5-大浴場にて①

 アルトリアノ城の一画にある大理石の建材と豪奢な調度品で囲まれた大浴場。


 天窓からの日が降り注ぐその中央には四つの柱に囲まれた円形の大きな湯船があった。


 それぞれの柱には美しき精霊の彫刻と金細工が施され、見る者を魅力する。

 実はその柱自体が巨大な魔導具であり、この内部では城の地下より汲み上げられた湧水を温める機構――要はボイラーの役割をしていた。


 それぞれが沸かした湧水を湯船へと流すのは湯船の中央に設けられた彫刻が担っていた。豊かなる恵みの象徴たる世界樹を模した円柱とその頂上に佇む守護の象徴である聖女レダの像の足元から滝のように湯船の中へとお湯が流し込まれる。


 湯船というよりは街の広場にあるような噴水といったそれは、水面に立ち上る白い湯気と共に鮮やかな真紅色の花弁が絨毯の如く敷き詰められていた。


 香りつけられたその湯にどっぷりと肩まで浸かっているのはこの国の王族たるセルティネーア姫ことセルティ。彼女は薄桃色に光る魔晶石のランプに頬を照らされながらぼんやりと頭を浴槽の端に乗せていた。


「姫様、湯加減はよろしいでしょうか?」


 湯船のすぐ外側には薄着のアネッタが木製の腰掛けに座って、湯船の端からはみ出ている姫君の汚物にまみれた髪の毛を洗剤と両手で泡に包みながら洗っていた。


「ええ、いい具合な感じです。ちょうど今朝方は寒いと思っていましたので……」

「素直に愚痴の一つこぼしてもよろしいと思いますが姫様」


 城の離発着場でヘイル騎士団長率いる飛空騎士団たちを出迎えたセルティが不届き者の吐瀉物に塗れてしまい、慌てふためいた従者共々に退散したのがつい先程。


 姫の哀れな姿を他者に見せまいと、アネッタ以外の従者を大浴場の外へと待機させこうして湯浴みを施していたが、当のセルティはやけに落ち着いている。


「まぁ驚きはしましたし、少なからず不愉快な気分になったのは確かでもありましたが……。けどもう平気です。こうしてアネッタが洗って下さっているので今はとても良い気分ですわ」

「それは……そうおっしゃるなら宜しいですが……」

  

 その態度をみればなんと王族たれ、器量の深さなのかもしれなかったが、まだ年端のゆかぬセルティのそんな部分にアネッタは感心と憂慮を抱いていた。


「わたくしが知らないだけで飛竜というものはああいう習性があるのでしょうか」


 セルティのぼそりとつぶやいたああいうのとは十中八九、を吐くことであろう。アネッタは主人の髪の毛についたそれを手のひらで丁寧に泡と一緒に掻き出しながら答える。


「いえ、先程のあれは飛竜ではなく、異世界人とやらの仕業らしいです」

「異世界人? それはいったいどのような方たちなのですか」

「私もそこまで詳しく聞いたわけではありませんが、我が国の領土どころかこの大陸とも違う、全く異なる場所からやってきた異邦人とのことです」

「異邦人……魔族とも違うということでしょうか?」

「恐らくはそうなのでしょうが、詳しいところは今後の調査次第でしょうね」

「ふうん……その方々と意思疎通は可能なのかしら」

「すみません、私の耳には詳しいことは何も……。姫様は興味がおありですか?」

「ええ! だってわたくしの知らない世界から来た人たちなのでしょう? それは是非ともお話を聞いてみたいです!」


 浮ついたセルティの声に、アネッタはセルティの背中越しからでも興味津々に目を輝かせているのだろうと察せられた。


(まったく……純粋なのかあくまで陽気なのか。その異世界人からかけられたというのにこの姫様は)


 そんなふうに内心思い苦笑を浮かべながらも、アネッタは姫の髪をひと通り洗い終えて、手桶の湯をかけてやる。洗髪剤シャンプーの泡が流されると瞬く間に王族特有の繻子の如き白銀の輝きを取り戻す。


 毛先から弾き出された水滴をも優美さに取り込んだ姫君の美しさは、長年近くで世話係をしていたアネッタですら毎度見惚れてしまうほどであった。


「月光椿を用いた最高級のもので仕上げました。これでいつヘイル騎士団長にお会いしても恥ずかしくありませんよ」

「ありがとう、アネッタ! ヘイル様には大変お見苦しいお姿を晒してしまいましたね……」

「姫様、それは……まぁ、そうですが……」


 幸いにもそのヘイル騎士長は任務に夢中だったのか、セルティのあられもない姿をまともに見てなかったはずだとアネッタは思い返すが、あえてそのことは口にはしなかった。


 セルティは嘆息をもらしながら、浴槽の縁に首を預けて高い天井にはめ込まれた天窓の向こう側を見つめる。


「アネッタ、どうしたらわたくしはヘイル様にもっと気にかけてもらえるようになるのでしょうか。やっぱりもっと大人びていないと駄目なのでしょうか?」

「そうですね、やっぱり姫様の苦手なシャロット菜を食べれるようになるところからですかね」

「な、なんでそこでシャロット菜が出てくるのですか!?」


 鮮やかな朱色をした根菜であるシャロット菜はこの世界に住む子供たちが嫌いな野菜の代名詞ともいえる存在であった。独特の風味と食感がこの上なく子供たちの評判を下げていて、勿論、セルティ自身もそこが嫌いで、よく料理の付け合せに出てきたときは侍女たちの目を盗んでこっそりと避けているのである。


「そりゃあ、食べ物を好き嫌いする女性はきっとヘイル騎士長も快くは思わないでしょう。逆に、自分の苦手な物にも挑戦する姿勢を見せればきっと姫様のことも見直してくれますよ」

「そ、そういうものなのでしょうか……? わ、分かりましたわ、今度の晩餐会では……」


 言いくるめられている感はありつつも、アネッタの指摘もあながち間違いではなさそうだと考え固い決意をするセルティとその背後で口元を覆って笑みをこらえるアネッタ。


 歳の離れた姉妹のような会話。そんな和やかな雰囲気を引き裂くように彼女らの背後で突然、騒がしい音が響いてきた。


「おや、なにやら廊下の方から……」

「なんの騒ぎですか?」


 大浴場と廊下を繋ぐ出入り口。その扉の前には屏風のように波打って屹立している目隠し用の大きなパーテーションがあった。


 その方向から聞こえてくる幾人もの悲鳴のような大声が床や天井越しに震えている。


「いったい何が……?」


 得体のしれぬ何かが近付いて来るのを感じながらアネッタはセルティと共に見つめていると、騒々しい足音と共にそれは奇声を伴って現れた。


「なぁーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 大扉を勢いよく開け放った振動と風圧にパーテーションを転ばせ、それを足蹴にして踏み越えてきたのは、一糸纏わぬ幼い童子であった。

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