第5章 2022令和四年 生き延び作戦? その6 晴、時には??

紫がかった世界への移行

2022-05-18


いよいよだ。

明日9時から左眼にレンズが入る、錐子オババのサイボーグ仕様ステップ1

(誠にこの身のありがたさ、苦痛のみの生活を強いられているひと、どれだけ居ることだろう)


医者のアルカイックな笑い:

それを何度も思い出して錐子オババのクスクス笑いがまだ続いていた。

右眼の手術が始まった時

木曜日は手術集中の日とあって、名札が20くらい貼ってある。年寄りと言ってもいいほどの痩身の医者だった。

ふと錐子オババに懸念が湧く。大丈夫かなと。


とりあえず眼に麻酔をするための麻酔で眠らされ、目覚めると半透明の布で顔が包まれていた。

辛うじて真上に手術用のライトがあるのを見た。医者の影が現れたので、「とてもよく眠れました」と無用に報告してみる。


意識下で行います とか聞こえたような気がする。


その後に、医師は1章節分くらい鼻歌を歌った。♪♫

如何にも、さあやろう楽しいな、とでもいうような。😅

錐子オババはほっとする。これなら大丈夫だろうと。


持って生まれた水晶体が破壊されているらしい、

なぜかポツ ポツ ポツ、みたいな軽い機械音がその時聞こえた。

ちょっと笑いたくなる感じで。😅

錐子オババ、そのついでに思い出す、すでに手術された女性が一人語りしたのだが、「私がさ、喋り倒していたので、言われちゃった、これからはもうお喋りしないで動かないでって、ハハハ」😅



そんな愉快な洗礼を受けた予後のこの日々に、

錐子オババの世界はどうも紫ががった日々になるらしいと思われてきた。


向いのシニアマンションの窓ガラスが、光を反射していると紫色になる。

左眼ではただのガラスである。

朱色の服が牡丹色に変化した。普通に紫色の布が鮮烈な紫を示す。


色の円環の基準になるという黄色はどうかと見ると、新しい色は明るい、従来の眼では黄金色みたいだ。


そう言えば、黄色に関して偶然に知ったこと:

幻像世界でも光には黄色の周波数が存在する、しかし人類には黄色の視覚細胞ない! 赤青緑の細胞のみ。

そこで赤と緑という変な取り合わせを、左右の眼で別々に見させると、なんと脳はそれを黄色と認識する、そう見えることにする?


ということは、

黄色の光線の補色(青紫)がたまたまある花に当たり

吸収されてしまい反射できない場合、

残りの反射された色のうち赤と緑を別々の目で見て、混合させて、

この花を、黄色であると認識認定するとか???

(つまり、物の色が人間に認識される機構ね、吸収された色の補色が見える、という謎の仕組みがあるから? どの程度正しいか全く自信はないんだけど)


高齢のせいか、予後にはしかし問題はあった。

ドライアイのせいかもしれないがヒリヒリが続いた。傷が残っている感じで。

ほとんど2週間になるというのに、治りが遅いのではないだろうかと

錐子オババは昨夜、不安になっていた。真夜中にピリピリとした。


しかしそれを最後に、ヒーリングが成ったようだった。😅

ヒーリングというのは眠る時に神さんによろしく〜と信じておいたからである。



さて朝が来て:

(天国散歩としようか、薬局に行きがてら)

「睡眠薬を買ってきてー」「あいよ」と愛想のいい返事。

(この前だけど、神さんに愚痴をこぼしていたらさ、JBの三悪ホント許しがたい、のほほんと天国暮らし、なんとかできませんかそろそろ!

返事即答 『そなたも悪事を許してもらったじゃない? どうして彼も許されないことがあろう!』だって。

なるほどね、理由は簡単、まぼろしだから、人間の強欲ですら、、、それが究極の真実、、、というわけ、、、

なんとなく、そうかもねと思えるけれども。。。)



外はニセアカシア(ドイツではアカシア)の花盛り

川のほとりに出てみたら、アカシアの林あり

白い花穂 ゆさゆさと並んで風を弄ぶ

5.6メートルもの大木が皐月の光を喜びて

食べて美味 薫香ただよう この今に

理由もなきに誘われて 惑いて歩く 

明日の世は紫がかる





じゃ、相対的でない幸せと充足はどこに?

2022-05-26


本日は 0526木曜日

昨日はついに、紫の世界の謎が一面ではあるが、確定した。

錐子オババの透明レンズ獲得以来の新世界:

もちろん空気まで明るく透明、ただ紫あるいは青を 強烈に認識しているらしく、

いくつかの衣類は新品をもらったかのようで、うっとりするほど

あれこれの菫色に輝いている。

(朝日のあたる浴室に足を踏み入れると、まるでスポットライトを浴びたかのよう、経験はないけどね)


昨日というのは手術1週間後の検査日:

錐子オババは満を辞して質問を医師にぶつけた。

「脳の仕業ですよ、半年くらいで消えます。人によっては左右で緑と赤なんてのもあります。脳っておかしなことをするものです」

「脳はおかしなことをする、ですか」

検査台に顎を乗せた錐子オババは可笑しくなり、自分がその言葉を繰り返すのを止められず、それがまた可笑しかった。😅😅

しまった、それでその詳しい仕組みをもっと追求するのを忘れたのであった。

(これじゃ答えの表面だけだわ、まあ方向性はわかったけど)



そして今朝:

雲間の太陽に勝手に話しかけている時、命題が与えられた。

「他のどこに相対的でない幸せと充足がある? それはいわゆる神霊の領域にのみ属する」みたいな内容の。

心を開いて自由瞑想するのは結構面白くて、

冬が過ぎて太陽の日々になってから、錐子オババの新たな楽しみになっている。


そう言えば、快晴だった昨日の朝の自由瞑想では心の赴くままに、

心の中で大声で叫んでいた、突発的に。


「(人の名)の実相は完全円満金剛心身!!!」

「(もう一人の名)の実相は完全円満金剛心身!!!」

「(息子たちの名)の実相は完全円満金剛心身!!!」

そしてけろっとしてプロテイン飲料をゴクゴクと飲み干し、舌舐めずりをした。

これも部屋に満ちる日光の迫力のおかげであろう。

ここにJBの名も入れるべきだったのだろうが。😅


そのまた前日の23日には:

錐子オババの最も深い願い(幸せと充足の)が表現が生まれてきた、遅まきながら。 

全ての人に(or一人でも)しかるべく尊ばれ尊敬され愛され、根本的に必要とされること、

そんな風な表現が可能になって錐子オババは多いに驚いたものだ。しかしまあ、あたってるかなとも思うのであった。

(その後間も無く、ちょっと喋ったどこかの老婆・同年齢が、じゃ、と別れようとすると急に、ちょっと、と両腕を広げてハグの準備をした、そして実際にしっかり抱きしめてくれた、可愛い人ね、と言って。😅 ありえない展開ではあった😅)



さて例によって、現在時点から始めた記事、備忘録の部分に戻ろう。

左眼の手術日から、

5月19日木曜日

(錐子オババの内面:

医師や看護師に世話されてみて、手術後に想像してみたんだけど、これが死ぬ時だったらと!

「楽しみで仕方がない、あちらの世にやっと行くことが出来て全てを知り、全一なる者に触れることができる!」

その時、大きな激しい切なる神の愛を感じた、感動して涙を流した、その嬉しさはさらに続いた、

これが私の本心だ 神の方からの愛だ それを感じるなんて実はおかしいのだが、それが事実であった、その感動! 

もちろんお返しのこちらの愛はあるのが感じる、これまた不思議な方向の愛だ

人間の意識にとって、どうして想像を絶する存在を愛すると感じるのか、

ありえないはずだが、

ただ自分が不思議な大きな愛で愛されやまないことはわかる、

それは信じた方がいい。


世界の人々に次ぐ あたしは年寄りでぼんやりおっちょこちょい者、

何と言って 特に人の役に立つという性質もないのだけど

ただ1つ得意なのは 世界の人々みんなを愛することができる 

たとえわがままで自己中でごうつくばりで意地悪であっても愛を注ぐことができる なぜなら私自身に大いなる上からの愛が流れ込んでくるから 

そしてまた人々の全ての行動とあり方は あたしの?幻に過ぎないから

まあ、形而上的愛ではあるのかな)



さてさて、そろそろですね、うっかり錐子です。

0521 またもややらかした、デジタル詐欺に引っかかりました!

題して、「またそろそろ人間意識による・負の想念・創造行為 <光の影にすぎないのに」

幻の・人間文明技術の進化により・無事に紫がかった世界へ移行したけれど

おまけ付き、あれやこれやの理由からひょっとして、手術の傷の回復が遅れているかとやや心配していたのですけど、

充血、ヒリヒリ、などそれはまさに熱心に点眼している抗感染目薬の副作用であるので、

やめたらやがて治る、のでっすて。先にいってくれたらいいのにねっ!


そこへすでに影が生じていました。去年に続き、光の季節には影も強いのか??

NTTに当たるようなテレコムという電話会社のSNSに、フィッシングらしいお知らせが紛れ込んできていた。

あたし「切っ先なまった錐子」、変だなと思ったのに脅し文句に影響され、メルアドを通知してしまったのです。考えてみればいつものポカ。


一時パニックに:

1、しかし神さんを思い出した、何が起こっても大丈夫ですよね、勿論、この信頼が大事。😅

2、ホットラインがあるのは知っていた、そのナンバーはJBの部屋で見た、しかし顧客番号が必要でそれはどこに?

あちこち可能性を探す、その最後にテレコムのマゼンダ色の紙挟みが目に止まった。顧客番号確保。😅

3、そのマップに様々入っているチラシが目に止まった、偶然手にしていたのはまさに専門的ヘルプのもの。去年の騒動を解決してくれたっけ。

その特別番号に電話、土曜日なのに素早く人間が電話口に。😅

4、しかし、顧客番号とIBANの下数桁を言え、と。わー。

しかし、目の前にJB宛の銀行書類がちょうど見えた。

あった、あった、必要な数字を言い当てることができた。それで対話成立。😅


その後、遠隔捜査でこちらの画面を動かし、スパムなどスキャンするも感染なし、とか。そのSNSやメールなどは無視すること。

その後でわかったお笑い種:

x散々使っている画面入力番号に自信をなくし、何度も失敗する

xあまり使わない管理者情報は何とかクリアできたものの、その後電話機を逆さまに耳に当てていた

x感染はありません、という文にnicht(=not)が入ってるかどうかが判別できなくなったり、

まあ、結果は許容範囲でありました。

この間にやはり肝心なところで必要な情報が与えられたこと、それを認め感謝することが最も大切なのだろうというので、備忘録として残しておく次第であります。敬白



緊急情報

*宇宙を作り、我らを生かす光というもの

太陽内の核融合により発生した熱光電磁波エネルギー?? つまり光

の構造の専門的な説明のブログを 錐子オババの不手際で示すことができません。

結論のみ、

千年もかかって太陽の表面にたどり着いた光のうち、強力危険な部分は消えてしまい、

地球に来るのは、何と可視光線+赤外線+紫外線の一部 のみ。

(太陽光、よほどの手に負えないやつだと思っていたけど)


*宇宙全体にエントロピーの増大と言う

錐子オババ には理解不能な現象があるそうだが、

要するに核心は、この自動崩壊システムに逆らうような別の動き 

つまり自動組織化、生命の生成システムが働いている 

あるいはそんな意思意識がある、だからこの宇宙が存在している。

*そのことは、定数の不思議とも関連がある。

色々の物理法則に変な定数が必要だというのだが、それが厳密に必要不可欠な数字であるとか。つまりこの物質世界、我々が生存するためのぴったりの。

少しでもズレていたらアウト。これらの見方は人間原理とか呼ばれているようだ。


以下はどうでもいい妄想的疑問:

(*物理学全般に、幻像世界であるゆえに数式が通用しない、ずれる、意外、理解不能という現象が見られて、手をこまねているのではないだろうか。

*物に吸収された色は当然目には見えないので、その補色を思い描くなんてすごい技だわ。ある時、あたしが日光に当たっていたら真っ黄色のまぶたの裏であった。

しかし次に真っ赤な世界、次に緑の世界が目の裏を覆った。つまり合わせて黄色である。しかしその時は太陽から直接来る光で、物に当たって反射して失われた色はないはずだが。

そう言えばうっかり太陽をちらと見てしまったり眩しいものを見た後、目に執拗に映るあの色はどうしたものだろう。

鏡面は吸収しなくてもろに反射する? などなど)


*******

0521  乱風に大樹揺すられアカシアの薫風地に満つ 花盛りなり

美々しくも万朶の色の光あり 人の子死すとも聖なる五月

流れ去る時の全てにこびりつく命の苦悩のせめて薄らへ

0522 光きて総天然色の視界得る われらの生きる誤謬の美し

.........





人知を超えたことばかりだろう

2022-06-03


残念ながら、知能及ばず、老化せる脳神経を以てしては混乱するばかり。

しかし何とか自分の考えを整理整頓して、、、


ちょっとその前に、あたしお得意の?ジャブをかまして:😅


最近特に困っていたのはこの疑問だった。それを短歌で表現したのが笑えるが。😅


「0513 大いなる宇宙相手に一人芝居 唯我ばかりじゃ寂し馬鹿らし」


無限の聖霊(なんとでも名付けられるが)エネルギーの・無限の可能性を体現したこの物質世界(言葉の最大の意味において認めざるを得ない言い方)の

羽虫から人類まで、唯一唯我の独尊ではある。


この独尊さんが生成する波動が他の全てを存在させしめ、自在に操る。

(これが量子力学〜引き寄せ可能性というつながり主張の原因であり結果であるらしい)

何故なら量子場では、素粒子は粒であり波動であり、この肉体もそれからできているので、波動を発生しているから。


でもそうすると他の存在、例えば他の人間は私の仮想なのか、それとも仮想なりにその人としての実在なのか。

答え:社会や世界や自然や、それらも私の波動が作った一時の仮想状態であろう。そうなるはずだ。

他の人たちの意図や感情は波動は、それはそれで彼ら独自の別個のワールドを作るのか?


ここまで考えたら、寂しいなあと思えたのであった。バカらしくもある。

しかし、ここで神さんより一手を賜った:😅

0527

朝の瞑想で、実相ダイアモンド物質界から頭だけ出して、

あたしというダイアモンド独尊さんが想像していたんだけど・・・😅


(おそらく公式ばかりの?)実相物質に反射した光を受けて

・構築されたと想像した幻像界が、見る見る見えてくる。具体的な形を成して。

いくらか光の輝きは減少、いくらか歪みも出てくる、影が落ちている。

想像の中の人類の五感がこれらを感じている。


しかし、この時点では(?) 同じ前提のもとに、他の人間も全部存在し 世界の基本的な構成もちゃんとお互いに認識共有しているだろう。

ここが新しいアイデアであった。いわゆる集合意識のなせる技だな。

これならその後、パラレルワールドがあっても増えても構わないし そっくりそのまま自分の波長に合ったところに移動しても構わないだろう。 

この具体の宇宙と自然の姿、この見える世界の書き割り、背景の骨組みはやはり個々の人類だけの創作ではないのでしょうね、😅

神さん どうもでした。


実に!:

この現世は良いも悪いも、本当に実在するリアルなものと考えると、

こんな世界を製造した「神」は とても完全とは言えず 


原罪と善悪と 人の弱さや強欲、利己心と残虐さを混在化させ 

希求しながらも決して幸せではない生を送らせて 死を恐れさせ 

少なくとも進化の志はあるけれど、わずかでしかない。


「神」ないしは自然の法則により作られた宇宙法則は 確かに目を見張るような見事さではあるが

その結果はかなり無残な不幸な恐ろしい様相を見せる。

無用に生に執着しつつ 生を呪うであろうほどに。


そこで霊的な救済と合理を探して、カルマと言う仕組みを導入したりするが 

ひどすぎる状態であることに変わりはない。

そして霊魂だが、死後の世界にもそこに階級があると言うのは噴飯ものであるが 

これはまぁ我々の妄想なので仕方がない。

辻褄を合わせようとして作り上げた思いの世界?

神社や狐や竜や 天使、守護神 手放し 心理学的な分野 潜在意識 物理学引き寄せ 全てが我々の世界を理解しようとする行動であり その結果のもろもろ。もちろん種々の神はその最たるものだが 真実とは異なる。ただ、手段として役に立つこともあるのだろう。


真正の聖霊界、実相界はそんな差別などない あまねく苦悩とは関わりないのに、

これほどにこの世界に浸って生きている その凄まじさが今日初めてそら恐ろしいほどにわかった。

あたしの言い方によると、凄まじい幻像界に生きている。

しかし幻像界においても、救いを可能とする仕組みがあり、救いの行動をする人類も存在する。😅

リアルと思う現世はアンリアルである、幸いにも。。。😅


いずれにしろ、この見えていると思っている世界の・位置付け、解釈如何にかかわらず今や救いが必要である。



何度も何度も、考え直し、書き直している

「あたし独創の・莫大無限のエネルギー世界の・システム解明・試み」

人類が・肉薄してきた物理法則に則ろうとするので、

単純に禅的にありのままに見える世界を

アンリアルなるリアルと観じればいいものを


仮称聖霊界と

その鏡像である実相物質界を重ね、

その上に、その周囲に(あるいは内面かも?)幻像界を解釈設定しようとして四苦八苦。 


これらⅠ Ⅱ Ⅲ の層をまとめると、

Ⅰは Ⅱと、Ⅱは Ⅲと、3層ともわけがたく一であり、全である。


何故にこの苦労をするかというと、この可視世界があまりにバカらしいからである。生まれたくなかったほどだから。何かお遊びででもなければ酷すぎるからである。これはあたしの告発の書とも! (ひどいじゃないですか、神さん!)😅


もう一度!

仕組みと構造は:3層で考えることができる。

Ⅰ 製造者のエネルギーと意図。(人知を超える)

Ⅱ それを鏡像のように映し出した具体の神霊的完成形、質量物が微量使われている。(人知を超える)

Ⅲ 無限の光が質量と反応し、人類の脳内に映像を映し出す、

エネルギーと神霊のあらゆる可能性を具象した世界が出現する、

幻像として。(人知を超える)


この幻像界の中で、

人類は・神霊の可能性のあらゆることを想像し創出できるはずだが、

しかし完璧のシステムと真理を探しては、失敗もし、絶えず挑戦する。

主に自らの光学的エラーに翻弄されながら。


原罪、カルマ、生まれ変わり、生への執着、修行を基本的導線とし、

そのために性欲、怨念、愛着、暴力、殺人、罪悪感

など訳わからないままに巻き込まれ、

自然災害に出会い、時に協力し合い、

民主主義国家を営業し、国際平和を希求するものも多いが、

不公平な境遇のために種々の思い込みから逃れられずに、

ついには生存環境を破壊するまでになった。

人口の増加も課題となる。これが今日まで克服できなかった不幸の側面である。

(人知を超える、もう全てが限度ですよ!)


しかし、幸いにも:

もう一つの製造者のシステムがある。それは幻像人類との協力である。彼らの中に自由意志を発揮する者がある。 


発願、幻像界をより幸せに近いものにするという使命を帯びた者たち。

その働きで幻像生活もより面白く楽しく平和で充実したものになりうる。

それが製造者と被製造者の幻像世界完成形である。


実相界はそもそも完全であり、

その完成形をミラーリングするべく

真正の光と愛による公明化を、すなわちヒーリングに使うのである。

彼らは光使いの同志。


この同志たちが意図して、

この幻像の姿に取り入れ、お借りして そして放出する真正の光が

どこに当たるかはもうお任せである 。


その働きは光明化であるが 我々にとってはヒーリングである

地球の周囲にある負の想念の滞りをまず光明化して

全てをヒーリングする (時空を越えて)

それからライブのヒーリングに移る、 これはもちろん光明化だが、いわゆるヒーリングそのものと言うべきだろうか


幻像界では苦悩や負の想念があり それに惑わされて信じ込み その怨念が滞るのは理の当然である だがそれらは幻想なのであっという間に消える消滅する がしかし次のものが現れるのだ仕組みとしては。😅


人類そのものが進化してそれらに対処するのであるが ほどほどの苦悩に変化させるのであるが 

あまりひどいことになった場合 愛の光で助けが可能である、人類の手により、

神直接のヒーリングではない。😅

そこには、独尊さんの仕事として行うのに必要な慈悲の心がある 

製造者と被製造者に備わっているシステムの1つであるーーーーーー


〜〜なんて、ああ、頭悪い、あたし。

もっとすっきりまとめられないものか。神さん、助けて〜〜



********

0601 残骸の上に広がる皐月晴れ しらくも湧けど文明の末

振りかざす人の主張の強力(ごうりき)に圧し込められて論理形無し

..............




信仰 という言葉の記号論(発作的言動)

2022-06-04


この有象無象の 溢れてやまないこの世の事象、我々の感覚感情

もし言葉がなければ、これらの山をどう処置しよう??


見えているもの、感じている気持ち、欲しいもの

どう扱えばいいのか???


いつの間にか、それらを細かく切り分けて

ヤマ ミズ ノム オヤ コ

という記号をつけた  わかりやすくなった

その仕組みは次の2つのみ

それぞれに定義がある それが了解されている


これを言葉と言う。

今、

手っ取り早く「信仰」というものにとりかかろう

これが意外に大切なので

我々の気持ちの持ち方にとってはね


自分がいて

別に誰かがいて、それが大きく賢く力もち

彼を信仰して大丈夫かな、違いすぎるだろ、ただのパワフル?


自分がいて

他に誰もいない

あるのは自分と 自分を含む大きな存在、ありてあるもの

そこに含まれている自分 


この場合、彼を信仰(信頼して仰ぐ)するのは怖くないよね

彼を信仰するのではなく

彼と自分が一心同体だということを信仰するわけだよね


信仰という記号に

その対象のあり方に対してこんな条件をつけたら

なんとなく、安心の気持ちが湧いてくる

笑顔が自ずと広がる


だから親しくできるし甘えてもお願いしてもいい

日々お喋りして

いろいろな自分を見つけることもできる

そんな気がするけど


ま、基本のみだけど

いいの? こんなことで。

「いいよ」    ほっ





給食の思い出を教えて 戦後10年ごろ

2022-06-07


給食の思い出を教えて

0607火曜日

たまたまネタを見て

給食の思い出ならたくさん書きたいことがあると思って、70年前に戻った。😅


昭和27年、鹿児島の1年生だった。

記憶にあるのはコッペパンの形、

アルミのお椀には カカオ混入の脱脂粉乳、生温かくて不味かった。

好きだったのは肝油という粒をもらう時、

口を開けていると一個ずつ配給された気がする。

これらはアメリカからの差し入れで、

いつまでだったか、子供にとって世界とはアメリカだった。


とりわけ好き嫌いもなく、鯨肉は喜んで食べた。😅


週ごとに給食当番が割り当てられ、食べる準備はもとより、

食器を洗うのも仕事のうちであった。

特に印象に残っているのは、京都府福知山市大正小学校で、

中庭にあるポンプ式の井戸水で洗っていた場面である。

雨の日には、ポンプを押す役、洗う役それぞれに傘をさしかける役が必要だった。

別にそれが苦になったり泣きたかったわけではなく、

みんなで頑張ってるなと思っていた。😅

時々お米を各自持ち寄ったし、冬にはストーブを焚きつけるための木切れも持って行った。


鹿児島からいきなり引っ越した青森市では、

みんなでイナゴを取りにゆき、天日干しして、佃煮風に煮た。

この行事は貧しいからというわけではなかっただろう、

流石にあたしは一匹しか食べられなかった。😅


遠足のお弁当を、当時間借りしていた家のおじさんが作るのをじーっと観察していたことがある。

紅色の焼きシャケの大きな一切れを、

大きなおにぎりの具に握り込むのである、おじさんの大きな手が必要だったのだろう。

表面を網の上で香ばしく焼いて、その上を大きな海苔で包むのである。

子供が三人ほどいたので、おじさんは必死で3個作り、

そばに物欲しそうにしているあたしのことは一顧だにしなかったし、

あたしもそれを苦にしたわけでもない。😅


たくさん給食の思い出があるような気がしていたが、そんなでもないようだ。

豊かな出来事だったのだと思う。😅


毎日毎日、飽きもせずに暮らしてきたことだ。

子供時代は幸いにも、

次に来ること、すること、明日のことが常に楽しみだった。

苦手なこともあったはずだが、楽しみが勝った。


しかしそのうち、思いもせぬことに嵌まり込み、信じられない状況に追いやられ、

今はどうにかある程度落ち着いて死を楽しみに待っているところである。

そして、絶望に瀕した時はその名を呼び、

他に責任を持っていくところがない時は罵り毒づいて憂さ晴らしする、

神様という存在が、本当のところどうなのか、

自由に追求する日々を得たこともまた、思えば期せぬことである。


その日暮らしの日程は、仲良し神さんとのやりとりでどんなアイデアをもらうか、

そこにかかっている。それが楽しみとなっている。


と言うわけでまた、お決まりの備忘録:

6月5日

自分のジョークに自分で笑い、はしたなく床に転がって笑う明石家さんまさん、

意外と良寛さんみたいで、幸せの極意に生きている。

娘の名前の由来となったという「生きてるだけで丸儲け」であるが、

瞑想し始めるや、あたしにその続きが! 


「死んだらもっと丸儲け、(だって痛みも病も恨みも怒り不満も消える 人との交流はしばしお預けだけど)」(実はまだまだ素敵なことがあるはずだけどね)


これをすぐに友人に伝えると転げ回って笑うスタンプが届いた。

理解して笑えるというのが普通じゃない。(あたしの定義の独自性!)


6月6日

ギリギリ最小の質量を持つ素粒子についての粒であり波であるという事実は、

1、粒としてスピンしている、とは時間を作っている(1点で螺旋状に動いている かもしれないとしても)

2、波打っているのなら空間を作っている

3、観察者の観察、認識、思いが粒子として固定される、現実となる、

意識=即=現実化 と主張されている。


4、(3のいかにもスピ的な解釈の信憑性はいまだに確信できないものの)

いずれにせよ、とりあえずできそうなこと:

嘘でも「幸せだなあ」を口癖にして、

ありがたさを無理にでも感じるようにすることは、

もう一段無理して嫌悪する人物にも「感謝します」と述べる、など。

これまた意識と現実化の魔法、なのか法則なのか、やってみる価値ありかも?


5、これに関して、意識(集合意識)の正体は

身体中の水分子(地球の水分子)の保持するデータから自動的に

発生するやはり波動である(という仮説) 

つまり逆に言うと、

「私は不幸です(波動)、幸せになりた〜い」と願ったりしようもんなら、

不幸な状態がさらに確定する、となるようだ。


とりあえず、実行するのは簡単と言えるのではないだろうか。


延々と不幸感を引きずって生きているより試して損はないかもね。


錐子さん自分のことですよ!わ、

わかってます、グズグズしてる暇ないしね。





なんだろなんだろ どうなってる

2022-06-18


2022年6月17日金曜日

 朝7時、サンサンと差し込む光を浴びて

「ちょっと紫外線強すぎますね」などと言いながら錐子オババが手鏡を見ると

明るく照らされた自分の皺の中、あちこちに黒い産毛が見えた。

これはちょうどいい とばかり 早速毛抜きでぴぴっと抜いた。


それから

「生きとし生けるものを生かしたまへる御親神 もとつみたまゆ先はえたまへ〜〜」と気分良く集中し、

「実相完全円満 金剛心身〜」と声に出してまで唱えたところ、

とても幸せな満ち足りた気分になって、思わず笑顔になる。


数分して錐子オババが立ち上がると

背中が引きつるように痛かった! 昨日と同じ痛みが!と叫ぶ。


(昨日の午後は、その朝の痛みも消えてね、あたしにとっては

ちょっとありえないほどの夏祭りの一員でありえたのよ。

パーティー人間じゃないし、第一耳も聞こえないので

人と離れてぽつんと座っている時が多いけれど 全く不愉快には感じず

それなりに楽しんでいた、それができるあたしなので。

そうかと思うと、自ら申し出て 下手なオカリナを吹いて見せたり😅

棒術を間違いつつも最後まで 演武して見せたりしたし😅

おまけにおにぎりを作って持っていったりもした(失敗作だったけど😅)😅


話しかけられたら返事をし

初級者には棒術を教えたりもした😅

そんな生まれてはじめてのドイツでの夏祭りの満足すべき時間となり、

新しい、しかも人にも愛されるらしいあたしだった。😅)


ただ同じその昨日の午前中、

錐子オババがいつもしない姿勢でしゃがみ込んで

いつも見ない書類を見ていたところ

急に背中が痛くなったのであった。

実はこの前の晩に、

うっかり者の錐子オババがやっと気づいたことがあった。

かなり絶望的な気分に襲われた、経済的な危機に瀕したともいえる。

突然、これまで築き上げた移住生活の根底が崩れる可能性を見た。


発端は、唯一の孫の私立中学入学に伴う息子一家の引っ越しである。

息子の住所変更が錐子オババに意味する艱難、それはドイツでの生活の命綱である・日本からの年金受け取りの・窓口が彼になっていることに発する。

単なる住所変更だが、海外からとなると障害が多い、

第一フリーダイヤルが使えないので、会社の番号を探すのだが、

見つけるのが不可能に近い、おかしなことだが。

もちろん時差問題もあり。


さらに、家の売買に伴う息子の借金問題もややこしくなり、神経の細い三男はすでに体調を崩している。

一方、時を同じくして

夫のJBの社会逃避的・自己愛的・依存的・三悪行為は、普遍化活発化しており、

錐子オババの内面生活に向上は見られるものの

(JBの姿に利己主義の最低最悪の姿勢を発見したわけだが、しかしどうもそれが見えるということは、錐子オババにまさに同じ態度があるからこそだ、というのが世の通念らしい。確かにある、利己的無関心な自分だけ得をしようってところ、確かに)


やはりその棘はまだ彼女の内面を刺激し続けている。そこにプラスして

生活の破綻可能性が浮上してきたのであった。


突然だが、今年はすでに蝿を5、6匹殺した錐子オババには、その罪の意識も妙にうごめいている。

不確かな将来への不安が増幅され、

まるで絶望の渦の中へ投げ込まれた塩梅で、一瞬、

すっかり取り乱した。しかし、

この時の神さんだ、とばかり、

大丈夫何があっても大丈夫、何がなくても大丈夫とお題目を言い聞かせた。


神の体系を信仰するなら、大丈夫でない事は無い。😅


どんなことにもさらに桁違いな奥深い考えがあるはずだ。そうお任せする。😅


そう想像するとやや落ち着いた。かなり素早く。

その落ち着きを、1日保った。心配しながらも落ち着いた。😅


神さんとの覚悟の日々であるはずだった。

その中で最も落ち着かせたのは自分の利益を捨てるアイデアであったし、😅

(オンラインバンキングに失敗し、使えなくなっていた銀行をいっそ空っぽにしよう、ある限り使ってもらったほうがお金が生きる)

さらにこの絶望的な状況後、どんな素晴らしい展開で回復していくか、

楽しみにすらなった。


こんなすったもんだの日々の後

6月17日金曜日の朝、晴れやかな瞑想をする前に

錐子オババは、冷静にではあったが、夫のJBに向かって

「嘘や依存行為をあたし、大嫌いだから、それを憎んでるからね、

私を追い出さないように注意して、お願いだから」

と脅しの如く、宣言したのであった。


そして前述のごとく、晴れやかな瞑想後にナント

背中の痛みが再発したのであった。


「なんだろなんだろ どうなってる」


本日3回目の瞑想は、世界の平和を念じて真正の光を

錐子オババの幻像の体にいただき、幻像界に放射するのであったが、

実相界に被さっているかのような幻像界が

ほとんどピタリと重なっているようで、つまり差異が少なくなった感じがして

飛び上がるほど嬉しかった。

もちろん背が痛いので気持ちだけだったが。

あれこれ手当てして、痛みは徐々に誤魔化されてきたようだ。


時々思い出す、「創造主」の愛を、それを実感する、切なる愛が感じられる。


********

0601 残骸の上に広がる皐月晴れ しらくも湧けど文明の末

振りかざす人の主張の強力(ごうりき)に圧し込められて論理の無力

0604 濃茶美し 心豊かといふ日々の朝靄透けてけふも日の差す

けふ一日(ひとひ)何して遊ぶ神さんと しばし娯しむ終活の妙

神さんと会議終ゆれば仄々と靄の隙間に青色の透く

0606 するすると夏至までの時過ぐるなり 楽しげと見る変幻白雲(はくうん)

0611 好機とて 越え得し我を誇るべき困難来たる揉み手して迎ふ

沸き上がる忿怒失望無理もなし我を認めむ 彼には愛を

薄氷を踏むにあらねど細き路 人の心理に影絡まりて

何をせむ思ひあぐねて拭き掃除 その他は見事済ませたればと

眠る前最高だったと一日の 何か短く歌ひたきこと

...........


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