8-閑話 或る森

 アルトリアノ領首都シャマト近郊 森林内


 時刻はまだ昼前にもかかわらず森の中は暗く、僅かな木漏れ日だけが足元を照らす。しんと静まり返る木々には小鳥のさえずりさえ聞こえない。ゴブリンの樹海ほどではないにせよ生き物の気配が薄く、あまりにも殺伐としすぎていた。


 たまたまなのかそれとも本能的になのか、本来そこに住むはずの動物たちはその一帯から一時的に姿を消していた。その代わりに木の陰には、人の姿のような影たちが息を殺して身を潜めていた。


 そして集団の輪の中の木の根元に座り込んでいた一人が部下らしき男に話しかける。


「サルム、魔法陣の設置はどうなった?」

おおむね完了です。あとは港町ネーヴに設置しにいった者たちの報告を待つだけです」

「そうか、すると後は上空監視に出たマロムたちだけか……」


 そう言って彼は座り込んだ足元に転がった木の実を一粒つまみ上げながら、口元に放り込む。殻ごと中身の可食部を歯で擦り潰してそのまま飲み込んだ。


 彼らは人間の領域に侵入したならず者であり、所謂『魔族』と呼ばれる者たちであった。


 北方にそびえるドラン山脈に広がる結界を強引に突破した彼らは、当初想定していた計画よりも順調な旅路になった。本来なら結界を越えた時点で人間たちに捕捉されて戦いになると思われていた彼らであったが、どういうわけかそのような事態にはならなかった。


「昨夜のアレの正体は何か分かったか?」

「まだなんともです。あれほどの魔力――それも聖素の持ち主なぞ、魔族領域でも聞いたこともありません」


 彼らが山頂から下山途中に見えた『ゴブリンの樹海』と呼ばれる地帯に突如発生した大規模な魔力の奔流。空を眩く照らすほどの聖素の輝きが木々を飲み込み、辺りを草木も残らぬ荒野へと変えた光景は彼らでさえ戦慄を覚えるほどであった。


「おそらくアレの騒ぎで人間どもの警戒がそっちに向かっていったようだが、どうも楽観はしてられんな。アレが人間どもの使う兵器かの可能性もある」

「兵器……ですか?」

「巨大な魔導具、もしくはそれに準ずる召喚術か、おそらくそれらの試し撃ちなんだろうが……」

「彼らにそれほどの技術力があるということでしょうか?」

「それは分からん。我らが把握している人間の情報は1000年前のものだからな。技術力が進歩しているかもしれんし、あるいは衰退しているのか……それを確かめるのも今回の遠征だ」


 彼ら魔族にとっても1000年前に起こった戦争とやらの仔細は判明していない。その後の人間たちの暮らしぶりでさえ。


 自分たちの祖先のまたその遥か昔のいざこざを今更持ち出すのもどうかという彼の同胞たちからの声も少なからず上がることもあった。


 だが、しかし、彼の決意はそう簡単には覆せない。


 1000年前の戦争で確かに伝わっていること、それは魔族が人間たちの領域を獲得出来なかったというもの。多大な犠牲を払ってまで戦いに興じたというのに、得たものは長き幽閉の時だけであった。


 あの結界さえなければ今頃は――と彼がどうにもならぬことを口走りそうになった時、何者かがその場に慌ただしく駆け込んできた。


「た、隊長ぉーーっ! 大変です!」


 その者は先程、偵察として人間たちの王城を監視させていた部下の一人であった。背中から生えた黒い鳥ような二枚の翼をはためかせ、森の木々を縫うように現れたその者は、魔族特有の深い藍色の血に全身を染めていた。


「ウィブ、なにが……!」


 彼が声をかけようとして目にしたのは、目の前の部下が慎重に抱きかかえていたもう一人の姿であった。フードの下から覗く青い肌の女の魔族。その細い身体に、一本の銀槍が腹の中心を突き破って背中にかけて貫かれていた。


「マロム!?」


 彼が血相を変えて近づくと、力なく項垂れていた彼女の顔がおもむろに上がる。今にも消え入りそうな瞳に映る彼の顔を見て、やや憂うように笑みを浮かべた。


「隊長、これを……」


 血に濡れた手の中には薄緑に光る六角柱型の魔晶石が握り締められ、それを目の前の彼へと手渡す。


「術式を封じ込めています。一度だけなら……呼び出せます」

「……わかった」

「ご、ごめんなさい……隊長。わ、わたし……もうお側にいれません……」


 ようやく絞り出したその声を最後に、彼女の全身から力が失われ、だらりと首が地面を向く。


「……くっ」


 腰の辺りに乗せていた彼女の右手が滑り落ちるのを彼は受け止める。急速に失われつつもまだ感じられるその手に残った温かな生の残滓を彼はすがるように握り締めていた。


「ヴィブ……マロムは誰にやられた?」

「わ、分かりません……! マロム殿と共に首都上空で侵入経路を探していたら突然王城方向から槍が……」

「槍だと……捕捉されたのか?」

「分かりません! 肉眼では探知不可能なはずの高度から索敵していたのにどうしてか……!」


 動揺しパニックを起こしかけ、血濡れの遺体を抱えたまま今にも崩れ落ちそうなている部下を、彼は肩を叩いて制する。


「落ち着け、誰もお前を責めたりはしない。追手は来てないんだな?」

「は、はい……少なくとも誰かに追跡されている気配は。撤退ぎわに王城付近を目視した限りでは相手側の軍の動きも見られませんでした」


 報告を受けながら、こと切れた彼女マロムの遺体を部下から受け取る。

(いったいどういうことだ、敵はマロムたちに一発迎撃を加えただけで満足したとでもいうのか)


 彼は不可解な事象になにやら不穏なものを感じながら、彼女の身体に突き刺さった銀槍を忌々しく見つめながらそっと抜き取り、その遺体を地面の上にそっと寝かせた。 


「そんな……マロム殿が……」

「貴重な首都攻略の戦力なのに……」


 後ろの方で控えていた他の隊員たちから狼狽える声が密かに上がる。それは部隊を預かる隊長の彼の耳にも当然拾っていた。


「隊長、この後はどういたしましょうか」


 すぐ側に控えた補佐サルムが冷徹ともいうように隊長へと指示を仰ぐ。悼む暇も与えぬ行為は彼にとってはむしろ覚悟を固め直す助けになった。


「……今更作戦を中止するわけにもいくまい。我々はもうあの結界を越えてきたのだ」


 焦燥しさや激情の類をおくびにも出さずに、ただ冷静な声。だがその眼差しの奥には確かに、確固たる決意が炎のように漲っていた。


「サルム、マロムの召喚術は使えるな?」

「ええ、港町の魔法陣と同時に発動できます」

「ヴィブ、目ぼしい侵入経路は?」

「一応、一箇所目処は立っていますが……」

「よし、マロムの遺体を処理したら、作戦の軌道修正を行う。首都の潜入は俺が単独で行う」


 彼の言葉に周りにいた部下たちが一斉にどよめいた。


「隊長自ら!? 危険すぎます」

「侵入なら我々に……!」

「今はより確実性が欲しい。それに今や『密書』を開くことができるのも俺だけになった。万が一のことがあっても、お前らは手筈通りに進めてくれればいい。良いな?」


 確固たる決意を秘めた彼の目に誰も異議を唱える者はいなかった。


「よし、作戦の決行まで周辺の警戒を怠るな」



 命令を受け、部下たちが静かに頷きながら各々の配置へと移動を開始する。そして、冷たい肉塊と化した彼女マロムの身体も、部下が唱えた魔術によって焼却させられようとしていた。


「まて、それは俺がやろう」


 彼はそう言って部下の魔術を中断させ、遺体の前へと歩み出た。彼女の命を奪った銀槍を握り締め、もう片手を彼女にかざし、その脳裏にはかつて彼女と共に語り合った日々が走馬灯のように蘇るのを感じながら、魔術の詠唱を始めた。


(あぁ、そういえば、お前は死ぬ時はせめて海が見たいと言っていたな)


 それを思い出し、彼は途中で発動する魔術を変更する。


 焼却ではなく圧縮。


 燃えて塵と化すよりも、全てをまとめた塊として残すことを選び、その魔術が発動する。


(静かに眠れ、マロム。そして、見ていろ。俺は必ず同胞をあの大地から必ず開放してみせる)


 仄暗い森の中で、魔力の閃光がただどこへも逝かずにひっそりと瞬いていた。

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