第3章 2020令和二年 勃発 その3 初夏の妄想

      やはり大損でありました、ドイツ事情

2020-04-08 報告


 こんな目に会おうとは! コロナ禍とお金に絡んだ事件です。まだほかほかしてます。


 あたしの自家用車、と言ってもいい様な、市バス201線、すでに書いた様に、コロナ禍で運転士から直に切符を買うことができなくなってしまった。じゃ、無料なんだ、会社は政府から補償をもらうのだろうと思ったわけ。


 運転席がしっかり密閉されている(だいたい、その他に買うところが全くない!! 他の市の公共の乗り物には券売機があちこちにあるのだが! 事件のせいでわかったところではバス会社のお客様係とドイツ鉄道(DB)の駅にある発券機で可能らしい)。


 なので、私の様にすでに月額券を持っている人は、

「なあんだ、払わないですむのなら券を買って損した半月間も」と愚痴り、


 買ってない人は、

「しめしめ、コントロール人もいない様だし、ただ乗りだーい」とほくそ笑んだり、


 しかし律儀でお役所恐怖症の人は、

「何とかチケットは手に入れなくては、でもどこで買うの。運転手に話しかけることもできない」など、混乱を招く状況である。


 4月4日土曜日までの私の月額乗車券だったが、6日月曜日には4日までの様な軽い気持ちで、全く券を持たずに利用した。何かが起ころうとも思っていない。


 7日火曜日にも同じく、他のことはあれこれ考えながらも、券のことなど微塵も考えなかった。うららかな快晴で青葉が美しいのなんのって。


 突然、小男で大太りのむさ苦しい男が立ち上がり何か言った。

 10人足らずの乗客のうち半分が、白い券をひらひらさせた。

 検札人だ?? やっぱり??


 あたしのところに来て、何か言った。

 今日はとりわけ難聴がひどい。さっぱりわからない。

 券は持ってない、と首を振り、

「第一どこで買うのですか?」 「駅の券売機だよ!」 

というわけで、無情にも「身分証明書を見せろ」と言った。

 パスポートとビザを渡すと延々と時間をかけてそれを記録した。


 その間にも他の乗客があれこれ尋ねる、皆不安にも不愉快にも思っている様子だったが、こんな雑音の中ではもうさっぱり聞き取れないあたしの耳である。

 補聴器はつけている。


 やっともらった紙切れには、

家に忘れた人は1週間のうちにそれをバス会社に見せること

買っていない人は罰金60ユーロ(7200円)を送金する様にとある。


 彼をまた捕まえて、「あなたに今払うことはできますか。」

「否、バス会社に行って。」

「それはこの紙にあるリング通り218aのサービスセンターのことですか?」

「諾」

 でもそれは忘れた人の場合とここには書いてあるけどなあ、とは思ったが、

検札人がそう言ったで押し通そうと決心した。


 バスを降り、リング通りに向かった。

 去年JBが入院した街までいくバスの路線で、確かバス会社をみた、場所的にそこだろう。

 リング通りには一昨年、JBが入院した病院があり、土地勘があるあたし。


 それにしても暑苦しい日、間も無く汗が噴き出すだろうと確信しつつ、

もやはバスに乗れないので徒歩でリング通りに向かい、

偶数番号なら右側なのでちょうどやや陰もあり、たったっ、と進んで行く、

幸い左脚の痺れが今日はなくてよかった、と思いつつ。


 128番見つけた。しかしaがついてない、ドアまで行ってみるが、呼び鈴を押すのは躊躇われた。

 さらに進むと何とバスが見えた。溜まっている。見つけたぞ。


 事務所に入ると、すぐ後ろに女性がついてきていた、バスの中で不安そうにキョロキョロしてた人だ。

 しっかりとした窓仕切りの中には若い事務員、乗車券はどこで買うの、と詰問するとここで買えますって。

 どんな種類を買うかとやりとりしたのち、一方向片道ずつの単券を5回分買った。まとめて買うのでやや安いが、自分でどこからどこまで何番に何時に乗ったかなど、裏に記録しておかねばならない、検札に示すために、運悪く出会った場合に備えて。


 彼女が感じよかったので、気を取り直し合計92ユーロ近く払った(およそ11000円)。

 JBが驚くことだろう、しかしもう恐れる気持ちはなかった、こんな失敗をしでかしても。


 ついてきていた女性は明らかに東ヨーロッパ人だった。彼女は1年券を買っていて、払い戻しを要求しているらしかった。何しろ外出自主規制だし。


 そこからは適当なバスがないのでテクテク歩いた。せめて花の木など眺めて。行き先はレントゲン照射治療院である。最後の治療だ。


 いつもと違いたくさんの老人がいた。2メートル離れるのは難しい。

 そして待たされること。


 40分ほどすると、みなさん、30分ほど外に出てください、換気します。と言われる。

「もし検札人がきたら私どもが罰金を払うことになりますから」 

しかしあたしはもうすぐ順番が来るはずなので居座った。正解。


 さて、帰りのバスにいつも通り乗車、裏書きした例の単券を持って、さあ、ござれ検札人よ、と待っていたが全く現れなかった。

山積みのプレゼントあり コロナ禍の月は大なり生命は溢れ


 スーパーに寄って、若鶏の丸焼きを5、5ユーロでまた買った。お気に入り。サラダをつけて、すぐに丸かじりだ!!


 夜中のスーパームーンが、屋根の上にちょこんと光っていた。近い。青色が異常なほどの夜空。

 乱視なのにいつもと違い綺麗に見えて慰められた。


      *******


山積みのプレゼントあり コロナ禍の月は大なり生命は溢れ

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     お婆さん婦人科検診に行くの巻

2020-04-29 報告


彩なせる生命の園に猫と居て天国想へり「100Kほどかな?」

憂きことは電脳界に因のあり 蘭の新芽に気を紛らはす

エナジーの物質として象(かたど)れるひと葉一石 命の万華

夕まぐれ鳥歌満ちて憂ひすらやがて鎮もる 左の世界に 

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さてこれはゾッとするテーマ!


母があたしの今の年齢で、昔の子宮摘出の切り口に初期のガンが見つかったこと思い出して、ドイツの事情検分の意味もあって試みることに。10年くらいぶりだ。

 

ネットで検索、近くで、バスの便がいい女医さんから(この小都市にも結構な数あり)とりあえず電話する。コロナという言葉が影も形もなかった頃のこと。


一発目で受け入れ可の医院に当たりラッキー、その後その日にこちらの都合が悪くなり再予約してもらったところとんでもない未来となり、それが先日のこと、コロナ禍真っ最中である。


さあ、気候は春だ、どんな上着がいいかという問題になった。

あたしがどんな上着を着ようが、誰も気にはしないのだけど、自分だけにはとってもいいことがあった、それがわかったのよ。

10年以上前にミュンヘンで、夏のバーゲンセールで牛皮の白色の上着を買った。身頃はぴったりで、袖口が広いのがマダム風といおうか、ともかく全体は体に合っているのに、ただ前のひとつきりのボタンが、止まらない、無理に止めると動けない、自分のウエストあたりの厚みが邪魔で。


それで長年眠らせてあった。

去年秋から、体の老化予防にリハビリスポーツという処方箋をうまうまとせしめて(整形外科医から)、もっとも月に4千円ほど自費、保険からは千円の補助ということだった。そんなことは、契約するときにわかって、え~と思ったが気晴らしだ!と押し切ったのである。(もちろん、このコロナご時世ではリハビリもお休みになっているけれど。。)


基本的なメニューは、週2回ほど出かけて自転車漕ぎ2種類、背中と腕の荷重2種類、スクワット、お腹への荷重という、器械で軽く汗をかく程度。


しかしよくしたもので体重に変化はないのに、二の腕のぶら下がったお肉が減ってきた、そして気づいた、あれ?なんだかウエストラインが見えてる?!


腰から下の、前にも後ろにもため込められた古い脂肪の塊が、科学的に正しい運動で燃焼させられたらしく、何十年ぶりかにラインが現れたのであった。あのでこぼこの勝手気ままな脂肪たちが消えた。この効果は太極拳では見られなかったものだ。まあ、全体的に全ては下に垂れているけれども、目が乏しいのでそんな欠点は見えないのである。


そういうわけでボタンをエイっとばかりかけてみると、いいじゃなイ~ 引っ張られてもいない。

こうして、これまで黒だったのを白い靴に履き替えたりもして、芳しい新緑の中へ踏み出したのであった。黒っぽいハンカチで手縫いしたマスクで。


バスの運転手は相変わらずプラスチックの覆いに閉じ込められている。

午後二時から午後の診察だというので、きっかり二時に外のブザーを押してドアを開けてもらい、あれこれ書かされて、やっと診察室へ。やがて現れたのは、医師には珍しい太り気味の中年女性、マスクをしてその上に機動隊のような透明な顔面マスクをしている。

あたしの難聴の耳には、当然話はさっぱり理解できないので、聞き返しながらの応対である。


「???」「え? これは?」「???」「え?ああ大便検査キット」

「???」「え? 上を脱ぐんですか、全部?」「!」

ここで乳がん検査。

「???」「え? 下を脱ぐんですか、ここで?」「!」

「???」「え?、、、あ、あそこが脱衣室ね」「!」

あの脱ぎましたが、と出てくると

「???」「え?、、、あ、靴下は履いてていいと」「!」

「???」「え?、、、はい」と診察台に腰掛ける。

女性ならわかるあの恐怖の診察台、仕様は異なるところがあれど目的は同じである。

詳細は省略、、、


ただ意外にも超音波で子宮も診てくれたのはよかった。内診もしたついでに?さらに手袋を重ねてアフターの内診までしてくれた、これで万全だーと思った。

受付では年寄りのために乾燥対策クリームまで処方してくれた。満足。


こんなわけで別に何が起こったわけでもない、決まった流れにうまくのれてよかった。何かが起こるとすればこの診察の結果が悪かった場合だろう。それは数週間後に、ことがあった場合のみ電話連絡があるそうだ。


付け足し、バス乗り場で知り合いに会う、偶然に出会う回数が多すぎる。この歯のない女性にはカラのペットボトルを預けるようなって久しい。スーパーでそれを戻すと1本で二十円ほど戻ってくる。月末になると苦しい経済状況の彼女には助けになるらしい。少しでも足しになる行動ができるのは自分でも嬉しい、しかし、忘れているわけではない、あたしにはやるべきことがあるんだ。

無慈悲に苦しまされている動物、まずは食用の動物の助けになりたい! と言っても寄付くらいしかできないのだろうが、支援団体から条件づけられているその寄付の額がなんだか庶民には空恐ろしい。

実態を世に知ってもらうことが第一歩なのだろうが。政治家を動かすことも必要なのだろう。全てが縁遠いことばかりで、途方に暮れる。それでもお肉を食べている。


        ********

妄想編 いくら考えても書いてもキリがないのではあるけれど。。。


この一月ほど、自分の頼りない頭を駆使してあーでもないこーでもないと、想定される宇宙の真理を思い描き、言葉にしては、違う違うと考えなおし、少なくとも物理的真実であるはずの自分の存在(聖霊と少量の素粒子)に集中しては、人間意識をシャットアウトして、新しい言葉とアプローチに恵まれる、というそんな日々を過ごしてきた。その結果がやっとまとめられそうだ。


やっとわかった(=「わかった回路」が繋がった)、

無限大無限小の聖霊のみが実在だ、

ただし一部に微量の素粒子の集合があり、

その部分が凝縮して、唯一人類の脳神経網(的なもの)となり、機能的実在となっている。

すなわち1、聖霊と2、人類の脳神経網、この2種類の実在がある。


問題は2から生じる人類の意識が、五感を通して認識する物質的時空的大宇宙、

ないしは人間及びその世界、これをどう解釈するかである。


法則のあることは確かだが、あまりに自由気まま、恣意的という

不完全さを含んだ大騒動、愉快な飽きることなき幻、あるいはVR世界。


特筆すべきは、聖霊の本質(まずはそのエネルギーと人知を超えたシステムと完全性)には属性があるという点、一部物質的である人類(脳神経網)が創造するVR世界というものと聖霊とは、不完全VS完全という違いはあってもお互いに欠くべからざるものであること。


その世界に注ぐ聖霊の愛は、快楽回路を張り巡らすという方法で確保されている!

つまり歓びを与える側ももらう側もそれゆえに愛を感じ愛をかわし信頼と信仰を交わすだろうというのが一つ、もう一つはこの方法が必然的に生命を生と死と再生のサイクルに導くという点である。

(意識が絶えず求めている心身の歓び、この快楽回路が重要なのかも、

自然の美しさも快楽の元であり、

身体能力や芸術一般も科学の発展知識の解明まで、

すべての人類の歓びの元が多岐に渡り、

まるで快楽を感じるようにすすめられているかのように、

またどこまでもそれを感じるようにと、

それを求める心もはてしがない。

そうか人類は歓びをもらう、そのせいで愛を捧げる 聖霊を愛する、

歓びを与えてくれるものは自分を愛してくれる。

つまり聖霊の愛は自明なり)


しかし、日々に被る苦悩や不安にどんな必要性があるのか。原因は多岐に渡る。

「人類の意識が想像的に創造した見える世界」が不完全であることの謂であるが、

これへの対処はとてもあたしなんかの手に負えない。

輪廻、業、などの案はある。


これに関して、最近の基本的アイデア:光(電磁力)の直進を止めるものは物質であり、

その背後は黒い影となる。

実は影を経験しなければ光を認識できない、

このような必要性がネガティブな事象顕現に関係しているのかもしれない。


そして、この負の波をいなす方法、その他、聖霊との直通方法、祈り方、瞑想法などを追求して、「空前絶後の自分存在」を養っていく日々についてわかりたいことはもちろんたくさんある。


また、人格神でない「隠り身=かみ」への肉薄は、ただの真理法則ではないだけに、その不可視の力と物理とをすり合わせるなんて、なかなか難しい。


誰に判断を仰ぐということでもない、あたしだけが納得できればいい。

必ず何か降ってくる、という信仰だけは持っている。本当に助かることが多い。

(それにしてもいまだに唯一の大存在を名付けることができない、と気にしてる、そうか、やはり人格神だと感じる名残のせいだろう)


こうして自分だけの楽しみを得られて、またあたしの特性としてどんな人にも共感理解できるところを見つけるのが得意なのに、夫のJBだけがその例外で困ってはいる。あたしはどうしてJBだけを尊敬できないのだろうか、どうしても見下してしまう、情けない自分だと情けない。その結果として彼もあたしを見下してくる。


        ************


生(あ)れ出でしばかりのエナジー 早緑の光清浄 無人のこの世

さあどんなご褒美もらお 為すべきを一つ果たせり次があれども

視神経に飛び込みまぶし 色と影残せる光透明なりし

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     時の流れ異変

2020-05-15 報告


2ヶ月前、3月半ばからもろもろの予約が軒並みアウトになり始め、

3月の終わりにヨーロッパでは夏時間となって本格的な全世界的蟄居生活、

人類存続をかけた引きこもり生活が地球上に敷かれた。

(それにしても何故人類だけに?!)


話は突然卑小、月並みになるけれど、うちの壁掛け時計のこと、

百均で買った中国製安物で、おまけに段ボール家具からの墜落事故に遭い、

ガラス面が破片のみ残った状態で動いている、

健気な気もする丸い電波時計、


それがちゃんと暦通りに、3月末、夏が始まる時、

夜11時を2回経過した(変な文章だ)。

見てはいなかったのだが、

60分間じっと針を止めて1時間のサバを読んだ? 

あるいは一度進んでからバックしたのか?


(朝これまで通りに7時かな、と思って起きたとする、と思ったら時計は8時だ! 遅刻! という事態。日本との時間差が8時間から7時間になった。)


(蛇足ながら、こんな処置はするべきではない。時間軸を動かすなんてとても心理に悪い。それよりか社会の就業時刻を1時間早めにしたらよかったろう。どうせ朝日が早めにこちらを覗くのだから)


ここで憤慨してる場合ではなく、

つまりこのあと怪奇現象が起こったのである。


2週間ほど前、自室に戻ると何と分針がせっせと回っている。

これはダリの絵の時計ではないがかなりショックな光景、

しかしあたしは経験済みなので おや、また? 

時々狂った振る舞いがあったのだ、安物だからね。


しばらく待てばこれまで通りまた正常になるさと眠った。


しかし、

とんでもない時刻を指しているのを朝発見。

理由がわからない、何を意味しようとしてるの。


普通の文字盤なので12時間の範囲しか表さないので、24時間制時刻は無視、

とりあえず実際の時刻との差、8時間遅れ、か

あるいは逆に4時間早いとなっていた。


これを読んですぐにわかる人がいたらきっと地図が読める人なのだろう??、

あたしはこう事実表現できるまで2週間ほどかかった。


朝1時を指していたら世の中は午前9時である。

もとい、午前9時なのに1時を指していたら、

それを8時間遅れていると取るか、

4時間早すぎると取るかの問題だ。ああ、バカらしい。


そんな変な計算をして過ごす日々。

スマホを見ればいいのだけどいつも手元にあるとは限らない。


ところが、昨日のこと5月14日、朝ふと見れば、

半ば正気に戻っているではないか。

ただ冬時間を示している。


つまり世の中は8時なのに彼は9時を指して済ましている。

どうするつもりだろう、

訂正せよという指令は絶えず受けていると思うのだが。


(夏時間の由縁は、この時期でも24時間のうち、元々の冬時間で言うと日の出5時、日没20時と言う長い昼なので(それを6時から21時ということにごまかして?仕事開始は朝8時のままながら内容は7時と言う策)、早くから生産しようとしたとか、なのだが最近その効果が疑問視され、

したがって冬時間だけに戻そうか、と去年は議論されたのだが、

EU各国の対応が難しく修正は延期中。

去年もあたしの変な右往左往の様子を日誌に書いたような記憶がある)


一方この日、

夫のJBがまたキリスト教会のミサをテレビで見てしまった。


彼の三代悪習の一、夜眠らないを実行中、明け方ミサが放映されたらしい。

無宗教のため普通は見ない、

ところが女性の牧師だかがまるで明石家さんまのように

漫談風の説教をしていたので、大笑いして見てしまったと言う。


女性はほら、やっぱり服を買うなんて楽しみですよねえ、ずらっとかけてあるのをとっかえひっかえ、体に当ててみて似合うのを探すけど、うまくいかない、見つからなくて大騒動、体が変わったのに昔似合ったようなのを思い描いてるんでしょう云々。


でもねーこんな時代ですから、古いものにしがみ付いて信じてたら合わないに決まってますって、毎日のように自分を変えて変化させて進化していかなくては、

人間に生まれた甲斐がないじゃありませんか、


などと手まね足まねして言ったかどうか、

ともかく変化進化、と言うテーマのようにJBの話では聞こえた。


あたしは、まあ、向こうからこのテーマを振ってくるとは、と内心驚きつつ、

「最近の宗教的流行ではさ、

自分を再定義して変化させよう、

古い因習や考え、教義に囚われるのはやめよう、

より良い自分を見つけ出していこう、って風潮らしいよ」

と何気ない風に言った。

JBはいつものように反論することなく、あたしが言い終わるまで聞いていた。


そう言えば、ここ1週間ほど彼は穏やかに生きている。

ちょっとした思いやり、自分からゴミを始末するとか、

遠慮してものを頼むとか、普通の人間らしくなっている。


と言うのも、10日ほど前、あたしがキッチンで、

人間意識から離れ集中して、隠り身と対話をしたとき、

「どうせここは私のための世界で、もしそうだとしたら、

私が全て決めていいんでしょうから、決めてみます、

JBの人間を変えます。もう変人は結構、

尊敬できる男に変えますからね、本気ですよ、信仰です、

ついでに私の難聴、なんとかしてもらえます?役に立つ耳にしてくださいな」

とわがまま言ったりおねだりしたりしたのである。


そんなことが自分にも、そしてJBにもすぐに影響を与えた可能性はある。

心理学的にも。

この決意に従い、あたし自身の心がもっと広くなり、JBの態度に左右されない、

どっしりとした、受けて立つ自信に満ちた、大丈夫、と言う雰囲気が増えている。


そして早くもこの夜のこと、

かの有名なテレビシリーズ「エンタープライズ」でカーク船長が出演していたのだが、なんだかおかしい。


詳しくは書かないが全てがチャチで似て非なる出来、見るのも恥ずかしい程。

映画も予算が少ないとこんなことになるのかと呆然とする。

無用に時間を長引かせてやっと結末が明かされるまでイライラした。


ある星系?で超進化した科学技術を誇っているのだが、

その長であるVigerとやらが、

自分の創造主を探して助けを得たがっているとか? 


変なカーク船長らが赴いて、

機械Vigerのホコリを拭いてみると

なんと旧世代のVoyagerのコンピューターが自己進化して

超科学文明を発展させたと、発覚する。


結局やたらと光り輝く聖霊と女性を模した機械人間との結合が行われ??

めでたしとなったのだが、

JBそこで曰く、「ああ、キリストが生まれるんだ」

なぜにここでそんな宗教的な発言??


実は、もう一つJBのハプニングの裏話がある。

昨秋もテレビで偶然にミサを聞かされた後(入院中に)、

JBは歩けるようになりハイ状態になった。


世の中の仕組みが超明確にわかり、

口にするもの全てが超美味になった。それをこう表現した。

「どんな快楽よりすごい、こんなことが起こるとは!! 

今ならもしキリストが

さあ、これから水上ウォーキングするよと手を差し出したら、

ためらいもしないだろ」

なぜに宗教的な解釈をする???

(まあ現実では、ここから大騒動が始まり、最悪なことになり、しかし結局オーケーと言う結果になったのだが)


そんなこんなの今日、5月15日金曜日晴 気温16度

さらに新しい概念の情報を得る。


うーむ 意識はエネルギーである!?

これは意外な。

確かにその生成は謎すぎる。

最近は人間意識を敬遠する方向を向いていたあたしであった。

水素のプラスイオンのみが細胞膜を?通り抜けて電流を流すことができるとか、

最近の情報も思い出した。


そしてもひとつ、

うーむ、「卒婚」ね、

共依存とドーラにせっつかれながら卒婚をあたしは選んだのか。


以上

実は書いたこと全て、書くほどの出来事でもないけれど、あたしの中では意味的につながっているのだな、これが。


     **********


片耳の世界となりてはみ出せり やはり帰国か試しに拝む

聖霊のおへその無限の胡麻粒の 皆して創るヴァーチャルリアリティ

外界ゆついに予約の届きたり 皮膚を摩擦すブラシと石鹸

無風にて外へ一歩を踏み出して初めて知るも 皐月の薫香

薫香の元を辿れば 足元の草刈り跡ゆ立ち昇るとは

月光よ 枝葉に覆はれたる闇に黄金散乱 あの辺りらし

三次元を見ゐる仕組みの肉眼にiPhoneカメラ 未だとどかぬ 

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    神のほくそ笑み

2020-06-02 報告


0530

 皐月尽となってから妙に時間がゆっくり過ぎてゆく。そしてついにツィートした。トランプがナショナリズムとレイシズムを語っている間に、あたしは「地球市民へ」というメッセージとゲキを飛ばした。食用家畜の虐待死阻止を訴えた。


 さらに、この身が聖霊と量子からなりそのいずれも隠り身そのものであることを確認して、かくして大定義がほぼ成ったことを喜んでいると、ちょうどバッハのフーガか何かが鳴り響いていた。時間軸で言えばビッグバン直後から今もまさに、量子レベルでの生成消滅のあるかなきかの状態が無限に続いているこの隠り身のさま、それを限定的ではあろうが、神の存在を賛美する音楽で表現されていることが納得された。


 そこで、すぐに次の課題、量子レベルのこの緻密な出来事が次第に積み重なっていくとようやく脳神経網まで時間軸的にも空間的にもたどり着く、そこでは、これらのそこまで幾重にも階層をあがって膨大な規模になった組織システムから、人類の意識というものが生成されるのだが、まさに意識が我らには重要不可欠なのでこの窓を通してしか大システムへの理解の道がない(直感的な方法があるのかもしれないが、それが無理な自分として)。


0531

 前回の報告から十日間ほどは、無為の生活のためか信じられないほどの速さで時が流れた。

 23日土曜日に、太極拳棒術を習いに出掛けた。後ろの療養公園で、ドイツ人で超小柄の女性師範とのっぽの老女、それに恐らく最高齢のあたしという取り合わせで、1、5メートルの棒を振り回すのであった。以前から、素手で練習する太極拳の動きに棒を加えたらどうなるか、興味があったのでひどくやる気あり。毎日のように一人稽古もしている。もっとも手首や親指など痛いのだが、練習してみると妙に大丈夫。


 それからは、今度は信じられないくらいののろさで時が進んでいく。現に、今日もまだ5月だ。6月を待っているわけではないが、まだ明日も5月、ああ助かったあ、などと辻褄の全く合わない感覚で就寝していて、今回「やっと明日は6月」というところまで漕ぎ着けた。


 晴天続き、湿度40%余り、気温20度ほど。若葉がキラキラと光っている。鳥の合唱、ほとんど天国と言っていい。夫のJBは、家政婦のあたしに文句を言いたいのを抑えることができるようになった、しかし相変わらず一歩も外に出ず、太鼓腹に浴衣を巻きつけた姿、長いフケだらけの蓬髪、自分の使った紙屑その他に囲まれて座っている。モンスター、見るのも厭わしい。それでもこれでもあたしとしてはずーっと楽に過ごせている。

 自分のことで忙しい。いわゆる神学的定義の思索、追求。


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何度も繰り返す夢想


1. 絶対的唯一存在、ととりあえず今日は「神」のことをこう表現してみる。

2. とりあえず極大にして極小、無限にして無尽、場に満ち満ちている、はず、そうでない「神」には興味がない。

3. 本体はいわゆる無、ではない。

微量の物質粒子はほとんどビッグバンの時から存在した、つまり大存在の一部である。物質と反物質という、正負の粒子がほとんどは対消滅したり、まれに物質が残ったり、を瞬時に無限に繰り返す、その姿が常態である。

4. まれに残された物質粒子から物理にのっとり形成され、我々の目に見える、動いている物質宇宙が被造物である。


5. これにプラスして、このような状態の仕組みと働きそのもの、システムそのもの、摂理そのものを含めた見えないものを「聖霊」と呼ぶことにしている。もう一つプラスできるのは、聖霊の慈愛(これについては既述あり)。


 こう考えると親しみが湧かない、というか想像しにくい、直感的に何らかのイメージを作りたくなるが、そこを極力抑えて話しかけやすくしようと、そらさん、と呼んでいる人もいる。


6. 作曲家にして指揮者、しかし演奏者は物質界のいわゆる被造物(被造物も神の一部、何しろ神しか存在しないので。簡単な理屈だ)


 元々「宇宙」という言葉で間に合いそうなものではあるが、言葉に陥穽あり!

(上に考えたことは、もちろん以下のことを考慮している。人類が今とらえることのできる物質宇宙だけではありうるエネルギーの5%でしかない。しかし微小すぎて見えないが保護膜のようなものや、ビッグバンの余波のような拡散力との不可知不可視部分が大勢なのだ。宇宙という言葉には、ここまでの意味はこれまで含まれていなかった)


もうあれこれ、追加追加を重ねてしまった。あたしにできるわけもないことを、可哀想に頭を酷使している。


今朝のこと、朝日の中で手鏡に自分の顔を写した、実は引きこもりの日々のせいで、体重が連日増えてきたのでどこかふくれているかと点検しようとしたのだ。老化激しいところは無視して、瞳の中心の黒い穴を覗き込む。


 ハロー、そこに誰かいるの? 

 あ、違う、自分で自分の目の中を覗き込むことはできない相談だ!


 待てよ、このあたしの鏡像はなぜに見えている? 

 光があたしの顔に当たり、そこから反射した部分が鏡に当たる、すると鏡は平面なので多くの光が正しい角度で再反射してこちらのレンズを通って、3色のなんとか細胞に届く。そこで生化学反応が順番に起こり、視神経に電気信号として流れ始め、、、

(脳内の仕組みはだいぶ判明しているのだろう、それらを応用してロボットが似たような反応ができるまでにすでに人類の研究は進んでいる)


 そしてあたしは自分の顔が見えていると認識する。


 周囲のすべてのものに光が当たり、反射した光が目の中に飛び込んでくる。

 逆さまに見える像を、経験からひっくり返し、頭の中で、眼球の死角を補正し作り上げて、

 窓がある、ガラスが、木が、空が、雲が、そこにあったんだなと存在を認めてゆく。


 しかし本当に見えたままのものが存在していたのか、あるいはあったとしてそれを正しく反映して認識しているのか、実験によると、ちょっと問題であるらしい。


 光を反射させるのは物質であるから、やはり物質は真に存在するということになる。アインシュタインの単純明快なエネルギーと質量と光の速度との関係式は、創造主には被造物が抜き難く絡んでいる、必要不可欠であることを示している(とはあたしの極論)。 


 自分の目の中を鏡で覗いても迷うばかりなので、目を閉じて自分の体を想像し、実態を感じようと集中する。

 無(ここが聖霊、神の不可知の部分)を球状に閉じ込めた水素原子一個、にまでまず集中するが、

 多分「原子核という微量の物質」に対し、ほとんどは無であり聖霊であり未知なるものである。

 ことほど左様に、この体全体もほとんどスカスカの無である。それはすぐにわかることだ。納得できる。あたしそのものがこのままで宇宙と同じ作りである。

 原子が密に折り重なっている点で、同じだ。しかし原子がほとんどが聖霊だ、あたしも宇宙も聖霊に包まれている。

 拡大すれば、すなわちそのままの大宇宙が即「神」の形である。見えない部分が大部分だとしても。


 しかし、それならそこは、地球は、人類は神のイデアのように完璧完全でなければならない。どう見ても不完全なのは明らかなのに。法則を破ることはなしに支離滅裂、アンフェア、不如意、無慈悲だ、この見える存在は。


 ただし、人間の認識する像が実相をありのままに反映していないだけで、完璧の実相物質世界の存在は理の当然だとわかっている、聖霊と共々に存在するのでそここそ神界である。

 真の完璧な神のイデア具現化宇宙が存在するはずだが、但し人類の観察する宇宙の姿の向こうに。


この変な仕組みは:

7. 聖霊の一部としての完璧の物質界の存在であるあたしの脳の機能に、意図的必然的不全があり、完璧物質からの反射光を正しく認識できない。


もう一度、

8. 神界(粒子と反粒子が対消滅した時が聖霊+稀に変化的性質のために粒子が残ればイデアが具現した完璧の物質界、微量だが)の中のこれまた完璧の脳神経の生成する人間意識のみが不完全系(11次元を4次元で生きることの歪み、摂理の一である無知あるいは忘却症状あり)になっていて、努力協力進化の道を選ぶことになっている。


9. それは御膳立てされた道では自由という価値が失われるから。しかしプレゼントは至る所に準備してある、見つけられるかは任せてある。


10. あたしのみに正しい姿が認識できない。他のすべての人にとっても同様に。この不完全な世界はあたしのもの、彼のもの、みな異なるはずだが、同じ部分もあるので重なり合って不完全な集団的な想像世界を創造しているとも言える。


11. もう一つ「神」の定義として外せないのは、情である。人間に情があるのなら創造主にもあるだろう。だって我らは神という存在の一部である、それ以外にありえない。天と地とに分かれているはずもない。今ここに一体である。


12. ただ我らの認識は、生きている間はこの真実まで到達できない、いろいろ努力して成し遂げるようなっている、それこそが人類の誉れである。


13. 本来はすでに完璧に作られているので、心配は要らないのだがまあ、RPGで遊んでいるようなものだ、本物は安泰である。


神の存在形式:聖霊と量子

その様式:極小極大無限無尽

その様態:叡智オールマイティ慈愛不可視不可知

その存在目的:自在

その存在意図:自身の鏡像、具現化つまり世界創造

その創造法則:量子界から物質界へのリンク、物理生化学法則、慈愛の変形、絶えざるプレゼント、死によって霊界へ戻す、プラスマイナスの対称性法則、時間軸、次元圧縮、人類の真理認識の進化

その影響、波及:全てにおいて完璧である神は、自由と進化能力と愛ある者と創造した人類が、意図的必然的な認識力不全にもかかわらず、苦心して神との同一性を認識し、人類の意識にイデア通りの物質界を映せるようになるまでを観劇する。現世の現実は事実にあらず、幻像の世界である。まずは人類には文化的心理的バイアスがかかるが、やがてそれを脱して自由意志により、理想世界と幸福にたどり着く。それは時間軸では長いが実は一瞬とも言える道、つまり常態である、そこが神のほくそ笑み。


     *********


御詠歌のやうなる歌と自嘲して 庭にて遊ぶ犬やら鳥やら

繊細なるニワトコの花群れ咲きて 何にも喩へがたき芳香

川風にふと香りくる懐かしきこれは何ぞや 菜の花なりぬ

潮風と思ひてめぐるザリーネゆ注がれ嬉し 飛沫と日差し


知恵の実を喰みしはあの日 世を統ぶる薄き小箱にりんご明るむ

微小なる白き花たちあふれ咲く皐月の小路 日はまだ高し

三昧の文筆生活 あらまほしき取材旅行はコロナの阻む

新緑の森の天井仰ぎつつ友の窮状心を過ぎる

ちさき朱の垂れて野苺 さて如何に前歯ににほふこれぞそれなり

無為ゆゑか疾く過ぎたるに 五月なほ最後の幾日長々つづく 

*****

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