15-異世界の四つ子たち③

「ウォオオオオオオオオオオオオオーーー!!」


 アイカの眼前に何か巨大なものが森の木々をなぎ倒して飛び出してきた。


「うわぁっ!?」

「ギィイッ!? ギィイッ!?」


 とっさに身を翻して地面に転がるアイカ。周囲のゴブリンたちも同じようにして散り散りになって逃げ出した。


「な、なんや…………!?」


 一瞬見えたその姿は美術館に飾ってありそうな男性の彫像のような見た目であった。体長はアイカの四、五倍はあり、周辺の木々よりも遥かに太い手足に、岩のような筋肉をしていて、身につけていたのは腰蓑のようなものだった。ちょうどゴブリンがしているような獣皮のものである。


「グオオオオオオオオオオオオーーーーーー!!」


 その白亜の巨人ともいうべき生物は何本もの木をなぎ倒しながら、そのまま森の中を突っ切っていく。そして、その進行方向の先にアイカの見覚えのある人物がいるのが見えた。


「あ、あれは……ルア姐さん!?」


 額の方に血を流すルアは、宝石のついた長杖を振るいつつ白亜の巨人の突進と猛烈な両腕の殴打を何かの魔術で防いでいた。ルアは一瞬アイカの姿を視認するもの、構うことなくものすごい速さで森の中を突き進み、白亜の巨人とともに暗い闇の中へ消え去っていった。


「な、なんやったんや今の……アレになんか苦戦しとる感じやったけど、大丈夫なんか……?」


 果たして自分も加勢しに行くべきかどうか迷っていた――その時であった。


 パキ……パキィ!


 すぐ横の巨木の幹が中ほどで中途半端に折れ曲がり、今にも地面に倒れ込もうとしていた。それはアイカの頭上に落ちる軌道ではなくアイカは一瞬警戒を緩めたが、その落ちる先に息をつまらせた。


(ゴ……ゴブリンが逃げ遅れて…………!)


 一体のゴブリンが先ほどの白亜の巨人がなぎ倒した木に足が挟まり、動けないでいた。必死に足を引き抜こうとしているものの、自分一人ではどうにもならないようだった。周囲にいた仲間たちは先ほどアイカが気絶させたゴブリンたちを避難させている最中で動けないゴブリンに気付いていない。


(あ、あのままじゃあ…………でも、こいつらは……!)


 自分たちの命を狙おうとした相手を、助ける意味はあるのだろうか。自分たちの家族すらも脅かそうとしていた者たちだというのに。


 アイカの頭の中で、思いが激しく逡巡する。このまま、見殺しにしてしまおうかと。


 音を立てて落ちていく巨木。鳴き喚くゴブリンの声。気付いた仲間のゴブリンが振り向くもおそらく、もう間に合わないとアイカは悟った。


 どうせ――あいつらは、ウチらの敵。ウチらとは相容れない、邪魔な奴等だ。


 分かりきったことなのに、そう思っていながらアイカはゴブリンたちの姿から目が離せなかった。


 お――ちゃ――――――


 アイカの記憶の中の何かが引っかかる。


 お姉―――――――ない―


(以前、こんなことどこかで…………)


 鳴き叫ぶ誰かの声と、目の前のゴブリンの姿が重なる。


 お姉ちゃん―――――なかないで。


 それは、いつの日の家族の姿で――――――



「うわああああああああああああああああーーーーーー!!」


 踏みしめた地面と落枝が疾走とともに吹き飛ばされる。


 あらゆる音と風をも置き去りにしてアイカの身体は、まっすぐと動けないゴブリンの方へまたたく間に辿り着いた。


「チェストおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーー!!」


 アイカは己の気合を全て吐き出すように、ゴブリンの身動きを止めている倒木に向けて力まかせに蹴り上げた。幹の繊維を破壊するのと同時に、靴の中に収められた小さな足先が潰れるような痛みを感じ、歯を食いしばりながらアイカはそのまま木を遠くの方へと蹴り飛ばした。


 そして、すぐ頭上から迫る巨木に振り向いて睨み返しながら、両手を持ち上げて自分の何倍ものあるそれを細い身体で受け止めた。


「ぬぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ!!」


 全身にのしかかる重量感。頭の血管がはち切れそうなくらい力んでやっと耐えられる。いくら身体能力が向上した彼女といえどもこれには流石に苦しい様子だった。


「ギ……ギッ!?」

「は、はやく、逃げぇっ!」


 挟まれていた足が開放され、困惑な様子で彼女を見上げているゴブリンに、アイカは腕に精一杯力を込めながら必死にさけぶ。


 倒れていたゴブリンや周りでそれを見ていた彼の仲間たちは皆、名も知らぬ人間の少女の姿に釘付けになっていた。


 ――本来『エレメンタル』の生物であるゴブリンたちは、たとえ自分たちが倒木に押し潰されても痛みこそすれ、命には関わらない事を知っていた。故に、周りにいたゴブリンたちは仲間を必死になって救おうとはしなかったのだ。



 だが、目の前のこの少女は――アイカは、そんなゴブリンを助けたのだ。



「さ、さっさとしろや……これ重くてこのまま動かせんのや…………!」


 アイカの細腕は骨の芯まで悲鳴を上げ、巨木を支えているその足は地面にめり込んで埋没していた。


 人間の言語が分からないゴブリンたちにも彼女の言っていることは理解できたようで、すぐには動けないゴブリンを仲間たちがすぐに駆けつけその場から移動させる。そして、アイカは巨木の下に誰もいないことを確認すると、腕の力を抜き、地面から足を引き抜きながら横の方へと身を投げ出した。


 ズンッ、と音を響かせて巨大な幹が倒れきり、地面の上に転がったアイカはそのまま倒れ込んで息を上げる。


「ぜぇ…………ぜぇ…………し、しんどぉ……!」


 生きてきた中で経験したことのない重さに耐えながら、押し潰されないために極限まで力を出し切ったアイカの全身は尋常じゃない量の汗と、筋肉の痙攣が起きていた。


(い……一歩も動けん……しばらく身体が…………!)


 ちっとも収まらない動悸をなんとか鎮めようとしているアイカ。そこへ、数体のゴブリンたちがいつの間にか近付いて彼女の周囲を取り囲んでいた。その手には弓や槍が握られていて、その刃にはやはり黄色い粘性の毒が塗られていた。


(あ、あかん……やられる…………)


 どうにか身体を動かして抗戦しようにも、まだ身体に力が入らないアイカ。やはり、助けないほうが良かったのかと焦り始めていると、目の前のゴブリンたちがアイカの方をじっと見つめながら動かないのに気づく。


「……………………………………」

「ぜぇ……はぁ……な、なんや…………?」


 困惑の表情をみせるアイカにゴブリンたちは何も告げることもなく、そのまま散り散りになって森の中へと消え去っていった。


「ぜぇ…………ぜぇ…………」


 その場に一人残されたアイカは地面の上に大の字になって仰向けになって空の方を見上げた。


 木がなぎ倒されたことによってアイカの視線の先には夜空が広がっていた。雲ひとつ無い夜空で、月明かりで隠された向こう側に散りばめられたきらめきがあるのにアイカは気付いた。


(へぇ…………この世界にも星空ってあるんやなぁ……まぁ、お月さんがあるから当たり前か…………)


 アイカの耳には遠くの方で木が倒れるような音や、よくわからない爆発のような音がかすかに聞こえていたが、それでも、森の中は静寂という言葉が似合うくらいにはとても穏やかに感じた。


「…………なんか、変な気分や」


 あれだけゴブリンたちに対して敵意を剥き出しにしていたというのに。


 アイカの心の中は、今はもうとても落ち着いていた。



――――――◆◇――――――



「あれ、お姉ちゃん。なにしてるの?」


 ふとヒメカの声がしてアイカは身体を起き上がらせる。


「おう、ヒメカ。お前無事やったやな…………」


 そうしてアイカは彼女の方に振り向き、喜びの声をあげようとして、そして言葉を失った。


「ん? どうしたの、お姉ちゃん?」

「あ……アイカ……そいつらは……?」

「え、見てわからないの、お姉ちゃん?」


 ヒメカはそう言って不思議そうに姉を見つめる。


「ほら、見ての通り、ゴブリンさんたちだよ」


 絶句するアイカの目の前には、十数体はいるゴブリンたちが支えている神輿の上から笑顔で答えるヒメカの姿があった。

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