17-川辺の決戦

 ヒロトたちと別れてまだそんなに時間は経っていないはずだった。しかし、もう月は山脈の向こう側に隠れはじめ、空の色もだんだん明るさを増してきて夜明けは近付いていた。


 おぼろげな瞳がそんな空の様子を眺めていて――――ふと、冷たい水の感触がする。そう思って私は身体を引き上げた。


「…………ぶはっ!」


 思いっきり咳き込み、体の中に入った川水を吐き出す。どうやらしばらくの間、川底に沈んで気を失っていたようだった。


「っ、ここは…………!?」


 手元に杖があることを確認し、辺りを見回す。そこは小さな段丘崖が連なる、森の川辺のようだった。


 おそらく私が今いるところは『籠の森』の内部を流れる四本の支流の内の一つであろう。この川の流れ着く先には本流であるヴェンテーヌ川があるはずだ。


 とにかく川から出ようとして足を踏み出したとき突然立ちくらみのような錯覚を覚えて頭を抱えた。額に触れると赤い血がべっとりと手のひらに付くのが分かった。


「ああ、あのとき……」


 私とヒロトたちを襲った『神霊』――その名は【アースタイタン】。ゴブリン族が崇める、正真正銘の大地の化身だ。


 彼はその身で大地を呼び起こし山脈を造り、何者にも屈しない頑強な肉体を持って外敵を打ち倒す。


 おそらくアースタイタンは森を飛び越え私たちを分断させた後、一番近くにいた私を攻撃対象にして襲いかかってきたのだ。


 私は必死に抗戦したが相手は『神霊』、生半な魔術では対抗も難しく防御と逃走に費やしていたところを渾身の一撃を食らってこんな場所にまで飛ばされてきたのだろう。


「とにかく…………ヒロトさんたちと合流しなければ…………」


 いくらあの子たちが異世界人であろうと『神霊』相手には分が悪すぎる。アレは生物としての範疇を超えたものであり、もし人間ごときが抗おうというならそれこそ相反属性エレメンタルを用いて大魔術相当のものをぶつけない限り勝機はない。


 私がなんとかしなげれば……そう思っていた時、崖の上から大きな物音がした。


「………………来た!」


 見上げれば真っ白い体表をした巨人、アースタイタンが『籠の森』の木々をなぎ倒して崖際に立っている姿が見えた。その全身から立ち昇る【大地】の属性を帯びた魔力のオーラが私を戦慄させる。


 ゴブリン族の召喚儀式は完全に成功している――自然消滅にはおそらくまだ至らないだろう。相手のアースタイタンはまだ私を攻撃対象と見ているようであった。


 戦うには相手は強大すぎる。逃げようにも、先ほど食らった攻撃のダメージが身体に残っていて迅速に離脱するための魔術行使もできそうにない。


「――だけど、やるしか……!」


 まったくの勝算が無いわけではなかった。幸いにも今私は川の上にいる。川の中には【大地】にはある程度有効な【水】が、そして川に沿る純魔力マナの大きな流れ、つまりは『竜脈』が存在していた。


 地面を流れる『竜脈』はアースタイタンの召喚で枯渇しているようだったが、川の方はまだ無事であった。今はこれを活用するしかない。


「ウオオオオオオオオオ……!!」


 崖から飛び降りたアースタイタンが真下に広がる砂利の原に着地する。跳ね上がった小石がアースタイタンの身体にぶつかり、そしてまた川辺に吸い込まれていく。


 悩んでいる時間はない……一気に勝負を決めなければ…………!


「アクリィルコーズ、我は唄う、何条もの祈りを!」


 私が事前に構築してある魔術の総数は有に千を超える。その中でもこの序文から始まる魔術は膨大な魔力を消費するが故に、その呪文も応じて長い。つまり強力な分それだけ魔術の発動までには多大な時間を必要とするのだ。


 その間、悠長に敵も待ってはくれない。


「ウオオオオオオオオオ!!」


 私からほとばしる強大な魔力の膨れに反応したアースタイタンが、その屈強な身体を突進させて川の中へ踏み込む。やはり、魔術の驚異を本能で理解して、発動前に仕留めようとしたのだ。


 だけど、そうはさせない。何故なら私はこの世界で最高の魔術師【四元素ラ・クオリア】なのだから。


「イグニッション、ジュエル、アクシーズ!!」


 懐から取り出した魔晶石ジュエルを手の平で砕き、その破片を川の中へ落とし込む。そして川底から感じる膨大な魔力のと川を流れる『竜脈』を結合させるように杖を底に突き刺す。


「その真名、対価を持って顕現せよ。汝は海王の化身なり――」


 大量にあった構築呪文を魔晶石と『竜脈』の純魔力マナを持って無理矢理に一気に短縮させる。下手をしたら事故にも繋がりかねない諸刃の剣であった。


 すぐそこにまで近付いてくるアースタイタンの踏み込み、その気配に気圧されないように神経の一本一本まで魔力の流れに集中して魔術を造り込む。呪文を短縮したことによって生じた魔術の綻びを丁寧に確実に、そして迅速に修復する。


「リヴィア=オル・タイダルエレス!!」


 発動した魔術によって足元に展開された円形の陣から絶大な魔力の膨張を促した。


「――――――――――!!」


 私に攻撃を与える寸前でアースタイタンの動きが止まり、後ろの方へひとっ飛びに退いた。私は身体を空中に飛び出させ、発動した魔術に巻き込まれないように避難しながらアースタイタンに向けて遠隔で魔術を操作した。


「逃さない!」


 魔術の陣からは川の水量をも超える水を湧き上がらせ、巨大な水柱を吹き出させる。さらに、川の『竜脈』に沿うように何本も水柱が水面から飛び出し、一つに収束する。それはまるで水面から飛び出した巨大な竜の如き姿を模してとぐろを巻く。


「喰らいなさい、アースタイタン!」


 そして、暴力的なまでの無慈悲なる水流が辺りの川の流れすらも巻き込み、崖際の地形すら削り取りながらアースタイタンの全身に向けて突き進んだ。


「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーー!!」


 両手を広げて全力で受け止めようとするアースタイタン。本来ならその背後の崖ごと押しつぶすほどの水圧に対して、驚くことに『神霊』の身体は膨大な【水】の魔力に耐えていた。


「くっ、あのゴブリンの長老、どれだけ念入りに『竜脈』をつぎ込んだのよ!」


 私は手持ちの【水】属性の魔晶石を全て注ぎ込み、追い打ちをかけた。


「これで、終わって!」


 重なりあった水流はもはやヴェンテーヌ川のそれをも超え、視界いっぱいを埋め尽くす程の巨大な怪物と等しき姿へと変貌していた。そしてそれはアースタイタンの身体をゆうに飲み込み、その一点に向けて邁進する。


「――――――――――――――――――――――――」


 アースタイタンの咆哮すらもかき消す水の奔流。大瀑布の轟きにも似た水竜の魔術はついにアースタイタンの身体を押し流し、背後の崖にぶち当たった。


 とめどなく突き進む水の流れは崖の全てを削り取り、森の中にまで侵食する。根本から折れる木々の叫び声が遠方にいる私の耳にも届いていた。


 よし、やった――――――


 勝利を確信した、その時――――


「――――――――ウグッ!?」


 何かが私の腹に命中する――よく見れはそれは人間大ほどもある大岩が水流の間をかいくぐって投げ飛ばされていた。


 うそ…………まさかそんな…………。


 真っ逆さまに川の中へ落ちていく私の身体。その視界には地中より飛び出した白い岩山が天に向って伸びているところであった。


 そして、その岩山の頂上にて雄叫びをあげる、あの白亜の巨人の姿があった。


「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーー!!」


 ゴブリンの樹海の隅々にまで届くアースタイタンの咆哮。その雄々しい眦を紅く白んだ空が写し出した。


 魔術の手綱をなくした水流はその勢いを衰えさせ、ついには元の川の姿へと戻っていく。地形を変化させた段丘崖からは水が引き、濁流のようであった川の流れも、徐々に落ち着きを見せていた。


 私の身体は一度川の中に沈み込み、やがて川の水が引くと同時に川岸に打ち上げられる。


 ――――――ズン!


 ふと、すぐ側で大地が振動がする。きっとアースタイタンが岩山から私の姿を発見して飛び降りて着地したものだろう。そして、私にトドメを刺すためやってくる。


 もう…………私には打つ手がない…………。


 大量の魔力を消費し、大魔術クラスのものを無理矢理発動した反動で私の身体は全身激痛と倦怠感でもう殆ど動けなかった。


 だが、おそらくアースタイタンは幾分か消耗しているはずだ。もうしばらくもすれば自然消滅してヒロトたちは助かるかもしれない。


「やれることは…………やったんだ…………」


 そう、安心しきったその時――――もう一つの大きな振動を感じた。

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