起こしてもらって、朝食を一緒に食べて『あっ、食べかすがついてますよ王子さま♡』なんて言って拭いてもらってそれから……」


 長きに渡る決闘の疲れからか王子の品性が剥がれ落ちたようにブツブツと唇から本性がだだ漏れになっている。


 彼の内心が透けて見えたサリエルにアイカはさらにイライラが増していく。


(あかん、こいつの言う事まともに聞いたら冷静にならん)


 強引にサリエルから背を向けその場を離れるアイカ。ちょうどその時的から矢を抜き終えたヒロトたちが戻ってくる最中であった。


「ほら、アイカ。お前の分だぞ」

「――あ、ヒロ兄」


 不意をつかれた感じになってしまったアイカは少し動揺する仕草をみせる。そんな彼女を見てヒロトは怪訝な表情を向ける。 


「大丈夫か、アイカ?」

「な、なんやねん? ウチは全然大丈夫や」

「ちゃんと集中できているのか? 心ここにあらずって感じに見えたぞ」

「う、うるさいわ! 言われんでもちゃんとできとる!」


 誤魔化すように怒鳴りながらヒロトが差し出した矢筒を受け取ってアイカは決闘の立ち位置へと戻っていく。


(くそ……あんなやつにヒメカを渡してたまるか。絶対に勝ってやるんや)


 ずかずかと速歩きで地面に引かれた線の前まで向かう。


「それではサリエル坊ちゃま、アイカ殿、決闘を再開いたしましょう」


 的の正面に立つアイカとサリエル。篝火の光に照らされた二人の影が斜めに地面を這って交差する。


 アイカが横目でサリエルの方を見ると、疲れ切って汗まみれだった時よりは幾分か回復してましになっているように見て取れた。


 しかし、その指先は未だ小刻みに震え、体力が回復しきってないようだった。


 戦況は明らかにアイカ寄り。しかし、アイカは油断することなく静かに彼女は深呼吸を入れる。


(大丈夫……大丈夫や。落ち着いて、怒りも焦りも今はいらん)


 こういう時、失敗するものだとなんとなしに彼女は分かっていた。ことさら弓矢のそれに関しては特にである。


「それでは、アイカ殿からお願いします」

「…………」


 シノルドの合図を受け、アイカは的に対して半身をとって体勢を整える。


 射法八節――足踏み、胴造り、弓構え、打起こし、引き分け、会、離れ、残心。


 昔に教わったそれらを先ほどまでと同じように頭の中で呼び起こしたアイカは、それらの動作を一つずつ丁寧に淀みなく流れるように行う。


(ヒメカは絶対に渡さない)


 矢を番え、高く頭の上に弓を上げた動作から弦を引き絞る。


 引きつる弓と弦の確かな緊張。両の目で目標を捉え肉体と精神が一体となる瞬間を待つ。


(ウチの家族は……ウチが絶対に守る!)


 信念を弓に込めて、狙い澄ました矢の先。


 渾身の一射が放たれる――その刹那、一筋の風が吹くように、唐突に瞬くように、


 アイカの脳裏に声が響いた。



(ごめんなぁ……アイカ……)



 どうして、



(お前の弓、もう見れへんわ)



 あのジジィがいなくならなければいけなかったのか。


 引き絞られた弦が解き放たれた瞬間、その矢はもう二度と引き返せないことをアイカは確信してしまった。



 あっ……ダメだ、これ。



 無意識のうちに浮かんだ彼女自身の脳裏が、誰よりも先に〝それ〟を知った。


「は、外した!」


 観衆のうちの一人の声が演習場に響く。


 その声にアイカの意識は唐突に現実へと引き戻される。


「えっ……あ……」


 言葉に詰まりながらアイカが視線を送った先には、的を通り過ぎて向こう側につい今放った矢が城壁の影の中に転がっていた。


 アイカの心臓が強く高鳴り、みぞおち深くが痛いくらいに軋む。


「ど、どうなるんだこれ……」

「既に五回の本数は過ぎて延長戦だから……」

「次に王子が的に矢を当てたら決着だ!」


 湧き立つ歓声、大方の予想を裏切る結果が目の当たりに迫るのを感じ、演習場の観衆たちのボルテージは最高潮に達する。


 一方でアイカは追い込まれた事実に呆然と立ち尽くしている。


「い……いや……ちがっ……これは……」


 誰の耳にも届かない言い訳にもならない小さな声。


 アイカの目はゆっくりと真横のサリエルの方に向いていた。


「…………っ!」


 千載一遇の逆転のチャンス。勝利が目前に迫った場面だったが、サリエルは険しい表情を未だ崩せずにいる。


 これまで弓矢を引き続け、限界まで消耗した体力と精神が彼の余裕を奪い、自信を削ぎ落としている。


 しかし、それでも彼は震える指先で矢を取り、弓に番える。


 ゆっくりと腕を上げ、固い音を響かせながら懸命に弦を引き絞る。


 歯を食いしばる彼の目にはまだ、熱が宿っていた。


「ま……まって……」


 アイカは分かってしまった。天性の才能が優れているが故に。


 サリエルの気迫が、根性が繋いだその矢がその後どう進んでしまうのか。


(ヒメカはウチが……ウチがいなかったら誰が守るんや。もし、ヒメカがまた……)


 彼女の脳裏に浮かぶあの血に塗れた陰惨な記憶。


 大切な家族を失う恐怖の一幕。


(もし、またユウトが……)


 狂気と凶刃を手にした弟の姿。


「どうして、ウチは……!」


 何も守れない。


 そんな言葉が浮かび、目の前のサリエルが的に狙いを済ました――その瞬間。


 パァアアアーーーーーーーーーーーー!!


 演習場に、城壁内に、城全体に、けたたましいラッパの音が響き渡った。

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