第58話 お母さん、私の名前を呼んで
こんな姿、一生見せないつもりだった。
どうしてかこうなってしまった。
墓場まで羽を広げずにいる予定だったのに。
死ぬ時だけ羽があれば良かったのに。
今を生きる龍也とこの空間の陣地を保っている床。
いつも何か意識する事もなく踏んでいた床だが、今は手が触れるだけで私を除け者扱いし、祓うような結界を感じてしまう。
私にはこの場所が似合わないらしい。
そう、落ち着かなかったんだよ。
心を解きほぐして寝ることができなかった。身を預けられなかった。
凍りつくように全身が緊張していた。
それを決してあなたたちが心を許してくれなかったからなんて思ってはいない。
ただ、私が慣れることができなかっただけだ。
「はぁ。さて」
母親の呪いをどこから祓おうか。
まずはどんな空間を作り上げるかだ。
掟は決して姿を
前項の弱い力には今回当てはまらない。
後項には当てはまるが、ここにいるのは私と母だけではない。
目を覚ました龍也がいる。
跡形もなく力の存在を消し去るのは無理だ。
記憶操作の手もあるが、アイツの力を借りるなど言語道断。
それにこれ以上、記憶と心のズレを生むのは可哀想過ぎる。それだけは避けたい。
龍也を後に目覚めさせる選択肢もあったが、軽い症状から手を付けたかった。
偶然にも上手くいき自然に体が動いてはくれたものの、私には後遺症を残さず目を覚まさせる自信がなかった。
失敗する不安はそこまで無かったが、仮に失敗してもこれくらいの術なら多少の事で済む。
掛け方としては初歩的で、脳に催眠術のように眠らせる指令を働かせるだけだ。
これはどちらかと言うと、きっかけさせ生んでしまえば後は合図に合わせて脳が働き瞼を閉じる。
つまりは記憶操作を術から働きかけている訳ではない。
例え術の元がズレていたとしても催眠をすっきり取れないだけだ。言ってしまえばやり直せばいいし、症状としては寝起きが悪い程度の違和感。
直に脳が普段通りの働きを取り戻し、違和感もなくなる。
そう分かってはいつつも、やはり不安だった。
もし見当違いだった場合、取り返しがつかないし、それが母でなってしまった場合はどうなってしまうのか予想が立たなかった。
だから龍也からの方が怖がらずに力を使う事ができた。だが今度は。
「ふぅーーーーー」
己を落ち着かせ、空間の入り口を間違えてしまわないようにスイッチをいれた。
丹田に力を込め呼吸を繰り返す。
しかし、緊張しているせいか喉から鎖骨の辺りにしか空気が入ってこない。
体がガチガチに固まり取り込む余地がない。
いくら術と言っても、イメージが大切。
自分の世界を生み出すにはそれなりに脳を活性化させる必要がある。
その準備に呼吸は欠かせない。それに異場所を作り上げ、そこに入り込むのだ。
普段の脳みその働きではとてもじゃないが追いつかないし、集中が切れて途中で終わってしまう。
それが後遺症を引き起こしてしまうかもしれない。
今のうちにあらゆる可能性を想定しておく。失敗してはならない。
わたしには責任がある。母親に、実の母に言霊をかけてしまった責任が。
いや、ごめん。これは呪いになるのかもしれない。
私の都合でかけてしまったものだ。申し訳ない。
せめて無事に目を覚まさせたい。
何故これほど意識が乗らないのか。
それは、知っているからだ。
同じ事をしたアイツとその母親が辿った末路を。
去っていく姿まで、知っているからだ。
悲しい夜に消えていく姿を知っているからだ。
愛している人をどこかへ行かせてしまう。かけがえのない存在に、一瞬腹が立っただけだったのに。
あの子は二度と会えないようにされてしまった。
可哀想に。
姿を消しゆく母をあの子はどんな思いで見つめていたのだろうか。
手を目一杯伸ばした筈なのに、届かないなんて。
そんな思い…私は感じたくない!
そうはさせない。そんな目には遭わせないから!
心が怯えだしてきた。
流れ込むように感じてしまう。
その子の、悲しく辛く、消えてしまいたいくらいに自分を責める気持ちが。
痛いほどに。
暗闇に捨てられてしまったかのように怯えている気持ちが。
「はぁーーっ、辛い」
思わず吐いてしまった。
なんて愚かな子なんだ。
だが、その子の過ちを知っておきながら、そこまでの運命を自分で作り上げた私の方が愚かだ。
「神様…」
自然。どうか、力をくれますか?
「すぅーーーーー、はぁーーーーー」
鼻から空気を吸って、口で吐く。
あら?ほのかに木の香りと花の香り。
覚醒した
私の後ろには味方がいる。背中の向こうには青々とした命が輝いている。
ありがとう。そして、
「頼む」
言霊を、作った。
目を閉じた瞬間、その空間には時間も現実も流れなかった。
私のだけの空間に移り、壁も床も消え去った。
初夏の風が通る。暖かい日差しがさす。
風の音、空気の音、光の音、木の葉の音。
そして、鈴音。
体が脱力しとろけてしまいそうになる。
まるで水のように形を保つ事が出来ないほど力と意識が抜け落ちていく。
自分が消えかけ、透明になる寸前、そう、その寸前。
「お姉ちゃん!!!」
大丈夫だから…。
心配しないで。
信じる、私を信じて!
わたし!!!!
ちりーーーん、ちりーーーん
いつもより優しく重なり合う音でありながら、いつもより力強かった。
重なっていくように目の裏に鈴が何個も揺れている。
揺れに合わせて鳴る音。健やかな音色。
どこまでも遠くに届けるように。
どこにいるか分からないくらい遠くにいる人にも聞こえてしまうような。
お母さん、お母さん…
どこなの。どこにいるの。
お母さん、お母さん。
嫌だ、私いつもひとりぼっち。お母さんの横にいつもいない。
こんな時なのに、お母さんの背中しか浮かばないよ。
どこにも行かないで。お母さん。
せめて背中にでも、私のこの手が届け!!
見えない床が近づく。
お母さん!お母さん!!
早く!現実はもう目の前に来ているんだ!
起きて!お母さん!お願いっ!!
「私を……」
お母さん。
「呼んで……」
『鈴音』
「……。」
『大好きだよ』
「…っ!!」
「紫華!輝くは一輪の華、風にのりここへ運び給え!」
「お母さーーーーん!!!!」
私の側にいて。帰ろ。
もう離さない。ごめんね、ごめんね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます