18-無音、すべてを飲み込んで

「――――――――――えっ?」


 一瞬思考が固まってしまった時に、またもう一つの振動が寝そべった地面から伝わる。


 嫌な胸騒ぎを感じた。いや、まさか、そんなはずはない。


 だってそんなこと、できるはずが――――


「オオオオオオオオオオーーーー!」

「ウオオオオオオオオオーーーー!」

「アアアアアアアアアアアアアアアアアーーーー!」


 重なり合った


 自分の呼吸が荒くなっているのを感じながら、全身の力を振り絞って身体を起き上がらせる。


 そして、目の前の光景に絶句した。


 アースタイタンが…………三体――――!?


 紛れもなく【大地】の『神霊』そのものが私の前方と左右に並んでその大山の如きたる巨体が取り囲んでいた。


 その内の一体は見るからに消耗し、既に消滅寸前であったが、他の二体はいまだ魔力の衰えを感じず健在していた。


 見誤った――ゴブリンたちの召喚儀式は、私の知っていた頃よりも遥かに発展していた――――!


 もっと早く気づくべきだった。いくら召喚儀式のせいで森中の純魔力マナが枯渇していたとはいえあまりにも異常であったことに。もしかしたら、それはヒロトたちの転移によるものだと決めつけていたのかもしれないが、もはや今となってはどうにもならない。


 殺される…………あの子たちが……私のせいで。


 アースタイタンが一体でも残っていれば、この森から気づかれずに脱出することなど不可能だ。彼らは大地に存在する生物をつつがなく察知して侵攻することができる。ましては二体もいるなら、またたく間に発見されて蹂躙されるだろう。


 駄目だ…………そんなこと、絶対にダメ…………!


「ウオオオオオオオォォォ………………」


 消耗しきっていた一体のアースタイタンが膝を付いて崩れ落ちた。待機中に魔力の塵を放出させ、霞がかった空へと消えていく。


 横に構える二体のアースタイタンはそんな同族の消滅にも目もくれず、目の前にいる私に向かって歩み始める。


「うっ…………くっ」


 何かしなければ、なにか………。


 体力も魔力も出尽くした私を動かしたのは、なけなしの使命感だけであった。


 世界最高の魔術師ともてはやされ、宮廷魔術師筆頭補佐という光栄ある役職に就き、この国に住む全ての民を守ると固く誓ったというのに、私は……いったい何をやっていたのだろうか。


 私にはヒロトたちのような互いを思いやる家族のような温かい記憶は存在しない。それでも、そんな人たちの役に立ちたいと思った。


 彼らの、あの笑顔がとても尊いものだと感じたからだ。


「なにか…………なにか…………」


 辺りに使えるものがないかを探したとき、ちょうど足元に私の杖が川辺から流れてついてきて、私はすがるようにそれを拾い上げる。


 ――よし、杖に装着された【四極星石クオーツ】はまだ健在だ。これなら、一か八かどうにかなる。


 私は意を決して二体のアースタイタンに向き直り、杖を振りかざす。


 最後の最後まで取っておいた切り札を使って私が考えついたのは――決死の特攻であった。


 四属性の純魔力マナが凝縮されたこの【四極星石クオーツ】を強力な負荷をかけて暴発させれば、『神霊』すら消滅するほどの威力なる。当然、私はおろか、このゴブリンの樹海もただでは済まないが、ヒロトたちはもしかしたら助かるかもしれない。どの道、アースタイタンが生き残っているようでは誰も生き残れない。


 あの子たちを助けるためならば……この命なんて……。


 子供を守るのは大人の役目。何気なしに考えていたその常識を、それでも私は重んじた。


 ああ、きっとみんな悲しむんだろうな。


 私はふと脳裏に中の良かった同僚や部下、そして師匠の顔を思い出した。


 後ろ髪を引かれるような感覚を覚えながら、振り切って私は杖の【四極星石クオーツ】に向けて最後の魔力を絞り出そうとした。


 ――――――その時だ。


「…………………………あー」


 彼の声がしたのは。


「――――――えっ?」


 背後から聞こえてきた明らかに幼い子供の声。


 バシャリ、と水の中を進むような音がして私はふとそこに振り返る。


「あー」


 その少年は、体に何も身に着けておらず、素っ裸のままの格好で川の中をまっすぐとこちらに向かって歩いていた。


 ゆっくりと、そして確実に。


「な…………な………」


 私が驚愕したのは彼が何も身につけていなかったからではない。


 むしろ、その身体はほとんど見えていなかったに等しい。


 何故なら、彼の全身から尋常ならない魔力――聖素が彼の姿を覆い隠すように溢れ出していたからだ。


「あー」


 真っ白な髪の毛に、深紅色に染まった瞳。その目は大きく見開き、どこを見つめているのか全くつかめない。


 彼は川から上がると、私のすぐ横を通る。すると、私の着ていたローブの裾が端から崩れ落ちるように消滅していく――聖素による反応であった。


 身の危険を感じた私はとっさに懐に残っていた【闇】属性の魔晶石ジュエルを一つ足元に落として聖素の影響を打ち消す。ローブの崩壊が止まったものの地面に落とした魔晶石はまたたく間に小さくなって消え去る。


 私の脳裏にあの景色が蘇った。この『籠の森』に訪れる前に目撃した、あの巨大な樹海の消滅後の光景を。


 間違いない、この子だ。


 確証なんてまったく無かったが、直感的にそうだと答えていた。


 この子が、あの樹海を消し去った張本人だ……!


「あなたは…………ユウト…………くん?」


 お腹のそこから絞り出すようにした声はいかにも情けないものであった。


 私とアースタイタンの間に立ち止まった彼は振り返って私の方を見つめる。


「――――ニィッ」


 そして、笑った。


 純粋無垢な、幼い子どものそれを。


 あまりにも混じり気のなくて、邪気の一切を感じさせないそれに、私は心の底が冷えるように、凍えるように、震えた。


 言われているような気がした、あの目に――笑顔に……!


「イ……イグニッション……!」


 私は懐にしまっていた全ての魔晶石を地面に投げ出す。そしてそれら全てを種石トリガーにし、杖に仕込んだ【四極星石クオーツ】も地面に叩きつけて砕く。


「大いなる聖域……汚れなき庭園……そ、その輝きは万象に至る…………!」


 今まで感じたことのないプレッシャーが口ずさむ呪文を重く感じさせる。


 何度も言葉を噛みそうになりながら、構築する魔力の流れが途絶えそうになるのを必死に繋ぎ止めて魔術を構築させた。


 目の前の彼は再びアースタイタンの方に向き直ると、そっと右腕を横に伸ばす。


 そして、その手の先から目が眩むような聖素の圧縮が始まる。


「ひっ……ひとすじの想いはやがて、大輪をたずさえん…………!」


 恐怖した。そのケタ違いの魔力に。


 ヒロトやアイカ、ヒメカのものとは比べ物にならないほどのそれに。


「ディ・サンクチュアリ……!」


 発動したのはあらゆる魔術、障害から身を守る完全防護魔術。


 手持ちの全ての魔晶石ジュエルを消費し、体内の本魔力オドすらも生命に関わるほどに削ってやっと発動できるその結界の内側に、私は――――なんとも惨めに、逃げ込んだ。


「――――――アハァ!」


 そして、それとほぼ同時に彼は振るった。


 その光で私の視界は埋め尽くされ思わず目を伏せる。


「――――――――――――――――――」


 アースタイタンたちの咆哮は聞こえない。


 聞こえるはずもない。おそらく上げる前に一瞬で消し去ったのだから。


 防護魔術を施そうがこの身すべてを焼き尽くすような嵐の如き魔力の波動が全身の肌で感じる。耳鳴りのようなけたたましい怪音はこの地上に存在している純魔力マナが悲鳴を上げている証拠。


 ――終わって、終わって終わって終わって終わって終わって終わって……!!


 いつ破られるかもしれない結界に身を委ね、本魔力オドを消耗して力尽きそうな身体を必死になって持ちこたえさせて魔術を支える。


 長いような、短いような。


 時間の感覚も分からなくなるほどに錯乱し、この人生の中で感じたことのないほどの破滅感と恐怖感が私の思考を塗りつぶしていた。


 ――死、死、死、死、死、死、死、死…………!


 やがて音がしなくなった。耳鳴りは消え失せ、気味の悪い静寂が私の両耳を塞いでいるような感じさえする。


 私はまぶたを開いて目の前の景色に視線をやる。そして、また私は言葉を失う。


 そこには崖の地形すら洗いざらい真っ平らに整地され、そこには何もないむき出しの地面だけが残る光景があった。


 聖素――本来【聖】属性の魔力とは、生命を消滅させる性質のはずが、彼の振るったその膨大すぎる力はこの世界の法則すら捻じ曲げた。


 彼の腕の一振りによって森が消え、川が消え、そこにいた生命全てが――いなくなった。


 彼の一撃は比喩抜きにして、この世界を破壊するほどの力を秘めていたのだ。


「これが、異世界人の力…………!?」


 はたして、そうなのだろうか。異界の存在というだけでありえるのだろうか。


 それくらいに、彼の存在が私には異形なものに見えてしまった。


「……ハハハハハハ! アハハハハハハハハハハハハ!」


 もはやなにもない、荒野と変り果てた光景から振り返った彼は私に向かって高らかと笑みを浮かべた。


 どうしてこのようなことをしたのか。


 なぜ、その力を振るえるのか。


 彼は何も語らない。


 問いかけようとしても投げかける言葉すら、私には出せなかった。


 ――――あ、私…………今、漏らして…………。


 恥辱を感じる間もなく、私の意識が一気に遠のいていく。


 消えていく視界の中、映るのは彼の表情だけ。


 その時見えた、彼の顔がやけに印象的だった。


 その顔はさっきまでとは変わらない笑顔だった――のにも関わらず、何故かどうしてか、その時だけ――――



 彼の笑顔が尊いものに感じたのだ。

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