第4章 2021令和三年 黙示録 その5 7月 ドレスデンと幻像世界
no! no! no! 心臓さんごめんね
2021-07-02
腰痛になった、と思った日からまだ数日しか経っていないのに
今度は、錐子オババの心臓が壊れそうだ。
20210629火曜日
前日、腰痛の意味不明な急襲を受け、一時は万事休す、
動けなくなったと焦ったが
一枚だけ残っていた湿布を貼ったところ、翌朝には消滅。ピンピン。
20210630水曜日
やっぱりね、驚かせてくれますね、神さん。動ける有り難さ!!
シャワーに洗濯を同時進行。
ところがJBの謎の注文品が3個もくるではないか。
相変わらずシレッとしている憎らしさ。
錐子オババの肝心がキレた。不整脈が起こった。
半日チャンスを窺った後夕食の後切り出した。
「あたしね、もうダメよ、我慢できない、どうしたらいいかわからない。
並の夫のような事は何一つできないというだけでもマイナス10点、
それなのに好き勝手に生きてるのはマイナス100点加算よ。あたし三木さんとこへ行くからね。」
「俺を捨てるんだ」
とまた罪悪感作戦、錐子オババはこれに弱い。決まり文句の応酬で負けそうになる、それどころか捨てるつもりはない、と言ってしまった。
「でもね、このままじゃ生きていけないからね、あたしも限度よ、十分尽くした、十分ね! あんたもドイツでこうしてもらった余命をこんな生活に使う???」
言い捨ててオババが上に行こうとすると、いきなりJBが寝る支度を始めた。昼夜逆転生活を改める??? その気配だった。
20210701木曜日
翌朝、心の中がくうである。人間意識の感情がない。スウスウ、ヒロビロしている。
思い出せない見つけられない、どんな感情を昨日抱いていたか、苦の感情のかけらもない。これはもう何度も経験した。無かったものが無くなったのだ。錐子オババがまがりなりにも、全一なる実相を確定したからであろう。
JBの振る舞いには、修正箇所はあるが正しい意図が見える。それで良い。
あちこち片付け、洗濯をせっせとする。
末っ子から手紙が来た。国民年金のお知らせとカード会社の明細書の束。
お世話になっているなあ、と気軽に開けてみると。
元々この種のクレカ明細書には詳細は書いてないのだが、あまりにおかしなことばかり並んでいた。数年で5件しか使ってないのだが。
2018 エンタープライ 38万、
2019 コンドール ミュンヘン 5万
FSG NL アムステルダム 各1万 (2018以来3年連続)
錐子オババの心臓が踊り出した、頭に血が上った、覚えがない、こんな変なものを買うはずもない。これがすでに数年前から起こっていたのだ、カードの情報が盗まれていた!!! まさにnonono という状態に陥った。
問題の一つは、JBにこれをうっかり明かすことができない、騒動するばかりで邪魔になるからだ。日本のカードではあり、オババの責任範疇だ。
切羽詰まって、まずどうしたらいいと考えながら、何事もなかったかのように、夕食を作り、食べさせ、自分も食べた。日本での朝9時はこちらの夜中2時だ。
アマゾン日本に行き、綱渡りの結果 幸いにもカード使用を中止させることができた。大成功だ、これで詐欺に合う可能性が一つ潰れた。
時間的な問題で、別件だが、夜中1時半に国民年金に電話して、
届いていなかった2月分の通知書を再送させることに成功した。
いよいよ2時になった。ネットでカード会社へのコンタクトは下調べしてある。
まず機械と応答:
カード番号を認識させるのに苦労する、電話が遠いとなんだか反応がしっかりしないのは経験済みだ。
ついに人間が現れた。鋭どそうな女性。久しぶりの日本語で異常に丁寧語を使ってしまう。
曰く、時間が経ち過ぎているので会社からはもう調べられない、ネットで会社名をあたってみてください。損害の証明も困難かも。
ここで錐子オババお得意の、よし、損害はプレゼントだ、問題はカードの処理。
女性の方から「電話で破棄させることができますが、」
ハイハイ、お願いします、こちらはすぐにハサミで処理します。
一息つき安心して、ネット検索させるとせっせと努力してくれるみたいで、
わかったこと:
2018年の高額商品は、航空券。2019年コンドールとはホテル、あああそこに泊まったっけ。しかし3回連続で1万円とは。被害はこれだけかな。
と、ついにJBに話すことにすると、なんと、
「それ、パソコンのセキュリティソフトの支払い会社だろ」
「なんじゃー!」
全て解決、カード詐欺も問題も無かったのだ。オババの妄想またもや活発だったのだ。
もうあたしゃダメだーと思いそうになったが、そうではない、
ただただ感謝の言葉が出た。
それにしても、修行の日々はスリル満点だ。ちょっとキツすぎますけど、神さん。
錐子オババの老いた心臓は大いに負担を受けた。安堵も大きかった。
*****
0107 オーマイガッ文月の難のそろひ踏み そうか「やったろ!こなしてゆくぞ」
.......
よく生き延びたね、この一日
2021-07-06
第二次世界大戦敗戦の前月の末に、風雲急を告げる幻の旧満洲国で生まれた錐子オババが
間も無く76歳になろうという2021年7月5日月曜日に
正午半過ぎに
ドイツ バートクロイツナハ市の駅前、ヨーロッパ広場に突っ立っている。
モンペ柄のサラサラの夏ズボンに、お気に入りの絹の半袖シャツ、えんじ色である。
気温23度ほどで薄ら寒いので、白いカーデガンとなおジーンズの長袖上着、
伸びるに任せた半白の髪はとりあえずくくって頭の上に乗せてある。
日本人の恥、かもねーと思いつつ。
白の古い靴。とりあえず膝は痛く無い日らしい。
あたりには若者がたくさん群れている。大人もなんとなく群れている。
もう3週間もストライキをしているので、市営バスがいない。(別会社の郊外バスは動いている)何かいいこと起こらないか、とばかりに人々が辺りを見回しているのだ。
*10時半の列車でここに着いたのだった。住まいの最寄駅からは8分しかかからない。
待合室的な場所のベンチで書類を見直した。まだ11時55分の住民課の予約には早い。
*「ちわ」と声が聞こえた。信じられないがともかく振り向くと知った顔があった。
出前屋の次男だ。難民のウクライナ人、栄養配分が悪い脂肪太りでかわいそうにと思う。それにしても錐子オババには彼に言うことがあった、たまたま。
「あのね、この前出前の箱を置かせてくれって言ってたでしょ、まだそのままうちにあるけどいいの?」
「あ、ママが忘れてるんだ、また言っておくよ」
なんで、自分で来ないのと思ったが、元気でね、と別れる。
誰かと少しでも話せるのは気が紛れる。
*あ、そうだ、と思いつく。
もしできたらすることにしていたパスポート写真撮影、また試してみようと、すぐそこにある小屋?に向かった。前回は反応してくれずだった。
おまけに5ユーロ札しか受け付けず、おまけにお釣りは出ませんとか。
しかしJBが気を利かして5ユーロ札を3枚くれたので、試してみようと近づく。
中に座ると、今日は機嫌よくサッと画面が開いた。よしよし、とお札を投入、8ユーロかかるので小銭入れを出していると、
あら、お札がまた出て来た。色々あれこれ試しても受け付けてくれない、いつものことだ、さあすると小銭があるか。
なんとぴったり8ユーロ分入れることができた。
どんな顔に映るかなんて気にしてはいられない、
指示通りに画面に合わせて顔を作り、ワンツウスリ バチリ、
出来上がりは女忍者みたいだった。睨め付けている。これでいいとしとこ。
*みんながいくら待っていてもバスは現れない、タクシーで、住民課のある役所にむかい、順当に住民票みたいなのをもらった。
徒歩で20分、また駅まで戻ってくる。脚がガクガクしているが歩くほかない。
*あそうだ、封筒と切手とノリが、それに末っ子の誕生日カードが必要だった。
郵便局でそれらを買った。途端に郵便局の昼休み12時半が始まった。滑り込みだとは知らなかった。14時までだ。
*しかし、密かに忍び寄ってくる問題が別にあった。
涼しいせいか、尿意がもう現れた。これがドイツで困る点だ、公衆トイレは広場にある。けれど恐ろしい感じでとても使う気がしない、ドアを開けたらどんな光景が広がるか。。。お金も要るし。。。
駅下に矢印があったが、と階段を降りても薄暗い駐車場に入り込むのみ。
トルコ人カフェで尋ねると、素っ気なく断られた。もっともちゃんと席についてからならよかったのだろうが。
しかし法律的にはカフェには通行人にもトイレを使わせる義務があるはずだった。
15分離れたデパートにあるのは知っていたが遠すぎる。
また駅に戻り、エレベーターでもう一度地下に降りようとするが、地下がない!? 夢だったのか、いつか降りた気がするのに。
エレベーターを出たものの、思案するのみ、後戻り、すごすごとまた入った。
するとピンクのカーデの老女が乗って来た。手ぶらである。
一眼で痴呆かなとわかる出立である。
人寂しい老女同士、話し始めた、なんと錐子オババが窮状を訴えた。いくら話題がないと言っても、とは後で思ったことだったが。
すると、実は美人の老女がしばらく何かを説明して、スタスタ目的を持って歩き出した。オババはそれほど歩き慣れていないので後からついてゆく。あまり意志の疎通があるわけではなかったが、なんとなく。
そうしながら、どこから来た、日本、まあ行ったことないよ、とか夫が癌で死んで、娘は世話一つしなかったので、自分一人が遺産を1000万もらった、それで怒った娘は今度は私を放っておく、と身の上話。
着いたところはよく知っているスーパー。ただそこにお客用トイレがあるとは認識していなかった。
彼女が50セント、くれたのでオババは1ユーロ返して。そしてありがとう、とにっこりしてドアを閉めたのであった。
ピンクのカーデに赤い靴の天使!
出てみるともうどこにも見えなかった。やっぱりなあ!
*間も無く14時に近くなった、キオスクで1ユーロでキットカットひとつ買う。ちょっと元気をつけて、さあまた郵便局だ。
今日の用事は、国民年金現況届用の住民票を市の住民課でもらう、しかしその前にそのために領事館から日本語の証明をもらって一緒に日本に送付する、(証明のために領事館にとって必要なのは日本から送って来た封筒の上書き住所のみで、それが住所が確実な証拠だった)
領事館への居住証明書お願いの手紙を投函する。80セント。
*その寸前に、思いついた。ついでに家賃を払うのだ! 3ヶ月分。支払いが面倒なので半年分払いたいのだが、錐子オババの口座の振替限度額が低すぎる。
*途端に思いついた。
住民課にわざわざ追加メールして、住民票を2部出してもらったのは、錐子オババのまたもやエラーであった。ドイツ語の住民票を送っても困るので、それで領事館から証明してもらうのであって、例によりこんがらかった頭の配線のなす、無用な騒動であった。この誤った考えを何日も抱えて、JBにるる説明すらしていたのだ。
もうダメだ〜〜 誰かあたしを保護して〜〜
(ちなみにもう一部の住民票は滞在許可証更新申請用である)
*さて、そろそろ本日2件目の予約事項、15時からのリハビリトレーニングである。
時間を見計らって、並んでいるタクシーの最前列へ向かう。
あ、あのコマーシャルは? たいていのタクシーは同じ宣伝をつけているのだが、一台だけ台所用品カイエとつけたのがある。それがマイタクシーなのだ。(JBの病院通い用)
こんな偶然ってある?? 今日は妻がそこに待っていた。別にそうである必要はなかったのに、お喋りし、トイレ情報を仕入れることができた。ルーマニア人、夫はイラン人。
リハビリはあまり問題なく、心臓の様子を見ながらこなした。16時に終了。
*さて3件目、17時15分に放射線科で小型のMRIによる膝検査。
しかし、どうやって行こう、バスなしで? タクシーしかない、直通だ。
時間を見計らってリハビリから少し離れたドロガリーで電話、と思ったら間違ってマイタクシーを押してしまった。
すぐに切ったが多分通じてるはずだ。
事務的に使うために普通のタクシーを呼ぶ。
するとあの台所のカイエタクシーがリハビリセンターへと走って行く。親切な(同時に商売でもあるはず)夫婦だが時に過ぎて困る。
無事に放射線科へつき、リラックス状態で受付へ。
「あらーあなた、遅すぎますよ、15時だったのに」「・・・・」
そんなはずない、こんなこともあろうかと念には念を入れて確認した時刻だった。
見ると彼女は、かなりの年寄りじゃない、誰が間違えたのか???
それでも親切に医師に掛け合ってくれた。「ラッキーよ、今日早めに来た人がいたので時間が空いてるって」
着替え用個室があり、青い目の医師か、技師か知らないが何か指示して来た。年寄りでも美しい男がいるんだとびっくりした。
すると電話が鳴る。JBかと思ったらマイタクシーだった。しかし今はそれどころではないので、切ってしまった。
それでますます慌ててしまい、言われたことがわからないまま金具のものや衣類を脱ぎ捨てると、日本のように代わりの衣類はなく、そのシャツは来てていいから、と言われ、すみませんと慌てて被った。
これがこの1日のエラーの記録である。エラーだと知らないからエラーなのだろうけど、知らないせいで堂々と生きられたような気もする。
エラーなかったかのような
あると無しとの差が薄れたような体験であった。
その後は徒歩で駅まで15分、死ぬ思いでさらに構内を進んで、食糧を少し書い、列車を待ち8分間乗って降りて、また10分坂道を歩き、薬局で(そこの入り口の階段をやっと上り)買い物、その後、家まで5分のところを途中で休憩、また歩きヨロヨロたどり着いた。
その後、果たして錐子オババの心臓が躍り続け、JBが2度も階段を上り下りした、平家でないとかなり問題。
*そうそう、JBがこの話を聞いての感想:「結局すごくラッキーだったね」
え、何、そのポジティブな感想、どうしたん?
*付記:
光が物質に当たると、背後に影ができる。影は在るのではなく、光が欠けている状態である。(光が当たるとその状態ではなくなる)
今日は軽い軽い! おご馳走にまでありついた!
2021-07-08
残念なことに(?!) 昨日2021年7月7日水曜日にまた面白い成り行きがあった。
報告書を上げておかないとテーマすら忘れちゃう。
一瞬一瞬が、全一の神さん あるいは錐子聖霊様とのやりとり、共同作業のように思えるので蔑ろにできない。(しかしこの呼び名、おかしいよなー)
*ありがたく涼しいドイツの夏、空が明るかったのでつい、用事を2つ果たしに
通りへ出た。
末っ子の38歳の誕生日に間に合うように、ひまわり柄の素朴なカードに直に書く。
嫁の愛ちゃんがあたしの書くことを面白がると言うので、できるだけヘンテコに。
すると、JBもあたしから配給されたカードを完成させて、階段に置いていたのだった。JBはおかしなことに息子に頭が上がらない。おかしな現象だ。
帝王切開でやっと生まれたみどりごを、母親が麻酔中なので、いきなり腕に抱かされて、その澄んだ目が光に反応して動くのを感動して体験した若い父親だった。
暑いミュンヘンの夏だった。その頃があたしの最後の幸せの記憶。
例の出前屋のナディアの息子が置きっぱなしにしている配達ボックスを、手押し車に乗せてついでに運ぶことにした。
3通の日本向け封筒も持って出たので、手を見たところ、2通しかない。
ヤダーと思いつつ戻ってみると、ドアの内側に落ちていた、全く。
あ、マスク忘れてる。しかしもうさくらんぼの大木の下まで来てしまった。どうしよう、郵便局に入れないな、出前屋の隣が郵便局支所なのだ。
この件は簡単に片付いた。ナディアがマスクをプレゼントしてくれた。
*帰りがけに偶然、近くの市役所支所が開いていた。
ふらりと入り、
バスの新しい運行集をもらう、しかしそれのみならず、ストライキ中だが、それでも日に4本くらい走っているという(この話は知っていた)時刻表をゲット。
麗しい女性職員が親切にも、スマホに撮っておくといいですよと助けてくれた。
*その日水曜日の予定は、ただひとつ、リハビリトレーニング。
デルタヴィールスがドイツにも入って来て剣呑ではある。
あたしとしてはでも、3種類のトレーニング機器の負荷を上げてもらったのでそれが楽しみなのだ。
月曜日からの筋肉痛は残っていて、それも面白い(変な人ではあるよね)。
*午後になり、15時のトレーニングのために改めて出発。
バスストライキ継続中なのでーー
(一月にもなる、ドイツでは全労働者の大きな結束がありこんな長期のストも可能だとか、JBの説明では。しかし時期的にも市側も財政困難であろうに)
列車ののちタクシーと進む。
(心臓の動悸はまだしばしばあるので薬を勝手に半錠増やしている。JBはリハビリにあたしが行くのには当然反対だけど、押し切ってのお出かけ)
ついた時、時間が10分あったので、センターの建物の木陰で瞑想、
涼風と白い雲の峰、花の香り、天国である。
ただし、ここでマスクを落としたらしい。意識なし。
しかし、シュルツ夫人がマスクをプレゼントしてくれた。マスクつながりだ。
*帰路をどうする。いつもの難義が始まった。
トレーニングにはさしたる問題なかったが、流石にヨロヨロと歩き出す。
ボーゼンハイマー通りを駅へ向かって。
椅子のないひとつ目のバス停をすぎた時、JBから電話。
途端に脳貧血みたいになり、倒れそうになった。
危なかった。
やっと二つ目のバス停の椅子に座って、JBと電話会談を続ける。
テーマはどうして帰るか:
JB : タクシーを呼んで
錐子:ここがどこか、伝えられない。(流しのタクシーがない不便さ!)
少し先に、目をつけていたレストランがあった。アジア風とトルコ風の2軒。
しかも例の臨時運行バス時刻表によれば、1時間後にバスがここを通るはずだった。
アジア店は薄暗かったので、いかにもいらっしゃい、という感じのトルコ店にふらりと入る。お婆さんというのは実に気軽でいい。
*魚と鳥フライにあれこれ付け合わせの弁当2種類、久しぶりにピザを頼み、冷たいミネラルウォーターで生き返った。
店主家族も話しやすい。マスク越しではあれ。
「ところで、このガラス戸2枚が無残に壊れているのはどうしたのですか?」
「自動車が突っ込んできたんだ、店はめちゃくちゃだった、日曜日の夜だったので幸いにも私らは居なかったんだけど」
「こんなに厚いガラスなのにねー」
「その数日後、隣のアジアレストランが火事になって、これまた大騒動!」
「ちょっとお祈りしなくちゃいけませんね」
「そうそう、そうなんだよね」と何教の人か知らないが、笑い合った。
たくさんのおご馳走を抱えて、あたしはなお言った。
「次は幸運が来るように祈らせてもらいますね」「ありがとう!」
そして、バス停で待っていると、果たしてマイバス201番がやってきた。
あたしは嬉しくて大きく手を振って合図した。これで走り去られたらたまらない。
付記:
食後、たらふく食べてキッチンで珍しく二人でいる時、
月曜日に買った科学雑誌を思いついた。特集、最新の宇宙の宇宙物理学的捉え方
いつもと違い、JBがすぐに読み始めた、条件が良かったのだろう。
字が小さくてあたしはいつも拡大鏡で読むので、朗読してくれるのは大いに助かる。そうしてほとんど半分も読んだ。あれこれ話し合いもして、夫婦として満足の出来だった。
新しい疑問:物質が宇宙の見える部分を網の目状に形成している、しかしその隙間の空間を埋めているのは反物質であろう。反物質は「消えて」いなかった?
対消滅した後にはγ線が発生するそうだが、このエネルギーがプロトン粒子になったのかな、対消滅という現象は宇宙の温度が下がるまでのことだったとか。
わあーい、予約もらった、やったあ!
2021-07-14
近隣の都市マインツにある大学病院の心臓内科不整脈部門から錐子オババに手紙がきた。
8月9日に予約してありますので云々、、その部分が赤い文字で輝いている。
ここに至るまで:
確かアラカンあたりから感じ始めた胸の動悸で、薬はずっと服用していたが
2年ほど前、動悸が長く続く様になったので、市内の専門医から大学病院に回された。ベータブロッカーかな? 2錠に増やされ、1年後に様子を見て手術しましょうと言う話になった。(白内障もそう言われているが放ってある)
さて、数ヶ月以来頻度が増してきた。屈んで何かをすると覿面、体全体に心臓のグラグラが及ぶ様な感じ。最近は仕方なく半錠多くのんだりしていた。
すでに先月にはホームドクターの紹介状ももらって大学病院に電話を入れてみるが、当然予想した通り、留守電に情報を入れるのみであり、なので、何も反応起こらない。そこで7月6日また電話してみた。留守電。
実は7月5日には、前々回の記事にある如く無理をしすぎて、動悸で動けなくなったのがその契機である。
7月7日、たなばた、関係ないけど。
またマインツに電話、すると人間が出た。
「ホームドクターあるいは専門医は検査しましたか」
「いいえ、ホームドクターは直接大学病院と連絡取る様にと言う反応でした」
「では、予約決定したら連絡します」
後で思いついて、また電話、電話番号を正しく告げたかどうか自信ない。
すると今度は、別の人が「まずホームドクターにEKGをとってもらってください、それをファックスしてもらうとこちらで予約をいつにするか判断します」
今度はホームドクターへ電話、7月12日月曜日のEKG予約をもらってほっとする。
これだけでもう、世界の空気が澄み渡った様な心持ちになり、さあ、ちょっとゆっくりさせてもらおうかな、と考えたが、妙に活動的になり、
前回の記事アップと並行して、掃除魔のスイッチが入り、楽しく床掃除したり、執筆活動したり創作活動したり、JBの勧めるテレビを居眠りしながら一緒に観たり、12日には念願の握り寿司セットを買うこともできた。
「ねえJB、さっき思いついたんだけどあんたって最高に運が良い人だよね」
「??? 病気なのに・・・」
「自分の好きなことをして好きな様に生活できる、何もしなくても生活できる、あたしがいるからだけど」「・・・・」
こんな会話、と言うかあたしの一方的通告もあったり。
さて、7月12日月曜日になり、ホームドクターの検査、あっという間に異常なしの結果。いつも低すぎる血圧も何と理想的。
あたしが何か訴えようとするけど、彼女も多忙でパニクっていて耳を貸さない。
とりあえずファックスはしてもらえるが、そんないい結果では予約もおぼつかない???
帰宅して、Macを起動させると最初の画面に変なものがダウンロードされている!
見慣れたカレンダーと似ている、7月2日だ。時刻まで書いてある。エイリアン・isz とかあるのでとりあえずググってみると、似た様な項目がある、しかし、書いてあることがさっぱりわからない、コンピューター関係らしいが並んでいる語彙が想像を絶している。
自分のカレンダーで7月2日をみると、夜JBと古いエイリアン映画を観ている。自分でそう記載している。これに触発されて何かが引き寄せられたのか???
これですっかり気が滅入った。
心臓の異常を診てもらう可能性がないと言うだけでも絶望的な感じがする。
まあ、どこかで「全て大丈夫、うまく処理できる、いい意味付けが待っている」そんな声もするけれど。
眠る前に意味不明の架空の物体は、思い切って架空のゴミ箱に入れ、消滅させることができた。
翌朝7月13日火曜日、
一番にまたマインツへ電話、異常なしのファックスがホームドクターから送られて来るけれど、大いに異常あることを告げておこうと思ったが、もちろん留守電のみ。
しかし、意外にも電話がかかってきた。
しかし、結局「地元の専門医にまずかかって」
そこで、2年前の心臓医に電話、無理に探してもらった予約日が8月末、然もなくば来年3月だと!! 後1ヶ月以上もこんな状態で過ごしたくない!!
ホームドクターに24時間検査の機械を尋ねると、曰く「それは専門医にしかありません」
八方塞がりだ!!!
夕方、郵便受けにたくさんの手紙発見。
日本領事館からの返事、年金機構からの明細書、そして意外な、想定外のマインツからの手紙、8月9日の予約ゲット、これならまだ生きてるだろう。
今朝7月14日水曜日
マインツから電話あったが聞こえなかったので反応できず、こちらからかける。予約変更などの可能性もあると思ってしつこく何度も試す。
ついに人間。
全てOKだった。ありがたい。
この世の浮き沈み、浮いてみれば面白かった。その間はやはり凹む。しかしどこかに「ありのままで大丈夫」の信仰を胸に!!!
その1 としてはみたものの、何のその1なのか、不明なまま(ドレスデン休暇旅行)
2021-07-29
7月14日、末っ子を38年前ミュンヘンで帝王切開で産んだ錐子オババ、その時高齢出産であった。可哀想に胎内で頭の回転が不足だったために、赤ん坊は額に大きな浮腫を作っていた。生まれるのが嫌だったのだろう。思い出。
現実に戻り:この日からの1週間の流れはまさに怒涛の様であった。まさに、などというのは神の失望の現れの様な、見たことのない規模の洪水がドイツを襲ったことの影響であろう。
1、国民年金への現況届のためにと勘違いして、このためには不必要なのに2通の住民票を貰ったのがのちに幸いするのだが、日本へ向けて発送できた。
2、ドイツ滞在許可延長申請のための書類集め進行中、住民票1使う。
要するに収入があることの証明が要めなので、日本からの「お支払いお知らせ」に、付箋をつけ独訳を書き込む。逆にドイツの銀行の収支明細書を集めて日本から入金があったことを付箋で印付けする。
しかし、件の息子に頼んでおいた、生活費の送金がまだ来ていないと発覚、これが来ないと残額40ユーロしかオババの口座に残らない。
悪い予感が当たり、送金はストップされていて、この送金の詳しい経緯を提出せよときた。(8月4日締め切り)
3、この新たな課題に対処の覚悟が必要となった。送金の原資を証明するのである。全てすでに幸いにも、必要なものがドイツ側向けへ集めてあったのでパチパチ写真に撮り、息子へ添付ファイルで送付。
ボツボツ進めるがそれは頭がボツボツしか働かないせいであろう。
一方想定外なことに、錐子オババが小出しに触れておいたドレスデン休暇旅行について、夫JBから反論が出ていない、一昨年やれたことを拒否するとまずいとでも思うのだろうか。それとも15日に二人で物理の最先端の仮説を検証したせいだろうとも思われる。世界の謎を追求する果てもない旅を思うと、オババの旅なぞ、、、とか。
19日になった時、やっと錐子オババは気づいた。
50年来の学友三木さんを訪問するためにちょうど1週間空いている、
病院予約もなし、ヘルパー来ない、棒術稽古もおやすみ、リハビリは次週にずらせる。そして即、駅で切符を購入したのであった。
帰宅して、「ほら、うまいこと切符買えたよ」と気楽に決まったことの様に切り出した。JBは何も言わない。
その夜は、オババ得意の料理を鍋いっぱい作った。スパゲティーに腎臓豆、玉ねぎトマト、レタスを混ぜ込んだ謎の国際料理である。
突然の決意なので、自分でも準備なし状態であった。
きれいそうな紙袋に衣類を放り込み、今回はPCは持たず、幸いにもオババではあるし化粧品もなし、蓬髪をくくる輪ゴムは忘れない様にする。そうそうスマホの充電器、これはドイツにないので大切。
あ、そうだ、PC用メガネの眼鏡ケースを(PCは持っていかないのに勘違いしてる)準備しきゃ、といつも使いもしないケースを引っ張り出した。これこれ、と開けてみると何故か、長く行方不明だった補聴器が不貞腐れた様にコロンと寝転がっていたのだった。
誰が、こんなところに、補聴器ケースあるのに、何故、あたしはここに、わざわざ???
頭の周りにはてなをつけて、階段を笑いながら降りていく、たまらずゲラゲラしながらJBにも笑いをお配りする。
自分の失敗を公にするのはむしろ好きな錐子オババであった。
実はその前日にも、似た様な展開があった。JBがそのむさ苦しい長髪を時に結えるためのゴム輪があるのだが、それを「この机のここにこうしてこんな形で置いたのに、もう無くなっている」と騒いでいた。こんな時には錐子オババを糾弾しがちなので、超冷静にふうーんとのみ反応しておいた。そしてなんだかシャワーをやたらと浴びたくなったので、さっさと浴室に行く。するとシャワー室の小さな棚にJBの言った通りの格好でそのゴム輪があった。ふざけた奴じゃ。
それから7月20日火曜日が来た。
ベッドに真っ直ぐに仰向けで横たわっているJBを上から軽く抱いて、キスを与える、珍しい錐子オババ。
JBは喜ぶどころか「S..... 」と真面目に言った。ふとそれも愛らしかった。
さて、出来る限りのことを済ませた。8時半の列車で最寄駅から出発だ。
往復172ユーロもした。インターシティエクスプレスに一部乗るために高くなった。それでも6時間かかる。
行きは乗り換え2回、帰りは1回という組み合わせ。
座席指定はしない、何処か空いたところに座る予定。
印象的だった一人の老婆の存在、一人旅だ、ここからハンブルグまでも。身なりは普通の、しかしもう首がガクガク揺れている老婆が隣にいた。老婆同士。
切符を出したり入れたり、その度にそれがバッグにちゃんと入らない。
やたらと他の鞄を開け閉めするがその度にチャックが閉まらない、
誰彼に尋ねるがわかった風ではない、
フランクフルトで降りようとして、上着を着れない、鞄を斜めにかけられない。
錐子オババは見かねて鞄を一つ持ってあげた。
乗り換えは同じホームの左右なので一緒に行こうと思うが、もう関係ない列車の運転手に話しかけている。よく聞こえないので質問もわからないのだが、要領を得ないことこの上もない。
あー仕方ない、なんとかみんなの助けで行き着くのだろう。
しかし、多分一人暮らしの老婆、足腰はちゃんとしてる様だったが、やはり付き添いが必要ではあるまいか。
待てよ、他人事じゃない、
我が身の末が思いやられた。怖いもの知らずで出かけるか、怖がってもう出かけないか。錐子オババは自分は後者になりそうな気がした。
だから、できるうちにやっとかないと。
フランクフルトからライプチッヒまでのICE 、読書中の女子大学生の隣に座り、ペットボトルをテーブルの端に置いた。
その時、列車が左にカープを切るところだった。
空気もろとも慣性の法則に従って動いた。
手がサッと伸びて錐子オババのベットボトルが墜落を免れていた。
座ったばかりの隣人をかくも助けてくれるとは。卓球の選手だろうか。
とうとう最後に言ってしまった、「あなた、卓球の選手だった?すごい素早さで驚いたですよ、ありがとう」
ちなみに、この女性はドレスデンで楽器を持って家族と歩いていたし、帰りも同じ列車に乗っていた。
帰りの列車といえば、発車は何時に何番線で、と何十遍見てもどうしても覚えられないのを、どうにか現実と対応させて、フランクフルトからの普通列車ザールブリュッケン行きに乗ろうとしたら、バートクロイツナハまでしか行かないらしかった。
まあ最悪なことが起こってもそこからなら帰れると思った。
ところが、バートクロイツナハで、車内アナウンスが始まった。
これが恐怖の的なのだ。理解できないのにすぐに対応しなければならない。
降りる人と、前の車両に移動する人とがいる。
流れについてゆく、と、次の車両にはちゃんとバートミュンスター が次駅と書いてあるではないか。
よしよし。という驚きの一件があった。
この車内アナウンスもだが、ホームアナウンスも聞き取れない。日本でもよくあることだけれど難聴のためにドイツ語のために困難が増す。
行きの列車で、ライプチッヒからは30分遅延があった。周りの人の反応で推測するのみだ。
やっとドレスデンについた時、花屋があったので何かあるかもと立ち寄った。
一つあった。大昔、高値で売り付けられて枯らしてしまったものが。それをお土産に買った、嬉しかった。
さてさて、タクシーで行こう、電車バス乗り継いで行ったらきっと失敗を犯すだろう。
遅れたからきっと待ってるよね、と電話してみるが誰も出ない。きっと外に立っているのだ。彼女携帯嫌いなのだ。
片道30ユーロ以上のところ20ユーロ超えたあたりで、あれ荷物は、と思う。
無い!!!!!!!! 花屋に置いてきた。
戻ってください、荷物を置き忘れましたと叫ぶと、運転手のおじさんはキューっと回ってくれた。それから一路、と思うのだがすごい渋滞で進まない。
その間に構内の花屋の名前を読み上げると、数秒後に「あ、そう、そう、ありがとう」と誰かと話し、錐子オババに向かって、
「インフォに届けたって」
「もう?? 花屋さんの番号知ってるのですか」
「いや、ググった」
神業だ!
やっと駅にまたつき、インフォに行くと残念、誰もいない!
花屋に走り、切符売り場に走り、しているとおじさんがやってきて電話してくれた。
「もうすぐ来るって、インフォの係が」
「あ、窓からバッグが見えます、あたしの紙袋が」
かくして、再びノロノロと目的地へ。その間に見ていると、おじさんは時々メーターを触って金額を低くしている様だった。3回往復したのに2回分しか要求されなかった。
「ご親切にしていただき本当にありがとうございます」
「いやいや、人助けできる時には喜んでしますよ」
「そんな運転手さんて結構いらっしゃいますね、それが大切なんですよね、社会では」
錐子オババ、心から全てに感謝したのであった。
三木さん夫婦は外で待ちながらブルーベリーを収穫していた。
錐子オババにさせたら喜ぶと思って待っていたのだと。
いかにも両親が考えそうなことだった。
両親が、とは妙な言い方である、勿論。
同い年の学友だが、ドレスデンから帰って思い返す彼らの態度はオババにはまるで、自分の親を思い起こさせるのである。
親からの愛を受けた様な。
(2021ドレスデン休暇旅行)その2(マインツ)
2021-08-01
とりあえず、いい季候である。
7月末日、珍しく上品シックなちょっとお高いレースの3ピースに身を包んだ錐子オババ、
気分だけはしゃなりしゃなり、と靴もウォーキングシューズにあらず、
列車に乗り込んだ。
末っ子の結婚式に着て以来、10年ぶり出番の、母が買ってくれた甘いベージュ色。
(ま、それにしてはバッグも鞄もサンバイザーも全くマッチしないけどネ)
窓の外は、相変わらずのドイツの景色。
下4分の1に葡萄畑の丘陵地帯が続く、時折教会の塔がそびえており、
周囲に同じ屋根の色をした集落がある。
ところで最近密かに進行している懸念すべき傾向:愛想の良い若い家族がそんな村に引っ越してきて、くったくなく親切で、受け入れられる。しかしそれが実はネオナチ的先端の洗脳細胞なのだと。もともと保守的な村には大いなる危険である。
眩しい空が目の前に視界の限りに広がっている。
錐子オババ曰く:
今日も羊雲だわね、わた雲というべきか。同じ形ではなく、様々な形と大きさが、横一列で興味深い。そらいっぱいの情報みたいだ。
ドレスデンからの帰りの列車でも、こんな大規模ドラマに遭遇したなあ、
視界全体の空、
その果てにまでそんな雲の一団が階段状にずらっと並んでいるので、
はるか先では、まるで雲が積み上がっているかの様に見える。
「すごい雲ですね!」とつい隣の若者に言ってしまったっけ。
ドレスデン近辺では珍しい濃い顔立ちの学生風。
英語でシュアとか返されてしまった。
お互いに理解しないまま自分の感想を言い合った、と思う。
思い出をちょっと苦笑いとともに片付けて、さて、列車はわずか30分でマインツに到着。
この間の経緯:
ドレスデンから月曜日に帰宅、木曜日には錐子オババの夫JBが頻脈で救急搬送される事態となった。家族はコロナ対策でついて行けない。
その後半日間、本人からも病院からも連絡がなく、
スマホは通じず、たとえ関係者につながっても、一つ覚えの「個人情報云々」で断たれるわけで、打つ手は無し、2020年秋の意識消失騒動の時の様だ。
まあ、言葉は通じるのだから何とかやるだろう、日本ではないしと執筆に集中して過ごしたオババであった。
実は、JBが連絡できなかったのも当然で、
最初に運ばれたカソリック系病院で、
「ちょっと不愉快な治療をしますので注射します」とあっという間に眠らされてから、車で30分のマインツ大学病院へさらに搬送されたのであった。
JBはそこで目を覚まし、ここはどこ?と尋ねたのだとか。
7月末日に戻り:
大学病院の見舞いの時間は15時から1時間、と制限されている。
タクシーで乗りつけるも、門のところで下され、少しバックして別の入り口へ行かされ、書類を書かされ、やっと605棟へ。
JB注文のコーラライトを自販機で買うが、
間違って普通のを買ってしまい、もう小銭がない。
5階の4Cというところに行こうとするが、閉まったドアばかりで行き着けない。
結局全く思いがけないところにあるドアを2つ超えて、
さて部屋番号を思い出せない。まあそれは問題ないが、
元気そうなJBに、錐子オババが自分用に買ってしかし開けられないので持ち歩いていたジュースの蓋を開けてもらったところ、
シューッと噴き出してしまった。
その騒動をたまたま聞きつけた看護師がすぐに拭いてくれた。
足で布を使う。彼女は尿瓶からこぼれたのかと思ったらしい。色は似ていた。
幸いにもその日の錐子オババのエラーはそのくらいで済んだ。
JBは要するに経過観察で過ごしている様だった。
複数ある危険要素のうちどのリスクを容認するか、というお馴染みの状況で、今回はペースメーカーの機能をまた下げたらしい。
心臓の中に生じた血の塊のせいで、数ヶ月前にその電気ショック機能は既に外してあったで、
実際ペースメーカーの有効性はどうみなすべきか。日本では、無理なので入れませんと言われていたものだ。
同室の五十代の刺青いっぱいの男は、結構いい奴そうだったけど、一昨日心筋梗塞で死んでいたそうだ。ハンジーおじさんもそうだったなあ。あたしだって昔だったら4回は死んでるよなー。
1時間半のち、やっとまたタクシーに乗れて、駅に戻ってきた。
脚がガクガクしている。
昼過ぎ、見舞いの前に、ちょうどそこら辺から「聖シュテファン教会」へと、マインツ初の観光に出発したっけ。駅そばの大きな十字路だ。
何の下調べもせずに、いきなり始めたので距離も方向も不案内だった。
錐子オババの「捻挫の天使智子さん」から教えてもらったのが念頭にあったので、
スマホ頼りで調べると歩いて行ける範囲らしかった。
仕方ない、指示されるままに歩き出した。
坂道、坂道、
階段下へ、下へ、下へ。
ちょっとアメリカ映画を思い出させる様な気配だった。
しかし脚が!! 鉛を引きずっている。
麗しい空も風も人も台無しだ。
幸いにも、聖シュテファン教会のステンドグラスが一気に気分を引き立ててくれる。
戦争で破壊されたのちシャガールもユダヤ人なのに協力して復興なったという青い光の教会。
今日も恒例の集団瞑想はおざなりにしか参加できない、
たくさんの聖霊にむしろ先導してもらえていると信じて全生命の幸に貢献しよう、
その意思のみはある。
せめてここで今、と錐子オババは洗礼も受けていないけれど、
ベンチに坐して自分の祈りを捧げた。
集中するのに、目下役に立っているのはこの呼びかけ。
「生きとし生くるものを生かしたまえるみおやがみ もとつみたまゆさきはえたまえ」
どこから聞いたのか、どんな意味か曖昧だが呪文としての効果はある。
そのうちに自分の体から自然に波動が伝わり広がる様な気がする。
人の負の想念がバラバラと消滅して、小さな光がリンと生まれキラと煌く。
素敵な景色だ。
それから、また徒歩で駅まで戻る道すがら、脚の苦痛のために忘れていたが、
あれ?あたしの心臓のあの動悸は? ドレスデンに着くやその夜からずーっと悩まされたのに何も無いじゃない、ほんの一度もどきっともしない。
こんな心臓では困る、と思っていた。
こんな脚では困る、と思っている。
神さん、聖霊錐子さま、どうなっているのでしょうね。
また続けて交流お願いしますね。はい、心を空っぽにしてますから。
********
0709 必ずや真理の欠片落ちてくる まれに心が空なる時に
マロニエの大葉一枚我に降る 白き花添へ持ち帰りたり
年古りて危ふき地球にぽつねんと 悲しみさへも感じずにゐる
物質と反物質から成る光 宇宙を包む見えざる何か
0716 駅前の広場に祈る秘かにも 噴水の影ひんやり涼し
0729 堂々と青鷺立つを置物と思へば ふとぞ嘴(はし)動きたり
極小のこの身包める超大の 空(くう)の神理をコスモスと言ふ
0731 マインツに光のガラス透けながら 神の愛こそまさにわが依る
...........
ドレスデンの三銃士 その3 帰宅後の異変 続編
2021-08-06
今さっきのこと、8月6日金曜日18:30
錐子オババは
「じゃあね、バイバイ、お前のお家はあっちよ」
と大きなマウンテンドッグのセルマにわかる様にドイツ語で言って、
ドアを閉めようとする。
するとセルマが大きな前足でそれをストップしようと押してくる。
そしてやっとのことでセルマの好奇心を押し出した。
ソファに座ろうとして、やれやれ、どっこいしょ、とつい口に出る。
するとドレスデンの学友のドイツ人の旦那が日本語でそう言うのに慣れているらしいのを思い出して少し笑う。
午後4時ごろ、錐子オババは大汗かいて駅の周囲を歩き回り、
ついに諦めて自宅へのバスに乗り、ウクライナ人ナディアの店でアイスを食べ、
エビ入りのサラダをお持ち帰りしたのだった。
そこでセルマにつかまったのだった。
問題は、
まだ入院している夫のJBに着替えを持っていこうとするのだが、マインツまで故障で列車がない、と言うことだった。
昨日発生した故障だが、
昨日はおかげでタクシーでマインツから帰る羽目になり、大いに迷惑した。
普通ならホテルを取ると言う手があるが、このご時世どんなトラブルに巻き込まれるか心許なかった。
そう、昨日木曜日、4日空けてマインツの大学病院に見舞いに出かけた。
先週土曜日に見舞った時は普通だったが、日曜日からJBには珍しく頭痛と吐き気を催していた。錐子オババの経験ではまた院内感染であろう。
リハビリや外国人局に出かけたり、忙しくしているうちに、次第にJBからの連絡が減り、水曜日には錐子オババからかけたのに対し、スマホに出られないでいる、かの様な変な音ばかりした。
今度はこちらからナースにかけて見に行ってもらった。
気分が悪いと言う声は聞こえた。
その後電話してみるとロレツが回らない様な喋りだった。看護師は案の定、自分たちからは何も言えません、ドクターと直接話してください、のみなので、翌日の木曜日に、朝からの整形の予約を済ませてから早めにマインツに到着したのだった。
ベッドに転がっている様子がもう何となく変だった。
宝物のスマホが足元に転がっている。
前日だったかは、病院ではネットがつながらないとかもぐもぐ言っていた。
それに、この朝「錐子の杖を貸してくれ」と言う内容らしいSNSのかけらが来ていたが、それをみることはできなくなっていた。
錐子オババが、試しにテキスト書いてみて、と言うと、しばらく眺めていたJBが
「字が見えない」と言う。
「じゃ電源切ってるかも」「どうする?」
「どうするって、ここを押してて」
うまくいかない、手から取り上げてみると、何とバッテリーが1%になっている。
「大変、充電器はどこ?」
日本で買ったものなので充電器に特別な変圧器を繋がなくてはならない。
どこにある?!
JBはぼんやりした顔つきでいた。
やっと探し当ててオババが繋ぐと、それでもJBは全く反応しなかった。
急に超音波で心臓を診察することになり、車椅子で運ばれて行った。
その間にドクターと話すと、
「実はなぜあんなに元気がないのかわからないでいるところです、一つ問題なのは血糖値が安定してないことぐらいで」
酸欠でもないと言うのなら、脳梗塞だろうと錐子オババは思ったがドクターがそれを考えないわけもない。
ペースメーカーは非常時の電気ショック機能のみは残してある、とか。
長くかかって、やっと部屋に戻されてきた。
その時、ズボンがびしょ濡れだった。
ろくに歩けないでいるのをトイレまで連れて行ってオムツをつけさせた。
それまでのズボンはすでにそこに置いてあった、濡らしたのだ。
「何も感じなかった」とJBは子供の様に言った。
一人1時間しか見舞いは許されていないのに、すでに数時間いたので錐子オババは帰らざるを得ない。
ズボンがないのでパンパース姿のJBは恥ずかしいとも思わないらしくベッドにハスに寝転がっている。血圧を測りに来た看護師に促されて、何とか定位置に横になる。
88・54という低血圧。血糖値は250。
そして、駅に来ると帰る列車が全くなかった。
往復券を買っていたのでその処理を尋ねるのに1時間も並んで待った。
そしてタクシー乗り場で最後の1台を捕まえた。
錐子オババには、流石に大いなるショックだった。この変化は予想外だった。
つまり上層部からの采配である。
未来についての悪い想像が湧かないわけではなかったが、総じてボケているせいでこの件を忘れているのだった。
むしろ、ドレスデンの1週間の場面が思い浮かんで、そんな時間を経験したのが信じられない様な夢であったかの様な:
その第1は、大気と雲と雨の話。
漠然と眺めて感心していた(カオス理論の?)雲は、熱気と湿気との関係で蒸気となって高くあるいは低く、上昇した大気から作られるのだが、
その大気の上昇気流を捕まえて鳥も、グライダーも飛び続けることができる、
そんな飛行原論。
飛ぶことが趣味の夫婦なんてすごすぎる!
その第2は、ピアノ練習。
小学生の頃数年ピアノを習った錐子オババだが、紙鍵盤とオルガン、学校のピアノを夏休みに使わせてもらう、でしのいで来たのでまるで音感も発達せず、今や楽譜もよく読めないのだが、しつこく興味だけは残っている。
持って行った楽譜は、アニメの映画音楽集とおぼろ月夜と越天楽など。
ともかく断絶しない様に弾こうとすると、恐ろしくゆっくりになってしまう。
歌だとはもはや認識できない。しかしそれでも和音は響く、心地よく肩こりも何のその。
時には、三木さんが唱和したり、旦那がサキソホンで合奏しようとしたりする。
残念ながらそうは問屋が卸さないこちらの腕前であるが。
その第3は、庭の先にある草原、
そこに牛と馬が親子で放し飼いにしてある。時には鹿の親子も、狐もくる。
近くには狼もくる! 狼には旦那の方はワクワクしているらしい。小鳥と猫とコウモリ。
ある夕方、疲れやすい三木さんが休んでいる間、錐子オババは一人、庭の寝椅子でゆったりしていた。
たかいたかいところで燕が舞っている。上昇気流がすごいらしい。
しかし、次第に気温が下がった感じ。大気、すなわち風が強くなった、すると燕の高さが下がってきた。虫たちを押し上げていた大気がその力を失うのだ。
結局、燕はオババの頭上を猛スピードで滑空するほどにまで下がってきた。
まさに、風は大気である、大気って何? 酸素や窒素は混ざっているがその他は何??
夕日に照らされて、まぶたのうらが真っ赤になってしまった。実に赤い。赤い海だ。
目を開けて、擦ってまた瞑った、手のひらで押さえながら。
すると補色の緑が目の前に拡がっていた。まさに森か海か。こんな色は始めただった。
第4は、これに関連して、外で食事する夏の日々。
虫はくるがそんなもの手で払って、ちょっと食べ物にとまられても気にしない。みんなで運んだり片付けたりも面白い。
ところで旦那はチャチャっと茶碗洗いとゴミ捨てをしてしまう。
すごい、うちの旦那に爪の垢でも煎じて飲ませたい、まさに慣用句。
第5は、庭の花、
朝顔を命と大事に育てているが、暑さ不足で今ひとつだが毎朝の楽しみ。総じて豊かな土壌らしくなんでも大きく育ってしまう。それもちょっと情緒が、、とも思われるが、兎にも角にも夏に蚊のいないこと、これを日本でも可能にする方法がいつか編み出されることを願う。と言っても、気候変動でドイツでも蚊が現れ始めているそうだが。
第6は、観光地、
お城がたくさんある土地、庶民はどこで暮らしていたのかと思うくらい。
やっと3日目に出かけたのが旧市街にある物理サロン、要するに時計のミュージアム。
その後サーモンを食べたレストランで、三木さんの姿を見失ったらしい時は信じられなかった、しかし彼女も錐子オババを見なかったとか、実体のない旧友老女か。
翌日は、エルベ川沿いの王様の公園、珍しい樹が集めてあった、椿もその一つ、冬には大きなハウスが動いてきて椿を保護する様になっている。
オレンジがその昔諸侯の力のシンボルだったとか!
次は、アウグストとかいう王様の愛妾が30年も閉じ込められていた城砦。逃げられないのだろうが広くて美しく眺めよし、侍女もいて申し分ないと思われた。
最後は、父王の反対する娘と恋仲になった王子が蟄居させられていたというお城。
似た様な城砦が3つ並んでいてまるで積み木のお城の様だった。
そこから山腹にあるレストランへ移動、錐子オババの誕生日だったので眺めのプレゼント。雨空に太陽が透けて見えた。
しかし、ここで最後っぺのような、オババの注文したとんかつに全く塩気がなかったのである。これには少々がっくりきた。
文句を言おうかと思ったが、誰かが叱られるのだろうから、と慮った。
でも出がけにノートがあり感想を書くようになっていたので、その旨優しく書いた。そしてふと見ると、「シェフ大募集」と大々的に書き出してある。呆れた。
その第7、さてついにこれを書く段になった。
ドレスデンに着いたその夜、すでにそれは始まった。
動悸、胸の中央が圧迫され、揺れ動く、大きな動きだ、身体中に響き揺れる。
そこで医者であった旦那さんに告げると、血圧計が出てきた。
いつもの通り110・70・60。
翌日水曜日に測ると、何と140・100・70と出た。
脈はしっかりしているので、薬を半錠追加するよう提案された。
1日在宅。
しかし血圧はそれからは落ち着いたが、動悸が落ち着かない、
木曜日の時計見学もやっとの思いだった。
金曜日の椿の見学では脚が痺れて困った。
土曜日の山上の愛妾隔離城砦ではもっと脚が動かなくなった。
それは3人とも同じだったので(理由は異なるが)、あまりのことに錐子オババが笑い出した、まるで年取った三銃士だわね、みんなして! みんな辛いのに自分たちの様子が思われて、つい笑ってしまった。これがドレスデン旅行のハイライトだったかも。
ドレスデンのいわゆるフェーン現象だったのか、それ以外に特に動悸を起こす理由がまさになかった。なのに帰ってみると動悸は消えた。あり得ない症状だ。
***
いわば決死のドレスデン極楽旅行から帰宅して10日すぎた。
JBの異常を昨日目にして以来、何度か電話してみるが、水の音、人の気配、はするものの誰も何も喋らない。「看護師を呼んでみて」とオババが言ってみると、すぐに看護師の声が聞こえた、JBがまた発話できなくなったのか、その疑いが強くなった。彼女らは何か騒動していたが、また消えたらしい。
またその後かけてみても、人の気配はするが、喋りかけても反応がない。看護師に見に行くよう頼むと、彼は眠っている、ということだった。
などなど、際限もなく続く禍福(の候補)を目の前にして、
錐子オババ曰く:
愛と光のみが実在である、意識と幻像との悪循環に巻き込まれるべからず。
愛と光、とは信仰のワザである。
同時に、聖霊錐子様の視点からあたし、錐子という幻象を眺めてみた、初めての経験だった。
聖霊(錐子様)の光が希少なる物質に当たった時影が生じる。
光が一部欠けた状況が見える。
光と影の組み合わさった幻像の世界ができる。
そしてこっそり思ってしまった、JBが低脳児のようになって彼の悪徳を全部忘れてしまうこともあるのかな?
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