23-決闘 黄昏②

 ふとした時、頭の中でうっすらと再生される記憶がある。


 あの古ぼけた弓道場で弓矢を放つ光景を初めて見たときのこと。


 ええか、こうやって弓は引くんや。


 あのくそったれなジジィが弓道着を着て真面目な顔をしながら射る動作に入る。


 その一連の流れがスローモーションのように見えて、それが未だに焼き付いて脳裏から消えてくれない。


 そのせいもあってかウチが放つ弓矢はいつだってアイツのモノマネみたいになる。


 そして、どういうわけかそれ以上のものをウチが出せる気がしない。


 いつだってあの『射』を超えようとしてるのに、ウチがなぞれるのはあの一瞬だけ。


 それが本当に、厄介な悩みだった。


――――――◇◆―――――――


 意外とこの世界の時間は進みが早いのだろうかと、ヒロトは空を見上げて思った。


 気が付けば空の色は夕暮色に染まって、頭上遠くに浮かぶ雲がやや赤く焼けているように見えた。


 城壁に囲まれた演習場は既に暗い影を落とし、壁にかけられた魔石灯というLEDライトのような光を放つものが点けられたりや演習場の地面に設置された篝火の炎が焚かれ始めていた。


 そんな、静寂に満ちた演習場に、再び快音が鳴り響く。


「ふぅ……」


 矢を放った後のアイカが弓の構えを一度解いて一息つくのを見届けると、隣に立つサリエルは首元の汗を拭いながら矢を放つ体勢に入る。


 ヒロトたちの眼の前では未だにアイカとサリエルの弓矢アーチェリー勝負が行われている最中であり、これまで矢を放った回数は予定していた五回を既に大きく越えていた。それにより対決はサドンデス形式での決着となった。


 すなわち、どちらかが先に的を外したほうが敗北へと繋がる。


「お、おい……これでもう何回目だ?」

「多分、かれこれ五十回は超えてるぜ……」

「どっちも大したもんだぜ、技術にしても体力にしても」


 最初こそ物珍しさと気まぐれで見守っていた演習場の見物人たちの声は、感心と動揺の声でみち溢れていた。

 

「…………っ!」


 サリエルの放った矢が的に命中し、演習場で見守っていた見物人から再びどよめきが走る。


「あのクリフーンの王子、もうキツそうだな……」

「無理もないって、大人用の弓でこれだけ矢を放ってるんだからな」

「それに比べて、あの異世界人は……」


 首元から汗を滴らせやや息切れ気味であるサリエルの横で、アイカは表情を崩さず最初と変わらぬ構えで的に狙いを定める。


 弓道の基本である射法八節。それを西洋式に似た異世界の弓にみごと応用せしめたアイカの『射』は歪みひとつない。

 

「――――――――」


 放たれた矢はこれまた当たり前のように的中し、辺りに響いた快音に再びどよめきがあがる。


「汗一つかいてないぞ……それに弓を打つ動作が全く変わらない。それでいて全て的の中央付近に矢が命中している」

「王子も辛うじて的に当てているが、精度に差が開いているな」


 演習場の隅に並んだ二つの的。同心円の模様が描かれたそれの片方は放たれた矢が中心部分から外れ乱雑して複数刺さっているが、もう一方は綺麗に中心の一点に密集するように突き刺さっていた。


 その二つの的を見つめ無言のまま顔の汗を拭うサリエル。冷静そうな表情の裏ではアイカの矢に対し密かに歯噛みしていた。


(僕とあいつの弓……いったい何が違うというのだ……)


 ここまでなんとか粘っていたサリエルだが、大人用の弓を全力で引き続けた代償で、彼の左の指先は小さく震えていた。


「おい、次はおまえの番やぞ」

「――っ、分かってる……!」


 苛立ちや焦りを押し殺しながら矢を番えるサリエル。目を閉じ、深呼吸をして心を落ち着け、一息吸うのと同時に弦を引き絞る。


 大人用でもある程度は従者のシノルドが弦の張りを調整してくれたサリエルの弓。しかし、短時間に何十もの矢を放っていた彼はもうただ構えることすらままならなくなっていた。


 なんとか精神を振り絞って狙いをつけようとしたその時、弦を引くサリエルの指先の力が不意に途絶えた。

 

「――――しま……っ!」 


 全身の血の気が引いた感覚がサリエルを襲い、傍らで控えるアイカや演習場の空気にも若干の緊張が走る。


 サリエルの矢は弦を引ききれなかったせいか矢じりの勢いはやや鈍速に見え、やや山なりな軌道を描く。


 永遠のような時間がサリエルの脳裏に去来する。


「――どうだ……!?」


 思わず声を上げた観客と同時に空中を進んだ矢がそのまま的のギリギリ端に突き刺さる。


 演習場の見物人たちからは驚きの歓声があがり、サリエルはほっと胸を撫で下ろした。


「……ふん、運のいいやつやな」


 面白くなさそうに踵を返すアイカ。だがその声には余裕や油断のある様子は全く無い。


(あいつはもう限界や。このままやれば絶対にウチの勝ちやけど……)


 そうして次の自分の射に移ろうとしたとき、腰の矢筒にもう矢が入ってないことにアイカは気付く。


「……さて、また的に刺さっていた矢を抜きますので少々お待ちを」


 アイカが言うよりも早く、シノルドは演習場を突っ切って的の方へと歩き出す。これまで何度か行われていた矢の補充時間、もといの休憩時間であった。


 体力の限界が近いサリエルにはありがたいものだったが、そろそろ勝負を決めたいアイカにとっては少々煩わしい時間でもある。


 そんな二人から離れた一方、ヒロトは的から矢を一本一本取り外すシノルドから矢を受け取り矢筒の中に入れていくという手伝いを行っていた。


 本来ならシノルド一人でも足りるこの作業だが、ヒロトからの申し出を受けてシノルドはあえてそれを了承することにしていた。


「あなたの妹君、体力も技術もなかなかのもの。あれほどの弓の使い手は我が国にもさほどおらぬでしょう」

「まぁ、アイカのあれは一種のプライドというか意地みたいなものですから」

「あなた方は異世界人とお聞きしたが、皆アイカ殿のように武芸に優れるのですかな?」

「いや、あいつだけですよ、あんなふうにできるのは。運動するだけならアイカは何やらせても一番なので」


 はたから見れば何気ない会話を交わす二人。しかしその言動の節々には探り合うような気配が垣間見える。


「ヒロト殿と仰っていたか、あなたの見立てではこの勝負の行方はどう見ますかな?」

「勝負……」


 そのように問われヒロトに渡されたのは先ほどまでアイカが打ち込んでいた的に刺さっていた矢の束であった。的に打ち込まれていた痕はそのほとんどが中央付近に密集していた。


「あの王子の体力は限界、対してアイカは体力も万全で技術的にも申し分なし。勝敗は歴然――そう言わせたいのですか?」

「フッ、多少からかいが過ぎたようですな」


 シノルドは的から最後の一本を抜き取りながらヒロトに向き直り彼の持つ矢筒にそれを入れていく。


「技術、体力――それらに差があろうと、たった一つの要素で戦況は左右されてしまいます。たとえば――精神の問題など」

「…………」

「我が王子の根性については、とりわけどの他者においても右に出る者はないとそう評価いたします」


 まるで自分のことのように誇らしげに話すシノルド。


 ヒロトは視線の向こうのサリエルを見据えてみると、汗まみれになって若干息が上がっている彼の目にはまだ勝負にかける意思が燃え上がっているように見えた。


 一方のアイカは傍から見れば落ち着いた様子に見える。先ほどからの矢の精度からしても焦っているなどの雰囲気は感じ取れない。


 ただ、が他人にはやや不気味に見えるのかも知れないとヒロトは思った。


「――詮索するつもりはございませんが、アイカ殿には過去に何かあったのではないですかな?」

「……どうしてそう思うんです?」

「先程サリエル坊ちゃまが弓矢対決を言い出した時にあなた方の表情が微妙な様子でしたのでもしやと」

「やけに鋭いんですね、シノルドさん」

「ハハハ、伊達に歳だけは取っていませんよ」


 シノルドはそう自負しながら顔に刻まれた深い皺が愛想笑いと共に、矢が詰まった矢筒をサリエルたちに渡しに歩き出す。


(なんて食えない年寄り執事だよ……)


 ヒロトは内心苦笑しつつ、同じように矢筒を抱えながらその後ろを追いかけていった。


「サリエル坊ちゃま、お待たせしました」

「ふぅ……うむご苦労だ、シノルド」


 幾ばくか体力を回復したかのように見えるサリエルだが、まだその額からは膨大な汗が滴り落ちる。


 本来ならその滴をクロスで拭き取る役目のはず従者は、決闘のこの場においてはあえて何もせずその手の矢筒を彼に渡すのみに留めた。


「ほら、アイカ。お前の分だぞ」

「――あ、ヒロ兄」


 ずっと考えごとをしていた様子のアイカは近づいてきていたヒロトに気づかなかった様子で、エセな自前の関西弁も話すことを忘れていた。


「大丈夫か、アイカ?」

「な、なんやねん? ウチは全然大丈夫や」

「ちゃんと集中できているのか? 心ここにあらずって感じに見えたぞ」

「う、うるさいわ! 言われんでもちゃんとできとる!」


 そう言ってアイカは乱暴に矢筒を受け取りながらヒロトの元から離れていく。


(明らかに動揺してるじゃん)


 ヒロトはそう内心でため息をつくが、ここで下手に声をかけて余計なことになるぐらいなら本人を信じて見守るしかないと思い、そのまま先程まで立っていた場所へと移動した。


 時を同じくしてシノルドもサリエルから離れ元の位置に戻ってきてヒロトの横についた。


「随分と荒れてそうですな、アイカ殿は」

「まぁご覧の通り、アイツは精神面はアレなもので。それでよく弓道出来ていたよなって思います」

「精神面は技術面と同時に鍛えることができます。しかしどうやらアイカ殿は例外だったようですな」

「アイカが例外?」

「天才すぎて、精神が鍛えられる前に技術が成熟してしまった。そんなところでしょう」


 かなり的を得たシノルドの意見にヒロトは感心したように目を丸くする。


「シノルドさん、そんなことがよく分かりますね?」

「ああいった性分はわが国にもちらほらおりますゆえ。あとは、老獪ゆえの経験則ですかな」


 そう言いなにやら意味深に笑みを浮かべるシノルド。


 そういえばと、元の世界でも妙に達観して若者がどうのこうの批評する近所のおじさんおばさんがいたとヒロトは思い出す。


「ゲンおじさんたち元気かな……」


 敵が多かった元の世界において数少ない味方でいてくれた人たちの顔を思い浮かべながら空を見上げる。


(母さんは今どこにいるんだろう)


 異世界に来てから色んな事があり過ぎて気にかける暇もなかったが、恐らくは自分たちと同じように母もこの世界に転移してきているはずだった。


 シノルドはそんなヒロトの様子を視界の端で伺いつつ、アイカたちの決闘の進行を進める。


「それではサリエル坊ちゃま、アイカ殿、決闘を再開いたしましょう」


 アイカとサリエルの二人は共に頷き、自分の立ち位置についていく。


 内心苛つきつつも佇まいは至って冷静なアイカに対し、未だ汗が滲みつつもその目の闘志は消えていないサリエル。


 演習場に集まった見物人もその決着の行方がそろそろ近いことを察し、固唾をのんで見守っていた。


「それでは、アイカ殿からお願いします」

「…………」


 合図を受けてアイカは弓を下ろしながら無言のまま静かに目を閉じて瞑想をする。


 そしてまた静かに目を開き矢筒から矢を取り出して構えの体勢に入った。


「――ん、いかがなされたヒロト殿?」


 決闘の様子を見守りながらシノルドは横のヒロトが先ほどから頭上の空を眺めたままずっと固まっているのに気付く。


「いや、その……なんか大気中の純魔力マナの様子がおかしいなと思って」

「大気中の……?」


 思わずシノルドも見上げてみるがいたって普通の日暮れ時の空の色であった。


「ヒロト殿あなたは一体……」


 普通なら人の目に見えるはずのないそれを指摘する彼に目を見張った――その時。


「は、外した!」


 ふいに演習場内に見物人たちのどよめき声が一斉に上がってシノルドとヒロトははっとなって正面に向き直った。


 矢を抜いてまっさらな状態になっていた的のそのすぐ後方、城壁にぶつかった矢が一本地面に転がっている。


 ヒロトはすぐにその矢と的を一直線に結んで伸ばした先を見つめる。


 つまりはそれを放った射手――


「アイカ……!」


 それは弓を射った体勢のまま固まり、立ち尽くす妹の姿であった。

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