11‐月下の誓い
「皆さん、付いてきていますか!?」
踏みしめる枝木の音と焦燥にかられる息づかいが森の中に響く。木々の間を駆け抜けながら後ろを振り向き、私はヒロトたち三人が
「大丈夫です!」
「ウチもや!」
「わ……わたしもなんとか……!」
たった一種類の木が延々と立ち並び、代わり映えのない景色がずっと続く中、私は方角と彼らの後方の監視を絶えず行っていた。
ゴブリンたち――『鷹の目の魔術』に気付いている。監視の目から逃れるように木の枝に隠れながら包囲網を完成させようとして……!
『鷹の目の魔術』によって森の上空、そして中から視てくれているが、これも完全ではない。その時が来たらこれを解除して対処に当たらねばならない。
「思っていたよりゴブリンたちの展開が早い……! 彼ら相当怒ってるみたいですね」
「な、なんでそんなことになってるんですか?」
「もしかして、あの時ウチらがやり過ぎたからか?」
「そんな、お姉ちゃんが戦わなかったら死んでたのに!」
「皆さん、話すのは後です。今は逃げることに専念して下さい……!」
異変を察知したのはつい先ほど。『鷹の目の魔術』が樹海の最奥に存在する『座の森』付近から巨大な魔力放出を確認した事が発端だった。
当初から懸念していた通り、ゴブリン族が『神霊』を召喚したと判断した私は彼らの家族の捜索を中断し彼らを連れて森からの脱出を図った――けれども……。
「ル、ルアさん、やっぱりわたしユウくんとお母さんを探しに行きたいです……!」
「駄目です、ヒメカさん! ゴブリンたちがすぐ側まで近づいてきています。彼らは種族総出で私たちを仕留めに来るでしょう。そうなったら流石の私でもあなた方を守りきるのは難しくなります!」
正直に言えば、彼らを殲滅すること自体なら出来ないことはない。しかし、彼らの存在はこの地方の生態系の維持と山脈の向こうに広がる魔族領域への牽制に不可欠だ。
それに何より、彼らに非など微塵も無い。彼らはこの森でただ平穏に暮らしていて、それを脅かしたのは他でもない我々の方なのだから。
だから、これ以上この樹海と彼らへの損害を強いる事はしたくなかったのだ。
「……だけど、相手はゴブリンなのでしょう?」
ふと、ヒロトが疑うように問いかけながら眼鏡の端を上げた。
「俺の知るゴブリンはとても矮小で力の弱く、冒険者にとって最弱の存在だと思っていたのですけど……」
「なんやヒロ兄ちゃん、あのケダモン知っとるのかいな?」
「知ってるというか、本やネットでなぁ……」
「そういえばお兄ちゃん、異世界もののアニメやラノベとかかなり好きだったよね」
アニメ……ラノベ……? 文脈から察するに何かしらの娯楽媒体なのだろうか。
「あなた方の世界のゴブリンがどうだったのかは分かりませんが、この世界のゴブリンを舐めてはいけません。彼らは人類がこの地上に生まれるよりも前からずっと、この世界に生き残ってきた種族なのですから」
「そんなに強いのですか、この世界のゴブリンは」
「最弱の種族なんてとんでもないです。単に連携という言葉でとるなら彼らはこの地上で最強と言って良いでしょう」
彼らはこの世界では『森の賢人』と呼ばれる種族であった。
妖精というカテゴリーに属しながら、身体は小さく、膂力は少し体格の大きい動物にも敵わない。無属性の物理を無効化する『エレメンタル』という生命体としての恩恵がなければ彼らは兎ならともかく、狼が相手なら即座に噛み殺されていただろう。
しかし彼はその己の非力さを何より理解している。その上で、自らが何が出来るのかを熟知している。
「ゴブリンという種族に限ったことではないのですが、生き物にはそれぞれ向き不向きというのがあります。いわゆる個体差というものです。弓矢が得意な者、槍が得意な者、魔術が得意な者――ゴブリンたちはそういった己の長所短所を察知し、そしてそれらが十分に発揮できるような立場をつくることに本能で行います」
「本能…………つまり、生まれながらですか」
聡明なヒロトはその脅威を子供ながらに理解できたようだった。
「彼らに真の意味で統率は必要ありません。一応その役目はいますが、誰の命令が無くとも彼らは自分のすべき事を完璧にこなしてしまうのです。誰の教えも必要ない――故に『賢人』。人間たちで同じことを行おうとするならば、並大抵ならない訓練と意識合わせが必要でしょう」
すなわち、ゴブリンたちと戦うということは、人間の傭兵集団と戦うことと変わりない事なのだ。それも『エレメンタル』という絶対的な種族差が彼らの手強さを増す要因にもなっている。
「ですので、分かったでしょう? 私一人であなた方を庇いながらゴブリンたちと戦うのはとても――」
「……なら、ウチらだけでやる」
そう言ってアイカは突然走るのを止め、後ろの方に振り返った。
「アイカさん!?」
「アイカ!?」
「お、お姉ちゃん!?」
急に立ち止まったアイカに驚き、私と兄妹らも走るのを止めざるを得ない。
「何を考えているの、すぐそこにまでゴブリンたちが迫っているのよ!?」
「……ウチらもやろ」
「…………はい?」
「ウチらだってそうやろ……!?」
背後のアイカが声音を震わせて訴えはじめた。様子のおかしい彼女に私は不穏な空気を感じた。
「連携とかどーのこーのって、ウチらだって凄いはずや。なんたってウチら四つ子なんやぞ? みんな同じ日に生まれた家族なんや。心を通わせるなんて当たり前なんや。あんな奴らに負けるわけないやろ……!」
「いや、ちょっと待つんだアイカ! たしかに俺たちは心を通わせられるかもしれないが、戦いの連携なんて……」
「なんやヒロ兄ちゃん! それでも宮田家の長男かいな!?」
アイカの肩を掴もうとした彼の手がピタリと止まった。
「どんなことがあってもウチらの家族は守り抜く、そう決めたやないか! あの時、みんなで!!」
「――――!」
隣にいたヒロトの眼が見開かれ、息を飲む。まるで雷に打たれたかのように、彼の動きが止まり、伸びた手が下げられた。
「ウチは……もうあんな思いは嫌や。ママやユウトが――ウチの家族が傷つけられる姿なんてもう……」
すがるような彼女の声。その胸中にある想いは――おそらく、今の私が知る由のないことだ。
そしてきっと、それはヒロトにも、ヒメカの中にも同じものが宿っているのだろう。
彼らはしばらく何かを思いつめ、そして意を決したように顔を上げて、ゆっくりとアイカの元へと歩み寄る。そして、後方の森の向こう側の闇の中からやってくるその気配に向き直った。
「あなたたち、やめなさい……」
私は懇願するように彼らの背中に言葉を投げかけた。それがきっと彼らに届かないものだと分かっていても、そうすることを止められなかった。
「貴方たちがいくら異世界人だとしても、彼らと戦うのは危険すぎる」
「……それでも、やるで」
「貴方たちは戦える人間じゃあないでしょう!?」
「でも、家族のためなら何とだって戦えます」
「どうして……そこまで」
私の知る子供というのは、どうしても非力で、無知で、純粋で、私たち大人が守ってやらなければすぐに死んでしまうような弱い生き物なのに……。
彼らだって、元の世界ではきっとそうだったはずだ。それなのに、自分たちの知らない世界の、全く知らない場所に漂流しても尚、彼らは…………。
「ルアさん、ありがとうございます。俺たちを心配してくれて」
ヒロトが振り返り私に微笑みかける。その顔に、私の知るか弱き子供は存在しなかった。
「けど俺たち逃げたくないんです。母さんやユウト、そして俺たち自身を守ってあげられるのは――俺たちしかいないから」
守る、守り抜く、家族を、どんな時だって。
彼らから発せられるそれらの言葉はどれも重いものをはらんでいて、それ自体がまるで自分らを縛り付けているようだった。
自分を捨て、欲を捨て、己のすべてを家族のためだけに捧げているような、とても自棄的な献身。
そうまでするのは彼らにはそれだけの事情があるのか。もしくは、彼らの世界では当たり前のことなのだろうか。
それとも、家族とは――そのようなものなのだろうか。
今の私には分からなかった。
だけど…………。
「――わかりました」
『鷹の目の魔術』を解除し、全身に駆け巡るオドの流れを正常に戻す。
そして、私は覚悟を決め、彼らの前に歩み出た。
「あなた方の家族の絆に敬意を示し、私も戦います」
「ルアさん……!」
「ですが、これだけは覚えておいて下さい」
彼らに振り返り一人ひとりの顔を見つめる。皆やはり決心しているようだ。おそらく、ゴブリンだろうが『神霊』相手だろうが、全力で身を呈して戦うのだろう。
「彼らはこの土地で平和に暮していた、ただ毎日をあたり前のように過ごしていただけなんです。彼らにはそれを脅かされる謂れもなければ、それらに対して全力で抵抗するのも当然だということを」
「……………っ」
ここまで終始厳しい顔をしていたアイカが始めてその双眸を歪ませた。彼らにも自分たちと同じように守るべきものがあるのだと気付いたのだろう。
「くれぐれも、やり過ぎないで下さい。もっとも、あなた方は加減なんてものは分からないでしょうが」
彼らにゴブリンたちと戦わせるわけにはいかない。しかし、だからといって彼らを説得するのも難しい。
「私の言う通りにして下さい。そうすれば、すべて上手くいきます」
「…………はい!」
「よ、よし。やったるで!」
「わたしも、がんばります!」
子どもたちの威勢に満ちた声が『籠の森』に響く。
ゴブリンたちもヒロトたち家族も、すべて守ってみせる。
それこそが【
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