6-燃えよ姉

 それを見た。


 自分たちを狙った矢が飛んできた森の方向から現れたその者たちを。


 背は低く、小学生の自分たちとほぼ同じような体格の生物。キモチワルイ見た目で体色はくすんだ緑色をしている。獣の毛皮でできたような腰巻の他には衣類はなく、その手には木製の小さい弓を携えていた。しかも同じ姿をしたやつが何体も森の奥から現れてくるのが見える。その手には石でできた無骨な斧や槍など、種類はさまざまでとにかく物騒な雰囲気だ。


 あれは一体、なんや……!?


 そこまで長くない人生であんな動物は見たことがない。犬や猫や動物園にいるような猿とも違う。


 まるでおとぎ話の桃太郎とかに出てくる角の無いオニみたいな姿をしていた。


 そのようなモノから狙われている。今にも喉をかっ切らんと飛び出しそうな剣呑な視線を向けて。


 一体なぜ、どうして、どういう理由わけで。


 湧き上がる疑問よりも先に、自分の身体が動いていた。


「ヒメカ、走って逃げぇ!」


 そう言ってへたれ込む妹の腕を掴んで身体を引き上げようとしたら、どういうわけか彼女の身体が地面に縫い付けられたように動かない。


「ごめん……お姉ちゃ……腰が抜けて……」

「――――――!」


 涙目を浮かべて唇をわななかせるヒメカはすぐには立ち上がれそうにはない。両足がすくみ、その手は小刻みに震えて、呼吸もおぼつかない様子だった。


 こうしている間にもあの森からケダモノたちの矢が今すぐにでも飛んでくるだろう。ウチらがここでもたもたと突っ立ていたら二人ともあの弓矢の餌食だ。


「アカン、このままじゃあ……」


 ウチは小学二年の頃から弓道を習ってたからなんとなくわかる。あの小さな醜悪なケダモノたちの放つ弓矢は精度は悪くても決してお粗末では無いことを。そうでなくとも奴らが距離を詰めればますます危険に晒されるし、弓矢でなくとも奴らの持つ斧や槍にきっと――――。


 そうだ、じきにウチらはあいつらに殺される。


 その確信があった。そして、先程から感じているこの背筋に走る悪寒の正体も奴らから発せられる殺気というやつなんだろうと悟った。


「お姉ちゃん…………」


 すがるような目でヒメカはウチを見上げる。


 なんや、ヒメカ。いくらウチが喧嘩強いからってあんな奴ら蹴散らせられると思っとるんか?


 いくらすっとんきょうでも分かるやろ。いくら体格に迫ったとしても、武器を持った集団に、ただの小学生が一人で突っ込んでも大したことできないって。


「……ほんま、いっつもいっつもしんどいわぁ」


 ウチは握っていたヒメカの手をそっと離す。か細い片腕が力なく垂れ落ち、ヒメカの目が見開かれる。


「ウチは死にたくない」


 そんなこと当たり前だ。誰だってそうだ。ようやく十代の仲間入りしたウチのようなガキんちょでも分かる。ついさっき真っ暗闇の車の中で土砂崩れに巻き込まれた時ですら、ウチは恐怖で顔が引きつり涙と鼻水を垂らしていたのだから。


 だからウチはヒメカを置いて走った。


 何もない、まっさらな地面の上を。


「お姉ちゃん、待って!!」


 背中から泣きじゃくるヒメカの声が聞こえる。


 これでいいんだ、これでウチは…………。


 ヒュン、と乾いた音が聞こえる。空気を切り裂いて矢が突き進む音だ。


 あぁ、矢に射抜かれた経験なんてあるわけないけど、きっと痛いんやろうな。多分きっと殴られたぐらいじゃ済まない痛さだ。


 ウチならきっと歯食いしばっても耐えられそうにないなぁ。


 ヒメカだったらなおさら…………。


 そうこうしている間に空中を突き進んでいた矢は、またたく間に――――


「うおりゃあああああーっ!!」


 ケダモノの集団に向かって走りながら両腕を広げて迎撃の体勢をとった。できるかわからないがやるしか無い。


 ウチの背中にはヒメカがいる。自分の大切な家族がいる。


 ウチの妹には指一本触らせない!!


「お姉ちゃん、駄目ぇーーー!!」


 ヒメカの悲鳴を聞きながらウチは必死に身体を動かした。


 飛び込んできた二本の矢を右手と左手で振り払い、その後から来た矢は自分の反射神経を総動員させて眼球に突き刺さる寸前で掴んだ。


 自分でもびっくりするくらいのファインプレーだったが、気にせずウチは走りながら後ろのヒメカに向けて叫んだ。


「ヒメカ、ウチが時間をかせぐから今のうちに逃げるんや!」

「そんな、駄目だよ、お姉ちゃん!」

「ウチに任せろ! なんてったって、ウチは桃原ももはら小の大怪獣やぞ!」


 大怪獣――とっさに口に出たけど、同級生にそんな呼ばれ方されるのは本当は嫌だった。


 ウチがそんな風に呼ばれるようになったのも、今みたいに家族が誰かにいじめられるのをウチが怒って暴れまくったのが原因だからだ。


 家族が傷つけられるのが見ていられなくて、心無い誰かから守りたくて。


 そしてウチは自分の身体がどれだけボロボロになっても殴る拳が痛くなっても家族の矢面に立つことは決してやめなかった。


 だって、そうしないと家族がまた傷ついてしまうから。


「もう……そんなのは、嫌なんやッ!!」


 走った。全力で駆け抜けた。


 履いている運動靴は山に遊びに出かけた時のまま泥と擦り傷にまみれながらも力強く地面を踏みしめた。


 両腕を千切れそうなほど振って、前方から断続的に放たれる矢を弾き返しながらウチの身体は風になったかのようにものすごい勢いでケダモノたちの群れに突っ込んだ。


 ウチ、こんなに早く走れたっけ?


 そんな疑問はもはや些細なものだった。今、この瞬間、家族を守れるというなら、もうなんだっていい。


 こうなったら、全力でやってやる!


「せぇいっ!」

「ウゲッ!?」


 ラリアット気味に構えた右腕が槍を構えそこなった一体のケダモノの首元に直撃した。くすんだ体皮が勢いよく後方に吹き飛び、そこにいた数体を巻き込んで地面の上に転がる。


「つぎぃーっ!」

「ブグゥッ!?」


 振り返って渾身の右ストレート、更に隣にいたやつにも左のコンボを叩き込む。握った拳が悪人面な顔にめり込み、骨が砕けるような手応えを感じながらウチはステゴロ乱闘を繰り広げた。


 なんだかいつもより疾く、力強く戦える……!


 相手が自分と同じ子供のような体格だからというのもあるのかもしれないが、差し向けられた殺意に対する跳ねっ返りとそんな奴らから家族を守るという譲れない使命感からなんだろうか、全身にとてつもない活力がみなぎってくる。


「ギギギッ!」

「グギャアー、グギャー!!」


 小鬼のようなケダモノたちは、よくわからない喚き声を撒き散らしながら槍や斧を振りかざして襲いかかってくる。弓矢でウチらを射っていた連中も小刀のようなものに持ち替えて集団で取り囲んでくる。


「いい度胸や……おじいさんから借りたカンフー映画で鍛えたウチの格闘術、舐めたらあかんで!!」


 眼前に突き出された槍の穂先を打ち払い、豪快に後ろ蹴りを繰り出してケダモノの集団を睨み返す。


 そうしてウチとケダモノたちの取っ組み合いが何合も続く。いくらか奴らの攻撃を肩や小脇、太腿などをかすめつつも、自分でもおかしいぐらいの膂力と技の冴えが奴等を圧倒する。


「うわああああああああああああああああああああ!!」


 手刀が肩を粉砕し、振り下ろされた斧の柄を蹴り折ってそのままみぞおちを蹴りぬく。顔面をウチの拳が打ち抜くたびに曲がった鼻先からどす黒い色の血飛沫が吹き出し、相手から奪った槍をぶん回し、いくつかのケダモノたちを薙ぎ払う。


「ウチはまだまだやれんぞっ!!」


 頭の中が沸騰しそうなほど思考と感情が爆発していて、時折、自分の血が飛び散るのを視界の端で捉えても、握った拳はけっして緩めなかった。


 そうしたやり取りが何度も続いていると次第に相手側の動きが崩れ始めるのが目に見えた。


「グギギギギギ…………!」

「ギギャ! ギギャ!」


 何体かのケダモノが地に伏せ、後ろで控えていた者たちもおびえたじろぐように後ずさりして、やがて自らの武具や仲間を抱えてみんな森の方へと転進していった。


「ハァ……ハァ……」


 ウチは肩で息を上げ、両腕を構えた体勢のままそいつらが逃げていった方向を見つめていた。


 ウ、ウチが……勝ったんか?


 全身が傷だらけになって、破れた衣服の間から血が滲んで流れ出していたが、大事に至るほどの深さのものはなかった。


「――お姉ちゃん!!」


 声がして後ろを振り返ると、ヒメカがこちらに向かって走ってきて抱きついてきた。


「お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃあん!」

「なんや、ヒメカ……まだ逃げてなかったんか……」


 四つ子の妹はウチの腕のなかでえんえんと泣きじゃくり、どういうわけかウチの方も自然と涙が両眼から溢れてきた。


 ほんま、いっつもこうやな。


 ウチが喧嘩でボロボロになって帰って来たら、ヒロ兄ちゃんが怒って、ヒメカが泣いて、ユウトは笑顔のままで、そしてママが優しく抱きしめてくれる。


 そしたらいっつも、ほっとしちゃうんや。

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