6-大浴場にて②

「え?」

「はいっ!?」


 目の前に現れた闖入者に姫君セルティ従者アネッタは同時に声を発する。


「うー?」


 白く短かな髪をした黒い瞳の少年。歳のほどはセルティよりもやや幼い感じ、背はアネッタの半分も無さそうで、その四肢は女子のように薄色で細い。


 明らかにこの国の者ではないと分かる肌の色、だがその顔立ちは自分らと同じ人の顔――というかそのものだ。


 つまり、人間の男児が真っ裸で湯浴み中の淑女がいる大浴場に侵入してきたのだ。


「ひひひ姫様、私の後ろに!」

「え、あぁ、はい……っ!」


 あられもない姿を晒してしまっているセルティをアネッタは咄嗟に浴槽の前に立ちはだかって彼の視界から遮ろうとしている。一方でその後ろにいるセルティは身体を浴槽の陰に隠しつつも冷静だった。


 元々同世代の子供はおろか異性と相対することもほぼ無かったセルティには多少の羞恥はありつつも物珍しさもあり、興味津々な感じで全裸の彼を見つめていた。


「ど……どなたですか、あなたは!?」

「えっと……将軍かどなたかのご子息さまでしょうか? もしくは街の子供が迷い込んだとか……」

「――い、いえっ、あの顔、見覚えがあります。先程、離発着場で見かけた異世界人とやらの一人です!」


 二人の女性を前にしても特に恥じることなくその裸体をひけらかす彼――即ちユウトは、満面の笑みを浮かべながらきょろきょろと大浴場のあちこちを見渡して何かを探すような仕草をしている。


「姫様、下がって……!」


 アネッタが叫んだ瞬間、ユウトの両足が大理石の床を蹴り上げて空中へと舞い上がった。


 大浴場内に漂う白い湯気を天窓の光がカーテンのように映し出し、それをユウトの身体が包まるように一回転しながら突き進む。


 セルティたちを飛び越えて浴槽の中央の円柱にたどり着き、世界樹の枝(の彫刻)の先に降り立った彼が見上げるとちょうどそこには聖女レダの像の真正面であった。


 慈しんでいるような、あるいは憐れみのようなどちらともいえない聖女の表情にユウトはあいも変わらず「にぃ」と白い歯を見せていた。


 その様子を傍から見ていたアネッタには彼が何を考えているのか分からず終始困惑していたが、振り返って彼を見上げたセルティは何故か胸が締めつけられるような感情を覚えた。


(あの子、なんだか……)


 どうしてそんな風に思ったのか分からず、声をかけようとしたその時、またもや出入り口の方が騒がしくなった。


「お待ち下さい! ここは今、セルティネーアさまが……!」

「お止めください、まだ中に……」


 大浴場の外に待機していた従者たちの声がまた響いて来たかと思うと、再び大浴場の扉が開け放たれる。しかも今度は爆音を伴って豪快に扉を文字通り吹き飛ばした。


「追い詰めたぞ、異世界人め!」


 木っ端微塵になった扉の向こうからは、槍を片手にして銀の鎧を身に纏ったヘイル騎士団長が鬼の形相で現れた。


「うえぇっ、今度はヘイル騎士団長!?」

「ええっ! ヘイル様!?」


 さらに顔面を蒼白させるアネッタと今度ばかりは顔を真っ赤に染め上げて従者の背中にしがみつくセルティ。


「観念しろ、異世界人。この国に仇なす存在はこのヘイル・オルスタインが成敗してくれる!」


 そう言って彼は手にした槍を構えて正面にいるユウトを睨みつけながら投擲動作に入る。


 ちょうどその時、ヘイルの背後の方で遠巻きに見ていた侍女たちの中から掻い潜って、焦燥に満ちた声が投げかけられた。  


「待って……止まって下さい、ヘイル!」


 廊下を走り抜けて息を切らして現れたのは宮廷魔術師筆頭補佐のルア。


 城の魔術実験室から飛び出したユウトを追って来た彼女の額からは大量の汗の雫が滴り落ちて、着替えたばかりの装束は既に皺が寄ってしまっていた。


 そんな彼女の静止の声も聞かず、ヘイルは握り締めた槍の柄を振り抜いてユウトに向かって投げ飛ばした。


 まるで竜の心臓を穿つような全力を込めた一投。


「姫様、伏せて!」

「きゃあっ!?」


 振り向いたアネッタはセルティをかばうようにして彼女の頭を抱き寄せ、直後頭上の方で銀の切っ先が空を切り裂く音が聞こえる。


「ユウトさん!」


 ルアが叫ぶもユウトはまだ聖女の像を見上げたままで、背後から迫る銀槍に気が付いてない様子だった。もはやルアの魔術も間に合わない。


 誰しもがあの小さな男子の背中が貫かれると思った――その瞬間だった。


「うぃ」


 屈んだ体勢だったユウトの身体が小さく跳び上がり、その下を銀槍が通り抜ける。そしてすぐさまそれを両足で挟み込むように掴み、全身を宙返りさせながら遥か頭上の方へ弾き飛ばす。


 その一連の動作が僅かな時もない、刹那のうちに行われた。


 一直線を描いていた槍の軌跡は、彼を起点として直角に折れ曲がりそのまま天窓を突き破って空高くへと登っていったのだ。

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