13-異世界の四つ子たち①

 ぺたり、ぺたり――と、裸足の少年が森の中を歩く。


 着ていたものは全て消え失せ、そこにあるのは生まれたままのまっさらな姿だけ。


 目はうつろではなくはっきりと意思が宿っている。しかし、その眼差しはどこにも向いてなかった。


 彼が草地を踏みしめるとそこにあったものの輪郭が壊れて崩れる。木の横を通りすぎれば彼を起点として幹から消え去る。


 『聖素』と呼ばれるものはあらゆる生命のすがたとその痕跡を消し去り、塵へと変えて虚空へと誘う。そしてそれは彼の身から絶えず溢れ出していた。


「うー」


 ひとつ声を上げるたび、また一つ命が消える。


 彼の通った後には地膚ぢはだのみが露出し、根本から崩壊した木々がザザッと枝葉を揺らして何本も何本も倒れて、そして消え去った。


 そこへ、草葉の陰から一匹の栗鼠が飛び出して彼は立ち止まった。


 彼は丸い瞳をじっと向けてその場にしゃがみ込みながらそっと手を伸ばそうとすると、栗鼠の身体がびくり震え、そして全身を痙攣させながらその場に横たわった。


 栗鼠の小さな身体は必死にもがくように手足をバタつかせて、やがてビクンと一つ痙攣したのち動かなくなった。そして、栗鼠の身体は手足の末端から徐々に崩れ、キラリと僅かに輝いた粒子が常夜の中へと溶けて消え去った。


「………………………」


 目の前で消え去った命に、彼は感想を述べるわけでもなく、ただ笑った。


 あまりにも純粋で、無垢そうな子供のそれを彼は当たり前のようにして顔につくった。


 そして、彼はそっと手を引っ込めるとまた立ち上がって歩き出した。


 どこへ行くつもりもない、ただただ真っ直ぐと前に。


 そしてまた一つ、森が消えていく。



――――――◆◇――――――



「くっそ、分断された!」


 ヒロトは眼前にそびえ立つ巨大な岩山を見上げながら悪態をつく。


 大きさにしてビル5階建てはありそうな高さの岩山。地面からせり上がって出来たそれは左右にも大きく伸びて防波堤のような佇まいをしていた。


「さっき突然降ってきたあいつがやったんだ。あれがルアさんが言っていた『精霊』って奴なのか……?」


 彼が森の中でルアの指示で走り出したあと、すぐにそれはやって来た。


 灰色の体皮に全身筋肉の塊のような巨人。それが森の枝を突き破り、大地の上に降り立った瞬間、彼らの目の前で地面が爆ぜたのだ。


 彼が衝撃で吹き飛ばされてすぐに起き上がって見てみればこれである。


 アイカやヒメカたちとも逸れてしまいヒロトは焦りを感じていた。


(とにかくみんなと合流しなきゃ。みんなとはそんなに離れていないはずだ。この岩山をぐるりと回っていけばすぐ……)


 その時、背後に気配を感じて振り返る。


 ヒュン


 いつぞやに聞いたその音をヒロトはまたしても耳にした。


「無駄だ」


 そう言い放った直後、彼の頭に向けて飛んでいたはずの木の矢が直前で阻まれた。


 黒い色の水膜のようなオーラが彼の前方を覆い、続けて来た数本の矢ですらも次々と受け止めて地面に弾き返す。


「ギッ!?」


 奇襲が失敗に終わり、木の上から矢をつがえていた数体のゴブリンたちが驚愕の眼差しでヒロトを見据えた。


「さっきはよくも頭にくれてやったな、お前たち。無意識に魔術を発動してなかったらこんな傷じゃあ済まなかった」


 そう言って彼は前髪をかき分け、額に残された僅かな矢傷を晒す。ほんの少し深く刺さっていたならば、確実に彼の小さな頭蓋骨は串刺しとなっていただろう。


「しかも、その矢、聞けば毒が塗っているそうじゃないか。アイカは何故か平気っぽかったけど、ルアさんの治療が無ければもしかしたら俺も危なかったかもしれなかった……ん、これはさっきのとは違う毒なのか?」


 彼が拾い上げた矢の先端をよく見れば、黄色く粘ついたものが塗られていた。先程自分が頭に受けた矢には赤い色のものが塗られていたはずだ――と彼が思い返していると、やがて合点がいったように「あぁ、そうか」と呟いた。


「なるほどな、これは致死性の毒なのか。確実に敵を仕留めるための。それで先程のは神経毒で、もっぱら獲物を捕獲するためのものだったんだな」


 森中から聞こえていたゴブリンの言葉はヒロトには分からなかったが、彼らの敵意はなんとなしに伝わっていた。彼らは自分らを食糧としてではなく、自らの領域を脅かす侵略者として本格的に排除にかかったのだと悟った。


「お前たちも必死なんだな……自分たちの住処を守るために。確かに、俺たちはお前たちにヒドイことをしていたのかもしれない」


 ヒロトはいくら生き抜くためとはいえ、過ぎた魔力をただ思い切り放ち、彼らの森を破壊し、同胞をたくさんほふってきたことを思い返していた。もしかしたら、それは許されざることだったのかもしれない、と。


 すでに彼の周囲には数十にも及ぶゴブリンの群れが取り囲み、森の木々の間から、枝の上から、矢を番え、槍を携え、魔術を放つための杖を構えるものもいた。


 彼の語るように、ゴブリンたちは皆怒りに満ちていた。


 樹海の大半を聖素によって消滅させられ、ヒロトの魔術によって仲間が死に追いやられ、『神霊』という一歩間違えれば森そのものが破壊されない力に頼ってでも彼ら人間を殲滅しなければいけないほど、ゴブリンたちは追い詰められていたのだ。


 そのような状況下で――しかし、誰一人、ヒロトに向けて攻撃を仕掛ける者はいなかった。

 

 数の理も、連携という武器も、『神霊』という切り札も用意して圧倒的な優勢に身をおきながら、彼らはたった一人の相手に身動き一つできなかった。


 たった一人の人間の子供に、である。


「ギッ………………」


 抑圧された緊張感に耐えきれず、一体のゴブリンの唸り声が静寂に満ちた森の中に響く。


「…………けどな」


 発せられたヒロトの声にザザッと周囲のゴブリンたちが一斉に引き下がった。それに驚いたのは他でもないゴブリンたち自身であった。


「ルアさんはああ言っていたけど、いくらお前たちに非がないからって、俺たちを……家族のみんなを傷つけるというなら、俺はゆるさない」


 冷静に語る彼の言葉にゴブリンたちは理解できなくとも、感じることはできた。その声音に乗せられた、確実な冷酷さを。


 彼の周囲に魔力が満ちる。森を腐らせるほどには十分すぎるほどの濃密さと、彼らを蹂躙するにはあまりに強大すぎる禍々しさを宿していた。それが彼を起点として徐々に広がりをみせる度に、一歩、また一歩とゴブリンたちが後ろに退いていく。


「ギッ……ギギッ…………!」


 ゴブリンたちに戦意と恐怖のせめぎ合いが生まれ、焦りが伝播していく。果たして、目の前の“コレ”に挑むべきか否かに。


「ルアさんには悪いけど、俺は容赦しない。なるべく手加減は心がけてやるつもりだけど、でもチュートリアル無しじゃあ保証しないからな」


 一度、眼鏡のブリッジを指先で上げて彼は魔導銃を持った右手とは逆の手を振りかざす。


 フッ、と彼を取り巻いていた黒々しい魔力の波動が消え失せたように見えた瞬間、彼の左手に巨大な暗黒の塊が出現する。


「死にたくなければ、必死に逃げろ」

「――――――――――――!!!!???」


 彼の言葉と言い終えるのとゴブリンたちが一斉に身を翻したのはほぼ同時だった。


 自分にはルアのような魔術は使えないと彼は理解していた。あれは事前に料理のレシピのように魔術を作っておいて、それを呪文をトリガーとして発動できるようにしているのだと、側で彼女の魔術を観察していた彼が出した結論がそうだった。


 この世界に来たばかりの自分には使える魔術など一つもなかったのだ。そう気付いた彼は、次に実にシンプルな答えを見出した。


 そうさ、無いのなら作ればいいのさ。今、ここで。


 指先から腕に感じる確かな流れの感覚、それが魔力の正体だと理解、糸を紡ぐように繊細で、重ねたりつなぎ合わせたりすると性質が変化すると理解、大きな流れ、小さな流れでも変化、闇のような真っ黒な性質があって、その中にも、赤いの、青いの、黄色いの、緑っぽいの、白いの、茶色いの、紫色の、色を重ねれば何色にも変化するそれは熱く冷たく固く柔らかくぬるっぽくざわざわしてあたたかくてさむくてくるしくてここちよくてヒロクテセマクテオオキクテチイサクテドコマデモアッテソコニシカナクテWhyWhereWhatHowWhatWhenthereφωτιάνερόΑνεμοςέδαφοςΓηΟυρανόςσκοτάδιφως………………………………………………………………………………………………………………………………――――――――――――――――――――――――



 ほら、できた。



「名付けるならそうだなぁ『暗黒太陽波動撃ダークプロミネンス』なんてどうだ?」


 地面に放った極大の闇属性の光球が『籠の森』の全てを侵食して波のように広がる。


 間違いなく稀代の大魔術にして彼の最初の『作品』は、なんとも痛々しくてひどいネーミングセンスと共に、この世に生まれ落ちたのだった。

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