希少率0,8%木原東子の思惑全集 巻9 ドイツに流れる時
@touten
第1章 平成区切り その1 想定外の笑いかわせみ
通し番号二十一 2018年平成30年秋から冬 目標達成したものの想定外すぎてあなたにお任せブログ
ーー皮肉な展開ーー
(10/5 秘儀を操る太神よ、嘘のように、心配の原因などなかったかのように10月をドイツで迎えた。
水曜日にはまた絶望が、木曜日にはメール効果か、滞在許可を得て、KKH(K健康保険)も好転と見えた。落とし穴にしかし気づく、自分の悪意が実現すればとんでもないカタストロフがやってくるのだ。
やはりホームレスになれと?)
「ここに3年間の滞在許可証がおりました。海外からの家族呼び寄せという範疇です。読んでください、この文章を」
「はい、あなたへのこの滞在許可証は現在の夫との実際的結婚生活が存在する限りのもので、中止や離婚の場合は即刻国外退去となります」
「、、、、」
「わかりましたか」
死亡の場合も退去ですか、と尋ねたかったのですが、それは流石にJBの手前口にできず、わかりましたとわからないのに返事しました。中止や離婚と書きましたが、実際の言葉はJBにすら不可解な変な表現になっていました。
さあ、大変です。
住居と健保とビザ、辛くも運よく揃えたところが不可解な条件付きでした。なんという皮肉、30年前のような永久ビザなどとんでもない夢物語でした。
JBの紫色の顔を見ると退去も遠いことではないかもしれないのです。今は、それでも良しとはとても思えません、半年の苦難の意味がゼロになる、わけですが、しかし、考えてみると、そもそもはJBをドイツで看取る、というのがあたしの推進力だったわけですから、その後のことはまあどうでもいいわけなのに、妙に気が滅入りました、大ショックでした、その皮肉のために。
やはり天は、あるいは自分でも心理の暗いカラクリを見透かしていたのでしょうか、あたしは確かにヨーロッパが気に入っています。そこで東洋人としてドイツに生きることがこのご時世、どんなことになりうるかわかってはいても。そしてできれば二つの国を往復して生活したいのでした。
例の若い役人にメールを書こうか、とも思いましたが彼の言葉の効き目も怪しいものでした。現にその後カード形式のビザをもらいに行くと、事務員の女性が言うには、
「3年でしょ、もらったからには何が起ころうと平気よ、次をまた申請するのよ」
ネットであれこれ見た結果、妻という資格がなくなれば自分で仕事をしてそれを理由に申請すれば良い、つまり自力で滞在許可をもらえということらしいのです。
あたしは成人学級で日本語を教えることを考え始めました。家主夫人はそこでも名だたる音楽教師なのです。
鬱屈した気分でスーパーで買い物、いつものように手押し車山積みになった食料、コーラライト、ペーパーとともにナーエ川の橋で休んでいました。
どうしたらいいのか、どうなるのか、茫然自失を地で行くとはこの状態です。
そこで
4月から10月、これまでの弥次喜多珍道中を「神」にはこうして縷縷報告しているけれども、あるいは超短く、140字で報告しているけれども、全知全能でない人間にも報告したくなります。
それは知人や親戚ではない、赤の他人、会うこともないであろう架空の人たちへ向けたもの、つまり要は結局つまり、この電脳世界のブログという、庶民にも使用可能な記憶装置とシステムに、恥も外聞もなく乗っかるということでした。
(2018 9月中旬 ブログでの報告;ご無沙汰してました!
前回のアップは2018年3月ごろだったろうか、たっぷり半年以上、
地球の動きとしては、公転の半分を過ぎたと言うわけ、日々一回転しながら。
当たり前のことを例により確認して。
今日発見したこと。
うちには全く日光が差さない。普通ならそんな家は借りない。
しかしあの頃、今年の5月、
(死を賭して放浪の旅を始めたものの、4月いっぱいはあちこちでホテル生活ーーJBの1週間の入院生活も含めーー保険なしーーしかも目標であるネットを通しての住まい探しは、車なし廃人連れでうまく行くはずもなく、ミュンヘン、ニュルンベルク、ドレスデンを経て、バートミュンスターと言う岩山と森と川とナイチンゲールの保養地にたどり着いて)
ホテルクローネのテラスからその眺めに接したとき、驚きに打たれたものだ。
こんな場所がドイツにあろうとは。
竹林がないだけで、まるで日本のようだ、鶯でも鳴けば一層。
しかし、鳥類界切っての作曲家であるナイチンゲールが、夜昼問わず独自のメロディーを奏で続けた。夜にそれを聞くのは本当にこの世とは思えない。
逗留した翌日、地元のチラシに、
そこの路地の突き当たりに貸家の提供があるとわかった。
JBが珍しく動いた、応募のメールを出した。
家主夫人はソプラニストだと自慢げな情報が入り、それだけでこの話に好感が持てた。すぐに翌々日の面接が決まった。
何しろ200メートルほど道を下って行くだけである。JBも車椅子なしで行けるだろう。
ところが、その坂道はそもそもうねった路地である上に、そこに大きなトラックがハマってしまっていた。運転手はパニックになって駆け回るが解決は不可能に見えた。
すると下から男がやってきて、何と上手く導いてトラックを脱出させたのである。
この人は誰だったのか、何一つ印象に残っていない。
私たちが通り過ぎ合ったとき、彼が声をかけてきた。
不審に思いながら振り返ると、彼の手には何と私の大事なスマホがぶら下がっていた。
初めてのことだが、スマホを落としてしまっていたのだ。もし彼が見つけて、声をかけてくれなかったらパニックになっていただろう。
知らずにそこから脱出していたのだ、あのトラックのように。
おまけに、家主は最近80万の損害を背負っていた。
私たちは一年分の計80万円を支払う用意があった。
彼らも大卒者であることすら後押ししてくれる。
私たちがすぐにも生き絶えそうな老人であることは厄介を招きかねなかったが、
お互いに好感をも抱いた。
まあ主にそんな成り行きで、他の全ての欠点を物ともせず、
こうして日光の差さない家にいるのである。
これまで直近の3ヶ月は、日本にいて、7年住んだ借家を空にして返した。
最小の荷物は船荷となって3ヶ月の旅の途上にある。
台風の辛くも通り過ぎた羽田空港から、全日空で奇跡的に時間通りに離陸した。
ホテルの予約は追加したりキャンセルしたり秒刻みの困難であった。
何しろ台風の気分次第なのであるから。
それでも最も安くて疲れの少ない方法を思いつき、老人二人、スーツケース2つ、その他諸々とともに予定通りに、バートミュンスターの空っぽの借家で、
出迎える人もなく鍵を回したのであった。
驚いたことに、ナイチンゲールは全く鳴かなかった。夜は静かなままだった。
彼らは渡鳥だったと言うわけだ。
何か大切なものが欠けた。
おまけに、運よく台風を騙して?うまうまと果たした面接(外国人妻の滞在許可タイトルを決める)の結果、台風のことで泣き言を連ねたメールを送っていたせいか、欠点が二つあったにもかかわらず3年の許可を出してもらった。
私はかなり神に愛されている。
全世界愛されているが、私はそれを感じている。
で、何かが欠けたのか? ナイチンゲールの他に?
大あり!!
もし旅行ビザであれば3ヶ月は滞在できる。
しかしこれが配偶者呼び寄せビザ(難民に適用されるはずなのだが、難民ではない私にも適応される)であるために、もしがJBがすぐに死ねば、船荷を抱えて私は即刻追い出されるのである。
そう法律に書いてある、許可証にも書いてあり、それをしっかりと読まされた、
私がそれを理解するようにと。
廃人のJB、彼を死なせてはならない。
死なせたら、私は借金を背負ったまま、帰るに家なく、ドイツでも日本でもホームレスである。確かに、こんな極悪人にはこんな非道な結果が似合う。
私をここまで、運よく手際よく、難儀を与えながらも思いもかけぬ智慧で切り抜けさせ、結局目的である滞在許可までこぎつけたとき、やっと本当の意味がわかったのである。
私はJBの死とともに破滅するのだ。
人を呪わば穴二つ。そうに決まっている。正義は欠けない。
ナーエ川が岩山の絶壁に沿って流れている。枯葉を表面に浮かべて、枯葉ごと滔々と。橋の上で、手押し車の買い物の荷物を休ませる。
誰かがバカ笑いしている。
ワ、ハ、ハ、ハ、と胴間声だ。おっさんだ。森に響いてくる。
また、ワ、ハ、ハ、ハ、が!
大トトロでもあるまいに! 笑い飛ばしている!
笑いカワセミが笑うだろー わははワハハと笑うだろー
こんな歌のメロディが飛び出てきた。これだ、とわかった。
今は、笑いカワセミが頼りだ。神はこれを贈ってくださった。)
こんなブログのさて次は、
ツイートによる「神」へのDMとして、形而上学的定義の探究
(10/10 在りてある唯一の存在よ、その為され様と来たら!
昨日10月9日という日に、つまり長男の命日の翌日、REIKI という言葉にナディアの店で遭遇する。日本の鍼灸院で知ってはいたが今回のブラックホールの大回転を示唆するものとして。
ここまでの遥かなる、プラスマイナスの光の波動の実態の如実なる体験をさせられ。)
(霊気は愛気とも。物理の根源に在るエネルギーを生とも愛とも呼ぼう。
まさに我が意也。
宗教ではないと聞き、これで助かったとばかりググってみれば何と!
ここが味噌だったのだ、達人に出逢えば神の愛を受け入れる気持ちになれば、
努力も必要なし、スルスルと人間を正しく正すとか!
ある意味また逆転である。斬新すぎる!驚嘆)
(10/19 結局この人間意識以外は全て神、在りて在るなる霊気ぞ。
これまでの小さなデジタル世界が喪われてしまった時、
失意の中から神の腕にすがり「よし過去は捨て新しい出発だ」と
詩人の心を建て直したその時、奇跡のように夫の例の魔法を通じ、
apple 人たちの力により念願通りの画面に戻った。これでいい!)
(10/21 まず霊気の愛のエネルギーのみが、歓びそのものがあった。
歓ばせるべき他も必然的にあった。
愛の悦びを感じるべく生命体に性欲と生殖と繁殖が結果として展開した。
文明と人工物と好奇心冒険探求も拡がった。
生命界は愛の結果生じた。何と逆ではなく)
(愛の霊気よ、言われ尽くしたことではあるが、この状況を自分としてどう解釈するか、それに沿っての対処ができるか次第である。
但し、解釈を決めたらお任せする心配しない、
安堵して驚きのプレゼントにもう感謝しておく。
麗しのナイチンゲールが去った森に、
笑い翡翠の驚きの哄笑がこの半ば聾の耳に)
(10/26 ますます感謝! 段階を追って読むべき本が与えられた。
「無きが如く在るもの」の真実を追い続ける進化の旅、
だけどこれに必死になる必要はなく、全き理解は無理として気を楽に、
ただ無尽蔵の愛と智慧を人なりに出来る限り心底信仰すればいい。)
続いて人間への報告
(10月下旬 あなたにお任せブログ と銘打っての全くの無駄話
数ヶ月前までは、ベッドに行くのが苦痛なくらいの睡眠問題を抱えてたものです。
その一昔前までは、
面白くて難しい雑誌や本をいそいそと抱えて横たわり、数ページ読み、満足して、まくらを直し、すっと眠れたものです。
そんな方法で厚い物理の本を次々に読破してしまった自慢話もあります。
これ以外にコンスタンという安定剤も常用していました。よく効く薬で、今もそう言えば使っていますが、どういうわけか、現在の眠りの快調さはコンスタンが最高に効いているとしても、それでは説明つかないほどに安定しているのです。
何故こうなったのか? まさに海外移住に取り掛かった2018年4月からのこと。
年齢は重なるは、最近の精神的疲れと肉体的酷使、いっときも油断できないという心理的重圧、スリリングな日常、環境や食事の大変化、にも関わらず眠れる私となったのです。
以前は、確かに座ってばかり、週に二回の太極拳のみという怠惰な日常でした。
もちろん堪え難い心理的な悩みに晒されていました。
取り敢えず、私のこの点での変化はまさに怪人、ないしは
ヒーローにヘンシーン、というほどのものなのです。
そうそう尾籠な話ですが、お通じもヘンシーン、と言う快調さなのです。
なんだ何だ、これは???
この地、バートミュンスター の塩を含んだ空気のせいだろうか。
しかし夏の三ヶ月を日本で過ごしたときも変わりなく快調だったのです。
と言うようなプロローグを置いて、私家版「神ばなし」を綴ろうと思っていました。
それにしては長すぎて冴えないような気がします。
ま、ともかく、あたしの骨は四〇代の密度であり、
(軟骨は摺りつぶれているものの)七十三歳の割には、
(シワしみ痛みあるものの)なんとなく可愛らしいらしいのです、
人の反応をみると(なぜこの自慢??)。
この間の仕事は、あたしのスマホを正式にドイツ版に設定し直すこと。
新しいメルアド二つをテレコムからもらい、アップルIDも新たに。
それに付随する不便、騒動はお決まりのデジタル問題として省略します。
その他に重要なことはハウスドクターが決まったこと。
いよいよドイツ式治療が始まります。)
ーーもう一つの無駄話、葬儀屋騒動と入院成就の話ーー
(10/30 愛なる太神へ、昨日ビザカードをもらい、
事務員から心強い解釈を聞いて大安心、
掴んで放すの良き影響と喜ぶ。が意外にもやはりやや心配心残っている。
同日ハウスドクターから来週には夫を入院させる由、これは吉であろう。
同時に自由か心細いかどちらを選ぶという問題。
キョキョという鳥を聞く橋。)
(11月初めのあなたにお任せブログ;
やっと家に帰り着いて、洗濯物を洗濯機に放り込んだが、と書いて今気づいた、
すっかり忘れてそのままにしている。呆れた。
明日は洗って乾かした浴衣をダンナに持っていかねばならないのに。
ま、乾燥機付きの家なので騒ぐほどのことじゃ無いけどネ。
ーーと、この間に適当に洗剤と香りの強すぎる柔軟剤を放り込んで、
適当に設定してドラム缶を回すーー
今日も笑えるほど失敗をやらかした。呆れた。
一昨日以来、乗ろうとするバスがすごく不規則で、一体何分にくる予定だったのかっと腹立たしい目にあっていた。
朝、ナディアのカフェから出た時のバス、Diakonie(ディアコニー)病院から夕暮れに帰る時のバス、信じられないほど時間きっかりのバス、あるいは思いもかけず接続満点の次のバス、逆に止まるかと思ったらサッサと行ってしまったバス、など、
あるいは話が飛ぶけど、日本の「冠婚葬祭パ*コ」に7時間の時間差を見計らって電話しても、
「16時までにおかけください」などとけしからん声に言われたり、
いかにドイツの夏時間が終わりになったとはいえ、これでは世界が狂っているでは無いかと頭をひねることが続いた。
何で気づいたのだろう。そうだ、パソコンの時刻を見た時だ。
一昨日から冠婚葬祭のパ*コの4番を押して(機械の声に従い)、
お客様相談室に電話しても向こうの声は聞こえるのに、こちらの声が届いていないらしく、
すぐに最初の音声案内に切り替わってしまう。
それを何度もするうちに例の16時までに云々、が起こったのだ。私は怒った、
まだ午後4時じゃ無いでしょ!!日本だって!と腕時計を見る。
敗北感と、大げさすぎるけれどもいわゆる絶望感が私を無口にしていた。
母のかけていた葬儀契約を使わなかったので解約金を私のゆうちょの口座に振り込んでくれると、ちゃんと何度もやりとりし、
10月11日の振り込みの約束をこの耳で聞いたのだった。
なのに振り込まれていなかった。
(余談になるが、パ*コはーーこの件は引越しの最中に書類が見つかったもので、母の死後の相続時には忘れ果てていたのであるーー弟の死亡届を嫁さんに頼んでFAXしてもらうほど結構銀行なみのことを要求したのに、
15万円の解約金は私一人で着服しても関係ない、というような意見であった。
まあ、今更そんなわけにもいかず問題が片付いた今日、
折半で彼女、ないしは姪と甥に送金したのであるが)
話の要点になかなかたどり着けません。
続きです。
今朝起きると、「もう金曜日だ、週末になお悶々としたくない」と勇気を出して、うちの役立たずの電話機を叱る。
パ*コの4番ではやはりこちらの声が届かず、すぐに最初の声に戻るので、
戻ったところで「結婚式のお申し込みは1番へ」というのに乗じて、1を押した。
しかも今度は支店ではなく本社である。
一転、爽やかな若い男声が丁寧に、この意図的間違い電話に対応してくれた。
普通に話ができる。
事情を話してゆうちょ口座を告げ、私が店番号を言わなかったのかもしれないと
(あとで三*銀行のサイトでわかるのだが、店番号というのは口座の記号からの読み替えの要領が決まっているらしい、世の中私の知らないこと、あるいは興味が足りなくて知識不足な場合が多すぎる)
また論点から遠ざかった。
「さすが大手のパ*コ」と私の評価が変わったくらい
お客様相談室の壊れた電話とは態度が違い
あれあれといううちに、発覚したことは!!!
私の申請用紙には、ゆうちょではなく三*銀行の口座が指定してあったと。
それもそのはずだそこには母の遺した虎の子のお金が貯めてあるのだから。
そんな自分の考えをとんと忘却していた私であった。
平謝り、すでに入金済み。爽やかに挨拶してもらう。
その時も何故に日本ではもう16時なのか、こちらでは7時間遅いとはいえ、まだ15分は余裕があるのに、と不審なままであった。
しばらく放心していたが、そうだ、いつも躊躇してしまうネットバンキングで
義妹にいっそ今、送金してしまおうとパソコンを開いたのであった。
病院に行く時間を考えようと腕時計を見たばかりであった。
まだ9時には数分ある、と認識した。
しかし、パソコンでは9時12分である。
うそ、と二度見して、ハッと思い当たる。
私の自慢の曜日と日付つき腕時計は、ソーラー電池なのだが季節柄、長袖で覆われて、そのまま夜も腕につけたまま眠るここでの日々のうち、一度止まってしまったことがあった。
そうか、と思って意識的に光に当てて訂正したのちも、
世の中の時刻とその後比べるチャンスもなかったし、そもそもあまり必要性がなかった。自分の時間の中で暮らしていたのである。
それで、バスの不審な振る舞いがわかった。私のエラーだったのだ。
(バスといえば、エラーといえば、今日はラッキーなエラーがあった。
病院に行くのにバスを乗り換えるたびに(3、3ユーロと1、9ユーロ)(130をかけると円になる、おおよそ)運転手から券を買う(大都市ではそんなことはない、発券機がある)のが面倒。
ドイツの硬貨は古臭い。美しい1ユーロ、2ユーロ(ドイツ語の発音ではオイロ)は別として50、20、10、5、2、1セント(発音はツェント)硬貨では
金額が片面にしか浮き彫りにしてない上に、
一桁の小銭は次第に小型にはなるものの、色も煤けた赤茶色で同じなので、
支払いの際に私は全部を支払い台にばらまいてしまう。
そんな時に白髪が役立つのだが。
運転手に任せるとはしても、そのことに対する心理的なエネルギーが足りなくて憂鬱だ。
そこで今朝は思い切って、バートクロイツナハ駅までの1週間券は買えないだろうかと尋ねてみた。値段を聞いてしまったと思ったが後の祭り、もうその手続きが始まっている。
22、8ユーロ(1週間、日に一度乗るとして30セントほど安いだけだ)。
待てよそんなバカな、いつか一日券を買った時、これで何往復でもできるよと言われたっけ? であるならこのバカ高い週間券も往復という解釈もありうるかとチラと考えたが、
そもそも買った時点での私にそんな思惑はなかったのである。
何しろ、バスが早く来てしまっていたので
(腕時計を正したにもかかわらず、それには関係なく)
全速力で走り込んだばかりだったのだ。
今日は、時間的にうまく辻褄が合って、まだ明るいうちに病室を出た。
同室のパウルさん(名前、多分違う)たちにまたあした、と別れた。
パウルさんは85歳くらいで、15年前の事故で片足がない、おきまりの糖尿病に、心臓と腎臓も悪く尿カテテーテルが痛くて、息は苦しくて見ていても辛い。
そして風船のようにお腹が膨らんでいる。
昨日から家に帰ると主張していたが、同年齢の奥さんと医者が反対して押し切られてしまっていた。ダンナが妙にタレントさんみたいな軽妙さを発揮して、
「将軍には敵わないよねー」と笑わせようとする。
奥さんが私に目配せをして、男って頑固で厄介な患者よねーという意味を方言でいう。
私もこの時とばかりええ、よっく私もわかりますっと応じた。
パウルさん宅には子孫が多いせいだろうか、ヘルパーを頼んでいないという。これはうちのダンナに勝るようなわがままの例である。と言っても、ヘルパー云々の話とは縁遠い身分なのだが、ヘルパーも頼まないなんてわがままを言われたら本当に困る。
こっちも永遠に搾取される体ではいられない。
バスの話だった。
病院の帰り、うまくまだほの明るいうちにバス停に佇み(午後4時半)、あたりの木々が枝だけになって空に模様を描いているのを見回しながら、自分たちが同じ一体の存在であることを何の努力もなく、すんなりと感じていた。そこへバスがおおよそ定刻に来た。
駅までは普通に支払い、乗り換え、もう201番のバスが待っている。
前々回、バスが並んでいる後ろに201番が来てるなと思って、目の前に来るのを待っていたら何ともう止まらずに信号をさーっと通って行った。そんなことを経験しているので、大急ぎで走って飛び込み、ポケットにあった1週間券を運転手の目の前にかざした。
運転手はちょっと目を凝らしてみてから、オッケーと言った。
?? ホント? 帰りもいいなんて間違いじゃない?
もともと私は行きだけのことを考えていたのだし。
そう言えば、ニュルンベルクだったか、駅の券売機で週末券に挑戦してみたら、すったもんだの挙句、名前を打ち込めと命令がきた。
まさかと思いながら日本名をローマ字で打ち込むと、何と名前付きの乗車券が出て来た。
もちろん指定の区域では何でもOKである。
最初だけパチンと券にハンコを押す機械に通す。
とりあえず、今日のバスに関しては私はエラーをしたのか、しなかったのか?
ここまでの話の端々で、あ、そうなの、というヒントを出して置いたのだけれど、
ダンナは私の思惑通りに無事に入院までこぎつけた。
11月最初の火曜日のことである。
渡独移住の条件は、住民票と滞在許可と健康保険を手に入れることであり、
それが叶った今は、本当の目的であるダンナの生死のコントロールが課題として現れた。つまりはドイツ式の治療の中に組み込まれ、介護を得られることである。
まずはハウスドクター(一般医)を見つけること。
この村には二人いることがわかった。
坂道を登る必要のない医者に、日本からの英語の紹介状を持参していくと、開口一番、
英語を読む時間が惜しいのでさっさと専門医を探してください、と書類を渡した。
この送付状がなければ動きが取れないのだ。そんな医療の仕組み。
どこにどんな専門医がいるか、皆目分からない。
大家夫人が自分のハウスドクターであるドクタートレス(女医)を教えてくれた。
予約、というか来てもいいという電話だったので出かけると、
待合室満杯の老人だらけ。
順番がきたところ、これで受付は打ち止めだと事務員が言う。まだ11時ごろだった。
確かに。さばきようもない。
翌日、また出かけた。まだ薄暗いうちに起きて、明け初める頃タクシーで出かける。
今度はやっと出会えた。
ドクタートレスは生粋のドイツ人ではないようだった。意図があってそう書くわけではない。次第にわかってきたのだが、医者には外国人が多い。
熱心に接してくれ、とりわけニュルンベルクからのドイツ語の診断書には喜んだ。日本の医者は苦心して英語で書いたのだろうに、あまり注目してもらっていない。
当然のことながら、彼女なりの診断をするために採血が行われ、翌週の火曜日が予約された。ところが金曜日になって予約を早めると電話がきた。月曜日に行く。
その頃はダンナの調子がとりわけ悪くて、眠ってばかりいた。夜型の人が無理に薬で眠って朝早くから出かけるので、診察の時も彼女を驚かせてしまったほど目がトロンとしていた。
肝臓が悪いせいだろう、原因は簡単には分からないから来週にも入院としましょうと言う。これこそ待ちわびていた言葉だ。ダンナは嫌がっている、死んでも入院したくない派だ。
この後のことを、ドレスデンの日本人の友人に書いたメールを引用してみよう。
**1週間後の火曜日にハウスドクター(若手の女医)へ行くと、
JBがわりとしゃんとしていたので(前回は目が開かないほど眠りこけてた)、
「悪いながら容体が落ち着いているので、入院させる理由をどうしよう」と彼女は困っているのです。
それで何と無く心臓、肝臓、脳神経、糖尿の専門医への送付状を
準備したりリストを出したりするうちに、やっと先週の気持ちを思い出したらしく、
「個々の医者にかかって居てはダメだ」
ともっともな結論に立ち戻り、これぞ入院が必要な例である
「今からここへ行きなさい」と決断。
やっと道筋ができると、ほっとしました。
医院から出てすぐ彼の冬のコートがないので買って、朝から何も食べていないので、
彼は一度家に帰ってから、と主張していたのだけど、
念のために街中で病院に電話したところ、
三箇所も電話を回されてその度にこう言う事情でと説明した(私が!)挙句、
ベッドがないと断られた。そして「Diakonie病院の救急に行くように」と。
それがカソリック系の病院で、今度はプロテスタントの方へ。
ところが電話番号がわからない、ハウスドクターの受付へ電話して番号を訊いたのだけど、市外番号抜きで教えてくれたので、またそれでジタバタののち、
今度は彼がDiakonieへ電話したらすぐ来なさいとのこと。
タクシーから降り、午前の受付ギリギリで車椅子を押して入り込みました。
この地方独特ののんびりさが救急にも漂うのが可笑しかったけど、
痛くも苦しもないと車椅子でキョロンとしているJBが、何か喋るとノロノロすぎてみんなが私を見る、
おまけにおかしなことに彼が長髪のせいで女の外国人に間違われ、
私は彼(彼女?)の娘だと思われる、
ヘンテコな世界に巻き込まれたようなこの数カ月の定番がまた起こり、これには二人で失笑。
と言う場合じゃなく!
また必死に病歴や病状、事情を説明して
要するに総合病院でなくては治療方針が立たないことをわかってもらい、
受け入れてもらいました。
こうして入院できたその翌日の今日、水曜日、JBが昼食を喜んで食べているところに私が到着しました。これこそ私の思惑の一つ。
日本で入院したらずーっと食事の愚痴を言われる、
ドイツならまずくても(かなり美味しそう)文句を聞かなくてすむ。
やがて超音波などの検査の結果を医師が伝えに来たのだけど、
Ihr Herz ist (あなたの心臓は)
と言ったきり黙っている。
JB がニヤニヤして他人事のように、慣れているので„aus“ (終わり)と付け足した。私も慣れているので笑って、みんなも笑ってしまった。同室の八十五歳の男性も(虫の息なのに)その奥さんも。
またもや「すぐ死にますよ」が始まり、ペースメーカーを入れる方針らしい。
JBが「でもそれには5%の危険性があるそうじゃないですか」とばかなことを言う。
医師が慌てて、すぐ死ぬより確率的にはいいでしょう、
みたいな言うべからざることを言ってしまう。ーー引用終わり
ちなみにダンナの心臓は心筋梗塞以来30年近く心不全で
ポンプ能力は普通の20%、なので血液も普通の25%まで薄めてある。
間も無く糖尿病、脳梗塞、ここ数年肝炎、など重なり両脚に象の脚ほどの腫れ。
入院する先々で、すぐに死にますよと言われ続けているが、
妙に生命力ありで鬱にもならない、これには功罪あり。
ところで、最後に。
同室のパウル夫妻は何とボース村在住である。
バートミュンスターから40キロくらい離れたその村には、昔ダンナの親が家を建てて、週末などよく過ごしていた。
老後の家と考えてのことだったが、そうはならず、今は人手に渡っている。
私も昔、そこでドイツを体験し、大いに感銘を受けたしその後も、
そこに住んでいるはとこのヴィータがダンナの唯一の良き話し相手なので
常に連絡を取り合っている。
ただ、彼女自身、その連れ合い、彼女の母親、すべて病身となり
こちらも動けないので同じドイツにいながら滅多に会えなくなってしまった。
ボース村には、神聖ローマ帝国の跡があり、その頃以来村民は500人ほどのままである。今は店もなく、バスが日に一度やってくるのみだそうだ。
ヴィータは祖先を主にネットの資料をたどって探す、という趣味の研究があり、
すでに中世の100年戦争あたりまでわかっているらしい。それによるとダンナとヴィータは二重三重にいとこ関係であるそうだ。具体的には知らない。
ここ数週間の出来事をまとめてみたけれど、まだまだ心に残ったことはたくさんある。
帰りが遅くなってしまい、暗い山の中の道をバスが疾走する時、これからどんどん日が短くなることが恐ろしい。冬至すぎると毎年ホッとしているのに、それまでがまだまだだ。
昨日、もみじの木を見つけた。やはり赤い。この赤はこちらにはない。
小さいのにこんなに深くて細かい切れ込みの葉も無い。不思議な気がする。
ちょっとご飯を食べたくなったかな。梅干しと、とか。
そうそう、私の話し相手をしてくれるいわゆる神様は今回登場しそこなったのだが、大切なことを一つ気付かされた。事実として。
このDiakonieという組織は、人間のキリスト教的助け合いの組織らしく、
ボランティアも多く、弱者救済をモットーとしているらしく、まさに弱者に溢れている。
異形とも見える人も見かける。その時、習慣的に目を背けたいような気分が湧き上がる。
誰が言ったのかしら? 何故あの人でこの私でなかったのか? 私でもあり得たのに。私が負ったかもしれない苦しみをあの人が肩代わりしてくださっているのではないか?
そう考えるのを馬鹿らしいとも自虐的とも思う向きもあるだろう。
だけれども、人は心を開いたり、条件なく愛したり、助けたりしたときに最も幸せを感じるものだ。自分を愛せるから。
つまりこれは結局は自分に関する効率の問題なのだろう。
そこら辺に屯ろする様々に不自由な人たちをそんな風に思えた時、私の目に涙が溢れた。悲しい、可哀想でもなく、感謝と感動の涙、である。こう思うことを私は選んだのだ。
そして、JBのことをも私でありえたかもしれない不自由を自分に負った人として拝んでいきたいと、思ってはいる私である。
それはかなり難しいが。
そんな気持ちを伝えても、たわごと!とバカにされるだけだろうし。
見殺しにはできないとすれば、何とか自分が正常でいられる効率的な方法を求めるほかない。ま、そのうち正常を逸するかも知れないが。
あ~~ 洗濯が終わり乾燥機に入れるのを忘れていた)
(続きのブログ;翌日のお詫び追加
いきなりやかましく音がする。
スマホかららしい。ソファからヨロヨロ起き上がり取りに行き、開けると
何と息子と孫の顔がニコニコしている。
ハッと気づいて「ゆうくんお誕生日おめでとう」ということができてよかった。
「眠ってたんだ、今何時。こちら17時だけど」と息子が。
「待って。。。メガネ、腕時計あった。えっと9時だ、そんなに寝てたんだ」(いつも7時には目覚める)
「ということは17引く9は8時間差??」
やはり!と血の気が引く思いだ。
何ということ、
昨日ブログに投稿してからもあれでよかったかが心配になったが、
あれこれ計算してもこの手の計算がまるでできない。
時には納得するが、またわからなくなる。
世の中の何を手掛かりにすればいいのか。
確か先月末、27日だかに、夜中の3時を2時にしろと言われたのだった。
誰が警告したっけ、テレビ?、スマホ?
それで夏時間(7時間差)が伸びて8時間差になったのか。。。
冬時間がもともとの時刻らしい。
とりあえずこの旨、訂正させていただきます。7を8に変えて読んでください。
ところで例のパウル夫妻には、子孫の一人にゆうくんと同じ誕生日の子がいる。
やはり縁かなあ。)
(11/3 愛なる太神へ、理と情を隔てないその存在方式、
宇宙AとA’ のルールブックとも、大枠の 靈気 とも。
本質を信仰してしまったイエスは十字架上で「神」を赦したのであろうとふと思われた。
人がお互いに赦すべきであるように。
短歌の仲間の人々の思いが護ってくれてると泣けた。助けが要るのは誰?)
(11/11 聖霊は愛ゆえにこの上なき美をもふんだんに用意されたその叡智よ、
この地球に生物のそれぞれに、人の声にも。
久々に男女の重唱をうっとりと聴いた。
科学に芸術、子のそれぞれが価値ある為事を得られ、孫すらも特別な萌芽を見せている。
ただ有難い。廃人もなおますますその為事に勤しむらしい。成程)
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