2-輝けるセルティネーア姫
セルティことセルティネーア・ド・ジルネヴは夢を見ていた。
何もない空のような場所でふわふわとしていて浮いているような、幻想的な夢。
しばらくすると目の前に羽の生えた美しい人がいつの間にやら立っているのに彼女は気付く。
男性なのか女性なのかはっきりしない。分かるのはその者がなにかとてつもない神聖な感じを持っているという点だけであった。
彼女がしばらくそれに見惚れていると、目の前の者がそっと囁いてくる。
「―――――――――」
与えられたその言葉を聞いてセルティは一瞬何のことなのか分からずに問い返そうとするが、やがて身体の自由がきかなくなって声すらも出せなくなった。
そして、全身にあった浮遊感が無くなり、彼女の身体は真っ逆さまに落ちていく。深い、深い、底の方へと――――。
「セルティネーア姫、おはようございます」
遠い意識の向こうから侍女のアネッタの声がしてセルティは目が覚ます。
目やに混じりの瞳を見開いて身体を起き上がらせてみればそこはいつもの自分の寝室。天蓋から垂れ下がるレースのカーテンと、そこから窓辺に射し込む外の明かりが彼女のベッドを照らしている。
(あぁ――また、あの夢だわ)
夢での出来事はすっかり忘れてしまったが、彼女は確かな現実感が胸の内に残っていることを感じた。
最近になってよく見るようになったその夢だったが、肝心の内容を覚えていないことにどう捉えたものかと困惑するばかりセルティであった。
いつも共通して感じることは、どこともわからないようなあの場所で何かを託されたということ。なにか臨むべき使命があり、いつかそれを果たさなければならないという感情が心の内側に燻る薪のように残っているのだ。
朝の着替えと身支度を済ませた彼女は朝食のためアネッタと共に食堂の方へと移動していると、廊下の窓辺から大きな影が近付いているのが見えた。
「おや、あれは……飛空騎士団の飛竜たちですね」
アネッタが窓際に立ち見上げると、大きなゴンドラを吊り下げた飛竜とその周囲を取り囲むようにして小さな飛竜らが王宮に向けて羽ばたいていた。
「駐留所ではなく王宮に直接とは珍しいですね。何かあったのでしょうか」
アネッタの言葉に耳を傾けながら、セルティもまた窓辺に近づいて空を見上げる。そして、その一団の後方に付いている赤い飛竜を目にしてその瞳を大きく輝かせた。
「ねぇ、見てアネッタ! あの飛竜、ヘイル様のだわ!」
「え、えぇ、まあそうですね」
「ということは、あの方がこの城にやってくるということですか!?」
「そ、そういうことになりますかね……」
「こうしちゃ、いられないわ、ヘイル様をお出迎えしなくては!」
そう言ってセルティは長いスカートの裾をつまみ上げて廊下を駆け出す。
「あっ、ちょっ……姫様、お待ち下さいませ!」
姫の爆走っぷりにアネッタも慌ててその後ろを追いかけ始める。
飛空騎士団の飛竜たちは王宮の外周を一回りして、裏手の方にある飛竜専用の発着場の方へ向かっていた。
セルティたちがその発着場へと続く城の外へと通じる扉に到着し、まずアネッタが先に開くと外気が勢いよく流れ込んできて思わずセルティは後ずさった。
「わっ!」
「お気をつけて、姫様。今日はかなり風が強いご様子です」
手を添えられながらセルティはゆっくりと扉をくぐって外へと歩み出る。
高台にそびえ立つ城の中腹からせり出すように設けられたそこは千人は敷き詰められるほどの四角く広い空間で、木の板が敷き詰められた踏み台の四隅には夜間誘導用の灯台まで設置されている。
既にその場には城の者が待機していて、上空より飛来する飛竜たちの到着を待ち構えていた。その顔ぶれをよく見れば、常駐の近衛兵や陸上騎士団の幹部クラス、さらには宰相ら上層部の面々が待機していた。が、セルティのよく知る王族連中の姿は無いようであった。
「アネッタ、なんだか、凄い人だかりになっていますわね」
「ええ。昨夜、飛空騎士団らが緊急出動されていたので、そのせいもあるかと思われますが……」
首都シャムトの北東部に位置するゴブリンの樹海にて異常事態が発生しているとの報告を受けてから城の内部では厳戒態勢が敷かれていた。
セルティたちはその現場からどのような報告がなされていたのかは聞かされてなかったが、この発着場に集まった者たちの雰囲気からなにか重大なことがあったに違いないと悟った。
「やはり、ドラン山脈の結界が破られたのでしょうか。千年もの間、魔族たちの侵略から人間を守ってきた伝説の聖女の加護が間もなく消滅するというのはおとぎ話ではなかったと……」
その噂についてはセルティもどこかしらで耳にしていたものであった。幼少の頃より英雄譚として聞かされていた『守護聖女記』の中の一幕。
大昔に存在した聖女レダが恐るべき魔族の侵攻から人々を救うべく、その身を捧げて魔族たちを結界によって阻み、ドラン山脈の向こう側へと封じ込めたという伝説。
しかし、今はそんなことよりも大事なことがセルティにはあった。
「あっ、来ましたわ! ヘイル様ぁ〜〜〜!」
セルティが上空を指差す先には外縁を回り込むようにして飛竜の一団。発着場の真上へと向かう巨大な飛竜の後ろには赤い鱗の飛竜とそれに跨がる銀鎧の騎士が控えていた。
「あぁ、ヘイル様今日も素敵なお姿……」
セルティが周りの従者らの眼も気にせず、発着場付近から熱い視線と共に手を大きく振るが、肝心の彼はそれには目もくれていなかった。
彼はゴンドラを吊り下げたひときわ大きな飛竜が中央で着地体勢になっているところを、周囲に散開する騎士団の飛竜たちと共に空中で見張っていて、セルティに気を配るどころではなかった。
「ふむ……何やら重々しい雰囲気ですね。あのゴンドラの中に何か重要なものでも運んでいるのでしょうか」
「あぁ……ヘイル様、真剣な眼差しでお仕事されている姿も素敵……」
「姫様……興奮するのは結構ですが王族なのですからその緩みきった口元はお隠しになってください……」
飛空騎士団の団長であり美男子としても城下の女衆に人気なヘイル。そんあな彼に対するセルティの熱烈な憧憬と畏敬の念は城の誰もが知ることであり尚更驚くようなものでもなかった。
従者であるアネッタからしてみれば、姫君と騎士の組み合わせは実に華やかで画になるとは思うものの、当のヘイル本人が「騎士たるもの主に対する忠義と戦場での活躍がすべて」と色恋沙汰には全くの無関心であった。
彼のその生真面目ぶりな姿勢がかえってセルティを含む世の乙女心を掴む結果になってはいるが、自らの主人の恋路がとても難儀なものになりそうだと常日頃心配しているアネッタであった。
「わたくし、あの大きな
セルティの視線の先にあったのは主に資材の運搬用や要人の護送に用いられる、ケツァルコアトル種の飛竜であった。空を覆い隠すような巨大な体躯に、大人数人は乗り込めそうなゴンドラを結びつけてゆっくりと発着場に降下しようとしている。
普段は城の中に籠りきりな彼女が目にすることはない空を駆る翼の一団。そんな彼らを羨望に満ちた瞳で見上げているセルティを傍らのアネッタは微笑ましく見ていた。
「ふふっ、姫様は本当に飛空騎士団がお好きなのですね」
「え、えっと……飛空騎士というより、空を飛ぶことでしょうか」
多少照れくさそうにしながら、セルティは大空を翼で隠す飛竜の姿をじっと見つめている。大きな体躯は吹き付ける風にも介せず、悠々と着陸体勢を整えている。
「あまりにも眩しいといいますか、元気に飛んで、どこまでも自由で、見たい景色をいつでも飛んで見に行けるような素晴らしさを感じるんです。あれはきっと、わたくしには無いものだから」
「どこまでも自由――」
王族であるセルティにとってそれはきっと融通の効かないものであろうことで、それを羨ましく思う彼女の気持ちはアネッタも分らなくはなかった。
ましてや、セルティがこの王国内でもひときわ特別な立場にいることを鑑みればなおのことであった。
「おや……?」
上を見上げていたセルティがふと何かに気づいた。
「なんだか本当に飛竜がキラキラと……」
そう呟いたとき、その輝きがセルティの頭上に降り注いだ。
――――――◇◆――――――
「みなさん、そろそろ城へ着きます」
ルアは一緒に乗り込む四つ子たちの方に振り向くと彼らは既に目を覚ましてゴンドラの窓から見える王都の街並みを眺めていた。
「あれが異世界の都市……」
ヒロトは毛布に包まりながら、ゴンドラの小窓から地上の方を眺める。
彼の眼下には現代では見られない赤い三角屋根の古い西洋の住宅のような街並みが広がり、その景色の奥には堅固で巨大な石造りの城壁がぐるりと住宅地を取り囲んでいた。
城塞都市――本やアニメなんかで知識はあったが、実際に目の当たりにして自分の中に興奮が広がっているのをヒロトは子供っぽいとは感じつつもその胸の熱さを抑えきれないでいた。
(よく世界遺産として紹介されている遺跡なんかもあったけど……やっぱり本物は違う!)
しかもそれは現実世界のではなく剣と魔法が存在する異世界の都市である。この世界に置かれた自分たちの状況を鑑みていなければ、彼は今にも好奇心で都市中を隅々まで調べ回っていたに違いない。
(あの城壁はセメントやコンクリートなんだろうか。日本の石垣やピラミッドみたいに切り出した石材を積み上げているのか? それとも魔法で一気に作り出したってのも考えられるのか……?)
ぶつぶつと独り言を呟きながら観察と推察を繰り返している彼のすぐ横で、弱々しい女子二人のうめき声と穏やかな寝息が聞こえてきた。
「は、はやく降ろして……もう気持ち悪さが限界や……」
「お空はこわくない…………こわくない…………!」
「zzz……zzz……」
飛竜の飛行に酔ったアイカと、高所に振るえるヒメカが身を寄せ合うように腰掛けに座り込み、ゴンドラ中央の敷かれた魔法陣の上ではあいも変わらず眠るユウトの姿があった。
「王都についたらすぐユウトさんの身体の聖素をなんとかしましょう。城の中で保管している魔導具になにか使えるものがあるはずです」
「ありがとうございます、ルアさん。俺たちのこと、助けて頂いて……」
振り返るヒロトにルアはやや俯きがちにかぶりを降る。
「……いえ、私は当然のことをしているだけですから」
そう誠実に思慮深い大人ぶるルアではあったが、その胸中はいささか複雑なものではあった。
ヒロトたち四つ子たちの強力な力はあの場所にいた飛空騎士団の面々に概ね知れ渡っている。中でも広大なゴブリンの樹海を一瞬で消滅させたユウトについては団長のヘイルを始めとした多くの兵士たちが警戒心をかなり強めていた。
ルアたちが乗り込むゴンドラの中には、彼らを刺激しないようにルアと直近の部下であるリーエルのみを同乗させ、他の団員たちは飛竜で外から四つ子たちを監視していた。いざとなればゴンドラごと地上に叩き落すことも厭わないだろう。
ルアが彼らと共に乗り込んだのは、自分がいればヘイルたちは無闇に彼らを始末するような真似はしないと踏んだ上でのことだった。
(まず、私がやるべきことは彼らが普通の子供と何ら変わりない精神と心を持っていることをみんなに分からせてやることだ。こちら側には害は無く、きちんと彼らを誠実に慈愛をもって接するよう訴えかければ……)
ルアはヒロトたちと見た目の歳が近しいセルティネーア姫のことを頭の中に浮かべていた。
(もし、うまく彼女とヒロトたちを引き合わせて友好を作れるようなら大臣たちも認めざるを得ないかもしれない。やや難題かもしれないが、やってみる価値は……)
そんな風に知略を巡らせている横で、アイカがふらふらと立ち上がり壁に固定されている腰掛けに立ち上った。
「ううっ……やばい、めっちゃ吐きそうやわぁ……」
「ち、ちょっと! アイカさん、こんなところで戻さないで下さいよぉっ!? あと、もうちょっとなんですから!」
「あ、あかん……もう……うっぷ」
顔面蒼白のアイカにリーエルは慌てて革袋を手にして駆け寄るが、アイカは一瞬早く窓辺から身を乗り出した。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
筆舌し難い生々しい吐瀉音とアイカのうめき声がゴンドラ内に響き渡る。
「あーあ、アイカのやつ、やっちゃたよ……」
「うっそ……ここ王宮の真上……」
リーエルの指摘にあっ、と最悪の状況を察した一同ではあったが、時既に遅し。
離発着場で待機していた城の者たちの頭上、さらには強風に流されてきらりと光る酸っぱいものが城下の街並みに降り注いだ後であった。
「うぎゃぁああああーーー!! なんか降ってきたぞーーー!!?」
「ゲロだぁあああーーー! 生臭いゲロだぁあああーーー!!」
「ひ、姫様……セルティネーア様ぁぁぁあーーーー!!」
ゴンドラの真下から響いてくる阿鼻叫喚の嵐。
「あぁ…………」
「最悪です……」
着陸後に待ち構えているであろう展開に魔術師二人は共に顔面を青白くして互いに頭を抱えて床にへたり込む。
ルアに至っては、先ほどまで練り上げていた計画が全部パァとなってしまって半分泣きたい気持ちであった。
一方の四つ子たち。
「うわぁ……ばっちぃなぁ……」
「あれっ? ウチ、なんかやってしまいました?」
「お空はこわくない……こわくない……」
「zzz……zzz……ムニャ」
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