第54話 真っ白な空

 「私、名前が二つあった」


 「どういうこと?」


 「誰かが教えてくれました。私のもう一つの名前」


 「もう一つの名前?」


 「はい」


 「それは、何だ」


 「その前に、仁さん」


 「ん?どうした」


 「一つ答えていただきたい事があるんです」


 「答える?」


 「はい」


 「…何だ」


 「どうして私に鈴音という名を付けたのですか」


 「…」


 「すずちゃん?」


 あ、え。思っていた反応と違った。


 二人とも心当たりが無いような表現をしている。


 もしかして、忘れた、、?


 死んだら忘れてしまうのですか。


 「すずちゃん、それってどういう事?」


 どういう事も何も、こういう事。


 「え…」


 「鈴音、誰がお前に名前を付けたのか知らされていないのか」


 「いや、だから、仁さんが私の名付け親だって」


 二人は黙って顔を見合わせた。


 どうして私の人生はこうも難しいのだろうか。


 私の知らない事ばかり。それも自分の事なのに。


 こんなに無自覚で無意識に何年も生きてきたのか。


 そんな人いるだろうか。


 ふと、わたしの人生を振り返ったが、蘇る景色が一つも無かった。


 ただ真っ白な空に真っ直ぐ延びていく道しか見えなかった。


 明るく爽やかな景色なだけ素敵か。


 それが、天国にも見えてしまうけど。


 生きて…いたよね?


 「鈴音。お前の名前を付けたのは私ではない」


 パキン


 背後の木の枝が折れた。


 どこの木のどの枝かは分からないが、その音は私にしっくり当てはまった。


 「どういう事ですか」


 何故、これだけ嘘が重なったのか。


 まるで私の存在を掻き消そうとしたり、時代に同化させて目立たなくさせようとしたりしているかの様だ。


 呪い、願い、名前。


 これで私が完成しているようだ。


 命も捨てたくなるだろう。自分を見失うだろう。


 分からなくなるだろう。


 「じゃあ、誰が」


 「…それは」


 鈴音、この名前には数多の事情の下生まれたようだ。


 人の感情がウヨウヨうごめいているのが見える。


 それも決して良い感情ではない。


 焦り、悲しみ、苦しみ、怒り、そして


 “秘密”


 「教えて下さい。誰ですか、私に名前を付けたのは」


 「…」


 仁さんだから、仁さんが付けてくれていたと信じていたから、この名前に見え隠れする怖さを封じ込め、気付かないようにしていた。


 名前を付けるのに失敗したなんて事もある。


 その子をほんの一部しか見ていないのに、その子の大きな要素を決めるのだから、必ずしも最も良い名前を付けられるとは思っていない。


 ましてや霊能力者の仁さんだ。


 私が感覚に捉われていて本来の良さに気付いていなかったのかもしれない。


 そう、思い込ませてきた。


 だからまだ持てた。この名前を。


 仁さんじゃないならもう誰でも良い。


 仁さんだから欠片でも好きだったのに。


 違うならもう誰でも良い。どうせ、父か母だろう。


 もう別に驚かない。ショックが上回るさ。


 「知っているのなら教えて下さい」


 大っ嫌いな父と言われてもいいさ。その後の手段はいく通りもある。


 「教えて下さい」


 「……」


 「……」


 「


 「っ!!」

 

 何だと…ッ。


 あの日の、あの人…


 何故か心に噴火直前のマグマのような苛立ちが込み上げてきた。


 グッと拳を握り、怒り震える身体を抑える。


 「…何故これも伝えていなかったのか」


 そう言うと、仁さんは横たわる直彦に目線をやった。


 いつまで寝ているんだコイツは。


 またコイツの仕業かッ!


 「ふぅーーーーーー」


 暴れてしまいそうな自分を深い呼吸で抑え込んだ。


 そして何故だかその律子という奴に腹が立つ。


 たった一度しか会っていないのに。


 そういえばあの人普通じゃなかった。


 まるで風を操っていたかのように風を呼び、消えるように去っていった。


 いや、完全に消えた。


 あの人も幽霊なのか?それとも本当に強い力の持ち主なのか?


 どちらにせよその人が私の名付け親。


 私の秘密を知る重要人物だ。そして、どういう訳か血が脈々と心臓に流れ込むほど苛立ちを呼び覚ます人物だ。


 今、一気に会いたくなった。


 「鈴音、さっき言っていたもう一つの名前とは何だ」


 「暗闇で声がしたんです。貴方の名前は“紫華”だって」


 「紫華…」


 「はい。まだよく分かりませんがこの名前を聞いたおかげでここに戻ってこれた気がします。そして何より自分にぴったりくる」


 「しか……」


 静かだった神社にカラスが鳴き出した。


 「そうか、取り敢えず今日はこのまま帰りなさい。明日またその事について話そう」


 「…はい」


 「鈴音、すまないがこいつを家まで頼む」


 「…はい」


 手が掛かる。


 「それに悪いが直彦と接する時は何も無かったかのようにいてくれ。またこいつに面倒な事を起こされては話が振り出しに戻る。鈴音、どちらの名も大切に持っておくんだよ」

 

 「…」


 どちらの名も。どちらの、名も。


 「はい」


 「もう少しで日没だ。日の沈みに合わせて夜姫の術が解ける。目が覚めるだろうから自然に接するんだ」


 「仁さん、記憶は大丈夫でしょうか」


 「大丈夫だろう。鈴音があれだけ消そうとしたからな。もう殆ど覚えていないはずだ。それに覚えていたとしても、これだけ日が落ちているんだ。長い夢だと思うさ」


 「なるほど。そうですね。では、私達は先に消えますか」


 「消える?」


 「あ、いや、仁さんは!私は家に帰ります」


 「…?」


 言葉に若干の違和感があったような。いや、まあ間違える事はあるか。


 「そうだな、ややこしくなる前に姿を消しておこう」


 「そ、そうですね」


 「では鈴音、後は頼んだぞ」


 「はい、さようなら」


 「おやすみ、すずちゃん」


 「おやすみなさい」


 鳥居に向かう夜姫さんにお辞儀をして見送り、その後に仁さんが姿を消した。


 「穏便に…」


 溜息が溢れた。あの二人は勿論昔から知っているから安心する。


 だが、それと同時に相反する緊張もする。


 仁さんの振り出しにしないようにという言葉が何度も頭で繰り返される。


 「簡単さ、結局。いつもやっている事だ」


 日はゆっくり、でも規則正しく沈んだ。


 空をやや紫色にして光の姿は消えていった。


 青と紫とオレンジ色の空。


 この世界は美しい。


 広がっているんだよね。この景色は誰でも見れるんだよね。


 いつでも会えるんだよね。


 「みんな、大好きだよ」


 自然を見るといつもそう言ってしまう。


 ありがとうって心から思う。


 「んん、っあーー」


 「はぁっ」


 覚ましたか。


 どうやら美しいものを観るのには時間が決められているようだ。


 「あれ?俺こんな所で寝てたのか?」


 穏便に。


 「鈴音…」


 私の顔を見て若干退いた。


 どうやら私がコイツを消そうとした記憶が残っているらしい。


 悪い夢だった、そう思わせるのが一番の方法。


 悪く思うなよ?今だけ優しい天使になってやる。


 全て知っている上で、な?


 「お父さん、大丈夫?」


 「あ、あぁ。何かすまなかった。こんな所で寝てしまって」


 「全然いいよ。ほら、帰ろ」


 笑顔、優しい笑顔だよ。


 そっと直彦に手を差し伸べた。


 ほら、この柔らかい夕方の光は私を穏やかに映すでしょ?


 凄い魔法じゃない?だからお礼を言わざるを得ないの。


 最高の善人にしてくれているのだから。

 

 この得体の知れない言霊を司る怖い少女をね。



 

 


 









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