第57話 除霊に慣れた体

 意外と私は泣けるらしい。誰もいなければ。


 誰に涙を見せればいいんだろうか。


 どうして、悲しみは涙なのか。


 悲しさは言葉では上手く伝わらない事がある。純粋なのは流れ落ちる涙だ。


 なら、言葉って何なんだ。


 思いを伝えるものじゃないのか。


 その価値がなくなっていく人生だった。


 音なんて、言葉なんていらなかったんじゃないか。


 共有、共感は無理な話さ。


 誰だよ、言葉なんてつくったの。


 期待させて。落ち込ませて。


 なんで、感情なんかあるんだよ。


 言霊なんて一番いらない力なんじゃないか。


 「はぁ。どうして…私に言霊なんて面倒な事」


 なければいいのに。私自身も信じていないから。


 偶々言葉を発したのと同時に現象が起きただけで、私に力なんて無いから。


 だから、許して。


 そんな言い訳が通用しない事なんて分かっている。


 何故か、それは目の前に眠っている人がいるからだ。


 龍也はアイツのせいだとしても、母親は紛れもなく私だ。


 どう目を覚まさせれば良いのか。


 直感で龍也は弱い術である事が見てとれた。心配なのは眠らされたのと同時に頭を打ってしまった事だ。


 「龍也…」

 

 龍也はいつも眠りが深い。


 いつも名前を呼んでも起きない。


 「はぁー、すぅーーー、ふぅーーー。そっか」


 泣いている暇は無かった。アイツが家に着く前にこの空間をある雰囲気で成り立たせておきたかった。


 涙よ、引っ込め。さよなら、悲しさ。


 「たつ…や」


 漢字を頭に浮かべるように、丁寧に名前を読んだ。


 「龍…也…!」


 目を瞑り、感覚を研ぎ澄ませる。


 集中すればする程に目がつり上がるような感覚になる。


 呼吸を深くし、本人の身体にある違和感を探す。


 見失ってしまわないよう名前を慎重に呼び龍也本体と連携を組む。


 身体と名前の輪郭が結び付き始め形がハッキリとしだす。


 違和感…違和感…。


 どこかに隠れているはずだ。


 龍也の音から不思議な音を探る。


 「龍…也」


 見つけた。龍と也の間に微かな突っ掛かりを。これは…


 頭か。


 頭の辺りに光る所がある。


 どうやら直彦の力は弱小のようだ。私をビビらせたかったのか表面的な術のかけ方をしてやがる。


 フッ、笑わせるな。


 本当に只々眠らされただけらしい。


 瞬間的に眠らせる為に脳にアプローチしたらしいが、これは呪いとは言わないだろう。タダの催眠術だな。


 可哀想に、こんな簡単にかけられてしまうなんて。猫だましに過ぎんな。


 ゆっくり目を開け、先程見えた焦点を見失わないように集中した。


 目を開けてしまうと光は見えなくなる。


 術は悪魔でも物理的ではない。空間に漂う違和感なだけで、曖昧で、それを見つけるのにもその空間を作り上げた瞬間のみにしか適用されない。


 空間に入り込む事が必要なのだ。


 だからこそ見える人にしか見えないし、原因だと気付かない。


 私の場合はその入り口が音からの方が多く、正確に発見できる。


 これは言葉の使い手である事を裏付けるような言い回しだな。


 少しずつ自覚している事に逃れられない鎖を感じる。


 日に日に不確かだった己が言葉になって表されるようになっている。不明瞭な方が都合が良かったらしい。


 だから消してきたんだ。


 こんな物語、どこかの誰かもしていたような。


 この間も龍也の頭の一点、左目のやや上辺りから目を離さなかった。やや奥の方に強い光を感じるがこれくらいなら容易い。


 色々考えているようで、手の平に力を集中させていた。


 流れ込む心臓からの感情を手に集める。


 光には光で。


 私の手の中に光の粒が寄せ集まるように、暖かくなっていく。


 そして、いつも不思議と感じる。


 私の周りに数々の自然が存在している事を。ひとりじゃないって、言ってくれているように。


 一つの空間、いや世界が生まれたかの様に広がる。


 そして段々目頭らへんが熱くなる。目が猫のように開いていく。


 「……。」


 そろそろだ。10秒程で


 「


 光が散らばらないようにそっと手を胸の高さまであげ、二本指だけ伸ばした。


 ゆっくり、ゆっくりと光の元へ手を伸ばす。


 「どうか、」


 何故かこの言葉が溢れた。


 「救え」


 消えかける“え”の音に合わせて龍也のひたいと私の指先が触れ合い、光の粒が光の元へと運ばれる。


 白っぽい光に対して、やや黄色を帯びた光が私から術の元は流れ込む。


 感覚でいえば、冷たい空間に暖かい風を通すかのような。


 そして二つが一緒になった時、それは見えない光になる。


 どうしてかこれが術を解いた事に値すると私は知っていた。


 怖いくらいに慣れた感覚だ。


 呪いを取り除く動作を幾度もしてきたかのように、しなやかに身体が動く。


 何の突っかかりも、不明な箇所も無く自然に動いてしまうのだ。


 私は一体どんな時を過ごしてきたのだろうか。この動作をどこの誰に、いつ、どれだけすればこんなに体が覚えているのだろう。


 光が重なり溶け合い若干龍也の皮膚が柔らかくなる。


 緊張がとけたようだ。そうなればもう大丈夫。


 後遺症が残らないよう今度はおでこ全体を手で覆った。これは御呪おまじないのようなものだが、少しでも辛い思いを持ってほしくなかった。


 龍也に意味の無い悲しみが残りませんように。


 これは、知らなくて良い感情だ。


 こんなものに苦しめられる必要はないさ。


 私だけ知っていればいい。何も知らずに生きろ。


 知って死ぬよりいい。


 頑張り過ぎないで。


 願いが行き過ぎないよう、7割程度の霊力で癒した。これでいけるか。


 「さぁ、ゆっくり目をお開け」


 冷たさが残ってしまわないようにそっと手を離した。


 「龍也…。大丈夫」


 言葉をかけ此処に帰るきっかけを作った。


 空間を戻す為に。


 力は異空間のみでしか使ってはならない。誰かの心に影響を生むからだ。


 それが必ずしも幸せだとは限らない。


 その殆どがマイナスに反応する。それ程人の中には負の感情が多く引力が強いからだ。


 悲しい事が起きた訳ではないのに悲しくなってしまうのはそれらの影響を受けているかららしい。


 人は生きているだけで引き寄せてしまう。


 怖さ、辛さ、悲しさを。


 誰かからそう教わった。


 だからなるべく自分で異空間を作り出すか、闇の力を借りて深い夜の中で姿を曖昧な状態にするかをしてから力を使うように教わった。


 その癖が染み付いていたのか、その掟通りに解いた。これも一種の言葉による自縛、呪いに縛られているな。


 誰の言葉だろうか、結構強力だが。


 一人思い当たる人がいるけれど。


 「お姉ちゃん…?」


 あ、龍也。一瞬見ているようで見ていなかった。


 「大丈夫か」


 「うん…」


 良かった。


 「あの、お姉ちゃん」


 「ん?」


 「あ、あのさ?」


 「うん」


 「……!!」


 龍也が何かを言いかけたが私ごしに見えた母に驚いた。


 「お母さん!!!」


 しまった!


 「大丈夫。寝ているだけだから」


 取り敢えず安心させる為に言ったが、その保証が無いのを私が誰よりも知っている。


 「龍也、少し静かにしておいてくれる?」


 ここは龍也以上に集中が必要だ。


 動揺している龍也は頷いてはくれなかったが仕方なかった。時間は無限では無い。


 覚悟を決めて龍也に背中を向け、母親に身体を向けた。


 「怖くないから…」


 こんな姉を怖がらないで。それは言葉にしなかった。


 


 

 

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