15-地下牢②

「――――あッ!」


 まさにまばたきの間、鉄格子の中へ誘っていた私の腕に狼さんの口元から覗く大きな牙が私の細い腕に深々と突き刺さった。骨の芯まで響く焼け付くような痛みとみちみちと肉が鳴き叫ぶような音が牢屋中に響き渡る。


「グウウウウウゥゥゥーー…………!」

「…………つっ!!」


 先程までか細い声をしていたとは思えないほど強い顎の力。めいいっぱい床に脚をついて私の腕を牢屋に引きこもうとする。自身の腕に引っ張られる私の身体が鉄格子に阻まれ、吹き出した血が床にばらまかれる。


「う……うぐ……」


 腕の痛みと鉄格子に挟まれる圧力に声も満足に出せない。でも、牢屋の中へ無防備に手を差し出した時点でこうなることは覚悟していた。


 私はなんとか目を狼さんに向けて、精一杯に笑顔を作った。


「お、狼さん…………私の腕おいしい……?」


 仄暗い色に染まっていた狼さんの瞳に私の顔が映って、その晴れた青空のような大きな瞳が見開かれる。


 時間にして数秒、うす暗闇の中で私と狼さんとの間に僅かな感情が流れた。


 やがて、狼さんの顎の力が消え失せ、私の腕が牙から解き放たれる。


 血まみれになった腕がだらりと垂れ下がるのと同時に私は床に倒れ込んだ。並んだ大きな二本の犬歯の噛み痕が腕に残り、そこからドクドクと血が脈打って床に流れ出ている。


(痛い……だけど、不思議と怖くないな)


 チカチカとした鈍痛感が頭の中で光るのを感じていると、狼さんがどこかたじろぐような仕草をみせながら私の腕に鼻先を近付けて、申し訳なさげに傷跡を舐め始めた。


「…………ウゥ」

「……ごめんね、怖がらせるようなことをして」


 血で濡れた指先で狼さんの額のところに触れようとすると、また怖がらせてしまったのか、ビクッと狼さんの頭が震えて牢屋の奥へと遠ざかった。


(やっぱり、ダメみたい……。でも、寂しい感じは少しやわらいでる?)


 完全に私を信頼しているわけでは無さそうだけど、少なくとも私に敵意が無いことは伝わったかもしれない。


 身体を起き上がらせ、牢屋から自分の腕を引っ込めて傷の具合を見てみると、なんと既に血が止まって傷跡が塞がり始めていた。


「えっ……これって……」


 自分の体に起きている現象に目を見張っているとその場に近づいてくる誰かの足音が聞こえてきた。


「おーい、ヒメカぁー、そこで何しとるんやぁー?」

「あ……お姉ちゃん」

「お前の姿が見えんからみんな探しっとんたやで。なんでこんなところにおるんや――」


 地下牢の出入り口の方からやってきたアイカお姉ちゃんは鉄格子の前に座り込んでいる私にどこか訝しげな表情をしながら近づいてくると、床に散らばった血と私の腕の傷跡を見て表情を一変させた。


「お、おい、その腕どうしたんや!?」

「あ、えっと……これは、その……」


 どう説明しようか悩んでいると、アイカお姉ちゃんに気づいた狼さんが再び険しい瞳を向けて唸り始めた。


「ウゥゥゥーーー!!」

「うわっ、なんやこの犬っころ!? まさか、お前がヒメカの腕を……!」


 鉄格子越しに構える狼さんに向けてお姉ちゃんの殺気立つ気配を感じた私は慌てて立ち上がって間に割って入った。


「あ、あのお姉ちゃん、これは違うの! これは自分でつけたような傷だから!」

「自分でって……思いっきしデカい歯型ついとるやないか!」

「牢屋の中に手を突っ込んだの、何も考えなしに! だから、自業自得なの!」

「つまり、そいつに噛まれたってことやろ!」

「そうだけど、この子は悪くないの!」


 なんとか言い訳してこの場を収めようとするが、説明するごとにお姉ちゃんの剣幕はますます険しくなっていって、背後の狼さんの唸り声も大きくなっていく。


「ウゥゥゥーーッ、バウッ、バウッ!」

「あぁっ! ちょっと吠えないで、大丈夫だから!」

「おい、クソ犬! うちの妹を傷物にしてただで済むと思うなや!」

「もうー! 傷ならもう塞がってるからお姉ちゃんは黙ってて!」


 一向に収まる気配のないやりとりを繰り広げていると、地下牢の階段の方からまた誰かの足音が近づいてきた。

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