17-地下牢④

 決闘――つまりは仕合い。


 サリエルくんからのその申し出に、執事のおじさんは何か息を飲むようにし、私も妙につばを飲み込みたくなった。


「ええで」


 アイカお姉ちゃんはさも当然のように答えた。


「お前さんがやりたい言うならウチは全然構わんで」


 そう言ってアイカお姉ちゃんはにやりと口端を吊り上げ両手を組んでパキパキと鳴らしている。喧嘩っ早いお姉ちゃんにとってはこういったことに関してはむしろどんと来いな性格だし、相手が同い年くらいのサリエルくんならきっと楽勝だろうと私はお姉ちゃんの後ろに隠れながら思っていた。


 一方で、サリエルくんの後ろにいるおじさんはさっきまでは割と焦っていた方だと思っていたのに、お姉ちゃんが答えた辺りから何かを覚悟するように硬い表情でじっとサリエルくんを見つめていた。


「そういえばまだ貴様らの名を聞いていなかったな、なんという?」

「アイカ、宮田アイカや。んで、こっちがヒメカ」


 自分を紹介され、サリエルくんが一瞬こちらに向いたのでさっとお姉ちゃんに隠れたが、彼はさも気にしてなさげにして踵を返した。


「よし、アイカ。ここは狭い、場所を移そうか」

「ウチは別にここでもええけど――まぁ、まかせるわ」


 サリエルくんの言葉に素直に従うお姉ちゃん。本当にさっきまでいがみ合ってたのかちょっと不思議な感じだけど、これから闘う相手に対してはみんなこうだったりするのだろうか。


「シノルド、この魔物はもういい。ダレク殿にはそう伝えてくれ」

「かしこまりました、坊ちゃま」


 サリエルくんがそう言って歩き出すと執事のおじさんもその後ろに付いていく。


 地下牢の奥の方ではまだ衛兵の人が腰掛けで居眠りしていて、それを見たサリエルくんが不機嫌そうな顔をして「この怠け者め!」と通りすがりに小突いていたが、まだ起きない。そんなに城の業務は疲れるのか(あるいは退屈なのか)と思ってしまった。


「ほら、行くでヒメカ。上でヒロ兄たちも待ってる」

「あ……うん……」


 お姉ちゃんがサリエルくんらの後に続いて歩くのを見て、私はふと鉄格子の向こうにいる狼さんに振り向く。


 まだ牢屋の隅っこの方で震えながら時折私の方を見て何かを訴えかけているようだったが、今の私に何ができるようなことは何もなかった。


「……ごめんね、また来るから」


 そう言って私は断腸の思いでその視線を振り切ってお姉ちゃんの後を追いかけた。その背後から哀しい唸り声が聞こえるような気がして、さらに胸を抑えながら足早にお姉ちゃんの隣に並んだ。


「……なぁ、ヒメカ」

「なに、お姉ちゃん……?」

「もう、ああいうのウチは見たくないねん。お前が、そうなるの。嫌なんや、だから……本当に、お願いな?」

「うん……ごめんね、お姉ちゃん。本当に……ごめん」


 私はそう言って、咬み傷が治りかけてる右腕を見つめ、その手を服の上から自分の脇腹に当てて静かにさすった。


(まるであの時だね、お姉ちゃん)


 未だに消えることのない、血と痛みが刻まれた記憶を思い返しながら私は地下牢の階段を上がっていった。


――――――◇◆―――――――


 そして、むくりと――誰もいなくなったことを確かめた彼は居眠りの真似を止めて椅子から立ち上がる。


「やれやれ……潜入も一苦労だ」


 先ほどまで人間たちが騒がしくしていた牢屋の中で一人、その者は城の兵士に変装しながその時まで息を潜めていた。


 鎖帷子を鳴らしながら地下牢の奥の突き当りの壁まで進んで、床と壁に蝋石のようなもので何かの紋様を描く。


「……これで良し。あとは件の姫との接触か……」


 一仕事を終えふと牢屋の中を見渡すと、薄暗い中に一匹、蹲っている銀狼の魔物の姿を捉える。


「お前は俺らの国でもあまり見ない種族だな。古き妖精の末裔か?」


 彼は鉄格子の方に近づきながらその魔物をじっと見つめる。あまりに痩せ細り、乾きに瀕した身体。牢の中の空になった受け皿を見る限り、ここしばらくろくなものを食べてはいないようだった。


 それを見かねてか、彼は懐の方を探り出し一切れの干し肉と水筒を取り出した。


「これだけしかないが、足しにはなるだろう。口にするがいい」


 そう言って彼は一切れの干し肉を鉄格子の中に投げ入れ、受け皿に水を注いでやる。


 すると、銀狼の魔物はむくりと立ち上がり目の前に置かれた干し肉と水にゆっくりと近付いて鼻先を向ける。いくらか匂いを嗅いで害がなさそうだと判断したようだがまだ目の前の彼が気になって口にしようとはしなかった。


「ふん、毒などはないさ。有り難く受け取れ」


 彼の目をじっと見つめながらやがて狼は前脚で押えつつ干し肉に貪りついた。


 飢えに飢え、渇きに瀕しているはずの狼の口元からは涎が滴り、ひとつ噛みしめる程に狼に中で失われていた活力がみるみる蘇っていく。


 彼はまるで我が子を見守るかのように笑みを浮かべながら狼に語りかける。


「いい、食べっぷりだ。どうだ、俺たちと一緒に来て人間たちを皆殺しにしないか?」

 

 彼の言語が伝わったのかどうかは定かではないが、狼はぴたりと食べるのを止め、一瞬彼の方に振り向く。


 真っ直ぐな眼差しが、彼の瞳をじっと伺いながら、やがて名残惜しそうに口元から干し肉を離す。それを見た彼は一瞬残念そうにしながらもまた笑みを浮かべる。


「冗談だ。俺たちの戦いにお前みたいな子供を巻き込むつもりはない」


 彼は服の隙間から鍵束を取り出すと鉄格子にかけられていた錠を外し、牢の扉を開く。


「それを食べたら好きなところに行くといい。じきにこの都市は戦場になる。その混乱に乗じて逃げ出せばいいだろう」


 そうして彼は何か呪文のようなものを口にすると、彼の足元が真っ黒い影に包まれてその中に沈んでいく。


「さらばだ、誇り高い古き一族の末裔よ。最後に出会えて光栄だった」


 その声が響いた後、全身が影に飲み込まれ彼の気配は完全に消え失せ元の静かな地下牢へと戻った。


 銀狼の魔物はやや物悲しげに唸りながら天井の方を見上げ、そして彼の厚意が残した干し肉に再び齧り付いたのであった。

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