第55話 スミキリ

 「帰ろ、お父さん」


 「あ、あぁ」


 差し伸べた手に直彦は恐る恐る手を伸ばした。


 夢の中では地獄に誘う悪魔のようだった娘がまだ頭に残っているようだ。


 今、この精一杯の笑顔をあなたは苦しそうに見えないんだね。


 悪魔を隠し通す為に、どれだけの怨みを抑え込んでいるか。


 どれだけ、あんたの事で心が葛藤に揉まれているか。


 ぐちゃぐちゃになっているのか。


 そうさせたのが例えお前だとしても、中身は人間だというのに…!


 人間を怯えさせてしまったらそれは怖い悪魔なのかい。おとう…ッチ


 「考えては、だめだ」


 「え…」


 「すぅーー、はぁーー。何でもない」


 「鈴音、お前」


 「……」


 日が、沈んだ。


 「俺の事、嫌いか?」


 「ック!!!」


 コイツ…!まだ優しい香りで落ち着いていたのに、日が沈み夜姫さんの術が解けた瞬間に腹立たしい言葉を言い放ちやがって!


 今、お前を殺さないのは夜姫さんの鎮まりの力のお陰なんだぞ。


 それを、解かれた瞬間に人の一生に生まれのしないような怒りを呼び起こしやがって。


 殺すなと足止めされているこちらの身にもなれよ!


 それとも、わざとか!?わざとそんな人を腹立たせて言っているのか!


 折角隠している悪魔の顔を晒して欲しいのか!この鈍感野郎…。


 「…コロスゾ」


 「ひぃ!!」


 何だよ、怯えんのかよ。


 本当に何なんだコイツ。


 このまま二人で真面目に話していると本気で疲れる。悪魔と天使の入れ替わりをひたすらに繰り返して何の意味があるんだ。


 しかもこの頭の悪い奴の為に。


 良い子ちゃんだって機嫌ってもんがあるだろ。


 「本当、容赦ないな」


 舌打ち混じりに吐き捨てて帰り道へ歩いた。


 仁さん曰く、私はあまり覚えていないがコイツに渾身の術をかけたらしい。心が割れてしまうような。


 見ている側からヒヤヒヤしたと言われたからこうして目を覚ますのを待って、一緒に帰ろうとしたのに。


 「最初っから置いてこれば良かった」


 いつか、絶対コイツに悪魔で真っ向勝負してやる。


 ビビリ散らかして、そのまま死ね。


 なんてな。


 「鈴音!待ってくれ」


 この空間はあまり良くない。


 いつも色んな私が見え隠れしてくる。


 多重人格のような。


 フラッシュバックしてくるような。


 それも誰かと一緒に居る時だけ。


 今も悪魔の私と優しい私が頭の中で入れ替わり立ち替わりで、もう鬱陶しいったらありゃしない。


 この場所は本当に不思議だ。


 それに、どれも試練のように感じるんだ。


 まるでお母さんが見守ってくれているような。


 だから離れられないし期待に応えたくなる。


 強くなれと、空気の重さが違うのだ。


 でも偶に一人で来ると、時には休まれと言わんばかりに優しい風を吹かせる。


 ここは、私の心をそのまま映し出してくれるようでならない。


 だから、一人でいたい。


 ここを踏みにじるような奴はとことん許せないんだよ!


 悪口を言われようが、貶されようが別に構わない。


 だが、ここを荒らすような真似をされては私は容赦しない。


 自分勝手に見えるかい?


 ちりーん


 『早く一緒になりたい』


 「いや、まだだね」


 「!!?」


 不意に誰かの声に応えてしまい慌てて口をおさえた。


 大丈夫だっただろうか。今、言霊は…


 「待ってくれ、鈴音。足に力が入らないんだ」


 足を引きずりながら歩く直彦がすぐ側にいた。


 なんだ、空耳か。


 コイツに肩を貸すのはな…


 サァーー


 夏の風が吹いた。この間とは随分違う風になったな。なら、いっか。


 もう夜だ。


 ちりーん


 「しー」


 「っ?」


 ゆっくりと瞼を閉じた。心を研ぎ澄ませ、耳をすませた。


 願い、揺らいだ。


 風に頼った。


 花の香りに心を託し、全身を空にして唱えた。


 「スミキリ、シカ」


 「っ!!!」


 風が音楽のようにピアニッシモの旋律からフォルテッシモへと変わった。


 それと同時に木が揺れ、神社全体に別の空気感が生まれた。


 私はその音を聞き、術をかけた本体の更に向こうが透けて見えているようだった。


 体は軽くなり、宙に浮かびそうになった。


 それは、直彦も同じだったらしい。


 「もう、歩けるか」


 「あ、あぁ。なんで…」


 こちらを不思議そうな目で見てきた。


 その初めて見たみたいな顔が憎たらしい。


 何も言わず私は歩き出した。


 そして鳥居を出た瞬間、自分のした事に震えが止まらなかった。


 


 


 





 


 


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