19ー夜明けのマスク

 俺の弟、四つ子の末っ子のユウトはいつも笑顔しか作れない子供であった。


 無表情か笑顔かの二択しかなく、無表情に関してもめったに行わないので実質常に笑顔であった。あらゆる感情を笑顔のみでしか表現できないユウトは周囲からはとても誤解される――否、その誤解はある意味では正しいのかもしれない。


 ユウトことを真に理解できている人間は、俺たち家族でも困難だった。


 ユウトは家族相手だろうと誰に対してもコミニュケーションをほとんど行わない。


 生まれつき他人に興味や関心が薄くて言葉をほとんど使わず、何か独り言を話すこともあるがその内容は理解できるものではない。もしかしたら全く言語を習得してないのかもしれない。


 たとえ家族が目の前にいたとしても、じっとどこか別の所を見ていることが多くて、自分から目を向けようとしない限り相手は見ない。


 ユウトに対するアプローチは常に一方通行で、彼から何か返事が返ってくることなんてほとんどない。そしてそれはユウトからにしても同じことで、彼の行動は常に一方通行であり、その不具合さから他人と暴力的なことに発展することもたまにあった。


 それが原因で、あらゆる人に顰蹙ひんしゅくを買い、そのために俺たちが彼の矢面に立つことも少なくなかった。


 それでも、俺たち家族はいつもユウトの側にいてずっと彼を助けるように暮らしてきた。


 家族だから当たり前――最初はそんな風だったのかもしれない。


 けれどそうじゃない、俺たちはきっとユウトだったから愛せたんだ。


 どうしてと聞かれてもきっとすぐには理解してもらえないだろう。それは共に過ごしてきた俺たち宮田家の家族だからこそ言えたことなのかもしれない。


 だが、これだけは絶対に言えることがある。知っておいてほしいことがある。


 ユウトだって一人の人間なんだということ。ちゃんと心があって、感情があって、生きているのだということ。


 そして、彼にも思いやる気持ちというのはちゃんと存在しているということだ。



――――――◆◇――――――



「――――て、起きてください――――さん!」


 遠い暗闇の向こうから声が聞こえる。


 私は一体どうなってしまったのだろう。たしか、あの猛烈な光から身を守るために必死になっていたはずだったが。


「ルアさん――どうか、目を――――!」


 呼びかけられた声に呼応するように、私はそっと気怠い瞼を開いた。


「あぁ、良かった! やっと目を開いてくれた、ルアさん!」


 そこには心配そうな表情で私を見つめる、金髪碧眼の少女の顔があった。私の部下であるリーエルだ。


「ルアさん、これを。マンドラゴラを使った回復薬ポーションです」

「あ、ありがとう……リーエル」


 小さな小瓶に入ったそれを受け取って一息にそれを飲む。舌の上をひどい苦味と辛味が這い回りながら肉体疲労と魔力減衰に効能のある成分が、全身に染み渡るのを感じる。


 彼女は私に治癒の魔術をずっとかけ続けていたようで、その額には大量の汗が浮き出ているのが見えたので、私はそれをローブの袖口で拭ってやった。


「リーエル……どうしてここに……?」

「どうしたもなにも、貴女がお城に文を飛ばしたじゃないですか。ゴブリンの樹海方面の純魔力マナの様子がおかしいから調べてくるって!」

「あぁ……そういえば」


 ここに来る前に伝達の魔術をけしかけていたのをすっかり忘れていた。確か、万が一に備えて軍隊の備えを整えるようにとも書いてあったはずだ。


「連絡を受けて城のほうで体勢を整えていたら、突然ゴブリンの樹海方面でとんでもない魔力反応を検知して、それでヘイルさんが部隊を率いてここまでやって来たんです!」

「ヘイルが……ということは……」


 まったく力が入らない身体を私は無理矢理引き起こそうとするとリーエルが慌てて私を支えるように抱き止めた。


「ル、ルアさん! 無理しないで下さい。貴女、死にかけだったんですよ!?」

「私のことは平気です。それよりも……この騒ぎは何事ですか?」


 私の周囲では数多くの野営が敷かれ、大勢の王国の兵士たちがあちらこちらを走り回ってまるで戦時のような物々しさを醸し出している。視界の奥の方では多くの兵士たちが一列に並んで陣形をつくり、上空にも飛竜を駆る騎士らの姿もあった。


「彼らは一体なにと対峙しているのですか?」

「お、おそらくゴブリンの樹海を消し去った元凶かと思われます! 人間の子供のような姿をしていますがとても尋常じゃない魔力の持ち主で……」

「――――ッ」


 リーエルの報告に私は眉をひそめ、急いでふらつく身体を立ち上がらせる。


「ルアさん……! 安静にしないと……」

「彼らは化け物でもなんでもありません……ただの子供です……!」


 よろめく身体を必死に動かし、目の前の陣に向けて歩き出す。リーエルがまた慌てて片側から私を支えながらゆっくりと前に進ませ、盾や槍の武器を構える兵士たち後ろから陣の中へ向かった。


「ル、ルア様……!」

「【四元素ラ・クオリア】の……!」


 私の姿を見た兵士たちは左右に開いて私に道を空け、そこを私とリーエルが歩み通っていく。


 道の先では多数の魔術師たちが並び、周囲を汚染している聖素から陣地を守るための結界と土壌の浄化の魔術を施していた。


 その傍ら、陣の先頭に立つ赤い鱗が特徴的な飛竜とそれに跨がる一人の竜騎士――飛行騎士旅団長ヘイル・オルスタインは視線の先にいる者たちに大きな声で何やら呼びかけていた。


「汝ら、抵抗はやめろ! 我らアルトリアノ王国の精鋭たちが空と地上から包囲している。汝らに退路はない、今すぐ投降しろ!」


 栗色の髪の毛を全て後ろに束ね、端正な顔立ちで睨むヘイル。銀の軽鎧に身を包み彼の手にする槍が指し示した先には、黒色に変色した大地に立つ三人とそこに寝そべる一人がいた。


 ヒロトとアイカにヒメカ、そして、先ほどあの凄まじき力を発揮したあの男の子だった。


「武器を降ろせ! そして俺たちに近付くな!」


 魔導銃をこちらに構え、焦燥に満ちたヒロトの声が荒涼とした景色の向こうから響いてくる。


 その横では魔術付与エンチャントが切れた木の警棒を手にしたアイカが鬼気迫る表情を見せていて、その後ろでヒメカが気を失っている様子の男の子をこちらから彼をかばうようにして抱きかかえていた。


「ヒメカ、ユウくんが起きても離したらあかんで!」

「うん……たとえ嫌われてもユウくんは絶対にわたしが守るから……!」


 ぎゅっと目を瞑るヒメカはその小さな胸の中で眠る彼から放出される聖素によって身を焼かれていた。聖素に対する耐性があるためか身体が消滅することは無かったようだが、そのせいで着ている衣服は殆ど消滅し、肌も赤く火傷のように腫れて爛れ始めている。


 彼の側にいるアイカやヒロトも同様で、もう殆ど裸と言っていいぐらいに衣服が崩壊し、その肌も真っ赤に染まっていた。


 ――アイカさんの右腕……!


 よく見れば、彼女の棒を持つ手と反対の手の先がだらんと垂れ下がり、そこから血が滴り落ちているのが見えた。その二の腕の辺りには一本の矢が深々と突き刺さり、細い腕を突き抜けていた。


 ゴブリンの使うものではない、アルトリアノ王国が使用する正規の矢だ。


 まさかヘイルたち、ヒロトくんたちに弓を……!?


 私のその予感は興奮して殺気立つ三人を見ても明らかであった。家族が攻撃された彼らは、ヘイルたち騎士団に向けて今にも噛みつきかねない、まさに一触即発の状況だった。


「ヘイル……これは何事ですか……!?」

「……! ルア殿、目を覚まされたか」


 こちらに気付いたヘイルがヒロトたちへの警戒を欠かさぬまま振り返って、飛竜を操って私の近くに歩み寄せた。


「ルア殿、ここへ来てはならない。彼らはおそらく魔族領域から派遣された尖兵だ。尋常ならない力を有している」

「――なんですって?」

「貴女も近くにいたのなら見たでしょう、あの少年たちの恐るべき魔力とその脅威を。あれほどの力をもつ彼らは、我ら人間界にとって天然の要害となっているこのゴブリンの樹海を消滅するために送られた『モンスター』に違いありません」

「モンスター……だって……?」


 モンスターとは人間と敵対する魔族領域に生息する者たちの総称である。


 『魔族』とも呼称される彼らは太古から人間たちと争いを繰り広げていたが、今から千年前に一人の聖女が展開した結界によって人間と彼らたちはその生息域を分かたれた。その結果、戦争は一時的な休息を得ることになった。


 だが、戦争はあくまで休戦。結界が無くなったその時、再び戦いの歴史がはじまるのだ。


「――あなたが城に文を送られたあと、しばらくしてドラン山脈の結界に大きな揺らぎを観測したのです。おそらく古き結界が間もなく解除されると踏んだ魔族たちがこちらの侵攻を容易にするまめに彼らを……」

「待ちなさい、ヘイル。どうしてそうなるのです」

「――――はっ?」

「彼らがどうして魔族領域からきたモンスターなのだと言えるのです?」


 人間とモンスターとの関わりは千年前から閉ざされている。つまり、今を生きる人間たちはモンスターを知らないはずなのだ。


「貴方は彼らが魔族領域から出てくるところを見ましたか? それとも魔族言語プレデンシュでも使っていましたか? 一体どのような証拠があって彼らをモンスターだと呼ぶのです?」

「しかし、彼らは現にこの森を――」

「彼らは異世界人です、モンスターではありません!」


 私は怒声をもってヘイルの訴えを制した。その威勢に、その場にいた全員が驚愕に満ちた視線で私を見つめる。 


 私は身体を支えてもらっていたリーエルから離れ、ヒロトたちに向けて前に歩みを進めた。


「ル、ルアさん!」

「ルア殿、近付いてはいけません!」


 制止しようとする彼らの声を振り切り防護結界を踏み越えて聖素に汚染された大地に足を踏み入れた。


 もう、防護魔術を自らに施す余裕はない。しかし、まだこの程度ならばすぐに身体が消滅することもないし、魔術耐性のあるローブも相俟あいまってしばらく持つはずだ。


 足を踏み出すたびに靴底から己を焼くような感覚がする。全身の肌が露出している部分からも徐々に身体が溶けだすような激痛が襲い、顔をしかめる。だがしかし、歩みを止めるわけにはいかない。


 ヒロトくんたちに……彼らに誠意を示さなければ……。


 気付けばもう、あたりは夜明け寸前であった。空は宵の色から朝焼けへと変わる手前で、踏みしめる大地も月明かりが照らしていた頃より明るく見える。


 彼らとの距離はもう半分、あと少しというところだった。


「――――――…………っ!」


 急に力が入らなくなって地面に膝をつき、どよめく声が背後の方から聞こえてくる。


「ルアさん!」


 リーエルの心配そうな声を受けつつ、なんとか地面に倒れ込むのだけは踏みとどまった。


 思いのほか体力の消耗が激しく、身動きもままならない。周囲に立ち上る聖素も予想よりも大分私の身体を蝕んでいる。


 情けない……これが【四元素ラ・クオリア】と呼ばれた魔術師ですか……。


 もう一度立ち上がろうと力を込めた時、ヒロトが片手に魔力を集中させているのに気付く。


「………っ! ルア殿!」


 ヘイルの声に私は片手を上げて抑えてやると、ヒロトは【闇】の魔術を解き放った。魔術は私の目の前にまで飛んできたあとそのすぐ落下して手前の地面に降り注いだ。


 【闇】の属性で聖素に汚染された大地を中和している……。


 ヒロトの魔術は一直線に私を結ぶように繋がり、そこだけ絨毯が引かれたかのよつに大地が黒く変色している。


 出会ってからたった僅かな間にこれだけ魔術について理解を深めていた彼に私は驚嘆を示しながら、その心遣いに感謝しながら私はその道に足を踏みいれた。


 ぬかるんだ泥のような、冷たい道。足の裏から体温を奪われるような感覚だったが、それでも先ほどのと比べたら幾分かマシのように思えた。


「……ル、ルアさん…………!」


 私を目の前にしたヒロトはどこか申し訳なさと、警戒心のせめぎ合いのようなとても曖昧な面持ちで私を見つめていた。


 側で矢傷に顔をしかめているアイカも、自らの弟を抱きしめるヒメカも。


 あぁ……私が……こんな顔にさせてしまった。


「――――ごめんなさい、みなさん……!」


 力なくうなだれ、私の身体が地面に崩れ落ちる。両手を突き、顔はとてもじゃないが彼らの方を向くことができなかった。


「あんなに偉そうに指図していたのに、結局私は貴方がたを傷つける結果になってしまった……。ゴブリンたちの命を守ってほしいと言っておきながら、貴方がたを守ることを失念していたなんて言われてもこれでは仕方がない……!」


 自らの不甲斐なさに、悔恨と謝罪の念が口からどんどん溢れ出す。そうしなければ、他に何をもってすれば彼らに償えるというのだろうか。


「あの者たちが貴方がたに行った仕打ちはとても許されないはず。だけどどうか恨むなら、この私一人にして欲しい…………」

「ル、ルアさん……」

「貴方がたの身の安全は、私が必ず命に変えても約束します! 信用出来ないのかもしれないけど、必ず本国にとりつけます!」


 締め付ける想いが、涙となって溢れてくる。何も出来なかったことが、彼らを傷つけてしまったことが何よりも罪悪感となって。


「ルアさん……どうして……」

「……………………」

「どうして、見ず知らずの異世界人の俺たちに――どうして、そこまで出来るんですか?」


 ヒロトの言葉に私はそっと顔を上げ、瞼を涙を貯めて微笑みながら答えた。


「師匠が教えてくれたのです。尊いものを守るべきと」


 ――あの日、何も無かった私を拾い上げたあの人に、私はヒロトと同じような質問をした。そしてあの人が語った言葉。


「私は、貴方がたが尊いと思ったのですよ、ヒロト」


 ようやく見上げられた彼の表情は、ちょうどよく差し込んだ日の出の光で良く見えなかった。


 だけれども、不思議と彼の表情をなんとなく感じとれたような、そんな気がした。

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