14-地下牢①

 普段、私はユウくん絡みでなければ大人しくしているのが当たり前だったのだけれど、その時ばかりは何故か一人で暗がりの中を進んでいた。


 まるで誰かが呼ぶような気がしたのだ。

 苦しいような寂しいような。

 確証なんてない、ただそんな声がするような気がするってだけで私は歩みを進めていた。


 右手で添えた石造りの壁づたいには魔石灯と呼ぶらしいランタンのような照明器具が真っ暗闇の中でぽつぽつと断続的に灯っている。その明かりの下には階段が螺旋状に続いていて、そこを私は一歩ずつ降りていった。

 

 革紐のついたサンダルが湿っぽくてざらついた石階段を踏みしめ、それを一段一段降りていくとやがて鉄格子の並んだ部屋がいくつもある場所に出た。


「ここって、牢屋?」


 階段の出入り口には椅子に座りいびきをかいて居眠りをしている兵隊さんが一人いた。

 なんとなく起こさない方が良さそうだと思いながらその横を通り抜けてその通路の奥へと進む。


 錆びついた鉄格子がはめられたいくつもの牢屋の壁には通気口と窓を兼ねるような格子窓がはめられていた。

 少し日が高いせいか斜めに差し込む光が少なく、部屋の中は幾分か暗いように思え、壁の魔石灯の光がより際立っていた。


 左右に並んだ牢屋の中はいづれもがらんとしていたが、一歩ずつ通路の奥へと進むたびに誰かが呼ぶ声が徐々に近付いてきているようだった。


「ねぇ、だれ……だれが呼んでるの? 」


 いや、もしかしたら私ではないのかもしれない。この哀しくて寂しくて苦しいような声はまるで、子供が母親を呼ぶような……。


 そんなふうに思いながら通路の一番奥にあった牢屋の前に辿り着く。


 恐る恐る牢屋の中を覗き込んでみると、しんと静まったそこに何かがいた。


 とても小さな影。暗闇に慣れた目で奥にうずくまるその姿をよくこらしてみると、そこには泥に塗れてうす汚れた、灰色っぽい一匹の犬――いや狼さんが隠れ潜むように眠っていた。


 その顔立ちは大型犬とは明らかに違う、野性的で威厳に満ちたもの。しかし、どこか幼い感じも強く感じる不思議な感覚だった。


 小さな紫色の角が左右の瞼の上辺りに二本並ぶように生えていて、右目のあたりの角が根元から折れて片方だけになっていた。長い尾は顔の前で丸まり先端はやや青味を帯びた色に染まっていた。


「こんなところにどうして?」


 どうやら怪我をしているのか、前足や胴体の毛並みが血の赤みに染まっている。けど血が滴ってないところから既に塞がっているようだった。


 もっとよく見てみたいと思ってそっと鉄格子に近付こうとすると、狼さんはまぶたをすっと開いてこちらの方に振り向く。そして、私を見るなり鋭い目つきで睨みつけ、大きな牙を剥き出しにして唸り始めた。


「ウウウウウウゥーー………!」

「あ……」


 私はその切ない声に思わず小さく身を震わせた。


 その声には疑念、哀しみ、憎しみ、怒り、怯え――様々な感情が乗せられて伝わってきた。眼の前にいる私に対して、最大限の警戒を持って拒絶を訴えかけてくる。


 しかし、それでも覇気がない。きっとおそらく気力や体力が尽きかけているのだ。この暗い牢屋の中にどれだけいたのかは分からないが、そうなるだけの仕打ちが狼さんの身に降り掛かったのだろう。


「あなた……私が怖いの……?」


 小学生で力も体も大きくない(少なくそう思ってる)私など、狼さんの大きな口でひと噛みなのだろう。しかしそれでも鉄格子越しに聞こえてくる声はとても弱々しく感じた。


 この世界で独りぼっちで、迷子のような鳴き声。


 その声に引かれるように私は鉄格子の前にしゃがみ込む。ごく自然に、ただ彼(彼女?)に触れてみたくて牢屋の中へ右手を伸ばしてみる。


「こっちへ……おいで?」


 私と狼さんとの距離はとても触れ合うような近さではなく、どれだけ腕を伸ばしてみてもまるで届かないが、それでも手を差し向けている。


 狼さんは一瞬ビクリと全身を身じろぎさせ、低い唸り声を上げ続けながら睨む目を離さない。


 それでも手を向け続けるとおもむろに立ち上がり、狼さんの声が一瞬途絶えたと思った――次の瞬間だった。


 爪が床を掻く音と共に灰色の毛並みが一気に目の前に迫った。

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