第3章 2020令和二年 勃発 その4 夏コロナ蟄居
正真正銘ヤマンバの頭の中
2020-06-20 報告
もはや6月20日!
単純な日々のすぎる速さは。
コロナヴィールスの未だ収束せざるに、セキュリティソフトから警告。
電脳ヴィールス新種トロイの木馬が席巻するとの。
少なくともアップル関係で。
今日はオフラインで過ごそう。(と書いたのが昨日のこと)
この2週間を省みて、第二に頭をよぎったのは、
相変わらずのバス関係の発見。
運転席近くに小さな黄色のボックスがあり、どうも切符を差し込んで印字させる機械らしく見えるのだが、ほとんど誰も使わない、以前一度、物は試しと、あたしが使おうとすると、必要ないと言われた。
バス会社まで行って単券を5往復分買ったのち、ついに運転席が解禁になり、直接切符を買うことができるようになった。それでも一々、券に自分で情報を書き込んで、ハイ、と見せていたら、そのうち無言で券を二つ折りにされた、そして例の箱に突っ込んで、はい、これでいいのです、と。必要なことは印字されていた。
なるほど。
第三のハプニング。一昨日リハビリの後、それまで髪を一つにまとめていたのが暑苦しくなり、汗ばんだ髪を解いて空気を入れ、そのままサンバイザーとサングラスをつけ、世の中を歩いて行った。バス停で、通り過ぎる車からの視線がある、ちらと見遣る人がある。
普段は絶対にない、周囲の注目を集めることなど。無視されている。
確かにダブダブの上着も脱いで、かなりぴったりのシャツ姿だがだからと言ってあり得ない視線の多さ。
工具店に入り、棒術のための長い棒について尋ねた相手の、とっても可愛い見習いの男の子が、まずは忙しいからと追い払ったのに、そのうちわざわざやってきてくれた。なんだか世の中が親身になってる?
などと、視線を浴びて楽しい気分になっていった。
帰って、鏡を見て思わず叫んだ。そこにいたのは白髪のヤマンバ、あるいは火の玉を投げつけようとしている漫画のヒーローのように髪の逆立ったあり得ない姿であった。これは尋常ではない。誰もがなんだ、どうした、と思って見たはずだ。接触した人はやばいと思うはずだ。
日本人の名を汚したかもしれない。
元に戻って? 順番を正して。第一に頭をよぎるのは、
我が身のことだけれど、
典型的なうちのモラハラ問題夫婦について、
宇宙の隠り身についてと同じくらい、アーだコーだと思惑にふけっていたら、
たくさんの情報や意見の渦の中から
きらりと光る餌が見えたので食いついてみた。
それをまな板に並べてみたこと。
条件と結果が言葉の表現として現れた。
「うちのモラハラ加害者と被害者とはまさに割れ鍋に綴じ蓋、こうなるに必至の性格の組み合わせであったのだ」
それだけのことだ。被害者側(あたし)に取り立てて反省したり罪悪感を抱いたり、あるいは人間改造しなければならないような欠点はない、むしろ美点であった性向が狡猾に利用された、当然の成り行きであった。
(もっとも若い頃の自分を思い出すと、別の、悪化しがちな面も持っていた。誰でもそうだろうが、単純にこういう気質と一つに割り切れるものではない。)
これをどう料理するか目の前のどの材料もかなり老化している、死にかかっている。それはあたしが自由に決定しよう。要は今後は楽しい余生になると言うこと。
ただ、何が楽しいと言って隠り身とのかくれんぼ遊びが最もエキサイティングである、どこまで肉薄できるか、醍醐味はここにある。ただし、できるだけ人間の意識に騙されないように用心用心!
さらに、より高度の楽しみ方は、モラハラ加害者をこの探究に巻き込んでその可能性あるいは不可能性(人間に潜むらしい悪魔性)までも取り扱っていくことかな?
どうだろう。あたしに責任はないが、隠り身(いわゆる神)には責任があるのだろうか、あるいは純然たる加害者個人の自由意志の問題か。
そうすると地獄が必要と言うことになるが。
更なる議論として悪魔があると言う便利な考え方があるが、
それは隠り身の定義に反するので、
人間に悪をなさしめる存在としてではなく、
地獄で悪に気づかせるべく罰するのが俗に言う悪魔、あるいは閻魔大王と言う解釈に落ち着くだろう。
う~む、早速人間意識の次元にハマってしまった、
こんな画像がどこまでシステムの摂理を投影しているか、否か?
それよりもまず、人間意識にもずっと深い部分があって
そこでは聖霊界とツーカーの関係だとも考えられる。
それもありうるはずだ。
それにしても厳然として不可知の壁はそびえているのだろう。
後の(死後の)お楽しみとしておこう。その態度も重要なのだろう。
ついダラダラと考えに流されてしまった。
さっき思いついた現世の話。
肉を100グラム食べたら100円寄付という方式。
食肉動物愛護活動家になれなくて傍観するのみの肉食家は、彼らに活動資金を提供すべきだと思った。
これは人類が解決すべき問題である。
殺生の上に成り立っているこの生命、のように見えるがそれが隠り身の摂理とは思えない。何か計り知れない想定外の思惑があるのではないだろうか。
********
日常の整ひつつに 心身のこの沸き出づる焦燥に耐ゆ
「卯の花の歌」の漏れくる水無月の なづきにビタミンBなど如何
エイリアンを一匹飼育 それ以外天が下なるボヘミアン歌人
聾にして無言の行よりやをら立ち見透かす天然 時空遥かに
友の絵の光を水にて薄めたる 人も地球も在るや在らずや
白皙の永遠に褪せざる汝が面輪 多くを母に呉れたるその後
排ガスの風に揺れゐる花や実の うつくしきやう植ゑし人あり
陽力にて光放たれ 物在るを見せむと脳内駆けめぐりゆく
命去り残せし骸美しき 友の伴侶の啼かずなりたり
終日を画面の前に沈思せり わが魂の健やかにして
幸ひとこの苦の滴飲み干しぬ われらの道へすがるよすがと
我こそがエイリアンにて透明に在れど 欠けたるひとつも想はず
楽しくも沈思しをればウインクさる 「極楽鳥のごとく囀れ」
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意外にもうまく行ったことと、、
2020-07-03 報告
今日は木曜日7月2日、しかしもう金曜日になろうとしている。
この前の土曜日に、学友に(という言い方はなんだか時代に合わないような感じがするけど?)メールを書いてから、
明日はマッコウ法という整体運動と太極拳棒術の練習があるのでその報告を書いてからこれを出すね、と、そんなことは彼女には全く伝わっていないのに、なんとなく伝わっているような妙な思い込みのまま、送信せずに草稿としておいた。
階下へ降りて、テレビのある夫の部屋に入り、何も見るべきものないねえ、と言いながら我慢して目を使っているうちに、なんとなく気分が悪くなってきた。頭と首、肩の後方が重たく、頭を後ろに傾げたところ、グラッときた。地震ではない、自分の頭の中が大きく揺れたのである。
こんな感覚はまあ時にはあって、それは意外性のあるちょっと面白い感覚なのだが、今は明らかに強すぎた。
しばらく待ってから用心して椅子から立ってみると、明らかに目の前がガタガタ動いている。
目眩は数年前に日本で1回、コロナ禍の前に医者が治療法と称して目眩を起こしたときが1回、これが3回目である。
トイレに行き、階段を上がる、それはできたが明らかにヨロヨロである。何か動かない静止した部分を凝視して、それは目の前の床だったが、恐る恐る動いて行った。
ソファに座ろうと、重心を後ろにかけた途端、自分の感覚としてはすごい速度でドサっと尻餅をつく感じでソファに倒れ込んだ。ベッドに寝ようとした時も重心を後ろにかけると、ドンと倒れ込んだ、その早い事。頭が一瞬認識していないのかもしれない。
翌日日曜日は、どうしたらいいかわからないまま、盛大にもどしたり、暇さえあれば眠っていた。
ついにこの日がきた。脳梗塞、脳出血、脳腫瘍、平衡感覚異常、メニエル氏病、ことによればことによる可能性を考えた。
救急に行く、入院する、死ぬ、が具体化した。
今死んだら嫌だな、とわがままが出る。そうかこの世に未練があるのか、この生活をもっと続けたいわけなのか。
要するになんだか中途半端、パソコンに書き散らしたものをどうする、そうだ、アップル社への月払いをやめなければならない!
この世のやるべきことが多かった。去る準備が全くできていないのだ。
死を楽しみにする修行をやっているのに、とりあえず有効ではなかった。
ついにこの日がきた、夫婦のうち一方が重病で、看病されている場合その看病する人が倒れたらという図式であり、そんなことは百も承知でこれまでのほほんと構えていたのがその日が来たのである。
すでにその日曜日、二人とも食べることができたのはパンとペーストソーセージのみ、コーヒーも作る人がいない。
階段を下りてトイレに行く(途中で重心がぐらりと傾き、階段を降りる途中でいきなり尻餅をついていた、あっという間だ。これが逆向きだったら真っ逆さまという状況)。
夫に何か食べ物を運ぶのが無理だった。壁を支え手すりにすがるための2本の手が必要だったから。
トイレとキッチンが上下に分かれているので何度も階段を使う、普通だったらこれもトレーニングと嘯いているのだが。
そもそも、私は老人ホームを考えてドイツに移住したのだ。しかるに夫はそれを拒否している。つまり私が永遠に元気だという前提で任せ切っている。
月2回買い物のためにヘルパーには来てもらっているが、こんな場合には全くお手上げ、つまり彼らは高すぎるのだ。たちまち自費払いになる。ざっと計算すると時給35ユーロ(4千円?)。
夫は寝たきりではないが、5メートルほどやっとのことで歩ける、中腰は無理、一日中ベッドか椅子に座って過ごす。そこで食べる。
月曜日になった。病状にあまり変化はないのでとりあえず朝一で脳神経科に行くことにする。外に出るまでがやっとの歩きである。タクシーで行く。
しかし、コロナ禍のため患者数が制限されていると追い払われてしまった。
全く方針は定まらないまま外に出てバス停の椅子に座っていた。すると頭痛があるのに気づいた。頭の上部と後部に鈍痛がする。吐き気もある。
不安が一気に増した。Diakonieに行こう。プロテスタント系の総合病院、夫が何度も入院したので周知であるが、救急で受け入れてもらえるか、どう説明したらいいやら、覚悟が定まらない。
とりあえず目の前にDiakonie直通のバスが来たのが僥倖だった。
信号を渡るのもやっとだった。よろめいている。
病院の入り口は閉ざされている。一人ずつ入るのが許され、ガードマン?がいて用事を尋ねる。何しろまだコロナの渦中なので。
あたしはおそらくまどろっこしく喋ったのかもしれない、男はそばの車椅子を見せて乗りますかという。そのほうがいいですと返事する。すると、丁寧に運んでくれ、救急受付に渡してくれた。
いつもの、あたしとは相性の良い受付婦人に説明すると、どうして早く来なかったの、と言った。次の看護師も同じことを言った。幸先がいい!
小柄の、長い髪を頭に巻き付けた女性内科医もそう言った。
「何しろ日曜日は眠ってばかりで。」
CTスキャンをした。
結論、検査が必要なのでここに居てもらいますからと宣わった。
よかった、しかし「あ、あの、問題があるのですが、私は重病の夫を看護していて、私がいないと死んでしまいます」
「誰もいないのですか」「親戚も友達もいません」「子供は?」「日本です」
あたしはすでにちらと考えてはいた。二人で入院できたら都合がいいと。それができようとは思わなかったが。
女医さんは、その関係の人と相談したらしく、
「では彼も入院させましょう、救急車で家まで行って運んできます。ドアを開けられますか?」
それが問題だった。訪問者は玄関のベルを鳴らす、自室の操作盤まで行って話をしドアの鍵を開けるのだ。映画でよくあるシーンである。
あいつにそれができるには、そばで待機していなければならない。そうでないと動きもしないのだ。
では連絡をしておけばいい、と誰でも思いつくだろう、女医さんももちろんそう言った。
しかし「不潔な」固定電話まであいつは行かない。あいつは潔癖症なのだ。しかも「清潔な」携帯電話は仰々しくどこかの棚に置いてあってすぐには取れない。
おまけにこの時間眠っている。昼夜逆転男なのだ。もう一つの悪徳があるがそれはまたのことにして、あたしに一つ案が浮かんだ。
(確かにそんな役立たずなやつだが、今は固定電話に出るだろう、なんと言っても自分の身が不安定になりそうなのだから)
万事休す、からの脱却には唯一のポジティブシンキングだ。
電話をかけると狙った通り、すぐに出た。そばの椅子に座っていたと見える。
あたしは低い声で不気味に言った。
「今、Diakonieの救急にいる、入院になった。1時間後に救急車が迎えに来るから、玄関ドアを解錠して運んでもらうべし、二人で入院するのだ、理解できた?」
後で理解したが、コロナ禍で病院はガラガラだった。ラッキーだったのだ。
ラッキーはさらに続いた。
眺め最高の6階の二人部屋にあたし一人が陣取った。夫は別の病棟だ。
看護師は皆若く美しく、暇なせいか優しかった。
若い生き生きした脳外科医が、数人がかりで何度も脳梗塞を判定するために手足を触りに来た。
夜中にあたしは浦島太郎を歌った。
竜宮城に来てみれば絵にもかけない美しさ、、、乙姫様のご馳走に、、と声を出して歌った。
但し、おかしなことはあった。あり得ないことだが、ご飯が信じられないほど不味かった。質は悪くないのにここまでまずくできるか、と思うほど味付けがダメだった、我慢しても食べられない。あたしにそんなことは絶えてあり得なかった。
まあいい。文句を言う理由は全くなかった。
MRI, 頸動脈検査、心エコー、かなり丁寧に検査され問題なし!
あたしの上半身は完璧健康だった。これがわかったのは大変な成果だ。
但し、目眩、と言うかふらつき(目の前が回転しないので)の原因も耳鼻科医に見てもらったが、「目眩の診断はとても難しい、街の医者に通って相談して」と言う結果。
めまいと難聴からはまだ解放されないらしい。まだ? もう?
老化、と言うことなのだろう。
眼科にも行くようにと指示される。ここでも老化現象が待っている。
月曜日が退院だった。その間際に失態をやらかし迷惑をかけた。
点滴用にずっと刺してあった針を抜いた後、じっくり圧迫するのを忘れてしまい(これまで問題などなかったし)、ふとみるとあたり中血が滴っていた。さらに溢れてくる。ジーンズが血塗れ。
慌てて呼んだ看護師に抑えていてと言ったでしょと怒られた。彼女も退院手続きで忙しかったのだろう。
夫に別れを告げ、血塗れのジーンズでバスを待つ間、そこらの草花や労働者や身体障がい者を眺め、うらうらと帰宅すると録画してあった好きな番組を何時間も観て幸せだった。
おまけに、真っ赤な薔薇の花束があたしを待っていた。これまで誰にももらったことなどない。
近所の経済的に困難な老婆(同い年!)にカラのペットボトルを換金するようあげていたので、あたしのささやかな寄付へのお礼と言うことだった。
学友にはそのまま送信してしまった。彼女はまだ何も知らない。
翌日、それは今だけど、金曜日の朝、目覚めると夫の第3の悪徳について怒りがこみ上げてきた。どうして懲らしめてやろうかとあれこれ考えるが現在より良い状況にはなり得ないようだ。1時間たった。
「神さん」とあたしは話しかけた。大阪弁だ。昔コロンボ刑事が、うちのかみさんがね、と悪者の気をそらしていた言い方とは抑揚が違う。(50歳以上限定の文章)
「どうしましょうね」
「どうでもいいんじゃない?」
「は、なるほど、その通り」
ピカッとわかった。なんで今までぐじぐじしていたのだろう!!!
「時間を無駄にしたでしょ、もう」
あたしはすっくと立ち上がったのであった。
原因不明なのに、目眩は消えている。点滴に薬が入っていたのでもあろう。
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夏至ののち怒りの波は消え失せて 意味もなければ忘れすらして
瑪瑙かと実る桜桃枝高し ジューンベリーならつまみて失敬
エフ分の一の揺らぎは楽しからむ オカリナ鳴らし蝋燭灯す
誠にや宇宙人かつ愛の人 吾を定義す数の統計
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宇宙人、ワラをもつかむ話
2020-07-22 報告
例により、恥ずかしい話ばかり。7月12日のこと。
末の息子の誕生日だと思ってメッセージを送った。しばらくして電話があり、おめでとうとかひとしきり言い交わした後、息子が言った。
「ところでオレの誕生日今日じゃないんだけど」
(えーっまたやったか!)と頭の中がぐるぐるになった。
確か、2番目の息子に以前、8月14日に誕生祝いをメッセージしたことがある。彼は何も反応したかったけど、それもそのはずで実は12日なのだ。その頃から二人の誕生日が母親の頭の中で交錯して仕方ないのである。8・12と7・14、この日に彼らを産んだのに!
これはただの耄碌だが、あたしの元々変な頭の中で数字は変に気になる。宇宙を記述するとも言うしね。
イスラエル文化にバカラ、とか数秘術とか言う範囲があり、要は統計学に基づくらしいのだけど、誕生日の数字を一桁になるまで足して、最後の数字の意味するところは?と言う考え方をするらしい。
あまり期待するところもなく、単にどんなものだろうと思って計算してみてまず呆気にとられたこと、あたしの数秘は33(このゾロ目はこれ以上足さずにこのまま解釈する、ただ6という性向は残る、と言う風にみなすそうだ)であって、その意味は「宇宙人」!
まあ、遠からず、地球で生きていくのが下手で、自分を活かす代わりに取り柄のない旦那の詐病に引っかかりドイツ くんだりまで落下してきたのだから。
この旦那の唯一の取り柄はどうも、同じ33の宇宙人である末っ子をあたしに残したことらしい、どうも。そうも言える。
そして、どうみてもその他はあたしの邪魔をするしか能のないようなこの旦那が意外にも、長男、次男と全く同じ5と3の数秘に属するのだそうだ。これにも呆気にとられた。
どこが!?と思う。似てるところなど一応、何もないのだが。
しかしそう言えば、長男と次男も、性格的には全く異なるんだけど。
あたしの気のいい弟も、三男も5を持っている。5とは、冒険者みたいなところらしいがこのような解釈が当たっているのかどうか、それは別問題。
1週間後、7月19日日曜日のこと。
こんな無為の日々のうちに次第に、
天体の配置がまたもや新月 日本では7・21 ドイツでは7・20 に近づき、
あたしの周囲に蔓延している聖霊愛好家たちによると、
自らとひいては世界に善を為すための画期的なチャンスなのだと言う。
こんなポジションに自分がいることに対しては??と思うのみではあるが、
試して損はないだろうと思うので
(いや、実に心温かい懐広い、心理や真理の機微を熟知した人もいて感心する)
しかもあたし自身の必要性も準備もちょうど合致してきたので
決意表明の様なことを実行しようと言うことになった。
あたしのいわゆる真理研究は、意図的に思索と科学の両輪で進めているものだけれど、研究対象の一部である「真理の人類に対する根本的具体的な、働き効用法則という分野」では、思索、思い込みに捉われ、ゴリ押しになってしまい元も子もない。
当然ながら叡智を人類の脳が言葉で理解憶測できるわけもなく
諦めてお手上げです、お任せしますと天を仰いだ時初めて、降ってくる恵があるそうだ。
もちろんご褒美としてではなく、意識が「あ、こんなところにあった」と気づく恵である。恵はふんだんに降っているが視界に入らない我々なのであろう。
そのための努力、とことんまで努力してもうダメ、と心が空っぽになった時が遅まきながらチャンスである。科学の発見発明にもそんな展開は不思議なほどにあちこちに存在するようだ。
お歴々によれば、今、新月を目指して嫌だなと思っていた重荷とすっぱりお別れして、新人生に飛び込んでいく方がいいらしい。
目下の重荷は何度も繰り返し背負わされたものだ、対象が消える以外に手はない、と明らかになったので、消そうと思う。
ないしは、置き去りにして、あたしは別次元に去っていく、これがパラレルワールドと呼ばれるもの? ちょっと笑ってしまう。
不思議になことに、
うちの神はんに「どうでもいいんじゃない」と言われたから、
あるいは今日わざわざやってきてくれた出会いときたら、踊る宗教みたいで、
もうほりゃほりゃとお任せしたらいいんですよと言うから、
恐らくそのせいで心が楽しいのだ。
夫と話すのが楽しいくらいだ。
心が変になった。涙もろくなり、捨てられる孤独な夫が可哀想になり、頭がぼんやりして集中して考えられない、思考が止まった、ただ待っているのかな。
世界苦・瞬殺・花人 せかいく しゅんさつ かじん!
花人、とは歌人、佳人、などの褒め言葉を内包した自分への美称である。
これがあたしが自らに望む姿だ。動物虐待も含む。
この二つを宣言したぞ。
世界苦などホログラムなのだが、それに囚われて苦悩するのがシステムの核心である。そこを脱する手段は気迫の祈念! なのでしょ?
ーー(思い出した)
6月なかばだったろうか、うちのそばのナーエ川沿いを散歩していたら、生い茂った葉隠に白鳥の足漕ぎボートが動いていた。どんな人がこいでいるのかなと何気なく視線を外さずにいると、現れたのは何と本物のオオハクチョウであった。
真っ白な麗しい羽毛を輝かせて堂々と静かに進んできた。その後ろには何と灰色の小さな雛が二羽、またその後ろには恐らくメスだろうか後をついて優雅に進んできたではないか。
こんな時に一人ぼっちは困る。言いたい、喜び合いたいのに。こんなことしかしまあよくある事で、あたりに誰もいないのをこれ幸いと、独り言を言って喜んだ。
7月になって、また散歩した時、思い出して眺めていると、向こう岸近くに、何と白い汚い大きな塊が水面に浮いている。もう一つ浮いている。あの白鳥たちが死んでしまったのだろうか。子供たちは独り立ちしたのだろうか。
やれやれ、自然だからどうしようもない、とさらに数歩歩いたところに広い瀬が見えるのだが、おっと! 白鳥がそこのほとんど水のないところに立っている。
羽の手入れをしているようだ、おっと、もう一羽いた、それは首を体に突っ込んでお休み中だった。ぐっすり眠っているように見えた。立ったままで眠っている。
では子供たちは、と見回すとわりと近くの流れに、二羽がいた、泳いでいた。
一緒に、やや大きくはなったがまだ灰色で、頭と首がいかにも幼なそうに可憐に見えた。
この時ももちろん一人だったので無言で微笑み、その後やっとこうしてここに話しかけているところである。
*********
「スイトピー」の変換候補に爆笑す「水とPC」 真顔してのち
この甘き匂ひのゆゑの「スイトピー」 てふのキスをす赤に臙脂に
虚空にも原子の無にも動くあり 物質、反物質出でては消えて
空調を効かしたるバス初めてのドイツ人民 無言のマスク
山間の底の川辺に木に埋もれ 月星いづこ七夕を過ぐ
囀らず雑音ばかりの二本足 メロディ洩れくるあの窓一つ
******
ーーさて、元に戻り、
疑問点は、脳のどこかにそんな神と交信する機能が組み込まれているかどうかだ。
確かに、幾分か、体験したことはある。もうどうしようもなくなり、呆然としていわゆる無心でいる時予想外の配慮に預かった。そうして今の生活がある。
宗教も神概念も進化していると思われる。
最近の神は、もう胡散臭くないし、命令や規律など煩く言わない、復讐心などない。ただ愛深く、人間を遊ばせてくれているのだ、好き勝手に決めて自由意志で生きていいのだ。
死という救いと解脱が必ず待っている、何度でも繰り返して遊んでいい。
最近の解釈の傑作は、
現世に生まれて艱難辛苦を耐え真理を探求する生活に挑戦する魂は、まるでオリンピックに参加して金メダルを狙うヒーローのようなものである、みんながあの世からその勇気と努力を感嘆して応援しているというのだ。
もう一つ大事なことは、批判的であることと、恐れにとらわれ不穏な未来を予想することは効果が全く異なると言うこと。これがホントかどうか、大問題!
ばかの考えやすむに似たり、で滅多なことは考えてはいけない。脳の持ち主がイメージすることは即実現される、宇宙がそんな操作をする。えーっ!!
エデンの園で、知恵の実を食べたりせず偉そうに言挙げしないで生きていたら、嫌なことは現実化しなかったのだろう。
それが創造主の予定であったが、いわゆるサタンが人類の父母を誘惑したと言う神話がある。しかしそれでは定義としての「創造主の完璧性」がなくなってしまう。堕落などが起こってはならないだろう。なので理の当然としてこれは嘘であり、別の理由づけがあるはずなのだが、まだそれはわかっていない。わかっている人もいるか知れないが何しろ証拠がないので難しい算段である。
昨日見たテレビで、脳が大きくなったのは、火を使えるようなった人類が調理して様々な栄養を摂取できるようになったからである、とか言ってたが。。
いずれにしろ焦眉の問題は、地球を壊さないことに尽きるのだが。。
こんな一大事の思索はそのうちAIに任せるのかも。。。
== ネガティブ襲来 あるいはハプニング好き
何故にあたしは無観客なのにいつまでも書くのだろう?
老いの繰り言ではあるけれど、どんな意味を見出しているあたしなのか?
自分の恥をさらけ出す、というほどではないけれど何となく、そんな傾向はある。
例えばさっきのこと:
日々体重計に乗って、体脂肪率やら骨格筋率などと共にPCメモしていて、小さな変化しかないのだが、小さな楽しみ。
やや自己コントロール癖。
メモ用紙をあまり使わず、そこらの紙切れの裏側を好んで使う、ミニマリスト?
体重測定がトイレの前後であるか否か、何曜日の何日、とそれもメモする。
今日は、気分の入れ替わる月初 8/1、と。
さてそれを持って階段を上がりPCの上に乗せておく。
その後家事やPCやあれこれして、ふっと思い出しその紙切れを探すが見当たらない。
こんな簡単なことが日々うまくできない。当然すでにPCメモしていたと思ったのにリストは昨日までで切れている。
念のためにゴミ箱を見る。もう使用済みの紙切れを今朝捨てた覚えはあった。
すると、もちろんクズカゴには今日のメモがきちんと入っていた。
記憶に整合性がないではないか! しかし、結果よければ全てよし、っと。
この宇宙の定義と仕組み/ 地球と人類と意識とのつながり、カラクリ/
目の前のあるいは目に見えない幸不幸/ 生死の真実、などについて
おおよその考えを決めた。
さらに、日々自分の心と意識を正しくコントロールする目標と理解とその方法、については外郭は決めたのだけれど、
目の前の幻像は相変わらず見えるので、ネガティブの渦に巻き込まれないよう油断は禁物なのだ。
そうか、だから書いているのかしらん、自戒のために。
繰り返し襲ってくる負の波を如何にいなすか。そこから立ち去っても次が来るだろう。
もっと根本的な抹殺方法があるかもしれない。
前回の続き〜〜〜
目の前に立ち塞がる大岩を、もう担いませんからと「宇宙」にお返しを宣言した頃より腹痛が始まった。大したことはなく時折同じ場所に鈍痛が来る。
23日木曜日に何とか診察の予約が取れた。
血液抗凝固剤の副作用か、腸の憩室炎かというので幸いにも十分な超音波検査をしてもらった。
いつもはかからない臨時のハウスドクターだったが老練そうでよかった。しかも若い美人の女医さんがついていて、老医師の発声の聞き取れないあたしに朗らかに説明してくれた。
それで、固形物じゃなく水物で腸を休ませたら治るでしょう、と何だか霊的なことを言われたので、よし、気に入ったと喜んで、スイカやジュース、牛乳を買い込んで帰宅したのでありました。マイナス変じてプラスとなる。これで減量できるでしょうしね!
豈図らんや、ビッグプレゼントがトイレで待っていた。
でっかいマイナスの波到来。
こともあろうに、シュレッダーの中身の普通の紙屑を夫のJBが、ごっそりトイレに流したのであった!
いよいよ頭が狂ったか!?
のたまわく、
「トレペの消費が多いとお前が非難するから、これを流そうとしたんだ」
と論理不明の責任転嫁。(あたしの非難:潔癖症のせいで紙を使いすぎ、その紙屑でゴミ屋敷さながらになる、シュレッダーとは無関係)
ハハーン、ちょっと以前のあたしみたいな言い訳をするんだ、あたしらの力関係も変化したかもね。もちろん以前は絶対的に旦那があたしを非難しまくっていたのだ。そんな目にあったことなかったあたしは、すっかり萎縮してしまった、そのまま30年が過ぎた。
さて、今回、最初のショックと絶望が過ぎると、あたしはごく冷静に、はとこのヴィータに電話して相談しなさい、と言った。
「連絡取れないに決まってる、電話のそばにいないし、彼女の携帯は感度が悪いし、いつもいつも繋がらないのは知ってるだろ!」
「ええ、そうよ、でもね、あんたにはちょっとした霊能力があるから今はきっとつながる!」
「嘘つき!」
「試しにやってみたら!」
あたしが少しおだてておいたので、素直に電話するJB。
すると、一回でヴィータが電話に出た。
ヴェルナーという左官屋に電話すると、救急の出張だと6万円はすると!
それから大家さんに連絡したりした挙句、翌日問題は解消したのだが、最善の結果と言えるだろう、経済的にも。
というのも、数日前から隣人のシリア人宅でキッチンの入れ替えがあり、水道がでないというので二日間にわたり飲み水を寄付していた。その工事を請け負っていたのが例のヴェルナーで、翌日も隣に来るというのだ。おまけにシリア人はあたし達にトイレを使わせてくれることにもなった。
ウムウム、過ぎてみれば何となくいい気分。
それで週末の25、26日は穏やかに過ごせた。それどころか、ふと、全てが思い通りに心地よく進んでいくような気がして喜ばしかった。夫にももっと慈愛を持って接したいような気分になった。あたしってもともと優しいんだよね。
月曜日7月27日、気合を入れてお茶碗を洗っている時、スプンを洗っていたのだが、同時に小型ナイフも握っていたらしく、右手の親指腹をぐさりと切った。
流れる血で消毒、あとはじっと押さえ込んでいたら炎症も起こらず、今は治りかけている。
さあ、しかし問題は介護人が料理などできないという事態である。
出前制度があまりなく、老人向けの配膳組織はあれども手続きがまず必要、
仕方なく左手で運べるものに限り食事ということに。
これに関して夫はうるさく言わない、現在は余程穏やかだ。
そんな右手でも、あたしは楽しくリハビリスポーツや棒術稽古をこなした。
火曜日には、JBが一人でタクシーで脳神経外科へ睡眠薬をもらいに出かけた。
これもすでに常態になっている、以前はあたしが車椅子を押して大騒動だった。
手首の関節が故障してからは解放されている。
ところが、ドアから出て行った数分後電話がきた。外の出口の階段で滑って転んで膝を怪我したと。潔癖症なので手すりに絶対つかまらない、杖のみなのでそれが引っかかったりするとお陀仏だ。幸い、そこらにいた男達やタクシーの運転手が助けてくれたとか。
翌日29日水曜日、ヘルパーが来た。初めての大きなスーパーへ車で連れて行ってくれる。大型センターなど数年ぶり、あたしはすっかり舞い上がって、2時間で帰ると言う制限をすっかり忘れていた。
55歳のヘルパー女性は、自分の買い物も少しして、曰く
「次の仕事には十分に間に合うし、私としてはおかげで自分の買い物もできたので、これでもう一度あそこに行く必要がなくなったから、実働2時間と報告すれば済むことです。大丈夫、何でもね!」
その言葉 Alles gut! を彼女は何度も繰り返した。あたしはその人を見直す思いだった。
その頃からあたしの背中が痛み出した。
翌々日31日、膝の怪我のため、JBはやはり整形外科へ行くという。留守の間に彼の部屋を掃除してお気に入りのLuciferの録画をまたみていると、電話。診察を終えたJBが、あとであたしに薬屋さんに行ってもらわないといけない、と。
「あ、だめよ、あたしは背中が痛くてあそこまで15分も歩けないから」
「じゃ、どうするんだよ! 薬と包帯がいるんだどうしても」
「どうしても行けない。帰りのタクシーで薬屋に寄ってもらって!」
グズグズと悲観的なJBの声に重なって、タクシーの運転手の声が。
もちろんそんなことは可能なのだ。月に何度も利用している運転手だから。
本日、あたしの凝り痛は快癒した。
〜〜〜そこで考えた。
実はこれらややネガティブな出来事は皆、あたしがそもそもハプニング好きであり、退屈嫌いである、と言うことで、それに対して「良かれ」と言う天からのプレゼントではないか!?
〜〜やはり、この筋の運び方はちょっと正気の沙汰ではないのでは?
そこら辺はまだまだ謎。どんな経由でこうなるのか。わかろうと思うのがおかしいのかもねえ。が、とりあえずこの筋道を辿ろう。
要は:
失楽園以前の楽しいばかりの世界が「宇宙」の真実なのか、
あるいは楽しいと言っても少々の苦心は必要なのか、否か。
あるいは失楽園という現象もまた摂理と恩寵の中にあり、この生命溢れる地球生活をより生き生きさせるためのマイナス要素、プラス要素をより感じさせるためのもの、、、そう読んだこともあるけれど。
まあ上記どちらも似たようなものだけれど、この現時代現世ではマイナス要素が酷過ぎるよね。人間の過敏な意識によって拡大されてしまっている、、、けれども、所詮それらはこの次元の人類の意識の抱く幻であり、「慈愛と恩寵の摂理」の実在性にしっかりと覆われている。
どちらが幻かって問題でもある?
あとはどちらを選ぶか、なのかなあ。どっちを選んだらお得かって?
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哀れなる夫(つま)とふも無し 無用とて近くて遠し果てなく別る
満洲に生れたる我のドイツにてリスト聴き居る 「死の前奏曲」とふ
祈りある殺生ならば肉も葉も 喜びわれに溶けこむのやら
愛の記憶夫の脳より消えしとか ハプニング続く傑作はこれ
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