第9話 忍び寄る悪意


 朱音達が泊まったホテルは、商業地区の一角に建っている。

 島の北側に設置されたターミナルから、東側に宿泊施設、西側のメイン街路には店舗が並び。そこから一本外れた場所に、商人やその家族達の住居があり。南側には自然に囲まれた広場と、景観を崩さない形で工場や農業用ハウス等の施設が点在する。


 アスガルドは複数の小さな島を魔術によって連結し、往来の手段として橋をかけた。商業地区だけでも、かなりの広さを有しているが、島の中では小さい部類に入るそうだ。


 身支度を整えた二人は、手ごろな店で朝食を済ませようとホテルを後にした。

 時刻は、もう少しで八時に差し掛かる。


「あんなに遠くまで店があるのか……」

「わぁ、凄いねぇ! あ、私が好きなブランドの店まである! あそこの洋服、お洒落なの多いんだよッ」


 連なる店の数々に、朱音は驚いたように目を丸くした。隣では、嬉々とした雅美が声を高くする。


「露店とかはないんだね」


 視線を遠くに伸ばしながら、朱音が呟く。故郷にも商店の並びや、大きな市場があり、露店の数も豊富であった気がする。

 整然とした路には、看板や標識、景観を良くする植物とうが配置されていた。王国式の煉瓦造りの路も美しい。しかし、朱音はどこか物足りなさを感じる。


「んー、客層の問題じゃないかな?ここは貴族のお嬢様が多いし、食べ歩きなんてするとは思えないもの」

「いやいや、絶対に隠れて食べてるでしょ。たまには羽目外さないと、あんな堅苦しい生活長続きするわけないって!」


 雅美は、考える素振りをしつつ答えた。飛空艇での食事を思い出したのか、朱音は苦い顔をする。


「あの屋台で食べる、串焼きとか焼きそばの美味しさを知らないとか。もったいねー」


 賑わう露天商を、ぼちぼち見ながらの食事は、色んな意味で味があるのだ。家の落ち着いた雰囲気とは、また違う醍醐味がある。


「そんな事言っても、ないものはしょうがないじゃない。この機会に、朱音もちょっとは上品さを学ばないとね」

「一緒に屋台に行った時、雅美が一番はしゃぎまくってた覚えがあるけど。気のせいだったかなぁ」

「む、昔の話でしょ! 今は朱音の話をしてるのッ」


 でかいりんご飴やらわたあめを抱え、宝石すくいなる店の前で動かなくなった雅美を思い出す。

 本人も記憶に残っているのか、誤魔化そうとする雅美の頬はほんのりと赤くなっている。


「まぁまぁ、何事も楽しむ事が一番だって。お、あの店とか良くない、雅美が好きそうな甘味もいっぱいあるみたいだし」


 「流石に、りんご飴やわたがしはないけどー」と、わざとらしく言う朱音。余裕綽々なその背を、雅美がギュッと抓り上げる。

 油断していた所に、鋭い反撃を食らった朱音は堪らず声を上げるのであった。



 朱音が提案したレストランは、周囲の飲食店と比べて規模はやや大きく見えた。店の広さに見合った席数が完備されており、設備も相応に良さそうだ。

 清潔感のあるオープンキッチンと、シンプルながらも調和が取れた内装とう雰囲気も良い。


 入店した二人は、ウエイターに案内される形で窓際の席へと腰を下ろした。

 店内にはそれなりに客がおり、朱音達とそう年が変わらない所を見ると、学院の生徒達だろう。新学期が近い今、残された休みを有意義に過ごす彼女たちは、友人との会話を思い思いに楽しんでいる最中だった。


 しかし、二人が店に入った途端、話題の種がガラリと変わったのを、雅美は敏感に察する。

 視線がこちら側に集中しているのが分かった。


(編入生は珍しいみたいだし、気になるのも分かるけど……ちょっと落ち着かないなぁ)


 いくら大きな島とは言え、見ようによっては外界から隔絶された閉鎖空間である。見知らぬ顔ぶれに、関心がひかれるのも無理はないのかもしれない。

 視線にも、それなりの配慮が含まれており、不躾という程のものではなかった。


 朱音はと言えば、雅美にメニュー表を渡してから一向に顔を上げない。それはもう真剣な眼差しで、もう一枚のメニュー表を見ているからだ。

 雅美は呆れを通り越して、感心を抱いた。


「噂の編入生かしら。可憐な方ですわね」

「艶のある綺麗な髪、まるで上質な絹のよう。羨ましいわぁ」


 囁き合う少女達の声は概ね好意的だ。雅美は安堵しつつも、こそばゆさからそっと目を伏せた。

 その仕草が余計に、彼女達の感情を煽ったのは知る由もない。


 朱音に習って、品書きに視線を落とし始めた雅美だが。思わぬ台詞を小耳に捉えた事で、はたと固まった。


「お連れの方も、凛々しくて素敵じゃない」

「でも……何だかちょっと近寄りづらい気がしますわ」

「あら、そのクールさも魅力の一つではなくて」


 声をひそめて、少女たちは細やかに盛り上がっているようだ。

 雅美はそっと朱音の方を窺う。彼女らが言う通り、鋭く尖った目に気圧される人物は少なくない。しかし、それを差し引いても顔立ちは端麗と呼べるだろう。


「よし、この【モーニング・ビックバン】っていうのにしよう!」

「……」

「え?なに、その目は」

「……知らないって幸せだなぁって思って」


 疑問符を浮かべている朱音。「こっちの話」と雅美は小さくため息を吐く。


「ほんとにそんなメニューあるの?」

「ほら、ここの端っこの方に載ってるよ」

「……これ明らかにネタメニューか何かよね」


 メニュー表を開いて、右端の方に小さく表記されていた。内容の記載が、他のメニューの約三倍ほどの長文だ。相当なボリュームであるのは間違いない。

 今まで注文する者がいたのか、甚だ疑問である。


「別のにしたほうがいいと思うけど」

「嫌だ!私は絶対にこれにする!滋養の為にも!」


 駄々をこねる姿と言えば、大きな子供のようだ。滋養と言うなら、是非とも『適量』の意味も理解してもらたいと雅美は思う。

 あちらの方で、期待を膨らませている淑女達には申し訳ないが。おそらく、もうすぐその幻想は木っ端微塵に砕け散るだろう。


「もう、分かったわよ。好きにすれば」

「よっしゃ、じゃあ早速頼もう」

「……ただ、テーブルマナーだけは守ってよ」


 量についてはもう何も言うまいとした雅美だが、最後に釘を刺す。


「えぇ、別にいいじゃん。ここはまだ学院じゃないんだし」


 案の定、朱音は不服そうに言った。

 すると、雅美は花が咲いたような笑みを浮かべる。清楚が体を為した表情は、誰しも見惚れ気後れするような迫力があった。


 そんな彼女を目の前にした朱音は、思わずたじろいでしまう。そして、小さく震えた。


「あーちゃん♡」


 懐かしき愛称で呼ぶ雅美の声は、甘い響きすらある。しかし、朱音にとっては脅迫に等しい。


 雅美が、どこからともなく取り出したソレには見覚えがあった。今は手の中に隠れているが、見間違う筈もない。

 飛空艇での食事の最中、朱音の頭上に幾度も落ちた、銀色の憎っくきあの棒きれだ。


 空気を察したウエイターが、二人の席へと歩み寄る。朱音は戦場へと赴くように身を固くするのであった。




 朝食を済ませた二人は、店を後にした。

 朱音の手には、サービス券が二枚ほど握られている。


 あのウエイターから受け取った物だが。送り主はおそらく、キッチンの奥でやたらほくほくとした様子のコックからだろうと、雅美は推察する。

 『モーニング・ビックバン』は名前に違わぬ、ド級の代物だった。皿から溢れそうな料理は、とても一人前とは思えない。雅美が注文した、ワッフルが乗るプレートがまるで小皿のようだった。


 とはいえ、一番驚くべきは、難なくそれを完食した朱音だろうが。


 滅多にでないだろうメニューを注文した事か。それとも、見事完食した景品か。はたまた、美味しそうに食べる姿に満足したのか。サービス券を渡された理由としては、どれも当てはまりそうだ。

 流石の雅美も、あの場で指示棒を振り回すつもりはなかったが。食事に夢中になっている朱音が、度々ハッとした顔でこちらを警戒する様子に、不憫と思いつつも少し笑ってしまった。食事を前に、待てと何度もお預けをくらう犬の幻覚が見えた気がする。


(フードファイターって職種があったけど。見ている観客ってあんな感じなのかな)


 料理が運ばれた時、やはりというべきか、淑女たちは勿論ドン引きしていた。しかし、最後の方は興味深げに朱音を見ていたのは、少々予想外だ。

 その光景に、雅美は故郷の風変りなイベントを思い出すのであった。



 腹も満たされ、早速二人は買い物に繰り出す。

 日用品、雑貨、本屋など。無いものが無い、と言わんばかりの店揃いだ。


 ショーウィンドウの前で、雅美が立ち止まる。


「入ってみる?」

「ううん、やめとく」


 朱音は確認するように言い。雅美は首を横に振った。

 このウインドショッピングなるスタイルの楽しみ方を、朱音はいまいち理解できない。やめとくと言う割に、雅美は楽しそうにガラスの向こうを見ている。


「こうして見てるだけでも楽しいの。後はフィーリングね、いいお店だとショーウインドウの小さな空間でも飽きないのよ」

「ふーん、そうなんだ」

「何よもう、その言い方。もうちょっと興味のあるフリくらいしてもいいでしょ」


 朱音の返事は、雅美の機嫌を損ねるものだったらしい。おかんむりな様子で頬を膨らませている。


「別に、ウィンドウショッピングの良さが分からなくたっていいじゃないか。私は雅美と一緒なら何でも楽しいよ」


 さらりと、朱音は言った。

 雅美は、驚いたように目を丸くする。と、その頬は薄っすらと赤くなった。


 たまに、彼女は恥ずかしげもなくこういった台詞を口にする。そこには、何の意図や思惑もない。

 長い付き合い故に、それが本心だと分かってしまうのも、時として問題だと雅美は思う。何となく、言いくるめられたような気持になるのだ。


「そ、そんな事言っても、誤魔化されたりしないんだかッ……」

「あ、あれはまさか! やっぱり鍛冶屋だ!! 凄い、色んな種類の武器がある!!」


 雅美は負けじと口を開く。が、言い終わる前に、朱音が興奮した様子で叫んだ。

 宝物を見つけたように、澄んだ瞳がキラキラと輝いている。雅美の目から見ても、今の朱音はここへ来てから最も活き活きとしていた。


 射られた矢のように、鍛冶屋へとすっ飛んで行く。


「……なんかムカつく」


 その背に向かって、雅美はぼそりと呟いた。

 

 店舗に併設された工房からは、一定の間隔で鉄を打つ音が聞こえてくる。

 職人達は、一様に作業へと没頭し。火炉からの熱気によって、顔中から吹き出した汗がポタポタと流れ落ちていた。


 二人は、外からその工程を観察していたが、程なくして店舗へと足を運んだ。


 扉を開けば、カランカランと呼び鈴が招くように音を立てる。

 室内は温かみのある木製タイルの床と、材木とうも使った重厚そうな石造りの壁が四方を囲っていた。出迎える鈍色に輝く製品が、店内の大部分を占めるように陳列されている。

 それを目にした朱音の瞳が、一段と明るくなった。雅美は興味深げに、キョロキョロと辺りを見回している。


「いらっしゃい」


 カウンターの奥で、座り込んでいたのだろう男が腰を上げた。ずんぐりとした体形の男だが、捲られた袖から覗く腕は筋肉質であり逞しさがある。

 机の上に乗せられた手は、ゴツゴツと節くれだっており、彼が鍛冶職人である事が窺えた。


「何かお探しかな?」


 強面の割に、男は存外に人当たりが良いようだ。投げかけられた声の調子には、多少の柔らかさがあった。


「えっと、すこし品物を見せて貰ってもいいですか?」

「あぁ、ゆっくり見てってくれ」


 朱音の言葉に、男は頷く。


「そっちの棚が、王国の最新モデルの武器だ」


 男は、入り口から近い位置にある棚に視線をやった。しつこ過ぎない、上品な装飾が施された武器がケースに入れられ見栄えよく飾られている。


「武器にも流行ってあるのね」


 そのデザイン性の高さに驚きつつ、雅美はガラスケースを覗き込んだ。

 対して、店内を眺め歩いていた朱音はどこか違和感を感じていた。箱の中に、やや乱雑に収められた商品に目を落とす。

 ロングソードやショートソードなど、種類の選別が為されてはいるものの、他と比べてその扱いの差は歴然としている。総じて、造形もシンプルなものばかりだ。


 朱音は、ボードに収められているダガーを手に取った。親指を刃に押し付けても、皮膚は切れることなくすじの様な跡だけが残る。


「学生に売る物は全部刃を潰してある」


 朱音の様子を見ていた男は、補足するように言う。確かに学生同士とはいえ、真剣で切り結ぶのはあまりに危険だろう。

 ダガーを棚に戻しつつ、朱音が男の方に顔を向ければ、彼はこう続けた。


「特に人気なのは、スモールソードかダガーといった軽量武器だな。好評の品はあっちに並べてある」


 なるほど、と朱音は頷く。男の言葉に相槌を打つと同時に、調子はずれな感覚の正体に気が付いた。


(規格の物よりも、細く短い物が多いんだ)


 商品を見渡しながら、確信を深める。段平といった、幅の広い剣の類は殆どない。


「やっぱり重量の問題が大きいのかな」

「デカい武器は無骨で野蛮なのだと。後は、重い剣を振ってると体形が崩れるから嫌らしいぜ」


 何の冗談かと思えば、男は肩を窄めた。

 その表情と雰囲気から、嘘ではない事が分かったのか、朱音は声も出ない。男の顔には、どこか諦念の相が浮かんで見えた。


「まぁ、この学院じゃ魔術のが重要だからな。剣なんざ、大半のお嬢様がたにとっては、着飾る装飾品の一部ってところじゃないか」

「なんだいそれ。冗談じゃない。いくら魔術が優れていても、剣が劣っているなんて決めつけもいいところだ」


 しかし、男の言葉を耳にして、朱音ははっと息を吹き返す。思いの外強くなった語気に、男は些か呆気に取られたようだ。

 そんな彼に気付かぬまま、小鼻を膨らませた朱音は不機嫌そうに、真一文字に結んだ口をひん曲げている。


「……ちょっと聞きたいんですけど」

「あ、あぁ、どうした?」


 しばし考え込んでいた朱音は、気を取り直すように問うた。


「刀って置いてあります?」

「カタナ? あぁ、もしかして倭国原産武器のあの刀の事か?」

「そうそう! その刀です」

「いやぁ、置いてねえなぁ」


 男は顎髭を触りながら、視線を天井にふらつかせたが、朱音の顔を見るなり即答した。


「刀は玄人向けだぞ、切るのにも技術が必要だ。たまに興味本位で異国の武器に手をだすやつがいるが、俺はおすすめしねえなぁ」


 残念そうに肩を落とせば、男は教示めいたように言う。

 朱音が雅美の方を一瞥すると、案の定曇った顔つきをしていた。そんな事で傷つくほど、朱音はもう子供ではない。


「ご心配なく、故郷の武器だからよく知ってる」


 そう返せば、男は水でもひっかけられたように立ちすくんだ。


「お嬢ちゃん、倭人なのか?」

「正真正銘ね。父も母も、倭国の人間です」

「そうか、俺はてっきり王国の人間かと。倭人の目っていやぁ、黒か茶色だろ」


 自身の目を指差して、男は物珍し気に朱音の双眼を注視する。

 熱心に見られている朱音といえば、些か落ち着かない様子だ。鉱石のラピスラズリを彷彿とさせる、深い色合いの瞳が揺れている。


「朱音」


 不意に、袖を引かれた。いつの間にか、傍らに立っていた雅美が朱音の服の端を摘まんでいる。


「気になる物とかあった?」

「え? あー、うぅんと」


 雅美の言葉に、朱音は眉を寄せながら小さく唸った。

 ダガーの握り心地は悪くなかった。品質もそうだが、おそらく職人の腕がいいのだろう。どれを購入しても、損をする事はなさそうだ。が、それが余計に、刀がない事への惜しさを膨らませる。


「そうだなぁ……」


 熟考の末、ようやく口を開きかけた時。


『グォオオオオオオオッ!!』

「ッ!?」


 突如、外から轟音と共に地響きにも似た咆哮が響き渡る。群狼達の唸り声や、怒り狂う雄牛のたけりが、より狂猛で獣染みたような声だった。

 追うように、つんざく様な悲鳴が聞こえる。地を伝わって来た振動によって、店内がカタカタと揺れた。


 あまりの驚きからか、雅美は声も出せずにビクリと身体を震わせる。咄嗟に、朱音はそんな彼女の肩を庇うように抱いた。

 どくりどくりと、心臓の鼓動が早くなり。身体の中に張り巡らされた神経が、波立のが分かった。


 何か危機的状況が起こっている。事態の把握もままならない中、驚異的な直感は自身に差し迫った悪意を、無意識に捉えていたのかもしれない。


 工房へと通じる扉が、荒々しく押し開く。慌てた様子で飛び出してきたのは、鉄を打っていた鍛冶職人の一人だ。


「大変だッ!! 檻を破った魔獣が外で暴れまわってる!!」


 青ざめた表情で男が叫んだのと、朱音が棚の剣を掴むのはほぼ同時だった。 

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