第4話 旅立ちの日2
別れというのは存外に呆気ないものだと、朱音は思う。思い出話に話を咲かせることもなく、ごく普通の日常的なやり取りをする内に、旅立ちはやってきた。
共にした時間は短いが、後ろ髪が引かれるくらいに、濃い一時を過ごした自覚はある。
「まぁ、その……色々ありがとう」
此方を見やる、幾つもの目からやや視線を外して言う。しみったれた雰囲気は苦手なのだ。
間もなく離陸予定の飛空艇は、静けさを保ったまま鎮座しており、声を張り上げる必要はなさそうだった。
「達者でな」
「うん。次は絶対に勝つから」
こんな時まで言葉数の少ないジークだが、答えた朱音も大差ない。
返事の代わりに、彼は朱音の頭を軽く叩いた。二度三度と、繰り返された不器用なそれは、人によっては撫でると言うのだろう。
「手のかかる子程可愛いというが、あれは嘘に違いない。おちおちと休む暇もない二週間だったな」
「はぁ?」
横から飛んできたカミラの言葉に、朱音は不満そうに顔を顰めた。
瞬間、思い起こされたのはこの二週間にわたる映像記憶だ。その中にあるカミラの姿といえば、ジークのハリケーンなみの剣圧に、地面に這いつくばる朱音の傍ら。ビーチパラソルの下、果物が添えられたスカイブルーのグラスを傾けていたり。
心機一転とばかりに、メガホン片手に煽り文句を延々とこちらに投げて寄越し、教鞭を振るう如く失敗をあげつらう事もあった。煽りに反応すれば、隙を見逃さないジークの鉄拳が飛び、ネチネチとした説教も正論とあらばぐうの音も出てこない。
一番最悪だったのは、暇を持て余したのか、釣りを始めた時の事だ。釣り針を海草か岩に引っ掻けたのだろう、とれないと騒ぎだしたかと思えば、擦り傷だらけの身体を容赦なく海に投げ込まれた。釣り針の安否確認をして来いと宣う女に、朱音は「お前の頭の安否確認が先だろ」と声を大にして叫びたかった。叫ぶ前に沈められた為、言葉には出来ていない。
(この女、よくもぬけぬけと……いつか絶対泣かすッ)
そんな、私怨を滾らせぎっとカミラを睨みつける朱音へと、そっと歩み寄るオウカ。
その手には、彼女がこしらえた弁当の包が抱えられている。
「教えて貰ったおにぎりを幾つかご用意しました。お腹が空いた時に、召し上がってくださいね」
形が歪なのは大目に見てくださいと、包を渡しながら恥ずかし気に笑う。
「オウカ、色々ありがとう」
カミラの時とは打って変わって、朱音の口からは自然と感謝の言葉が零れ落ちる。
短い旅ではあったが、常々自身を気にかけてくれた彼女の存在は、朱音にとっては素直に有難いものだった。
オウカやジークのいない旅先を想像すれば、灰汁の強いカミラや双子らに囲まれ憔悴しきっている自分の姿がありありと浮かんでくる。
「この恩は、いつか必ず返すよ」
また会おうと、言外はせずともしっかりとした意志を含んだ声に、オウカはそっと顔を上げた。
じっと見降ろしてくるその視線に焦点を合わせれば、明るすぎず、けれども暗くもない深い青の瞳が光る。ある筈の無い重みを感じるのは、些か強すぎる目力のせいだろうか。
その眼差しが萎び折れる……否、萎び折れていた所を見たのは、初めて出会ったあの日だけだったと、オウカはそんな事を思い出した。
「約束を、覚えていますか?」
オウカの問いに、朱音の肩眉がひょいっとつり上がる。戸惑った時によくやる癖だが、束の間すぐに定位置に収まった。
思い当たる節は一つだけ、怪我の手当をしてくれたオウカに、何かして欲しい事はあるかと軽い気持ちで尋ねた時の事だ。
少しの間、考える素振りを見せた後、彼女は「桜が見たいです」と呟いた。
オウカは朱音の故郷の話をよく聞きたがった。特に桜の木にたいして、強い思い入れがある様子で。そんな彼女の願いに、頷き返したのを思い出す。
「勿論、街で一番立派な桜の木を見せるよ。約束する」
「嘘ついたら針千本ですね」
朱音が小指を差し出せば、オウカは歌うように言いながら細い指を絡めた。それは、朱音の故郷に伝わるわらべ歌の一節で、彼女に教えた話の一つだ。
矢じりのように尖った目尻がほんの僅かに下がり、朱音は尖った八重歯を覗かせて笑う。その表情と、記憶の中にある面影が重なって、小石のような名残惜しさが彼女の胸の内に沈んでいった。
「あまり無茶な事はしないでください」
濡羽色の髪が風に弄ばれるように靡く。お元気でと、口にしたオウカは美しい笑みを浮かべ、絡めた小指をスルリと解いた。
「それじゃあ、皆も元気で!」
膨らんだバックを担ぎなおし、タラップに足をかけ駆け上がる。途中で一度振り返れば、相変わらず怪しげな笑みを携えるカミラと、物静かな岩の如くじっと此方を見るジークの姿。
手を振るオウカに応えれば、エイドルフが小さくお辞儀をしたのが視界の端に映った。今度は彼の方へと視線を投げかけ、手を振れば驚いたように目を丸くする。
可愛げなく舌を出すハーマリーに、朱音はニヤリと唇のふちを吊り上げた。
「そんな顔してると、また小皺が増えるよハーマリー」
聞きなれた金切り声を背に浴びて、「ワハハッ」と豪快に笑うと。振り返らずに、朱音は飛空艇へと足をのばした。
アスガルドが保有する四隻の飛空艇。四大精霊の名を冠するうちの一つ、【シルフィード】に乗り込んだ朱音。
そんな彼女をまず初めに歓迎したのは、煌びやかな内装と調度品の数々だった。
乗降口から続く、青々とした草地のような絨毯には、金糸であしらわれた小花の刺繍が浮かび。壁を飾る芸術性の高い絵画が、等間隔で並んでいた。
「何だこれ、おっさん頭光り過ぎじゃない? 電球かよ」
目利きが効く者ならば、思わず立ち止まり感嘆の息を漏らすところだろう。残念な事に、中年の男と後光が描かれた神秘的な絵画を前に、朱音の目には奇怪の二文字が浮かんでいたのだが。
飛空艇というよりは、さながら上質なホテルのようだ。剥きだしの配線やら錆びかけの鉄板を想像し、勝手に期待を膨らませていた朱音は、これまた勝手に落胆した。彼女は、華美さより無骨さに心踊らされる性質なのだ。
短い通路を超えた先は、各種インフォメーションを取り扱うフロントへと通じていた。吹き抜けの空間は、大階段によって二階に繋がっており、ガラス張りの天井が解放感をより高めている。
ふんわりと甘い匂いが鼻先を掠めれば、給仕人が湯気の立つカップと焼き菓子を、盆に乗せて運ぶ姿が過った。一見して、二十代前半だろうか。まだ若い女給だが、その一つ一つ所作はどれも洗練され、この船に見合う上品さがある。
匂いにつられて、朱音の視線が女給の背を追う。こざっぱりとしたフロントに比べて、ソファやテーブルによって少し賑やかな印象のラウンジが、彼女の仕事場なのだろう。はめ込まれたステンドグラス越しの陽光が七色に輝き、ラウンジ全体に燦々と降り注いでいる。
本革のソファで身を寄せ合い、静かに談笑する幾人かの少女達と女給を照らし出す様は、繊細な水彩画のようだ。
不意に、こちらへと顔を向けた少女の一人と視線がかち合った。愛想の一つでもと笑みを浮かべれば、ぎこちのなさから頬が引き攣る。
意図せず、ギュギュっと眉間の皺が深くなり、元より鋭い目つきが余計に反り上がれば、顔を青くした少女が隣人の腕に縋りついた。
(解せぬ)
明らかな怯えようを見て、朱音は少なからずショックを受ける。
しかし、少女の友人だろうか。真っ直ぐにこちらを見返してくる瞳に、面を食らったような驚きを覚えた。射抜くような視線には、少女の持つ勝気さが大いに現れており。
同い年の少女が果敢に応戦してくるなど、ハーマリーや少しの例外を除いて、そうそうにない経験であったからだ。
一見して、険悪な膠着状態が続くと思いきや。ごく近くで香った匂いに、朱音の気が不意に逸れた。
芳醇な香りと、柔らかな女性の声が重なる。
「失礼ですが、当シルフィードへのご搭乗は初めてでしょうか?」
銀製のトレーには、香りの元となるカップと、先ほど見た焼き菓子と同じものが乗せられていた。しかし、運んでいた女性は給仕ではなく、フロントの顔役であろう受付嬢がそこにいる。
突然の出来事からか、瞬きを繰り返す朱音はコクコクと首を縦に振る。受付嬢は人当たりの良い笑みを浮かべると、湯気の立つカップをソーサーごと手渡した。
思わず受け取った朱音と言えば、やはり目を白黒とさせて彼女を見返した。穏やかに笑う受付嬢に促される形で一口含めば、葡萄の皮を噛んだような、渋みと甘みを合わせた独特の匂いがぶわっと口内に広がる。想像したよりもずっと飲みやすく、続けて朱音は二口ほど流し込んだ。
「私は、こちらで受付係を務めさせて頂いております。リサ=ウィルソンと申します」
朱音が幾分か落ち着きを取り戻した頃合いを見計らって、受付嬢は丁寧に頭を下げる。
「私は……あ、っと……風間朱音、です」
つられて名乗りかけるも、ぐっと堪えたように朱音は一瞬間を開け。そしてゆっくりと吐き出す様に、名を口にした。
「風間朱音様、改めましてご搭乗ありがとうございます。シルフィードへようこそ。お手続きがまだのようでしたら、どうぞこちらへ」
そんな朱音に、笑みを保ったままリサは応対を続ける。
戸惑いながらも、彼女の後ろについていく朱音は、途中煽る様にして紅茶を全て飲み乾した。
先ほどまで睨み合っていた女生徒は、カップを豪快に傾けるそのあまりに品のない行動を見てか眉を寄せる。しかし、支柱の奥にあるフロントへと、のしのしと消えて行ったのを確認するや、フンと鼻を鳴らしてから友人らへと向き直った。
「お手続きですが、ご本人確認の為、スクロールの提示をお願い致します」
「スクロール?」
「これくらいの大きさの、筒状の紙を貰いませんでしたか?」
リサは、両の人差し指を立てながら、大体の大きさを示して見せる。あぁ、と朱音はカミラに手渡された物を思い出し、懐を探ると簡素な紐でとめられた羊皮紙を一つ取り出した。
「えっと、これでいいですか?」
「はい、そちらで間違いありません」
手際よく封を解きながら、リサは羊皮紙を広げると文鎮のようなもので押さえる。ようなもの、と形容したのは、朱音が知る形とは随分とかけ離れたものであったからだ。
朱音の故郷でよく使われていたのは、リサの物と比べると味気ない、鉄製の金属器が殆どだった。
ポンと、軽いタッチで判子を押すリサの手元ではなく、きらりと光る代物に焦点を当てたまま、朱音はじっと石の様に動かない。
「どうかなさいましたか?」
リサに声を掛けられた事で、ようやく顔を上げる。随分と熱心に見つめていたようだと、やや気まずさを感じつつも、率直に思った事を口に出した。
「いや、綺麗な花だと思って」
紙の上で光る水晶の中には、朱音が見た事のない花が浮かぶように閉じ込められていた。
花の事に疎い朱音に、そのものの価値など分かる訳もなかったが。未だ生命力に溢れるような、瑞々しさを放つそのピンク色の花弁は確かに美しかった。
しげしげとペーパーウェイトに視線を落とし続ける朱音を見て、リサは口元を綻ばせた。思い入れのある私物を褒められた嬉しさと、単純に微笑ましさが上回ったからだ。
先ほどの刺々しく剣呑な雰囲気はなく、目の角が少し丸くなったせいか幼げな印象すらあった。
しかし、今度はみるみるうちに具合の悪さがその顔に浮かびあがる。
朱音の視線は既に、水晶ではなくリサの手元の紙に向けられていた。
(も、文字がなくなってるッ……)
発行された時は、隙間なく埋められていた文字が、中ほどから抜け落ちたように消えている。中途半端に白い紙にたいして、不備という文字が朱音の頭を埋め尽くす。
もしかしたら、ここから叩きだされてしまうのではないかと、彼女は不安を覚えた。
そんな様子に気付けば、リサの頬が緩む。すると、朱音が窺うようにちらりと見てくるものだから、余計におかしくなった。
「大丈夫ですよ。さぁ、こちらに手をのせてください」
紙の位置を替え、朱音の正面にくるように移動させる。リサは、そっと朱音の手を取り、紙の中心に持っていくと、少しだけ力を入れて押し当てた。
朱音の中で、僅かばかりだが何かが抜けていくような感覚があり。同時に、焼き付くようにして、羊皮紙に足りなかった文字が描かれていく。不思議と、押し当てられている筈の手は熱くなかった。
紙は数秒ほどで、朱音の記憶に近い状態に戻っており。彼女はやはり興味深げに、それらの文字を目で追う。
「この紙は、朱音様の魔力にのみ反応するよう、術式がかけられています。変装魔術等による偽造防止の対策ですね」
「それだと、持っている間に反応したり……とか、しちゃうんじゃないですかね?」
不慣れに言い直す朱音をみて、リサはクスクスと小さく忍ぶように笑う。
「この判子を押さない限りは、触っても反応しない仕組みです」
再び紙を紐で留めなおし、艇内の規約が書かれた小冊子を添えると朱音に手渡した。
「ご協力ありがとうございます。本人確認、無事終了致しました。アスガルドに到着までの間、艇内の施設は自由にお使いください。トラブルがなければ、予定通り今から二十三分後に離陸し、本島への到着は五日後の昼過ぎになります。天候によっては、夜間となる可能性もありますので、その場合は港の最寄にある指定の宿泊施設なら、無料でご利用頂けるよう手配いたします」
「五日後? 結構早いなぁ」
地図で見たアスガルドの位置を思いだす。
故郷の飛空艇ならば、一週間以上はかかりそうな距離だったはずだ。
「プライベートサイトと記載された場所が客室となっております。朱音様にお使いいただくのは、208号室のお部屋になります。客室は三階まであり、208号室はこちらの二階にあたりますので、お間違いにならないよう気を付けてください」
リサは一枚のリーフレットを広げる。飛空艇の見取り図が描かれた紙に、わかりやすく円を描くように指を滑らせる。そして、最後にある一点を指した。そこには、これから五日間滞在する予定の、朱音の客室と同じ番号が明記されている。
最後に、ナンバーが掘られたカードキーと、再び折りたたんだリーフレットを朱音へと差し出せば。
「では、快適な空の旅をお楽しみください」
彼女は慣れたようにそう締めくくった。
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