16ー異世界の四つ子たち④

 誰かが泣いている夢をみた。


 わたしはその人の側に駆け寄って声をかけようとした。大丈夫ですか、何か困っていますか、と。そうする事しかわたしに出来ることなんて何もないと思ったから。


 だけど、わたしは目の前でうずくまるその人の側に向かって近付こうとしても、いっこうにたどり着くことが出来ない。


 でも、その寂しい背中にどこか見覚えがあって、わたしは駆け出していた足をおもむろに止めた。


 あぁ、そうだ、あそこで泣いているのはきっと……わたしだ。


 いつの日のわたし。時期としてはつい最近の出来事だ。


『おい、宮田! おまえどうしてくれるんだよ!』

『おまえの弟のせいで何もかもめちゃくちゃなんだぞ!』

『謝れよ!』

『責任とれよ!』


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!


 夢の中のわたしはただひたすらにそうする事しかできずに、すがるように泣いていた。今のわたしもきっと、そうする事しか出来ないのだろう。


『なんで、なんでウチらばっかりこんな目に遭わんといかんのや!』


 あの日のお姉ちゃんの声がする。あのとても苦しくて、惨めな思いをしたあの日のことだ。


『ユウくんもヒメカも、みんな……みんな悪くないはずやろ!? なのに、どうしてこんなことされなあかんねん!?』


 ちがう……ちがう、悪いのはわたしだ。わたしが何もできなくて、弱いから。


 ――泣かないで、お姉ちゃん。


 あの日のわたしは、その言葉しか口にできなかった。


――――――◇◆――――――


 長いような短いような、走馬灯のような夢から目覚めたわたしは辺りを見回す。


 暗い森の中、目の前に高くそびえる岩山があった。辺りの木々を押し退けるように天にむかって真っ白でごつごつした岩肌が月明かりに照らされて雄大に佇んでいる。


 たしか、あの時上から何かが……。


 覚えている最後の映像は、ルアさんがわたしの腕を引っ張って遠くへ投げ飛ばされたところだ。地面に尻もちをついて呑気におしりをさすろうとしたその瞬間、大きな白い影が降ってきて吹き飛ばされたのだった。


 そして、気付けばこんなところに一人きりでいる。


「お兄ちゃん……お姉ちゃん……ルアさん……みんな、どこ……?」


 視線を左右に振っても誰もいない。頼るべき家族も、あの魔術師のお姉さんも、自分以外の人の姿がどこにもいない。


 ちょうど傾いた月のすがたが岩山の陰に差し掛かっていて、わたしのいる所だけやけに薄暗くなっている。わたしのすぐ側には奥深い森の暗闇が広がり、今にも何かが飛び出してきそうな不気味さを醸し出していた。


「い、いや……やだ……こわい……たすけて、お母さん……!」


 かちかちと歯が自然に鳴って、身体が震える。両方のまぶたから涙がとめどなく溢れ、嗚咽とともに鼻の奥がツンとする。


「いやだいやだ、こわいこわい……!」


 自分以外誰もいないというこの状況がわたしの思考を麻痺させた。


 もう帰りたい、こんなところにいたくない……!


 誰か来て、誰かだれか……!


「わたしを、一人ぼっちにしないで……」


 恐怖が、孤独が、わたしの心の中を支配して、何も分からなくする。


 膝を折り曲げ、両耳を塞ぎ、視界をも閉ざす。


 自分という内側に閉じこもって必死に外界からのおそろしさから逃げて、安心出来る人の顔を何度も思い浮かべた。


 お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、ユウくん、ナミコおばさん、ゲンおじさん、ルアさん――………!


 自分にとって信頼できる人がとても少ないと分かっていても、それにすがるしかなかった。


 誰でもいい、誰か……だれか……!


 その時――闇の中からこちらを見つめる気配を感じた。


「――――――えっ?」


 そっと目を開いて顔を上げると、そこには暗闇に満ちた森。その木の陰からひょっこり小さな頭が一つ飛び出す。


 他の木の陰からも一つ、枝の上からも一つ、色んなところから一つ二つとそれはどんどん数を増してその姿をわたしの前に現す。


 獣の皮のような衣類に、角のようなコブがある頭。くすんだ色の体表に、木の枝と石材で出来た無骨な狩猟道具たちがその手に握られていた。


 深き森の住人、ゴブリンたちだった。


「あ、あぁ…………っ!」


 わたしは立ち上がれず、そのまま地面に尻もちをついたまま彼らから後ずさる。


 ゴブリンたちの表情は読めないが、きっとわたしを仕留めようとしているのだろう。手にした槍や弓矢を構えて全方向からわたしに向かってじりじりと近付いている。


「い、いや……死ぬのは……」


 早鐘を打つ心臓の鼓動。涙で滲んだ視界。一歩ずつ歩んでくる、確かな死の気配。


「――あれ……?」


 近づく彼らを視認して、はっとなり目を凝らす。彼らの姿を、その見た目を。


「……ギッ?」


 明らかにさっきまでとは様子の変わったわたしを見て、ゴブリンたちにも不審に思ったのか、歩みを止めてお互いの表情をみやる。


「ゴブリンさんたちって……意外と……?」


 ちっこい身体に短い手足、黒くて丸いくりくりしたおめめと尖ってほんの少し垂れたお耳。つるりとした頭や髪の毛がふさふさなゴブリンたちがいるように、それぞれに差異はあれど印象的な特徴は共通でそれがとっても――カワイイ。

 

 カワイイ!!


「――――なぁんだぁ」


 わたしは決定的な勘違いをしていた。


 ゴブリンさんたちは怖くない。ううん、むしろ弱くてちっこい。


 でもそれでも自分の持てる力を発揮して、仲間と助け合い、一生懸命に生きようとしている。その姿はとても尊く、健気なものだった。


 彼らは愛でるべきものなのだ。


「だいじょうぶだよ、ゴブリンさんたち」


 地面にへたり込みながら両手を上げて彼らを迎える。


「わたしがめぇいっぱい……可愛がってあげるから……」




 ゴブリンたちは抗えない。自らより上位の存在に、『大地』の力を持つ彼女の属性に、その魔力に。


 そしてなにより抜け出すことは出来ない、彼女の底しれぬ愛の抱擁に。


 彼らの目が、鼻が、口が、耳が、手が、足が、全て彼女によって支配される。


 たとえ激しく拒絶しようとも、その妖しき瞳にすべてを奪われ、踵を返して逃れようとしても、目に見えぬ首輪に繋がれたように引き戻される。


 手に触れることさえなく彼女がそうできたのは、まさしく本能としか言えなかった。


――――――◆◇――――――


「っていうことがあったんだよ、お姉ちゃん」

「っていうことがあったんか…………」


 そう言いながらアイカは自分らが乗る神輿みこしじみた台の上から、ヒメカの操るゴブリンが運ぶ様子を若干引き気味に眺める。


(まさか、自分の妹にこんな特技があったなんて……もしかして異世界に来たせいでこうなっとるんか?)


 そんなことを思慮しているアイカをよそにヒメカは木の枝を掛け合わせて作られた椅子に座ってルンルンと鼻唄まじりにご機嫌とゴブリンたちに話しかけている。


「ゴブリンさんたち、あんまり無理しちゃ駄目だよ。辛くなったら私たちいつでも降りるから」

「今降りたら今度はウチが歩けないんやけど……」


 アイカは直前まで巨木を支えていた時の反動が身体に残っていた。特に倒木を蹴り飛ばした時に足を痛めたようで、折れてはなくとも立ち上がるだけでもとても辛いものがあった。


「どうにかルア姐さんに合流できへんかな。あの巨人に追いかけられていたからこっちでええと思うけど」

「この木がいっぱい倒れている方向だよね? すごいよね、これ」


 ヒメカたちの眼前には『籠の森』を構成している木々が一直線に向けてなぎ倒されて道となって開かれていた。木の幹には何かがぶつかって力任せに押し通ったような破砕痕があり、その地面には深々と踏み締められた巨大な足跡も残されていた。


「一体どんな生き物がこんなことしたんだろうね……あ、ゴブリンさんたち、足元気を付けてね! そこ木で通れなさそうだからこっちの方から行こう」

「ギギッ!」

「ウチからしたらヒメカの方がすごいんやけどな……」


 そうして倒木の道を辿っていくと、横の森の中から出てくる人影があった。


「あっ! お兄ちゃん!」

「ホンマや! ヒロ兄ちゃあーん!」

「ヒメカにアイカ! あと……なんでゴブリン?」


 不審そうに見つめるヒロトにアイカたちは自分らが見た白亜の巨人も含めこれまでの事情を説明した。


「――なるほど、それでアイカたちはこの倒木の倒れている方に向かってたと。なかなか良いこと考えるじゃないか」

「へへっ、せやろ? 伊達にIQなんたらの天才の妹やっとらんからな!」

「別にお姉ちゃんが頭良いわけじゃないけどね……」

「なんか言ったか、ヒメカ?」

「あ、ううん、お姉ちゃんが頭良いって言ったんだよ、本当に、うん!」


 あわてて取り繕うヒメカだったが、そんなとき神輿の下のゴブリンたちの様子が突然変化した。


「えっ、なに?」

「う、うわっ、崩れる!」


 ガクン、と神輿を支えていたゴブリンたちの身体が次々と力を失くし倒れ込む。アイカは神輿の台にしがみつき、ヒメカはそのままバランスを崩して神輿の上から地面の上に落下しそうになったのをヒロトに受け止められた。


「あ、ありがとうお兄ちゃん……!」

「アイカ、お前は無事か!?」

「な、なんとか……!」


 アイカは怪我をしている足を引きずりながら崩れた神輿の上から降りてヒロトたちの方に近付く。


 一方神輿の下敷きになったゴブリンたちは、みんな気を失っているようで、力なく倒れている彼らをヒメカは心配そうに見つめていた。


「ゴブリンさんたち……やっぱり無理させすぎちゃったのかな……みんなさっきまで元気な様子だったのに」

「……いや、おそらく彼らの体力がどうのこうのというより、ヒメカの精神干渉のせいだろう。ヒメカから発せられていた魔力の流れがゴブリンたちの中でオーバーヒートを起こしている」

「えっ、ヒロ兄ちゃん、何でそんなこと分かるん?」

「この数時間で色々と魔力に関することを分析して身につけたんだ。どうやら俺には魔力を察知して操ることに長けているらしい」


 ヒロトの目にはゴブリンたちの体内でヒメカからの濃密な魔力が行き場を失って蠢いている様子が景色となってはっきりと見えていた。視覚だけではなく、音や匂い、さらには第六感的な直感な部分にまで魔力の気配というものが分かるようになっていた。


「みんなそれぞれ大きな魔力を体内に宿していてそれぞれみんなの得意なものに昇華されているはずだ。アイカはおそらく身体能力、ヒメカは生物に対する感応力だろう」

「へ、へぇ〜……」

「お兄ちゃん、かんおうりょくって?」

「相手の心が分かるってことだ」

「あ、それならそうかもしれない! わたしゴブリンさんたちの気持ちなんとなく分かったもん!」


 ヒロトの話を聞いてもちんぷんかんぷんなアイカときらきらと目を輝かせるヒメカに分かれ、三人はひとまず目の前の神輿をゴブリンらの上からどかすことを決めた。


 アイカは動けないので主にヒロトとヒメカが崩れている神輿の木材部分を一つずつどかしていく。ゴブリンたちでも運べるものであったため、子供の彼らの力でも作業にはさほど時間はかからなかった。


 全てをどかし終えて、三人はルアのいるとおぼしき方に向けて出発することにした。


「…………ゴブリンさんたち」

「心配するな、ヒメカ。あいつらはそんなやわじゃない」


 正直、ヒロトにとってはゴブリンたちの安泰など気にも留めていなかったが、作業を手伝ったのは大いにヒメカの思いを汲んでやってのことだった。


「アイカ、足は平気か?」

「ん……まぁ、兄ちゃんが肩貸してくれてるからなんとか……」

「もう、お姉ちゃん、わたしだって手伝ってるんだからね!」

「分かっとる、分かっとる。みんながいるおかげや」


 アイカは二人に両肩を支えられながら、じくじくと感じる足の痛みを表情に出さないようにして

森の中を進んでいく。


「……早く、母さんとユウトを見つけないとな」

「――――せやな」

「うん、早くユウくんたちを安心させないとね」


 月明かりに照らされる倒木の道を歩く三人の姿。


 それはいつの日も助け合って生きてきた、変わらない家族の姿であった。

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