10‐風はなく
森の木々が一瞬ざわめいたように風になびいて、私は遠くの方を眺めた。
大気のマナが収束している。おそらくゴブリン族が『降霊の儀』を始めたのだろう。早くこの森から離れなければ……。
「ルアさん、どうかしたんですか?」
ふと、かたわらの少女が話しかけてくる。黒色の長い髪の毛で前髪には花をかたどった髪留めがしてあった。この子はたしかヒメカと言ったはずだ。
「いえ、なんでもありません。少し北の様子が気になったもので」
「? はぁ、そうですか……」
「――さて、終わりましたよ、ヒメカさん」
ヒメカが小首をかしげているうちに、私は彼女に対する測定を終わらせて立ち上がる。
「あなたの身体も他の方々と同じように異常はないようです。この国の気候や
「そうなんですか、良かったです!」
「ですが、何か変わったことがあったら遠慮せずにおっしゃって下さい。もしかしたらということもありますから」
「はい、ありがとうございます!」
いきいきと嬉しそうに笑顔を見せる彼女に、私も微笑み返すもその胸中はやや複雑だった。
ヒメカらに行った測定は表向きは異世界人である彼女らがこの世界の環境に適応できているかを調べるため。実際、それも兼ねたものではあったが、本当の目的は内包する魔力やその身体構造を解析するためだった。
正体不明の彼女らに対してそれを行うのは至極当然なことではあったが、純朴な子供を騙しているようであまり気分のいいものではなかった。
簡易的な測定ではあるが、結果をみてみれば彼女らは率直に言ってバケモノだった。
同じ人間としてはあり得ないほどの強固な生体構造とその内に収められた尋常ならない
肉体の組成には【聖属性】が基本になっており、そしてその内に各々異なる属性を持っていた。
長男のヒロトは【闇】、長女のアイカは【天空】、そして次女のヒメカは【大地】の属性。
これは【火・水・地・風】の基本属性とは一線を画する完全上位の属性であり、これを保有する『エレメンタル』は既存の生物には存在しない。該当するケースでいうなら生命を越えた存在である『神霊』クラスの存在が持つものだ。
つまり、彼らは『神霊』かそれ以上の存在であるということだ。
異世界人はみな規格外だと聞いていたのだけど、よもやこれほどまでとは……。
「お、もしかしてヒメカの終わったんか?」
気が付くとアイカが森の中から出てきてきた。その後ろにはヒロトの姿も見えた。姿が見えないと思っていたらいつの間にか離れて行動していたようだ。
「どこへ行っていたのですか。ここはゴブリンの縄張りなのですよ。森の中へ入ってはいけないとあれほど……」
「す、すみませんなぁ、お姉さん……。けど、ママとユウくん――ウチらの弟がまだ森の中におるかもしれんからどうしても見つけたくて……」
アイカが申しなさげにしていると、彼女をかばうようにヒロトが前に出てくる。
「言いつけを破ってすみません、ルアさん。けれど、大切な家族の無事を確認したかったんです。どうか許して下さい」
「う、ウチもです!」
彼はそう言って私に頭を下げ、後ろのアイカも慌てて同じように頭を下げた。こうも姿勢を低くされると怒りたくても怒れなくなってしまう。彼らはこう見えてしたたかな子供たちなのかもしれない。
アイカらと合流する前、ヒメカを守るためにアイカが一人でゴブリンの集団と立ち向かった話を聞いたときにも感じたのだが、この子たちは家族との結束というかお互いを守ることに対する執着心が高いように思える。あくまでも、私の経験上そう見えるだけで彼女らの世界では普通のことだったりするのかもしれないが。
特に、末弟のユウトなる子に関しては皆が過剰なほどの反応を示している。母親をないがしろにしているわけでは無さそうだが、もしかしたら私の知らぬ事情があるのかもしれない。
それにしても、家族か。
もし私にも、母親とか父親とか兄妹とかいれば――せめて記憶の一つくらいあったならば人生は変わったのだろうか。
私にとってそのような人物は身寄りのなかった私を拾ってくれて面倒を見てくれた師匠ぐらいしか思い浮かべられないが、まぁ、師匠にしてもはじめの頃は感謝の念ぐらいはあったはずだが、今では私に自分の仕事を押し付けて自分は遊びに出かける厄介なクソジジイとしか見てないので親愛があるかと言われたらそうでもない。
顔を思い出したらなんだかムカついてきた。
「頭を上げてください二人とも。別に責めているわけではありません。ご家族を心配する気持ちは分からないこともないのですから」
「あ、ありがとうございます。ルアさん。なんか顔が怖いですけど……」
「気にしないでください。さて、ヒメカさんの測定が終わりましたので私もあなた方のご家族の捜索を手伝います。たしかお母様と弟さんのユウトさんの二人でしたね」
「はい、母の名前はノリカといいます」
「ノリカさんにユウトさんですね。おそらく、あなた方が目覚めた場所からそうは離れていないはずです」
そう言って私は目の前にある広場のアイカとヒメカが目覚めたという場所を見つめる。草木のまったく生えず、
その証拠に僅かな聖素をその場所から感じられた。消滅の作用をもつ【聖属性】によるものだ。彼女たちの身体を構成しているものと同じものである。
「もし、あなた方のご家族がこの世界にやって来ているのならば、この広場と同じようなものが森の中にあるはずです。それを探せばきっとその近くにいるでしょう」
「な、なるほど……!」
「でも、この森からどうやって探すんや? 見た感じ、だいぶ広いでこの森」
「それについては問題ありません。上空から探せば良いので」
「上空? 空を飛ぶんですか……?」
「まぁ、それも出来ないことはないのですが、探すだけなら『鷹の目の魔術』を使った方が良いでしょう」
私はそう言って彼らの目の前で魔術を発動する。風の属性ならば
「ウインドィルコーズ、リ・トライズ、汝はヤズの落とし子である」
術式解除の
「うわぁっ!」
「すごいっ!」
「めっちゃやばいやん、これ!」
彼らが目を見開き興味津々に私の魔術を見て興奮している。子供たちがこういうのを見て喜んでくれるのはどうやら異世界の人々も変わらないようだった。
「それっ」
使い魔たちを空に放つと、上から地上の景色を見下させ、その視覚情報が私の視覚に送られてくる。
視点の異なる複数の景色は、普通の人間なら処理のできない程の濃密で膨大なものだが、【
「……なぁ、ヒロ兄ちゃん、そもそもなんやけど、ママとユウくん、この世界に来とるのかなあ?」
「それは……分からないな……」
私が捜索している傍ら、アイカがヒロトにそう話しかけていた。確かに、彼女らの家族が全員この世界に来ているという保証はないが――、
「いるよ!」
急にヒメカが大声を出して二人を驚かせる。私も集中を乱すほどではなかったが、やや困惑気味で彼女の方を見やった。
「ユウくんはこの世界に来ているよ! お母さんは分からないけど……ユウくんはいる!」
「ヒ、ヒメカ、なんでそう言いきれるんや……」
「だって、わたしのユウくんセンサーがいるってビンビンに反応してるんだもん!!」
「…………………」
終始、あたりに沈黙が漂った。
「あの……つかぬことをお聞きますが、あなた方の世界の人間にはセンサー……? そのような器官が体内に存在するのですか?」
「いえ、これはヒメカのただの直感です」
ヒロトがそうばっさりと言い切ると「なんでよぉっ!?」とヒメカが抗議の意を示す。
「ぜったいいるって! わたしが言うんだから間違いないよぉっ!」
「まぁまぁ、落ちつきなってヒメカ。ユウくんが一人でどっかいないなってもすぐに見つけてくれるのみんな知っとるから」
むかむかと憤慨するヒメカをアイカが側でなだめる。彼女に対する扱いに慣れているようで、このようなことは恐らく日常茶飯事なのだろう。
「……あなた方は、本当に仲良しなのですね」
「そりゃモチのロン!」
「四つ子ですから!」
「喧嘩することもあるけど、まぁそうですね」
アイカがヒメカがヒロトが揃って返す。子供らしい、あまりに純真な笑顔で。
彼らも異世界の者であることを抜きにすればただの普通の子供たちだ。当たり前のように笑顔で、無垢でこの世界にいる者たちと変わらない。
だからこそ私は、さっきからずっと心がざわついている。
樹海の大半を消滅させたあの巨大な聖素のあと。恐らくあれは彼らの母親か弟のどちらかがあの場所に転移してきたときに出来たものなのだろう。
ヒロトたちのいずれかではおそらくない。さっきヒロトが放った闇の魔術も確かに目を見張るものはあったが、あの樹海の惨状を引き起こすほどのものではない。
出来れば、母親の方があれを引き起こしたと考えたい。
だって、一歩間違えればこの森の――いや、この世界の生態系すべてを破壊しかねない力を、ただの小さな子供が持っているなんて――――、
そんなのは、考えたくはなかったのだ。
ルアの予想は間違いであった。
彼がこの世界にやって来たとき、樹海はとても静かなものであった。
『籠の森』の木々が小風に揺れ、月明かりが木漏れ日の如く地面に降り注ぎ、彼が目覚めた場所が聖素によって消えてしまうこともなかった。
まるではじめからそこにいたかのように、そこで寝息を立てていたかのように、彼はこの世界に現れた。
そして目覚めれば、彼の周囲には冷酷なる狩猟者が取り囲んでいた。
『籠の森』に侵入した獲物を、当たり前に、いつものように、仕留めるために。
だが、森はいつもとは違った。いや、変わってしまった。
矢を番えた時、弓を引いた時、彼を狙った時。
――その時、全てのことが塗り替えられた。
真っ白にかがやいた閃光は無情に、非情に、たくさんのものを消し去った。
妖精のさけびも、森のざわめきも、風のわめきすら、全てを飲み込んだ。
なにも見えなくなって、なにも聞こえなくなって、なにも感じなくなって――なにも無くなった。
そして、彼はわらっていた。
ただ、それだけが当たり前のように。
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