第52話 心臓は軽くないから

 「すずちゃんも、少しずつ気づいているかもしれないけど」


 優しい声が小さく、霞みながら聞こえた。


 「あなたの中に感情が蘇り始めているわ」


 「感情…」


 「そうよ、これはあなただから感じるの。その感覚、大切にして欲しい」


 「はい」


 自分でも驚くほど素直だ。


 「感情って、とても大切な宝物だと思わない?」


 宝物…


 「ええ。これが無いと乏しい。まるで生きた心地がしない」


 「はい」


 「それなのに、こんなに生きて、大きくなって。私はすずちゃんが誇らしいよ」


 そんなに…褒めないで


 「そんなすずちゃんを置いて。私は一人で逃げ出して…」


 夜姫さん…泣いてるの…


 「ごめんねっ」


 「夜姫…さん」


 「あなたを、たった一人にして…本当にごめんなさいっ!」


 いいよ…


 夜姫さんは私を強く、強く握りしめてくれた。


 離れて欲しくない。その気持ちが伝わったかのように。

 

 というより、夜姫さんの方がその気持ちが強かったように。


 よっぽどの後悔が伝わる。


 これは、私ではなく夜姫さんの感情。


 人はこれだけの熱を持っているのか。


 私の中には存在しない熱い思いが、夜姫さんにはあった。


 「もう、いいよ」


 そんなに、泣かないでよ。


 今ここに居てくれてる。それで充分だよ。


 「……」


 もうどこかに行ってしまわない、ならいいんだ。


 「…すずちゃん…」


 「泣かないで、もう大丈夫だよ」


 「…はっ……」


 だって、私今すっごく嬉しいんだもん。


 「…すずちゃん……」


 ありがとう。私にもう一度会いに来てくれて。


 そよぐ風に夜姫さんの香り。


 懐かしさがぽっと現れた。


 ロウソクの火が灯ったように、柔らかい光が私の奥に現れた。


 これを喜びと感じているよ。安心と感じているよ。


 今は決して不幸じゃない。


 そうでしょ?


 そこで、ロウソクを眺めている私よ。


 もっと笑えばいいのに。


 何で?暗闇に灯りがついたんだよ。


 ねえ、何で。


 何でそんな、怖い顔…


 してるの。


 


 「…!!」


 「鈴音!」


 「すずちゃん!」


 「っ!!」


 「大丈夫…?」


 「え?う、うん」


 心配そうに私の顔を見て、夜姫さんは仁さんの方を見た。


 「ごめんなさい。大丈夫だから」


 「…何かあるのか」


 「無いです、すいません」


 「……」


 言葉に、したくない。


 「あ、ねぇすずちゃん?」


 「??」


 「お父さんを引き連れて行った時、何か気づかなかった?」


 「え?」


 「いや、いつもと違った感じがしたの」


 「…」


 「なんだか初めて本当のすずちゃんのオーラが見えた気がして…」


 「……え?」


 「あれ。気のせいかな」


 「いや、私も感じた。内に閉じこもっていたものが表に現れたような気が。お前が本来の姿を包み隠さず外に出したような」


 「そう!そうなんです!私もそれを感じて」


 「っていうか、私何してました?」


 「え?覚えてないの?」


 「あれ?私何してた?ってか、お父さんなんでここにいるの?」


 「あらぁ。自覚なしか…」


 「もしかして、これ私が!?」


 「ううん!違うよ。眠らせたのは私。癒しの香りで眠らせただけよ」


 「あ…そうなんですか」


 「でもここにお父さんを運んだのはすずちゃんよ」


 「…」


 「すずちゃん、あなた気をしっかり持った方がいい。お父さんと一緒に地獄に行こうとしてたから」


 「…え?」


 「すずちゃんに蘇ってきた感情の中で、今一番大きいのは憎しみや復讐よ。それに身を任せて理性を失ってしまっている」


 「…」


 「人の中には数多くの感情が存在する。名前のある物、はっきりとした物、原因がわかる物、生まれた場所がわかる物、何がなんだかわからない物。これらのバランスが、あるいは追いつかない程の感情で手足が止まる事があるの。でも今のすずちゃんには、ある一片の感情しかない。それに走ってしまっては危険。だから確かな自分を持って」


 そんな、確かな自分ってなに。


 「今はまだよ!あなたの力はそんな使い方じゃない。自分を知らないまま死ぬなんて二度としないで。あなたの命を軽はずみに捨てるなんて事、もう二度と考えないで。例えそれが復讐の相手を道連れにできる手段だとしても」


 「……」


 「この際はっきり言うわ。あなたの父親は私は嫌いよ。何故ならすずちゃんに酷い事をしてきたから。私はそれを知っていたから。すずちゃんだけでなく、たくさんの人を傷つけてきた事も許せない。でもだからって直彦さんが罰を受けるためにすずちゃんが犠牲になるならそれこそ望まない結果だわ?そんな事になるくらいなら私が一発殴るだけで済ませる。それで許す。すずちゃんが生きているならそれに越した事はないの」


 「……。」


 そんなにハッキリ。


 「夜姫…」


 「あなた一人で解決しようなんて無理よ。今回みたいな事がまた起きようものなら私が絶対に止める」


 「夜姫さん」


 「ねぇ、すずちゃんは自分の事、嫌い?」


 「…」


 「嫌いに、ならないで」


 「……」


 「まだ、完成してないんだよ?」


 完成、していない。


 「だから未熟で当たり前。何もできない子だとはならないで。見つけれていないだけなんだから」


 優しいな。


 「ね?自分、捨てちゃダメだよ?」


 「…はい」


 ありがとう。


 そっか、平気で捨てられるくらいの感覚で自分の心臓を持っていたんだ。


 「うん。良かった。これから探していこ」


 ぐっと、自分の心臓が重くなった。











 











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