第6話 思わぬ再会


「……」


 朱音は気まずそうに、視線を漂わせる。

 日当たりもよく、綺麗に整えられた室内は、想像していたよりも簡素な作りだ。機能美優先の快適さは朱音好みと言える。


 腰を落ち着けたベットの具合も丁度良く、真っ白なシーツも清潔感がありシミ一つない。


「……」


 だというのに、朱音は据わりの悪さから、落ち着かない様子で身体を揺する。

 瞳は、ある一点を避け忙しなく動きまわっていたが。段々とその動きが鈍くなり、とうとう諦めたように窓際へと視線を向けた。


 陽光を受け入れる一枚窓の傍には、一人掛け用の椅子が二つと、挟まれる形で小さなテーブルが一つ。

 そして、一人の少女が居る。背中当たりまで伸びる、癖のないダークブラウンの髪。血色の良い、柔らかそうな頬が滑らかに艶めいていた。


 彼女は、クリーム色の椅子に腰かけて、上品に紅茶の入ったカップを傾けている。


 朱音の手元にも、同じものが置かれていた。しかし、手を付けていないのか、並々とした液体がカップを満たしている。


 彼女に聞きたいことが山のようにあった。しかし、何より先に言わねばならない事は決まっている。

 そうと分かっていても、肝心の言葉が中々出てこない。朱音は困ったように頭を掻いて……自身の幼馴染である少女、六道雅美を窺うように見つめた。




 受付嬢こと、リサ­=ウィルソンの元を離れた朱音は、これから五日間過ごすであろう寝床へと向かっていた。

 飾り気のない皮の鞄を後ろ手に支え、分かれた通路を目にする度、片手に広げたリーフレットに視線を落とす。


 気になる施設に二・三立ち寄ったところで、随分と遠回りしている事に気が付き。出航五分前を告げたアナウンスに、朱音は少し急いた様子で小走りする。

 故郷の飛空艇乗りから、離陸時の揺れの酷さを聞いたことがあったからだ。二週間に及ぶ海上での生活を経て、乗り物にたいし多少の免疫がついたとはいえ、足場のない空の旅に不安がぶり返した。


 ジークの凄まじい剣戟を前にして、果敢に挑んだ者とは思えぬ小心ぶりだ。


「あ、ここだ」


 扉につけられたプレートの番号と、カードキーの刻印が同じであると確認し。朱音はドアノブの横に備え付けられた差込口へと、カードキーを滑らせる。

 続けて響く開錠音と、隣室の扉が開いたのはほぼ同時だった。


 ついと意識がそちらに流れれば、隣人もまた同じであったらしい。半開きになったドアから、ひょっこりと顔を覗かせた人物を見て、朱音は石像のように固まった。

 ぽかんと口を開けて、あり得ないものでも見たような顔つきだ。白昼夢がぽっと、現世に迷い込んだくらいに突拍子もなく、現実味がない。


 鞄のハンドルが、するりと手から零れ落ちる。ドサッと音を立てて、廊下に着地した鞄に目もくれず、朱音は恐る恐ると言った様子で口を開いた。


「……ま、雅美?」


 己から出た筈の台詞に、朱音はいやいやまさかと否定するも。小柄な体躯を見下ろせば、栗色の大きな双眼が此方を見上げており余計に混乱する。

 灯の下に現れた彼女は、やはり記憶の中の少女の姿と瓜二つだった。

 

「あーちゃん」


 往生際の悪いあがきをみせる朱音に、彼女は柔らかい笑みを見せる。

 聞き慣れた声と、久しい愛称が、すとんと胸の内に落ちてきた。


 朱音の脳内で、出鱈目に四方八方へと伸びた思考は、今しがたまで各々の主張を叫んでいたが。不具合を起して複雑に絡み合い、しまいには団子状に固まってうんともすんとも言わなくなった。


「何でここに……」

『飛空艇、シルフィードをご利用いただきありがとうございます。当機はまもなく離陸いたします』


 言いかけて、遮るように響いたアナウンス。

 離陸という言葉を受けて、朱音は慌てて雅美の腕を掴むと、そのまま部屋の中に引っ張り込むのであった。




 困惑する彼女と共に、部屋へと転がりこんだ朱音は、いつ発進してもいいように身構える。しかし、船は拍子抜けするほど静かに、王都の地から飛び立った。

 カタカタと室内を鳴らす揺れは驚くほど小さく、窓の外に広がった青空と海の景色に目をしばしばさせる。


 そんな朱音がさぞかし滑稽にみえたのか、無意識に腕の中に抱え込む形となった雅美は忍び笑いをもらした。

 思いのほか近しい距離に、朱音は気まずげに腕を離す。しばらくの間、雅美の肩は震えたままだった。


 一先ず落ち着こうと、茶の一杯でもと小さな給湯室に足を踏み入れたものの。王国産の見知らぬ茶葉を前に首を傾げれば、見かねた様子の雅美がポットの前に立っていた。

 邪魔だと言わんばかりに追い出された後は、する事も思いつかずベットの上でソワソワと彼女を待った。結局、場の空気に耐え切れず、雅美がいれてくれた茶にもなかなか手が出ない。


 しかし、こうなったのも全て朱音の自業自得である。彼女にした仕打ちを思えば、生ぬるい罰だろう。


 朱音と雅美は幼馴染だ。しかも、赤子の頃からの腐れ縁である。

 そんな二人だが、誰が見ても正反対のタイプであり、到底気の合わなそうな組み合わせであった。


 雅美は快活な少女だ。倭国人特有の、年の割には童顔な顔つきで、美人というよりは可愛らしいといった言葉が似合う。

 年頃の少女達が好むようなものに、彼女も例外なく興味を抱いてるし、目利きもいい方だ。


 朱音と言えば、快活というより、その効かん坊さ加減に多くの者が手を焼いた。

 紅白粉など興味もなく、馬に跨り刀を振り回しているほうがずっと性に合う。


 比べれば比べる程、およそ共通点と呼べるものがない。

 にも関わらず、二人はいつも一緒に居た。よくよく怪我をする朱音にたいし、雅美は毎度説教をしつつも、丁寧に手当てを施す姿など日常茶飯事だった。


 そんな関係が変わったのは、丁度一年ほど前に遡る。ある時を境に、二人はめっきりと顔を合わさなくなった。

 朱音が雅美を避けるようになったのだ。雅美がいくら取り合おうしても、一方的に拒絶し関係を絶つ日々が続いた。


 向き合おうとしてくれた彼女を、最後まで突き放した事に、朱音は後ろめたさを感じている。

 だからこそ、何事もないように振舞う雅美に、手をこまねいていた。罵倒や恨み言の一つでもぶつけてくれたほうが、ずっと楽だろう。


「……ごめん」


 そうして、沈黙の痛みに耐えかねたところで、朱音はようやく口を開いた。

 雅美はじっと、窓の外へと視線を留めていたが。ややあって、ソーサーを机の上に置くと、小さく息を吐き出した。呆れたようにも、気を落ち着かせているようにも見える複雑な表情だ。下がった眉尻が、朱音の良心をチクチクと突く。


「何にたいして謝ってるの?」


 静かな問いかけだった。怒っている風には見えず、抑揚のない口調ではあるものの、全く安心出来なかった。

 あまりに淡々とし過ぎていて、雅美自体がぼんやりとした不透明な膜に包まれているようだ。気持ちの焦点があっていない。否、合わせないようにしているのだろうか、そんな不安がよぎる。


(どれだろう……心当たりがあり過ぎる)


 思いつつも口に出しはしなかった。雅美が望む答えではないということを、流石の朱音でも察したらしい。

 具体性を求められている事に、自然とその表情が険しくなる。


「正直、思い当たることしかないけど……一番は、やっぱり約束を守れなかった事かな」


 「あんだけ啖呵きっててダサいよな」と、続ければ、朱音は自嘲気味に笑う。

 大口を叩いた挙句、約束も守れなかった。その気まずさから相手を避けていたのだから、自分の事ながら非しか見当たらない。


 雅美は、その答えに不満の色を滲ませる。しかし、飲み込む様に唇を引き結んだ。


「やっぱりいい。今は聞きたくない」


 すげなく言われ、朱音は弱りきったような顔つきで幼馴染の顔を窺い見る。

 雅美はじろりと音が付きそうな横目で返すと、いなす様に続けた。


「これ以上聞いても、私の事怒らせるような事しか言わないのが分かるもの。ちゃんと考えて、答えを出して。私の事なら大丈夫よ、お陰様でこの一年間で待つことが得意になったの。誰かさんのおかげでね」


 盛大な嫌味をぶつければ、朱音が情けない呻きを漏らす。雅美とて、何の事情もなく朱音があのような態度を取るとは思っていなかった。

 しかし、一年という月日は、彼女にとっては決して短いものではなかった。残念な事に、朱音は雅美の憤りの理由すら芯から理解していないようだ。恨み言の一つや二つくらい、聞いてもらわねば割に合わない。


「隠してることも全部話してもらうから。もし、また逃げたりしたら今度こそ許さないからね」

「許してくれるの?」


 だというのに、朱音は次の瞬間にはぱっと表情を明るくする。雅美は、質の悪いものを見る様に渋面を作った。

 随分と都合良く受け取ったらしいと察すれば、その心持は当然面白くない。が、幼馴染のこの顔に、雅美はめっぽう弱かった。


「あくまでも様子見だから。全部許したわけじゃないんだからね」


 雅美はぷいと顔をそむけて、努めて冷たくあしらったつもりであった。しかし、眦を下げ八重歯を覗かせ笑う姿に、諦めたように肩を落とすのはそれからすぐの事だ。






「は? 何でそんな話になってんの? 私聞いてないんだけど」


 意図せず低い声がでる。口の中に、苦虫でも放り込まれたような顔つきで、朱音は雅美の方を見た。


 清潔なベットの真ん中で、のびのびと足を伸ばしていた六道雅美もまた、一転し眉を顰める。

 しかし、それも一瞬の事で、呆れたような視線を送る。


(そうだった。この人はこういう人だった)


 そして慣れた風に思う。

 先程まで、捨て犬のように弱り切っていた筈が、尖った目の幼馴染は、不服そうにこちらを睨んでいる。


 【仮】にも仲直りも済んだ二人は、現状のすり合わせを始めた。というより、朱音が一方的に捲し立てる形で、雅美に問い詰めたという方が正しいか。

 とはいえ、それは無理もない反応と言える。本来居る筈もない幼馴染が、同じ飛空艇へと乗り込んでおり、隣室を陣取っていたのだから驚かない方がおかしい。

 

 朱音の問いに、雅美は渋る様に言葉を濁した。事実を話した先の反応が手に取るように分かったからだ。

 けれど、そんな事もお構いなしに、朱音は矢継ぎ早に質問を浴びせ続けてくる。「何故」やら「どうして」と繰り返されるうちに、辟易とした様子の雅美が口を割った。


 かいつまんで言えば、飛空艇に雅美がいる事など、露も知らずにいた朱音とは違い。雅美は朱音がここへと現れる事も、果ては部屋の情報まで抑えていたらしい。


 ここまで来れば、流石に朱音も察しがついた。脳裏には、赤く鮮やかなドレスを翻らせた眼帯女の姿が過る。

 故郷から遠く離された朱音を気遣うような良心を、果たしてあのカミラが持ち合わせているだろうか。


 こんな時ばかり、朱音は目ざとく何かを感じ取ったようだ。雅美の気色を窺いつつも、探るような目つきを隠しきれていなかった。


「よくおじさんが許したね。まさか、家出とかじゃ……」

「そんな訳ないでしょ。用事で王都に行くって話、知ってたと思うけど」


 知ってはいたが、まさかこの船には居るとは思わないだろう。朱音はそう視線だけで訴えかける。

 そんな顔を見て、雅美は王都へと発った日の事を思い出していた。あの日、彼女は何か言いたげな顔つきをするばかりで、ついぞ自分に声をかける事はしなかった。

 あれからもう三カ月、時間の経過をしみじみと実感しながら、交わる事のなかった視線を受け止める。


(まぁ、知ってましたけど。ちょっとは、悪びれたり遠慮とかあってもいいんじゃないの)


 何とも小憎らしい顔だと、雅美は再認識した。

 

「まさか、雅美も入学するなんてことはないよな」


 確かめるというよりは、願をかけるような言い草だ。胸中で、怒りの芽がぷっくりと起き出すのを感じつつ、雅美はとびきりの笑顔を浮かべる。


「あるよ。同じクラスになれたらいいねッ」


 溌剌と答えてやれば、朱音は困ったような顔つきで、少しだけ肩を震わせたように見えた。

 あえて聞かずとも、朱音の考えなど雅美にはお見通しである。大方、学生としてではなく資格取得枠での滞在を期待したのだろう。


 アスガルドでは、学生として在籍する他に、専門的な分野に絞った修学と、それらを修めた証明となる資格の発行も行っている。技術職の色が濃く、例をあげれば薬師や物を作る具師などが代表的だ。

 兵科ががっつりと含まれている学生と比べれば、穏やかに過ごせる事は想像に容易い。


 朱音は、雅美が荒事に関わる事を昔から過剰に反応する。心配とも捉えられるが、そこには恐れに似た気配が含まれている事が、雅美には気がかりだった。


「なぁ、アスガルドがどんな場所か分かってる?」

「つい最近まで知らなかった朱音よりはね」


 雅美の返答に、一体どこまで把握されているのかと、朱音は空恐ろしい気持ちになる。


「だいたい、朱音がお嬢様学校に馴染めるわけないもの。だから私がフォローする事になったの」

「何だよそれ。聞いてない」

「聞こうとしなかった、の間違いでしょ」

「それは……そうだけど……」

「とにかく、もう決まった事だから」


 歯切れが悪そうに呟くその表情は、明らかに釈然としない雰囲気を纏っていた。

 そのせいか、雅美の口調も段々と棘のあるものになっていく。暗に、口を挟める立場でない事を突き付ければ、詰まった様子で朱音は少しだけ黙り込んだ。


「兵科なんて、雅美には無縁じゃんか。危ないからやめなよ」


 が、腹に据えかねた様子で、懲りもせずそんな言葉を口にする。


(一体、どの口で言ってるのよ)


 雅美はまじまじと、青あざや擦り傷に塗れた顔を見た。

 朱音の目に映った自身の顔は、はっきりと非難の色を浮かべている。しかし、肝心の朱音には全く届いていない様子だ。

 

「聞いてる?」


 しびれを切らし、朱音が返事をせっついて来る。じっとその顔を見据えながら、雅美は胸に渦巻く疑問や非難の声に耳を傾けていた。

 吟味の結果、その内の一つを拾い上げる。


「一体何がそんなに気に入らないの?」


 批難ではなく疑問から。まずは落ち着こうと、どうにかささくれ立つ気持ちを撫でつけるよう、彼女は努力した。


「気に入らないんじゃなくて。ただ危ない事はして欲しくない」

「心配してくれるのは嬉しいけど、私だって色々考えてる事があるの。それに、技術が身に付くのは良い事でしょ。朱音だって強くなる事大好きじゃない」

「まぁ、好きだけどさぁ。私と雅美では、ほら、その、色々違うだろ。私が強くなりたいのにはちゃんとした理由があるし」

「あ、そう。私の理由なんて大した事でもないって言いたい訳ね」

「いや、そう言う訳じゃないけど……」


 高等な技術を学べる機会を、雅美は棒に振るつもりはない。が、幼馴染はさも当然といった様子で窘めてくる。


「全然納得出来ないので、言う事を聞く必要はありませんから」


 自分の事を堂々と棚上げする朱音から、雅美はふんっと顔をそらすと。放り投げるように答えた。


 どうにか雅美の視界に入ろうと、朱音が膝を使ってにじり寄る。スプリングのきいたベットの揺れを感じながら、雅美はつれない様子で今度は反対側へと顔を背けた。

 その間も、あれやこれやと言い含む声は一向に止まず。


「わざわざ藪をつつくような真似するなよ」


 最後の方は、呆れたようにそんな事を呟いた。

 雅美は流石にムッとした様子で、口元をぴりぴりと引き締める。目の端を上向きに怒らせながら、朱音へと向きなおると。


「何それ、さっきからずっと思ってたけど。私がここへ来たのが迷惑だって聞こえる」


 少しだけ震えた声で言う。


「雅美?」


 もしや泣かせてしまったのかと、途端に尻込みを始めた朱音だが。次の瞬間には横っ面を張り倒されて、ベットの上を跳ねていた。


「いったぁ!!」


 頬に響く痛みより遅れて、朱音は込み上げてくる懐かしさに目を白黒させる。

 「そうだった、コイツはこういう奴だった」と、皮肉にも雅美と同じような結論に至っていた。交流を断った一年のうちに、しおらしくなったと思い込んだらこの様である。


「おまッ、人がせっかく心配してやってんのによー!」

 

 負けじと叫べば、雅美は抱えていた温い枕を容赦なく振りかざした。

 その勢いといったら、鬼でさえ裸足で逃げ出すのではないか。朱音は堪らず、ベットから転がり落ちる。


「藪しかつつかないのはそっちでしょ! 棚上げするのもいい加減にしなさいよねッ」

「待って! ちょっと落ち着こう!」

「人が優しくしてれば、つけ上がるのも大概にしろ!」

「え、優しいとこあった?」

「~~ッ!! うるさい、バカバカ!!」


 うわぁ、と情けない声をあげて逃げ出す朱音に向けて、二度三度と枕で殴りつけるも。

 クッション性の高さ故か、足を止めるには至らず。室内を二週したあたりで、一向に捕まらない事に苛立った雅美は、床の上に放り投げられたままの朱音の鞄をむずりと掴み上げた。


 小柄な体躯の割に、彼女は結構な力の持ち主だ。ズシリと重い、皮の鞄を思いっきり振りかぶった。

 一直線に飛んで行ったそれは、吸い込まれるように朱音の後頭部へと直撃する。枕の比ではない、鈍く硬い音を鳴らしたかと思えば、そのままベットの上に倒れ込むのであった。


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