第3話 旅立ちの日


 一週間後、朱音はレスティア王国の王都『カローナ』へと訪れていた。目的は、中央区に設営されたターミナルである。


 旅客機や貨物機など、多様な航空機を内包する施設は、人工水晶で作られた幻想的な建物だった。

 人工水晶とは、魔工技術と呼ばれる、複数の物質を魔術によって溶錬させて作られた代物だ。


 魔術を介し生み出される行程から、魔力を伝達しやすいという特性と魔力を増加させるという副次作用がある。その為、魔術が発現するまでのタイムラグが少ないうえに、ターミナルの機構に組み込まれる魔術式の効果をもより高めてくれる。

 有事の際にはターミナル全体に防壁を張り、要塞化する機能も搭載されているらしい。


 朱音がここへと訪れた理由は、アスガルド行の便へと搭乗する為である。アスガルドは別名浮島とも呼ばれており、広大かつ岩のような陸地が一定の高度を保ちつつ浮かんでいることから、基本的に飛空艇でしか行き来できない特別な場所である。

 空路の他に、転移装置なるものも存在するが、こちらは少々費用がかさむ事から利用者は少ない。費用の出所をいまいち把握出来ていない朱音は、とりあえず言われるがままついてきた次第であった。


 人類が知る上で、このような浮遊大陸は、アスガルドを除いて他にはない。新大陸と呼ばれる、人類未踏の場所を探せば見つかる可能性もあるが、現段階ではあくまでその域を出ない話だ。

 希少かつ巨大な魔石を核として、そのような現象を起こしているとの事だが。未だ解き明かされていない謎もあるらしく。朱音は他人事の様に、いつ落ちるとも分からない場所に居を構えるとは、かくも魔術師とは無謀な輩の集まりだ、と思っていた。


「凄い、水槽の中にいるみたいだッ」


 ターミナルに入った朱音から、思わず感嘆の声がもれる。ごく僅かに塗料を含んでいるのか、水晶の透き通った青さは、海の中にいるような錯覚をおこしてしまいそうになる。


 ターミナルに停泊する、大小様々な飛空艇の数々は、さながら小魚やクジラのようだと。分厚い水晶越しに、眼下に広がる駐機場を見渡し思う。

 外観は船に近く、帆の様な物がまるで気球の様に上部を覆っているが、全体的にシャープに纏まっていた。両側に付いた、目を引く巨大な穴は、船を推進させる噴流装置の一つだろう。他には幾つかプロペラの様な物も見受けられる。


 (あれが本当に空を飛ぶのかな)


 とはいえ、装飾を施されようと、それは鉄塊以外の代物にはなり得ないわけで。

 あれが優雅に空へと飛び立つ瞬間を想像しては、朱音は疑念を深めていた。彼女は生まれてこの方、飛空艇に乗った事がなく、信用もしていないのである。


 感動や好奇心より、恐怖が勝る心境から、自然と表情も険しくなった。


「アレは、魔獣除けの呪いだ」


 同じように、駐機場へと視線を向けていたカミラが、帆を指差しながら言う。どうやら、朱音が怪訝そうに船を見つめていた事に気が付いたらしい。

 円形と文字列で組み立てられた文様は、それぞれ船のデザインの基調に合わせているのか、使われている塗料も緑や赤、黄色など色彩も豊かである。デザイン性が考慮されているのか、文字の存在が浮いてしまうような物は見当たらなかった。


「まるで悪戯書きじゃないか……あれで本当に魔獣を追っ払えるの」


「あんなん、私でも書ける」という朱音に、カミラは口の端で笑う。


「絶対とは言い切れない。まぁ、飛空艇の事故より確率は高い」


 ヒクっと顔を引き攣らせる朱音。彼女の中で、元より少ない信頼が勢いよく墜落していった。


 そもそも、王都は人気の観光地であり、年間の旅行客数はどの国より多いとされている。そんな都が掲げるターミナルの事故率が高い訳もなく。

 魔獣の生息分布を徹底調査し、それに被らない場所を飛行ルートに定め。加えて、運航地域一帯に厳重な管理体制と、武装を積んだ飛空艇による定期的な巡回など、魔獣の防衛対策も充分に施されている。


 しかし、そんな事を知る由もない朱音は顔を青くするばかりだ。勿論、人の悪いカミラは気付いていた。

 堕ちる事ばかり気にして、呪い除けにも注意をはらえない位に、彼女が焦っていた事も。


「……」


 ジークはと言えば、憐れんだように視線を向けるのだった。




 ターミナル内に響くポート案内の知らせを聞き流し、朱音はレストランのテラス席に腰を落ち着けていた。

 チケットは既に手配されており、身体検査と身元確認も済ませた今は、フライトの時間を待つばかりだ。


「朱音、ジークさん! こちらに居たんですね」


 少しして、テラス席で暇を持て余していた朱音とジークに、一人の少女が声をかけた。


「オウカ! 来てくれたんだ」


 小走りで駆け寄った少女を迎え入れるように、朱音は腰を上げる。物珍しい民族衣装に身を包む彼女と視線を合わせれば、オウカと呼ばれた少女は顔を綻ばせた。

 長い黒髪には、本物の桜で出来た簪を差しており、満開の花びらが視界を彩っている。穏やかに細められた、エメラルドグリーンの瞳は、見る人に安堵感を与える柔らかな光を帯びているようだ。


「よくここだと分かったな」


 示し合わせた訳でもなく、通信機を確認するジークの元に知らせは来ていない。ターミナルだけあって、それなりの広さがある事から出た言葉だろう。


「アンタ達目立つのよ。悪目立ちのほうでね」


 居丈高に返したのは、遅れてやって来た男女。の、女の方である。


「達ってなんだ。目立っているのはジークだけじゃん」

「包帯女が何言ってるの? アンタ歩く異臭よ。あぁ、湿布臭いったらないわぁ」


 朱音が不満の意を表せば、女は挑発的に扇子を向けてパタパタと扇いで見せた。

 オウカとは対照的に、明るい金の髪と特徴的な縦ロール、蠱惑的な雰囲気を纏う女はハーマリーと言う。朱音とそう変わらない年である筈だが、彼女の方がずっと大人びており、取り出した派手目な赤色の扇子はよく似合っていた。


 愛称はマリーだが、朱音がそう呼んだ事は一度もない。呼ばれたハーマリーが露骨に嫌そうな顔をするのは想像に容易く、互いに嫌な思いをするのは分かり切っていた。


「そいつは悪かったな、お詫びにそのピンヒールブチ折って鼻に蓋してやるよ」


 臭気をはらうように、扇子を振るい続ける彼女を睨みつけた朱音は声を低くする。

 それに反応したのは、当のハーマリーではなく。彼女の背に隠れた男、エイドルフはビクリと身体を強張らせた。


 エイドルフはハーマリーとよく似た容姿をしている。双子の姉弟故、背丈も同じくらいで、アンバーの瞳や細かな顔の造形など男女の差はあれどそっくりと言えるだろう。揃いの衣装に身を包んでいる事が、益々その印象を強くしている。

 彼もまた、ハーマリーとは違った意味で厄介な性格をしていた。


 高飛車な姉と比べて、エイドルフは臆病でとても神経質な男だ。


「…………ら……い」

「どうしたエイドルフ? 何で離れるだよ」


 声もか細く、聞き取りずらいことこの上ない。おまけに、気を利かせて近づくとその分距離を開けてくるのだ。


「……ね、マリー姉様の鼻の穴にピンヒールを入れるなら、僕にもそうしてください」

「は?」


 しかし、ようやく聞き取れた声に、朱音は思わず耳を疑った。


「姉さまと同じじゃないなんて、堪えられないんです」


 エイドルフの声が震える。声量は相も変わらず小さかったが、なんともおどろおどろしい空気を含んでいた。

 朱音の表情も、自然と硬くなる。エイドルフの要求は、朱音には測りかねるものが多い。


「美しいマリー姉様……僕は少しでも姉様に近づきたいのに。せっかく双子に生まれて来たのに、何もかも違う。顔も声も、肌も髪だって……」

「いや、大丈夫だって。気にしすぎだから! 傍から見ればそっくりだから、ヘーキヘーキ!!」


 言いながら、自身の顔をこねくり回すように触るエイドルフ。

 適当に慰めの言葉を投げつつ、朱音はその不気味さに距離を取ろうとじりじりと後ずさった。


「そもそも、僕は何故男なんでしょうか。いえ、それ以前の問題ですね。何故、細胞の時点で別れたりしたんでしょうか、別れなければ僕は本当の意味でマリー姉様と一つになれたのに。マリー姉様自身になれたのに。どうして、どうしてなんですかぁああッ」

「うわぁああ、来るな! 変態ッ!!」


 数珠の様に連なった言葉を呟くエイドルフが徐々にヒートアップしていき、そして突然にキレた。

 縋りつくように飛び掛かってきた彼に、朱音は恐れをなして逃げ出す。


「エル!何言ってるのよッ」


 そんな朱音の窮地を救ったのはハーマリーだ。横から颯爽と飛び出して来たと思えば、がっちりとエイドルフをホールドする。

 そのまま二度と離さないでくれと願いながら、朱音は急いでジークという名の壁に身を隠した。


「こんな奴にそんなお願いする必要なんてないの。どうしてもって言うなら、お姉ちゃんがしてあげるからね」

「あぁ、マリー姉様なんて慈悲深い……」


 姉の抱擁に落ち着きを取り戻したエイドルフと言えば、すっかりいつもの調子に戻っている。


「……こいつらやべえよ」


 病的な依存関係を前に、朱音は及び腰で様子を窺う。

 心頭していた怒りも、すっかりと削がれてしまい、陳腐な呟きがもれた。


 すると、ジークを盾に顔を覗かせていた朱音にオウカが声をかける。


「合格のお祝いに、これをお渡ししたくて」


 濃茶色の包装紙と、金に縁られた赤のリボンでラッピングされた箱を彼女はそっと差し出した。朱音は驚いたように、吊り目がちな目を少し丸くし。そして、すぐに喜色ばんだように歯を見せて笑う。


「オウカ、ありがとう! まさか、こんな物貰えるとか思ってなかったし嬉しいよ」


朱音はまじまじと、箱を眺めている。

注文したプレゼントが今日の午前中に届くと連絡が入った時は、正直どうしようかと思ったが。オウカはその姿を見て、間に合ってよかったと、ほっと胸を撫でおろした。


「私はプレゼントを選んだだけで。お金はカミラさんとジークさんが出してくれたんですよ」

「おっちゃんは分るけど……カミラは、なんか意外かも」


 真顔で言う朱音に、オウカは口元を隠しながら、控えめに笑う。


「ちょっと、田舎育ちのゴリ女に、ママがそこまでしてやる必要なんてないんだからね。そこの所ちゃんと弁えときなさいよ」

「誰がゴリ女だッ」

「アンタに決まってんでしょー。まさか、オウカに言ってると思ったわけ? ひっどーい」

「お前ほんとに可愛げねーな」

「ない奴がいうと、説得力ってここまで生まれないんだ。分けてあげられなくてごめんねぇ」


 鼻息を荒くする朱音を、ハーマリーは文字通り鼻で笑って見せた。

 カチンと脳内に響いたゴングの音と共に、踊りかかろうとする朱音の前に、慌ててオウカが割って入る。彼女の背後に浮かび上がるハーマリーの相貌は、実に挑戦的で、口元は小憎らしい弧を描いていた。 


 場を取り成そうと、オウカは一際明るい声を出す。


「マリーさんとエル君は、ラッピングを。二人とも一生懸命でしたよ」

「この二人が?」


 信じられないという顔をする朱音。仲が良いというには微妙な間柄で、特にハーマリーとは顔を合わせる度に今の様にいがみ合ってばかりいる。

 そのせいか、不覚にも感動した朱音は次の瞬間すぐに後悔した。


「オウカの頼みだし、何より今日の私は機嫌がいいの! うるさい奴がやっと居なくなるのよ」

「ハーマリー、お前ってやつは最後まで口の減らねえ女だよ」

「というわけだから、ありがたーく受け取りなさいよ。ちなみに私が嫌いな色は茶色よ、地味だし」

「赤色は姉さまが好きな色なので」

「お?喧嘩売ってんのか? 姉弟共々、好きな色に染めてやんよ」


 上機嫌なハーマリーの声に、朱音は不機嫌さを露にする。花の様なオウカの笑顔が、苦笑に変わったのは言うまでもない。


「やっと、これで安眠出来るわぁ。アンタのデカい寝言のせいですっかり寝不足だったし。そのせいで、最近肌荒れまでしてくるし」


 眉を八の字に垂らし、憂い顔を作るハーマリーは自身の頬を撫でた。一見して艶のある肌だが、本人としては不満らしい。


「いやいや、老いでしょ老い! お前老け顔だしね! ワーハッハッハッ!!」


 そんな彼女を指差しながら、朱音は腹を抱えた。瞬間、ハーマリーはカッと顔を赤くして、朱音を睨みつける。


「だ、誰が老け顔よ!」

「いったぁ!!」


 密かに気にしていた事を指摘され、怒りのままビンタを飛ばすハーマリー。放った一撃は頬へと鋭く突き刺さり、バチンと肌を打つ音と衝撃に、朱音は目を剥いた。

 

「メスゴリラッ、いいえアンタなんてトロールよ! トロールの珍種かなにかよ! エル、エルッ! あの田舎育ちのトロールったら酷いのよ」

「ね、姉さま、可哀想に……きっとマリー姉さまが綺麗だから、メスゴリラ……トロールさんも嫉妬してるんだよ」

「誰がトロールだ! つーか、言い直してる意味あんのかそれ!」


 その隙をみて、これみよがしに弟に泣きつくハーマリー。よよよとすすり泣く姉を、不憫そうに見つめて慰めるエイドルフ。

 強気な姉と、かたや弱気な弟と、毛色の異なる姉弟だが。朱音の神経を逆なでするのは、どちらも得意なようだ。


「そこまでにしておけ」


 今にも飛び掛からんとする勢いの朱音の頭を、ガシッと音が付きそうな力で鷲掴むジーク。

 その伊達ではない巨躯故か、片手で難なく抑え込んでいた。


「止めるなおっちゃん!」

「おっちゃんではない」


 「ンギギッ」と歯を震わせ、体を前へ前へと倒そうとするも、頭は大きな手に吸い付いたように動かない。

 食い込んだジークの太い指が、頭皮をがっちりとホールドしているせいか、鋭い目を更に吊り上げた。


「ブッサッ!」


 いい気味だと、ハーマリーが笑う。火に油を注いだように、朱音は手足をバタつかせたが、やはりジークの剛腕からは最後まで抜け出す事が出来なかった。

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