第8話 悪夢と道化師


 アスガルド島内の商業地区、その中心地からやや外れた場所にある倉庫。

 乾燥した薬草類が、天井から隙間なく吊り下がり。備え付けられた棚には、何かの種子が瓶詰にされた物や、木の根など、多くのものが陳列されている。


 これらは一般的な薬草ではなく、魔術に用いられるより高価な素材だった。


 深夜、その保管庫に足を踏み入れる者が二人。人目を忍ぶように黒いローブを纏い、ランプの拙い明かりを頼りに顔を付き合わせていた。


「おい、本当にやるのか」

「えぇ、勿論よ。こんなチャンス、逃す手はないもの」


 アルト調の低めの声が問う。片や、答えたのは対照的な高く柔らかい声。

 トーンからしてどちらも女性だが、声と同様に身長にも開きがある。ローブを着込んでいるせいか、はっきりとした体形は分からないものの、低い落ち着いた声の持ち主の背はやや高めだった。


「私たちは正しい事をしているのよ。その為には、多少の犠牲はやむを得ないわ」

「……ここに辿り着いたと言う事は、計画が失敗したと言う事だ。その詳細も未だ分かっていない、連絡を待つべきではないか」


 先程と変わらず羽毛のような声だが、得体が知れずどこか不安を掻き立てる。冷静に対処すべきと主張する、背の高い女性は、じっと窺うようにローブの奥に光る瞳を見た。


「失敗を予見したからこそ、私達がここにいるのでしょう? 時間を与えて、力をつけられても困ると思うけど」


 しかし、女の意見を変えるには至らなかったらしい。


「誰かがやらないといけないわ。我々は神の使徒、平和と安寧を守る御使いだもの」


 それこそ純然たる信仰心。掲げる彼女は、そう思っている。

 その想いと使命に何の疑念も抱いていない。例えそこにどれほどの代償があろうとも。




 私はまた悪夢の只中にいる。

 大蛇に呑まれ、冷たくなった彼女を抱きながら、その場へと崩れ落ちていた。惨めで無力な自分自身を呪いながら、夢が覚める事をただ祈るしかできない。


 誰かが私を呼ぶ声がする。

 その声は、いつも夢の終わりに現れた。


 しかし、いつもとは違い、声はだんだんと大きくなっていく。傍らには誰もいないのに、声ははっきりとした意思を私に投げかける。


 それは遠いようで近く。近いようで遠く。


 声の主を探そうと、顔を上げた私の頬に深い木々の香りが吹き抜けていく。視界に広がるは、鬱蒼とした森。

 私はまた知らぬ場所にいた。


 いや、薄暗い森の入り口には見覚えがある。

 森に蠢く闇の既視感に、しばし呆然と見つめ返す。


『逃げるのか』


 一際はっきりと、声が聞こえた。私はビクリと肩を浮かせて、「誰だ!?」と灰色の空に向かって叫ぶ。


『お前はまた、そうやって逃げるのか』


 音源は不確かだったのに、私は吸い寄せられるように森の入り口へと目を向ける。

 しかし、そのまま足が竦んで動けなくなってしまった。


「逃げたりしないッ!私はこの人を助けなくちゃいけないんだ!!」


 森へと入れないまま、引き返すことも出来ずに立ち尽くす私に、声は忌々しそうに呟いた。


『背負うべき罪から逃げているだろう。お前は卑怯で、そしてあまりに弱い。そんな奴が、誰を助けるって言うんだ』


 ここにいると言いかけて、私は腕にあった重みがない事に気が付く。今しがたまで、抱きかかえていた筈の彼女の姿がどこにもなかった。

 焦燥にかられるまま周囲を見渡すが、血糊さえ見つけられない状況に、再び絶望が込み上げてくる。


『お前には誰も救えない。死を振りまくだけの厄災め』


 だんだんと大きくなる声に、私は蹲りながら耳を覆う。しかし、怨嗟の声は絶え間なく注がれ続ける。


「違う!! 私はッ……!?」


 果たして、私は否定の言葉をあげられたのだろうか。




 眩しい。

 滲む視界の中、煌々と差し込んでくる光に思わず目を細めた。


(ここは一体……)


 先ほどまで、あの不気味な森の入り口に佇んでいた筈である。

 気付けば、今のように仰向けに倒れており。身体は鉛のように重い。


 夢から覚めたのだろうか。否、漠然とだが覚醒には至っていないのだろうと察する。

 背中越しに伝わる硬い感触は、柔らかなベットとは程遠い。触れている手から、鏡面のような滑らかさを感じる。

 

「……ッ!?」


 不意に、そんな私を影が覆った。誰かが、私を見下ろしている。

 突然の出来事に、緊張が走った。全身に電気でも流れたような強張りを覚える。


 影の主からは、そんな私の様子みてか笑む気配が伝わって来た。


「やぁ、久しぶり」


 親し気に降ってくる声に覚えはない。

 ぼやけた視界は、膜が薄くなるように徐々にだが鮮明になっている。何ともじれったい。


 ピントの合わない光景に、躍起になっている私に向けて。正体不明の誰かが、すっと払うように手を振った。

 途端、視界は霧が晴れたようにクリアになる。驚きから目を瞠れば、目の前には奇怪な姿の女が一人立っていた。


 色素の薄い紫の髪。顔にはペイントか刺青か、音符に似た文様が描かれている。

 着ている服はドレスなのだろうが、一言で言うなら奇抜だ。自分の記憶の中で似たものを探すなら、最も近しいもので道化師の雰囲気に近い。部屋の内装もまた、そんな彼女の趣味で溢れていた。


「君なんて知らない」

「そうなの?それは残念だなぁ」


 そう言えば、女は顔だけは悲し気な風を装って、平静な声で返した。

 私の言葉には、さして興味がないのだろう。女の瞳からは、驚きや悲しみなど全く伝わってこない。


「背が伸びたね。昔はもっと小さかったのに、こんなに大きくなるなんて思わなかった」


 昔は?一体いつの事を言ってるのだろう。

 幼い頃、それとも数年前に身長に伸び悩んでいたあの時か。


「それとも、アレの影響なのかな?」

 

 女は人を跨ぎながら、こちらを覗き込んでくる。先ほどとは違い、明らかな関心を持った様子で。じっと、探るような目を向けてくる。

 あまり気分の良い物ではないが、満足に指先すら動かせない状況では逃げられない。出来る事といえば、今のように睨み返すことくらいだ。


 視界が戻った際に、こちらも治ってくれたら良かったのに。


「治してあげたら、君、逃げようとするでしょ」


 ぎょっと目を見開いた私に、したり顔の女は実に満足げな様子だ。

 まさか、声に出ていたのだろうか。 


「声にはだしてなかったよ」

「ッ、お前、まさか……」


 女はさも当然のように返答をかえしてくる。


「大丈夫、落ち着いて」


 何が大丈夫なものかと、思わず叫びそうになった。得体が知れない上に心を読む相手を前に、どう落ち着けというのか。


「今日は挨拶をしたかっただけ。さぁ、もう眠ろうか」

「眠れる訳ないだろッ」


 悠長に言う女に、私は声を荒げた。

 そんな私の言葉をどう受け取ったのか。憂いを帯びた表情を浮かべた彼女は、見当違いな納得をしたようだ。


「そうだよね、怖いよね、でも心配ないよ。私が悪夢を遠ざけてあげるから」

「今がまさに悪夢だから!ちょ、それ以上近づくなッ」

「さっきの夢は一段と酷かったよね。ちょうど、あそこは境目辺りなんだ。力場が不安定になりやすいんだよ。でも、この島の力場に入ってしまえばもう安心。島を含めて、ある程度の範囲はとても落ち着いているから」


 女の話す内容は、私にはよく分からない。

 所詮は夢だと、切って捨てられたらどんなに楽だろう。あの悪夢も、今この瞬間も。


「安心してお眠りよ」


 彼女はそう言って、すっと人差し指を私に向けた。眉間を押す様に力をこめてくる。

 されるがまま、私は固く冷たい床に押し付けられる。


「うわぁあああッ!」


 ……筈であった。後頭部が床に触れた時、硬質な床がまるで解けていくような奇妙な感覚に陥る。

 私を中心にして、室内に突如として空洞が出来上がった。なすすべもなく、穴に吸い込まれて落ちていく。


「またね。良い夢を」


 穴を覗き込む女は、叫ぶ私に向かって陽気に手を振る。


 女の姿が瞬く間に遠くなり、小さくなっていく。

 そして、誘われるような強い眠気が私を襲った。意識までもが暗闇の中に溶け込んでいくようだ。


 記憶が途切れる直前、深く濃い闇の中で光る無数の粒が。まるで夜空に浮かぶ星屑のように見えた。




 昨日、予定通り飛空艇はアスガルドへとたどり着いた。

 正午も過ぎ、日は傾きかけていた気がする。異形の目玉を見た後、朱音は酷い頭痛と倦怠感に襲われた。

 ベットに横になれば、たちまち寝入ってしまうのがわかり。椅子に座った朱音は、あえて背もたれを脇に抱えこむようにして安定性を遠のける。それほど、眠りに落ちてしまう事を恐ろしく感じていたのだ。


 そんな朱音の様子に、雅美が心配しないわけもない。降機審査を終えて、入寮手続きを行えばおそらく夕方までかかってしまう。

 朱音の体調を気遣い、審査を済ませた後は、最寄りの宿泊施設で一泊する事になった。


 医者を呼ぼうと雅美が提案するも、朱音は頑なに拒んだ。


「なら、大人しく休んでて」


 きつめに言って、渋る朱音を布団に押し込めた。寝付くまでしばらくかかるかと思ったが、すぐに寝息を立て始めた事に雅美は安堵する。

 しばしして、朱音がうなされた様子で苦悶の声を上げた。雅美は不安に思いつつも、傍らで彼女の手を握る。そうすると、僅かだが顔つきが和らいだような気がした。


 夜半に差し掛かった頃、ようやく穏やかな呼吸音が聞こえた事で、雅美も安心して眠りにつくに至った。

 この調子では、明日は無理やりにでも医者に連れて行こうと。雅美は、そんな事を考えながら目を閉じた。


 明け方、目を覚ました雅美に飛び込んできたのは、筋トレに勤しんでいるバカの姿である。

 気付いた時には、敷いていた枕を思いっきり投げつけていた。


「ほんとに大丈夫? やっぱり、お医者さんに診てもらおうよ」

「別に平気だよ、一晩寝たらスッキリしたから」


 心配そうに言う雅美に、朱音は明るく答えた。

 自身でも驚くほど、身体は軽く頭もスッキリしている。日に日に積み重なっていた、澱のような疲れがこざっぱりと流れ落ちていた。


 夢の中に現れた、謎の女の事は気になるが。目覚めの良い朝は随分と久しぶりで、朱音の機嫌も自然に上向きになる。


「それならいいけど……じゃあ、今日は早めに寮に向かって休みましょ」

「大丈夫だって。そうだ、買い物に行こうよ。ぱっと見ただけだけど、店の数メッチャ多いし、雅美もショッピング好きだろ。入用の物もあるしさ!」

 

 朱音の提案に、雅美は少々驚いている様子だ。日の出や昨夜の事を気にしているのだろうか。

 ショッピングが苦手な朱音から、まさか誘いを受けるとは思わなかった。


「ねぇ、ほんとに無理してない?」

「してないよ、買い物ついでに朝ごはんも食べよう」

「……」

「雅美は何か食べたいものとかある?今日は私が奢るからさ」


 じっと、雅美は朱音の顔色を窺った。血色も良く、活力が満たされた瞳に嘘はないように思える。

 もう一度、念入りに問おうとするも。


 昨夜何も口にしてないせいか、朱音の腹が空腹を訴えるように大きな音を鳴らした。

 思わず、雅美は黙り込んでしまい。当の本人も、驚いた様子でパチパチと目を瞬かせている。


 しばし、無言で見つめ合う二人。雅美は、そっと逃げるように俯く。


「……しょうがないだろ、夕飯食べ損ねたんだから」


 ちょっとした抗議の視線と共に、朱音がボソボソと呟けば。奥歯を噛んで、どうにか堪えていた雅美がとうとう吹き出した。

 口を尖らせた朱音は、目の端に涙を浮かべて笑う幼馴染から、ふいっと視線を外す。


 雅美は益々、可笑しそうに笑うばかりだった。

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