7-大浴場にて③

「んな……!?」


 ヘイルは驚愕に染め上げ、空中に跳び上がったユウトを見つめる。


(完全に死角から狙った渾身の槍投げだったに……!?)


 決して避けられるはずもない、ましてや背後から来た槍を掴んで投げ飛ばすなど、それも足で。


 空中のユウトはヘイルの方に目線を向け、変わらぬ笑みを見せる。それはまるで予想通りだと、全て分かってたのだと、ヘイルは言われているような気がした。


「くっ、小癪な……!」


 腰の直剣に手を伸ばそうとしたその時、横から来たルアが彼の手首を掴む。


「よしなさいヘイル。姫様の御前です」


 投げかけられた静止の声に、ヘイルは一瞬彼女の方を向き、そして真正面のセルティとユウトを一瞥しながら歯がゆそうにして踵を返した。


「おのれ……異世界人め……!」


 ヘイルは自らが壊した大浴場の扉を踏み潰しながら立ち去り、出入り口に群がっていた侍女たちも彼が大浴場から出てくる際にはさっと左右に割れて道を譲った。


 一方、世界樹の円柱から湯船に向かって跳び上がったユウトの身体はそのまま着水してセルティらのすぐ側で大きな水しぶきが上がる。


 セルティが一瞬目をつぶって降り注ぐ水滴を浴びていると、いつの間にか彼女の目の前にユウトが近付いていた。


「あっ………」


 セルティは思わず声を洩らす。


 彼の瞳は先ほどまでの黒い瞳から輝くような真紅の色に染まっていたのだ。


 まるで自分の意識がそれに吸い込まれその内側から何まで全てが見透かされてしまっているような。にもかかわらず、何故か嫌悪感は湧いてこないような、これまで彼女が感じたことのない不思議なものだった。


 しばらく見とれていると、彼の光るような赤い瞳がその急速に色を失い、元の黒い瞳に戻った。そしてその小さな胸の中心に何か丸い物体が埋め込まれているのにセルティは気付く。


(これは……何かの種……?)


 灰色っぽいそれを中心にはまるで蜘蛛の巣のように血管のような根が張っていて、彼が息を吸うたびにそれが脈打つかのように感じた。


「う」

「あ、あの……?」


 戸惑った表情のセルティに、不意にユウトの右手が彼女の方へと伸びる。


「あなた、それ以上姫様に近付いてはなりません!」


 衣服のまま湯船の中に飛び込んだアネッタはセルティとの間に割って入ろうとするが、素早く前に踏み込んだ彼の動作にアネッタの反応が遅れ、セルティの眼前にユウトの手が迫る。


「――――!」


 ユウトを見つめたままのセルティはそのまま息を呑んで身を任せていた。


「――あっ」


 ぱきっ、とセルティのすぐ頭上でユウトの手が止まる。その手にはユウトが投げ飛ばした槍によって粉々に割れてしまった天窓のガラス片が握りしめられていた。


 手のひらより大きめのそれは、壊れた窓枠から一直線にセルティに落下していて、ユウトが受け止めていなければセルティの絹のように美しい肌が引き裂かれていたであろう。


 そのすぐ後からも、湯船の上からは細かなガラス片が次々と落下していて、気付いたアネッタが急いでセルティを浴槽から引き上げさせる。


「姫様、はやくお手を……!」

「あ、アネッタ……」


 急かされながらもセルティは浴槽から上がり、その間もちらほらと湯船に立ち尽くしたユウトの方を見つめる。彼女たちとすれ違いにルアは浴槽に佇む彼を眺めて疲れたように息を吐く。


「いったい、どうして彼は……」


 いくら幼い男児とはいえ、あまりに奇行が過ぎる。彼に対する兄弟ヒロトたちの態度から、やはり彼は生まれつき子供だったのだろうと察する彼女。そのような事情の子はこの国でも珍しくはなかった。


(だが、しかし。果たしてそれだけなのだろうか)


 一見、支離滅裂な行動をとる彼の手に握り締められたガラス片からは赤い血が流れ、真紅の花弁が広がる水面に滴り落ちる。視線は遥か上を見つめ、その表情はあいも変わらず口端を吊り上げた表情のままであった。

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