9-救護室
外階段から降りた後、中庭を通って城の中に俺たちは通された。
聞けばここには兵士たちの詰め所や食堂、さらには独房なんかがあり、王族や重臣らが住まう上層階とこの中層とは明確に分かれているようだ。
「なんや、結局ウチら入れるのか入れんのかはっきりせえよ」
とまぁ城に入る前にアイカがやや不満を漏らしていたのだが、異世界からやってきて樹海を消し去った俺たちは危険物を持った不法入国者みたいなものだろう。国の中枢から遠ざけたあの宰相の判断は別におかしくもない。得体のしれない俺たちを牢屋に収監することもなく城内へ入れてくれるだけでも随分と温情だろう。
城の一角にあった救護室は、保健室の延長みたいなものを想像していたが、どちらかといえばたくさんのベッドが並んだ寝室みたいな様相だった。左右の壁に向かい合うように並べられたベッドはどれも新品のように真っ白いシーツに覆われ他の人の姿は見えない。
「それじゃあ、順番に治療を施しますのでみなさんは毛布を取ってベッドに腰掛けていて下さい」
そう言われるがまま俺たちはリーエルさんや他の衛生兵の人たちから魔力を回復する薬だったり包帯を巻いてくれたりして治療を受ける。ユウトの聖素によってボロボロになってしまった服や靴を脱いで用意してもらった適当な服にも着替えた。
「なんかこのシャツやけに大っきくない? 短パンまで隠れてもうてんけど」
「お姉ちゃん、そういうときは裾を結ぶかスボンの中に入れてしまえばいいよ」
「ふーん、じゃあウチは結ぶ方にしとくか」
元の世界から着ていたものはここでお別れになる。特別思い入れのあったものというわけではないけど、元の世界との繋がりが一つ消えてしまうことに若干の寂しさを感じる。
「今食べ物を持ってくるように頼んでますので、それまでみなさんは休んでいてください。私はすぐそこで作業をしてますので何かあったら声をかけてくださいね」
そう言ってリーエルさんは部屋の隅にあった椅子に腰掛け、紙と羽ペンを取り出しながら何かを記し始めた。報告書かなにかを書いているのだろうか。
特に何もすることはなさそうなので、試しにごろんと仰向けにベッドに寝転がりながら天井を見上げる。木製の梁が通る天井には蛍光灯の代わりに、宝石のようなものが入ったカンテラが天井に吊り下げられていて、窓から入ってくる陽光を反射して静かにきらめいていた。
体重を預ける白いシーツの下には藁のではなく綿などが詰め込まれたマットレス。中世ヨーロッパっぽい見た目のアルトリアノ国だが、実際の中世よりは技術は進歩しているらしい。
「うーん……ぐかぁあああ……ぐかぁあああ……」
右隣から聞こえてくるのはあまりにも下品な寝息はアイカ。一番外傷を負っていたせいか治療を受けるなりすぐに寝落ちした。
「ったく、こいつは異世界でも相変わらずだな」
呆れるというか、むしろ安心できるというか……。
そして反対側を向くと今度はヒメカが膝を抱えてベッドに座り込んで、思いつめるように俯いていた。こっちはこっちで心配症で彼女らしいではあるが……。
「ヒメカ、休めるときに休んだほうがいい」
「お兄ちゃん……でも」
「やっぱりユウトが気になるのか?」
「そりゃだって、いくらルアさんが付いているって言っても、この世界でユウくんの知り合いは私たちだけなのに……」
「……そうだな」
確かに、ヒメカの言うことはもっともだし、俺だって心配がないわけではない。兄弟姉妹の中でも特にユウトに対し世話焼きなヒメカならなおさらその思いは強いだろう。
「さっきも言ったがここは我慢だ。この世界でユウトの身体をなんとかしてくれるのは今のところルアさん以外には頼めない。俺たちをあの樹海で助けてくれたあの人を信じよう」
「うん……だけど、あの人たち――」
「うん?」
「あの、ルアさんに対しても偉そうなおじさんとか、鎧を着ていたお兄さんたちは、あの怖い目をしていた」
「…………」
「あの目は……いつもユウくんを……そして私たちを傷つけてきたものと、同じだよ」
膝を抱えてその間に顔を埋めるヒメカ。その表情は遠い過去の一つを思い出しているのだろう。
元の世界ではユウトの特別な事情のせいでたくさんの人に迷惑をかけ、その幾つかに悪意を持たれることも少なくなかった。
そのせいあって、信頼を寄せる人間以外にはとことん警戒してあたる癖が俺たち家族には染みついていた。
アイカはユウトに近づく人間全てに敵意を向けたがるし、ヒメカは四六時中ユウトの側にいないと気が気でなくなるようになった。
ユウトはユウトで奔放な性格だからか、目を離すとすぐにどこかへ行方をくらますので広大な田舎の野山を駆け巡ることも日常茶飯事だった。
ユウトとの生活は正直に言えば大変ずくしだ。おそらく一般家庭のその比じゃない。環境が異世界になってもそれはきっと変わらない……。
――いや、そういえば……あのゴブリンの樹海でユウトと合流したとき、気になった事を思い出した。
ひとつは髪の毛が白くなってたこと。それはこの異世界に来て体質が変化したからではないかと察せられるが、肝心なものがもう一つ。
「お兄ちゃん、あの時のユウくん泣いていたよね。」
どうやらヒメカも同じことを考えていたらしい。
河川が吹き飛んだ大地の真ん中で、その場にへたり込み大声を上げて涙を流すあの姿。
いかにも子供らしいその姿は、俺たちにとってあまりにも鮮烈すぎる光景だった。
「今までユウくんは笑うことしか出来なかったのに……。これって異世界に来たからユウくんに何かが起きたってことだよね?」
「多分、そうだな……」
「もしかして、ユウくん。異世界に来たことでや『普通の人』らしくなった――ってことなのかな
……」
「……今はまだ、確かなことは言えないな」
だけどきっと、そのきっかけがあることは間違いないだろう。
現実の世界ではどうしようも無かったユウトの体質。それが彼の『個性』なのだと割り切るしかなかったもの。それが、この異世界では変わるかもしれない。
「それって……きっと良いこと……なんだよね?」
ヒメカは膝に顔を埋めた体勢のままじっとベッドの上を見つめていた
「私は、別に、今のユウくんのままでも……愛せるよ……」
ヒメカはきっと本気でユウトがこのままでも良いと思っているわけではないだろう。
ただ純粋に、言葉に出来ない複雑さがあった。
「……ユウトが変わっても、変わらなくても、あいつは俺たちの家族だ。どんなあいつでも受け入れてあげればいい。違うか?」
「……うん、そうだね」
色んな感情が入り混じったような笑みでヒメカは頷きつつ、そのまま背を向けてベッドに横になった。
もし、ユウトが本当に普通の人と同じように会話が出来るようになって、感情を見せてくれるようになったのなら、俺たち家族はどうなるのだろうか。
今までと同じようになれるのか、それ以上になれるのか、それとも……。
そのことを気にしているのは、きっと俺だけじゃないはず。
いつの間にか隣のアイカの寝息が静かになっていたことを俺は知らないフリをしながら、仰向けに直った。
樹海からゴンドラに運ばれてくる途中で眠っていたのに、まだ足りないようで、あるいは思いの外ベッドの心地が良いのか、すぐに俺の意識はまどろみの向こうに消えていった。
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