第1章 平成区切り その2 入院は想定内だったが
通し番号二十二 平成30年2018年11月から年末 想定以上のことが
ーーJBの入院生活ーー
(11月中旬のあなたにお任せブログ;
30年前、平成元年、1月初、まだ昭和天皇辛くも在位だったときにドイツから帰国した。
7年ぶりの日本。
その頃ベルリンの壁が、偶然に、とも言えるような崩壊の一歩を果たした。
美空ひばりがその頃亡くなったような気もするけれど、これは信用ならない。
あれからざっと30年が夢のように、悪夢のように流れたのだ。悪夢とは言い過ぎで、
日本が見舞われたのはそれでも平和と言う大前提の中のこと、と言うべきか。
個人的な「悪夢のような」体験は、コップの中の水が
多いか少ないかを議論するときに似ているのだろう。
おっと、こんな大上段に振りかぶったのは、あまりに些細なことを書こうとしているから、らしい。
私なりに可笑しいこの30年のドイツ社会の変化は、挨拶の仕方に見られるのであまりに明らかである。
人と人がすれ違うとき、できるだけハローと言おうとする。言いたくない稀な人は目を合わせない。ハローですって? 何それ。英語なのにハローとドイツ語読み(ア)で発音する。それともキングズイングリッシュなのか。
昔はきちんと「良き朝を、良き日を(願う)云々」と言うか、
バイエルン州だと「神に挨ん」(和訳不可能)とか重々しく言い交わすものだった。絶対にハローなどとは言わなかった。
それが今は、店はもちろん、役所でも病院でもそれでいい。
そしてカフェとかで一緒になった客同士が、知人でもないのにハローの後は、チュスと言いあって別れる。しかも「ュ」の発音は口を尖らすのではなく、「イ」が混ざっていてちょっと可愛い発音になる。女性は特にその音を長引かすのでより愛想良い感じにしていると思う。
この話のついでなのだが、数年前にドイツに行ったとき、どう言うわけか、こんにちはと言うべきときに、このサヨナラ的チュスが私の口から勝手に出てきて困ったことがある。
人に出会うや、サヨナラ、と言う変な人になってしまった。
こののんびりした地域のせいか(所でまたついでの話だが、ライン河の左に沿ってこの地域「ラインランド・プファルツ州」があるらしい。バスの一番前の座席で、目の前の壁に貼ってあったローカルバス路線図を見てわかった。そしてこの路線図というのが、六角形の蜂の巣状に区分けされていて、例えば私の乗る区域は「蜂の巣400」と名付けられている。可笑しい。で、たくさんの蜂の巣が集まった右端に沿ってライン河が描かれていたのである)
こののんびりした地域のせいかどうか、チャオも1、2回繰り返してよく使われる。
これも親しみがある。昔は親しい人はチュス、で別れたがそうでない人、年上の人にはながながしく「またお会いすることを記して」と言ったものだ。
向こうがチュス、と言ったのに対し、私がついこれを使うとなんだか、
「え?」みたいな空気が流れる。
さて、お任せブログと名打ってあるので、例のごとく前回から今日までに起こったことを、
お任せの結果として受け止めることとしよう。
うちの旦那(無神論者)がキリスト教プロテスタント系の病院に先週火曜日に収容されてから、今週月曜日までの間に、信じられないほど体調改善を為して、せっせと院内の徘徊散歩を自らするようになった。主に利尿剤点滴治療である。心臓の負担を軽くしてあげたということ。そう説明された。
で、そろそろ心臓カテーテルをするために月曜日の夜に黒人の医師がやってきたそうだ。
どこからカテーテルを注入するかを診た。
上腕は、合気道その他で鍛えてあって、指に血管が触れないほど硬いので無理。
では、脚の付け根は、というと
何と、股のあたり全域に湿疹ができている。それをまず直さないとダメだということに!
もう長いことそれがあることは私も知っていたが、うっかり?忘れていた、
あるいは軽く考えていた。
同室のカウル(やはりパではなかった、子音が区別できない)さんにもそんなことはあったが数日の塗り薬で治ったという。しかし旦那の場合ずっと放ってあったので多分長くかかるだろう。
複雑な気持ちでいると、次の朝旦那から電話がきた。声が弱々しい。
熱が出たという。夜はよく眠れていたのに前夜は眠れなかったと。それで何度?
40度近く。
ドヒャ~あんなに元気いっぱいだったのに!!
(すぐに思い浮かんだ。舅が56歳の若さで骨髄ガンで亡くなったとき、高熱が出た。医者も全く予想していないようにあっという間だったこと)
何ですか、これは?と(象徴的に)天を見上げた。どんな塩梅になっているのですか?
どんなにしたいと思っている?と逆に訊かれる。
この世的にはすぐに死んでもらっては困ります。
でも私の都合は抜きにして、彼がいわゆる安らかに生を全うしてその後も楽しく過ごしてほしいというのが私の意図です。この文章はとても重いものです、お分かりでしょうが。
お任せと言っている割には、結構私の意思が重視される。
つまり私が試される、その意味では。
ではなく、私が願いを決めたらその後はお任せということなのだろう。
はあ~
油断も隙もあったものじゃない。
人間としても旦那は大岩のような性格で、ましてや体まで大岩のように動かない、
それを保護して担いでいく身はたまったものじゃない。
(カウル氏は片足が無い、これは
こうして火曜日は始まり、水曜日の今日も熱を下げてもやがて震えが起こり、また熱を繰り返す。
血液検査の結果は、旦那の電話で今日の夕方わかった。
流行りの、話題の院内感染である。多分注射針を刺したままにしてある場所からの感染。
血液中に細菌が見つかり、抗生物質治療が今夜から始まった。
ということで今日のお任せ、終わり。
これはお任せの証拠書類とでもいうものかな。
*人の請ふる美しき暮らし限りなし茶室のごとく宮殿のごと
*日の差さぬ窓より突如躍り込む 向かひに西日反射してのち 拙作)
ーーサイボーグへの道ーー
(12月に入り、11月下旬からを振り返る あなたにお任せブログ 夫の入院話2回目ーー
うちのダンナのあの院内感染診断から4週間経った師走12日水曜日、
もちろんこちらでは「師も走る」とは微塵も考えずに、
人類を救ってもらったキリスト誕生を祝う気持ち一色である。
12月の毎週末は全国で聖夜の市が立つ。
それを4回繰り返すとほぼ聖夜となる。
家庭ではモミの木などに4本のろうそくを立て、
4週にわたり順番に火を灯してゆく。
子供のためにはイヴカレンダーなるもの、日々一つずつめくって行くとチョコレートが入っているカレンダーもあり、サンタクロース(聖ニコラウス)関係はもちろん、国民の喜びを高めて行く行事が連なっている。
私たちの船荷は無事に11月末に到着し、1階と2階に配置してある、ダンボールが。
まだほとんど開けていない。今日初めて冬物を探し出したくらいだ。
相変わらずスーツケースから必要な衣類を取り出すのだが、その後整理ダンスに次第に移っていき、夏物がスースケースに貯められて行く、という動きである。
ダンナは今も病院滞在中なので、日中はほとんど見舞いに出ている。
夜は空気ベッドしかない。
よくこんな必要最小限の生活を平気でやっているなと時々、自分でおかしくなる。
水回り、洗濯乾燥、暖房が整っているからこそだが、もう一つ、重要な食べ物関係。
ここに一つの秘密?がある。
ダンナの食事は今や問題ない、和食でないのに病院食には徐々に文句が出てきていても、私はそれには耳を貸さず、冷たい視線を送るのみ。
近所にウクライナ美人のシェフがやっているレストランがある。
実に美しい顔をしている、体はお肉で処置無しだが。
もう書いたかもしれないが、難民なのだ。
その彼女が私たちを常連客にしようとして、愛想を振りまき、サービスしてくれるので、よく通ううちにこんな提案をしてきた。
1日分、何を飲み食いしても、あるいは持って帰っても一人分全部で10ユーロにするのでそれで取り決めをしようと。換算すれば1300円くらいで朝昼晩を食べさせてくれる。味はダンナにも気に入っている。
金銭的に困っているらしいので、まあいいかとそれに乗ったのは私のみである、
だってまさにその日からダンナは入院して、私はまさにそのシステムで楽をしているのである。
買い物料理、片づけゴミ捨てしなくて良い。私はそもそも苦手なので。
こちらのゴミ分類法の考え方も理解できない。
1プラスチックその他
2再生紙(綺麗な紙)
3植物、サラダなど
4その他ごみ(汚い紙、煮炊きしたもの)を4つのでかい容器にわけて入れる。
でも、プラスチック容器入りのヨーグルトの残りなどは一緒にできず、
おまけにだからと言って、料理の余り物はプラスチックに入れて捨てたら怒られる。
これは新聞紙などにくるむらしい。
でも隣のシリア人家族はめちゃくちゃに入れるので、私は混乱する。
さて、暮らしの話はこれくらいにして、
私たちのお任せ4週間はどうなっているかというと、
今日(12月12日)の結論:サイボーグ出来上がり。
まず話を後ろに辿ろう、昨日のこと。
昨日11日はやっとダンナにペースメーカーの設置手術が行われた。
それを去ること6日前11月30日にダンナにやっとステント手術が4時間行われた。これがサイボーグへの第一歩であった。
それを去ること1週間前、皮膚病も治り
11月22日に心臓カテーテル検査がやっと行われた。
この3件の検査・手術のいずれの時も、何も知らされず何の支持もされず、やっと人を捕まえて尋ねても返事は「下です」くらいで延々と待たされた。あとで本人から聞くしかない。
*11月22日 心臓カテーテル検査;この最初の検査は10時から始まり、
医者みんながこんな心臓は初めて見たと仰天し、
終わったところで今後について外科内科の心臓医が検討して結論でず、
で13時までかかった。それから6時間さらに身動き禁止。
これがどんなに大変かは経験しないとわからないかもしれない。
腰にヘルニアのあるダンナは不安的中、痛み止めなしでは耐えられない。
私も帰るに帰れなくて動けるようになるまで居残った。
その翌日にはもう一度心臓のエコー検査が行われたそうだ。
より透視力のある?つまりより危険な放射性液体を体に入れて、
発見したのは奇妙な袋状のものであったとか、
悪い方の心臓の下にくっついている。
医者の驚きようをみると、当初の計画のペースメーカーなど
とても怖すぎるだろうと思われたし、実際立ち消えになった感があった。
2010年、日本の病院での判断では、壊れた2本の冠動脈の代わりに
細い血管がたくさんできているのだがペースメーカーを入れるには
とても無理があるということであった。
*無駄に時が過ぎるかと思いきや、その数日前からはもう私の方に摂理が動き始めていた。
見舞いを休んで乗合バスを終点まで乗るという冒険旅行を敢行したところ、
あまりの寒さに震え上がったり、あるいは見舞いを休んで一日中座っていた。
その結果だろうか、私にかなり尾篭な病気話が起こったのである。
アナルのそばにおできができた。
恐ろしくなった。
治る様子がないところへ、ちょうどハウスドクターの予約日が来たので、患部を見てもらい紹介状を書いてもらった。
もらった薬も効く様子がなく痛いので、その週の金曜日に
ふらふらとDiakonie 病院の救急外科へ入って行った。
紹介状のおかげか、はた、受付の女性の知り合いにモンゴル人がいて、
私の人種に興味を持ったせいか、たちまち切開されてキーキー言わされた。
ただ月曜日に外科主治医に診てもらう様、若い医者が書付をくれたが、
そんな予約が取れるはずもなく木曜日になった。
その後も他の外科に行ったりしたがらちがあかず、「ふと思いついて」
ーここが肝心だーこの解決しない不安から私は
「歩き瞑想」という手段にすがるほかなかった、もちろん必死で実行。
「この身は燦然たる金剛身なり」と歩いて唱えた。静かな時間が楽しい。
同じく「ふと思いついて」
今まで大した理由からではなく、単にもう諦めて敬遠していた新しい薬局に
行ったところ、すると果たして、そこで思いがけなく天使の様な
優しくぴったりの薬剤師がいて、有効なクリームを売ってくれた、
他の薬局では全く話にならなかったのであったが。
*この幸運の前には、また波が立ち現れた。プラスマイナスのコンビの波が二つも。
またもや尾篭な話である。
大腸ガンの検体を提出せよとハウスドクターがいうので、
11時までの制限時間に間に合うと思って、バスで出かけた。
するととても可愛らしい痴呆の老女が乗ってきた。
いつかも私を見て、嬉しそうに手を振り天使だわ~と身にあまる事を言ってくれたその人、またもやすぐに見つかってしまい、ニコニコして手を降ってくる。
バスを降りてもまだ振っている。あ~あ、参ったなあ、天使だなんて言われて、
とまんざらでもない気持ちで寒い中を医院に向かって歩いていた。
おや。この身の軽さは?
バッグがない。見舞い用の布のバッグを持っていない。
さてはバスの中におき忘れたのだ。
立ちすくんでしまった。どうしたらいい。
日本なら見当がつく。わあ~~
とりあえず、乗ったバス停の椅子に忘れたかもしれないとも思い、
携帯と財布はポシェットに入っているのでタクシーに電話、こればかりは慣れている。
見覚えのある様なトルコ人らしい運転手がきた。
事情を話したところすぐに本社に電話、バス会社の番号を調べさせた。
そこはマインツという離れた都市である。でもそこに電話してくれる。
するとバスの番号や時間を尋ねられた後で、あ、それだけは市バスですという。
それならと、運ちゃんはスマホに口頭で命令して難なく番号をゲット、
電話して無線を飛ばしてくれる様交渉してくれる、
「こうこうで困っているご婦人がいるのだがどうしたら助けてあげられる?」
そうこうしているうちに、乗ったバス停に着く、ひょっとしてそこに忘れたかとも思ったが、そこにもない、そうこうしているうちに運ちゃんは相手と話をつけて、自分が連絡次第では取りに行くのでそしたらあなたに電話しよう、という。
それでスマホで電話番号を見せて(そらで言えないので)私は家に帰り、念のために家も見た。
間も無くバッグが手に入ったのはこの天使のおかげであった。
私ではなく彼が天使だったのだ。
「人間は助け合わなくちゃ、困っている人は特に」
というのが彼の信条で、タクシーの運転手歴30年以上、満足して働いているそうだ。
当然のことながら私としてはたっぷりチップを弾んだのであった。
*で、この日、私は不整脈の薬を失念してしまっていた。感謝のあまり。
翌日は、前日大腸ガンの検体提出はやはり遅れてしまい、
早朝から検体確保に再挑戦するために、バタバタ薬も飲まずに動いたら、
家を出る間も無くドキドキが始まった。
胃が空っぽなので本薬も頓服も飲まずにいたら一向に止まない、始めてのことだ。
その状態が45分続いて、やっと昨日から飲んでいないのに気づき、
急ぎ飲んだ頓服で収まった頃、順番がきて医者に呼ばれた。
色々みてもらったがもちろん何も見つからない。
しかし、近くの心臓専門医へ紹介状をくれた。紹介状といっても自分で探すわけで、
この地域では何ヶ月も予約が先になるのが普通なのはアレコレ電話してみてわかった。
一軒は来年9月だと言う。もう一軒はまともに電話もかけられない様なところだったが、
たまたまハウスドクターの近くだったので、ゆっくり歩いて、
時間ギリギリに行ってみると、
隠してあるかと思われる様なところに変なドアがあり、
入って見ると医者が数人いる様な医院であった。
こうこうでと紹介状を見せると12月18日の予約が取れた。
信じられないほどの成果である。
ここにも、マイナスの波からプラスの波へと連れて行かれて有難い。
ここへはそのうちダンナもお世話になれるだろう。
*そう言えば、この尾篭な苦しみを抱えながら、もう一つの流れが進行していた。
ソプラノ歌手の大家さんにチラと日本語を教えたことがあると言ったことがあった。
その頃はせっかくもらった滞在許可は、ダンナが生きている間だけ有効であって
その後は仕事でもしてその手のビザを取らねばならないらしい
という考えなど毛頭なく、ただ話したのであった。
それが今になって符合が合い、成人学級の校長が私を面接すると言ってくれたとの知らせを大家夫人から受け取った。
苦労して写真を撮り、ドイツ語の履歴書をダンナに協力させて書き上げたが、
なんとプリンタが壊れてしまった。
ドイツの高電圧変圧用の器具を、慌ててオンしたのでショートして死んでしまった。海を渡って持ってきたのに。
しかし、運よく気軽な校長さんで、メールで送った履歴書を自分で印刷してくれ、本人がいるので写真要らず、もう3月から授業することに決まってしまった。
プリンタがマイナス事項であったか~ 大分ショックを受けたが、
それほど深刻には考えなかった。そんなことくらい。)
神への短いDM:
(11/22 ご存知でしょうが、神霊の摂理により。
この身に不都合な症状が現れたこの数日、つい思い悩んでしまうものですが、
苦し紛れに思い出させてもらいました。
金剛身なり、何があろうと衰えようとどう見えようと、この身は燦然と輝く金剛身なり。
病は影、ではあるとしてもあとはお任せ、これにぞ尽きる。)
(11/24 わが思惑をいつも遥かに超える摂理へ、
隠された反物質2個こそ聖霊であろうかと、
光と磁力の波動が交互に+ーを描いて進むように此岸の時も進むのみかと。
ーの波を歩みつつ唱える 実相完全円満燦然たる金剛身金剛世界
この今も人の声の愛しさ)
(11/26 摂理なる存在へ、どう見えようと燦然たる金剛世界、
と唱えるバス待ち時間を嬉しくいただく。
他の宇宙人から見ればダイヤモンドであるこの惑星かも、
炭素の一つが生命であるかも。
木々に覆われていた岩山の真の姿が現れ出てきた。
木の葉のような人の五感的意識活動であるかも)
(11/28 太神へ、バスにカバンを置き忘れたお蔭で
「我々は人間です、人間は助け合わなければ、困っている人には特に」と言うタクシーの運転手の存在に触れました。
三十年来の仕事に満足していると。
大腸ガンの検体!は提出し損なったけど、知り得ない摂理があるのでしょう。
起こらない事には 無知な我々)
ーーサイボーグ完成と退院ーー
(2018年年末まとめ あなたにお任せブログ 夫の入院話 3回目
さて、ここまではダンナの本格的治療の前段階のちょっとしたお遊びであった。
*12月3日、月曜日、満を持して(多分医者たちが)ステント挿入当日となった。
私も7時45分にはタクシーで出発。
しかし待ち惚けとなり、ダンナも飲まず食わずで待つこと数時間、
やっと13時から始まったらしい。出てきたのが夕方5時ごろ。
4時間ぶっ続けでステントを続々と、まるで消音ピストルの様に打ち込まれたという。次々にステントの大きさを変えて最後はかなり大きなサイズであったらしい、何しろ、唯一背中側に生きている冠動脈なのだ。これが医者も驚くほど硬化してしまっていたのだ。
他の動脈は完全に壊れている。
いくら憎らしいダンナでも病室で待っていると悪い方にばかり想像して気が紛れない。唯一紛れたのは、看護師が突然飛び込んできて別棟へ(隣だが重篤な人用)移ると言った時。あっという間にすべてのものをかき集め車椅子に乗せて
5B棟から5C棟49室に移動。日本ならありえない番号。
胸に鋼鉄の?輪っかをつなげられて、別の生き物になった様なダンナは、49号室にもどったがその後また6時間の身動き厳禁の我慢を強いられ、私も11時まで残った。
ついに看護師がもうおかえりくださいと言った。
帰りのタクシーは幸いにも女性運転手で、いい匂いといい音楽があった。
その話を後でするとダンナはそれを訝しがった。
夜中に女性が客を乗せるなんて危なすぎる。
そこで私の案、多分彼女が引っ掛けようとしていたのかも、
なるほどそうだったかもと二人の意見が一致。私で残念でした。
こんなタクシーは初めてですと私が言った時の彼女の乾いた笑い声が、
確かにあれ?という感じだった、今から思えば。
*ステントで血管を補強し、さて、ペースメーカーが入ったのは12月11日である。
その間の日々、以前は歩き回っていたのにずっと機械につながれっぱなしで、ダンナは新しいMacの本を読んで過ごしたらしい。
おまけに、心臓の様子に注目される余り、糖尿病治療のC棟への移行引き継ぎがいい加減になったらしく、利尿剤が使われなくなっていた。次第に脚がまたもや腫れてきた。
手術の前夜は結構深刻な気分でお別れを言いたそうだったが、
そんなことに巻きこまれるものかとばかり、私は軽くいなして別れた。
当日やや遅くなり私が9時半に着くといなかった。どこに行ったのかわからない。
8時の予定だったのそろそろ終わるかと思って私は遅く来たのだ。
手術そのものは救急でもするほどの日常茶飯事のはずだと聞く、基本的には。
と思って、朝食をカフェで摂り、そろそろいいかなと49号室に戻ると
思いがけなくも、掃除担当の女性が部屋を拭き始めた。
そして彼は一晩は下にいるだろうからこの部屋を空けてもらうとのたまう。
いつでも次が控えているのだ。
また車椅子難民風となり、ナースステーションで足を止めて事情を尋ねると、
ともかくまだ下なので、一晩だけなので荷物はここの小部屋に預かっておくからと親切に?言ってくれる。
こちらも図に乗って、ひょっとして麻酔時間の長さとか分かりませんか、と尋ねてみたが
「こちらでは細かいことは云々」
尋ねた私が馬鹿だったと悟り、ダンナの大事な証明書などあったが
そこはもうお任せで荷物を託した。
さて、ロビーで張り込みだ。いつかここにエレベーターで登ってくるから。
ちっとも出てこない。
ベッドのまま運ばれ、また戻ってくる人はたくさんいるのに。
もう7時間がすぎた。午後4時半だ。
その時、誰かから私は聞いた。ダンナはICUにいる、と。それが誰だったのか書いている今、思い出せない。2階です、ブザーがあるので押すといいです。とその人は言った。誰だったろう。親切さを感じた。
誰だったろう。そうだ、ナースの一人だ。あ、あの顔の人だ、また戻ってくるだろうから荷物は一晩預かると言ってくれた。顔の記憶が乏しい。
結局、後でダンナから聞いたところでは、手術は10時ごろ始まり終わったが、5時まで手術室におかれていた。人々が来ては出て行くが、自分だけはそのまま観察下にあったと。
それからやっとICUに運ばれたところに私がやってきたのだ。
顔色がよかった。もう心臓がよく働かされているのか?
またもや身動きしてはならず、特に右肩は厳重だった。
麻酔はあっという間だった、と話した。それは私も体験している、まるで黒い緞帳がどしんと落ちる様に真暗になる。黒だ。
よく世話されている様だった。熟練のと言う感じの陽気な看護師が、私の携帯番号を書きつけた。そして何か意味不明な短い語を発した。何度言われても理解できずぼーと立っているとダンナが代わりに答えた、「妻です」。
「あなたは、え~と」と私が名乗るのを待っていたのだ。
こちらでは妻も婚約者も愛人もほぼ同等である。おまけに姉妹、友人、の可能性もあるでしょ、と彼女が笑っているので「ええ、母親かもね」と私が言うと、
「それは考えませんでしたよ」と答えた。面白い。
1時間ほど居たのち、最終バスで帰った。夕食はサンドイッチを買っておいたのでいつものレストランには今日は来れないと電話しておいた。風邪気味がひどくなっていた。
勝つか負けるかわからなかった。
*これでめでたしめでたし、とそろそろ話が終わりそうなものだが、現実はそうはいかない。
翌日はまず、ベトナム人の店で暖かいズボンを2本買った。20ユーロだ。自分の。寒くてたまらない。
昼前に到着、今までの病棟に行こうとすると、もう入り口で例の掃除係が、
荷物は物置に入れてあるので、そこでも邪魔なので持っていけと言う。
どこへ? ダンナはどこに居る? 知らない。
ナースに訊く気も失せて杖や車椅子、あれこれ抱えていつものロビーにでた。
病院難民、とまた思った。誰も自分以外人の仕事のことを知らない。
何かを確かめ決めるまでが議論相談待機である。
今もICUに居るのか、別の病棟に移ったのか、それが問題だ。
ICUには15時以降しか入っていけないと書いてあった。待とう。
このおいてけぼりの背後には単に、彼女らが情報を持っていない可能性と、個人情報云々で口外してはいけない可能性と、実はもう一つ理由があった。それはダンナの口から聞いたことだ。
何を考えてか、考えるためにか、私はロビーで座ってじっとしていた。
考えはまとまらない。
そのロビーには不思議にも秘書室があって、その人には時刻を前回尋ねたとき親切だったのを知っていた、プリンタが壊れたときもよほどその人に印刷をお願いしようかとウロウロしたりもした。
そんな親切を狙ってでもいた私だったろうか。
目の前にアムネスティー関連の雑誌が突然、誰かの手によって置かれた。
そこに並んでいる言葉に惹かれて、少し読んだ。世界人権宣言が出てから70年だそうだ。人権という考えが確立したがために戦争が増えた、という人間のうっとおしい面も新たに現れたらしい。
もう午後3時ごろだろうか、誰も知らない。知っていても何も教えてくれない、私にもわかっている、妻であっても教えてくれないのだ。死んで人権がなくなったら教えてくれるのだろう。今どこで何をされているのか。
またアムネスティーのあちこちをさらに読んだ。
人助けをしたい自分がいる。でも何もしない。これは例の宇宙の智慧のヒントであろうか。予想外の提案であろうか。
するとエレベーターから前回の手術後に顔を見知っている美人の若い女医が出てきて、
ハローと軽くあいさつする、単に習慣として。
これを逃してなるものかと私が声をかけた、私の夫がどこにいるか知りませんか?
全然、全く。と独特の冷たい投げやりな言い方だ。
いつもとても疲れていて極限心理だ。
病院の仲間たちはどんな身分であれなんだか仲がよかった。
幸いにも秘書はみんなに好かれていて女医さんも自然に秘書室に向かって行った。
私も荷物と一緒に移動してくっついて行った。困っている由を話すと、案の定、
二人で電話したり、じゃ荷物はここに置いて見てらっしゃい、とか
私が見てくるからとか、色々案が出るのだが決定には遠い。
その時、偶然に、車椅子の荷物に違う角度から近づいたので、
そこに初めて見る紙が挟んであるのが見えた。
「これはひょっとして重要な情報では?」と女医に見せると彼女は露骨に嫌な顔をして
ちらと見て、読みたくなさそうにした。そして観念して読み始め、重要だと言った。
そこで秘書が電話を女医の耳に当てる。
結果、秘書が出かけて言って聞いてきてくれた。
ご主人をICUからどの病室に入れるかが決まらない、とりあえず荷物と一緒に行ってくださいと。そこまでの決定にたどり着いたのが嬉しかった風に見えた。
お礼を言うついでに、口から出てきた言葉、
「ありがとうございました、折しもアムネスティーについて知る機会を得ることもできました。」
それだけが大事でもあるかの様に伝えると、すぐに出発、
女医さんはいつの間にか消えていた。
昨日も訪れたそのICU全体にはたくさん医者たちがいた。
患者はもう他には見かけなかった、個室にダンナだけだ。
顔を見ると彼は気が狂っていた。そう見えた。
声は枯れているのに、もっと潜めて言うので何を言っているかわからない、おまけに聞き取れたのが日本語、「彼らは嘘つき、嘘つき」と目を丸くして驚愕の情をあらわにしている。
私も一瞬ギョッとしたが、慣れているので大丈夫だ。
要はこうだ。
看護師や医師が続きの大部屋でしゃべっているのはまるまる聞こえる。
ダンナは全く眠っていなかった。それで知ったのだ。
部屋の、ベッドの争奪戦が嘘ばかりで行われていると。例えば救急車の無線を聞いた看護師がある病棟に電話して、患者はこちらを優先して、と頼みベッドを予約してしまう。
手術後の患者の受け入れ先を何が何でも確保、と言うことだ。
そしてその時も、部屋を探していますから、と看護師が電話をかけまくっていた。
そしてああ、ありがとうと言って切った。
振り返ると、「また5Cですよ、逆戻りね」
これが先に触れた、誰もが情報を公開しない3つ目の理由であるらしい。
それほどベッドも、看護師も不足している。
若い看護師見習いで細い子は、ベッドを押して移動させるのが仕事みたいなのだが、痛々しいほど。
数年して慣れた頃には大きなお尻の立派な看護師になる様だ。
凱旋して戻った部屋は5C棟の44号室であった。
迷信は通用しない。「よし」とも読めるし。
さて今のところ、介護人としての私の誇りは、ぺースメーカー手術の直前に、ダンナの長く汚くむさ苦しい髪をすっぱりハサミ3回で、チョキンチョキンと短くしたことである。ネクタイと背広の人間にならない証拠として長髪なのだそうだが、怪しい。
別の悪徳があるはずだ。髪の変化に気づいた人は皆褒めてくれる。
自分で自分を褒めたい気分で思い出すのが楽しい。
例の私の尾籠な話だが、今(12月15日)はありがたくも快癒している。しかしちゃっかり「燦然たる金剛身心」を忘れている。それでも文句を言う様なあなたではないですよね?
*徐々にドイツの医療事情などわかってはきているのだが、その一つ
(不整脈の薬は日本からのを十分服用していたのに)
私が血圧の薬だと思って飲んでいた薬が、実は不整脈用だったと後でわかった。
これは危険な誤解、失敗である。ドイツに長く住んでいる友人が、
全て理解しているつもりでも時々、重要なことを理解し損なっているので
注意が必要だと言ったことを思い出す。
また、システムがわかっていないので色々と無駄が多い。
そのいい例が、書いたこともあるバスの乗車券の値段。
病院に行くのに乗り換えるのだが、別々に券を買っていたら、今になってある運転手が、乗り換えたんでしょ、それなら最初から通して買えば安いんですよと教えてくれた。
知らないのが馬鹿だ。徐々にわかって行くだろう。
私だって、乗り換え含めて買うべきだろうとは推測していたが、
それを尋ねるのが面倒だったのだ。
次に書くときには全く違ったサイボーグダンナの姿となるはずである。
それが凶と出るか吉と出るか、またお任せというのであろう。
いずれにしろ想定外に決まっている。
サイボーク化も夢想だにしていなかったのに与えられたのだから。)
*日々に現れてくるプラスマイナスの波動への対応、存在とシステムを定義づけ把握する試み、日常の介護の細々対処の中で自分の情緒を平静に保つことが大切となる。
ミセスGの正面衝突事故の知らせがラインで入った。よく乗せてもらった愛車は破棄となり、彼女は軽傷だったがぶつかって来た方は重症と。助手席に突撃してきたのだろう、そこにいつもあたしが座っていたところ。
これを何と見る。これを避けるために渡独したとも考えられる。
起こらなかったことには無知な我々である。
このことから思い至ったもう一つの智慧のプレゼント。
いつもJBゆえに不自由を強いられていると思って、自分を憐れんでいた。しかし、
それゆえにむしろ守られていたのかもしれない、自由に動き回っていたらぶつかったかもしれない種々の厄災から。
(12/4 いわゆる大自然の知恵に体現されている一つの摂理なる太神へ、
一つの発言:人が人に出会うというこの世。
考えの変化は大変化を招くはず。
日々何かを成し遂げるが、擁護されていたこと、明日のために今があろうとも思わず、意識の中に囚われている、
自動車事故を免れると知らずに狂乱に突入とか。)
(12/7 智慧なる存在へ。前回の 無知な我らの流れ:悶々たる時を経て
予想外のこと賜る。避けていた薬局に天使がいた!
沢登佳人「生命とは何か」再発見。
不自由を強いられていたのではなくて危険から守られていたのかも!
Diakonie 身体障害者施設:青い目の燦然たる金剛心身と言葉を交わした。)
*12月11日にJBのサイボーグ化成ったのだが、まずはそれに肉体が慣れるのに注意が向けられた、そう簡単なことではないようだ。半信半疑でキョロキョロするのみである。
このことの波動の実態は実に記述するのが難しい。
プラスマイナスと単純に決めること不可能な絡み合いである。
(12/13 私であるあなたへ、
全てが次第に整ってきたので私の行動が確認されるはずと。
魂は最小の単位なので死後もそのまま残る。
意識は消える。
生物or高等動物の魂が集まった地球こそ聖霊の存在そのものであり
外宇宙は物理的法則の展開のみ?
ところでTVで見た多重宇宙が不明。
瞬間の反射光の有難さまさに天国)
(12/17 全知の聖霊交渉。
「不幸な神の子ではない、父の魂に気遣われている」と実相の念を病気の友へ送る。
夫が望外の新生を与えられ私は困惑中とも伝えた。
この世をスピリチュアルにわたるコツ、
つまり存在と定義と仕組み(我々は無知)と決意(我々の為事)との絡み合う プラスマイナスの波 夫に話す)
(12/19 智慧なる聖霊へ、真理探究の話をした翌日18日から夫の目が覚醒したかに。
同時に意外にも悪化しだして退院延期に?
一方退院しても医療システムと季節関係の大騒動は避けられない。
心理的反応の是非、食事関連の問題もあり氷解には全知の智慧に任せる他ありません。
そりゃ自分が死ねば楽だけど。)
(12/23 叡智なる太神へ、物質の極小と極大の法則を感知し感知外の法則へと波動を馳せる、私の日々の眼前を行き来する時の流れの中の絵を
良きも悪しきも惑わされずに透徹し
燦然たる金剛世界を賛美する。
歌い笛を吹き身体を
天国なのに天国は来ない、退屈だろうし)
(12/29 全存在を動かし時と運命を司る甘美の摂理へ。ワライカワセミを待っているらしきカワウのように霜で白い枯れ木の森を見渡す。聞こえない耳の中で鈴々と音楽が鳴る。闇の中に薄ぼんやりと岩山が光を放っている。
段ボールの家を作る。やはりナディアは友と思うべきか。愛が克つか?
サイボーグへの別離の決意もあり!)
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