第2話 受難の始まり2

 見慣れぬ煉瓦造りの街道を歩きながら、少女は未だに現状を受け入れきれずにいた。混乱は落としどころを見つけられず、不安定にわだかまっている。


 人通りの多い道すがら、物思いに耽る彼女には、集まる視線に気を払える余裕もない。


 鼻筋の通った端正な顔立ち、その立ち居振る舞いも堂々としたものだった。

 王国ではもの珍しい黒髪と、青藍の瞳は炎が揺らめいているように力強い。


 しかし、皆が少女に惹きつけ……いや、引き付けられている理由はそこではない。

 湿布では収まらない内出血の痕が至る所に見受けられ、ボロボロの傷だらけであったからだ。


 通り過ぎる人々は、注意を向けつつも自然と避けるように距離を取る。


「しかし、君が使おうとした召喚魔術は実に興味深い。是非完成させてくれたまえよ」


 そんな少女へと、無遠慮に話しかけたのは、隣を歩く赤いドレスの女だった。その目は、酷く愉快気だ。


「私がいつ召喚魔術なんか使ったんだよ?」


 少女は怪訝そうに答え、少し考える。もしかしたら、無我夢中で気付かなかっただけで、何かしらの兆しがあったのだろうか。

 出来ればそうであって欲しいと思った。


「あのフォルムといい、どう見ても倭国のレジェンドアニマル【ツチノコ】だろう。まさか魔術でそれを表現するとは、斬新な発想だな。まぁ、残念ながら発現には至らなかったわけだが」

「喧嘩売ってる?」


 女は心底残念そうな顔を作る。さも称賛するような口ぶりで、コケにされた少女がうなれば、女は楽し気にクツクツと笑った。


 諸事情により、入学試験を個人で受けたのはつい先ほどだ。畑違いな分野に、試験中にも関わらず途方に暮れるはめになった。


 アスガルド女学院は、魔術分野において、王立の学院に次ぐと言われる高等教育の場だ。合格条件は魔力を扱える者と単純だが、古い歴史で培われた実力主義の風潮から、そこそこの技量持ちなど当然とばかりに扱われる。

 片手ばかりの年頃から、入試に向けて励んでいた子女達の実力は相応に高い。


(私は魔術師ではないし……なりたいとも思っちゃいないけど)


 皮肉にも、この女のせいで魔術というものに少なからず興味が沸いた。


「カミラさぁ、ほんとに嘘とかついてないよね?」


 本名か偽名か、定かではない呼称を呼びながら、少女は女を睨みつけた。緩くウェーブがかった金の髪、美しい顔つきから覗く紅玉のような瞳は、右目を残し不釣り合いな眼帯で覆われている。

 紅色の瞳をスライドさせ、こちらを見る彼女は、まるで貴婦人の様に扇子を唇にあてながら艶やかに微笑んだ。


 女……カミラと知り合ってから二週間が経とうとしているが、少女は彼女の事を殆ど知らなかった。年齢も年上というだけで、正確な事は分からない。なにせ、表情によってコロコロと印象を変える様な女だ。

 つり上がった口元とその気配から、自分の事を小馬鹿にしていると読み取れるその顔は、先ほどより幼く見える。


「ツチノコか? 冗談に決まっているだろう。 しかし、本当にいるなら見てみたいものだ、シンプルに塩焼きがいい」

「その話じゃなくて……って、食うのかよ!? 別にカミラの好みとかどうでもいいよ!」


 ニィっと口角を引き上げて、カミラは鋭利な八重歯を覗かせる。押せば折れてしまいそうな華奢な体躯には、あまりにそぐわない表情だ。

 とはいえ、ふざけた言動と軽薄な態度だが、魔術を含め実力は折り紙付きである。この二週間で、少女は嫌という程それを味わった。怒り任せに拳を振ったところで、掠りもしない事を分かっているからこそ、少女は悔し気に奥嚙みする。


「そう喚くな、君の声量は耳に響く」


 カミラは遮るように、扇子を少女との間に広げる。

 眉間にしわを寄せる女の顔を見て、少女は大きく息を吸い込んだ。仕返しとばかりに、その鼓膜に咆哮の一つでもぶち当てる気であった。


「なぁ、朱音」


 名を呼ばれた少女……朱音は、咄嗟に口内に溜め込んだ空気を飲み込んだ。


「私程誠実な人間はそうそういない。約束は必ず守るさ。私の言う通りにしていれば、君を悪夢から解放してあげよう」


 するりと朱音の懐に近づきながら、カミラはその手を撫であげるように柔く触れた。

 指先がゆっくりと肌を滑る感覚に、朱音の背中にはぞわぞわとしたこそばゆさがせり上がってくる。


 手首に巻き付いた、石付きのブレスレットを軽くつまみ、カミラはようやく持ち主へと視線を寄越す。しなやかな肉食獣を思わせるその姿に、朱音の表情は自然と硬くなった。


「君の事をよぉく理解しているのだよ、私は……それこそ、君自身よりも深く」


 肩を抱き、しな垂れかかりながらカミラは顔を近づける。歴然とした色香は、老若男女誰しもが恥じらいを覚える代物だろう。

 けれど、朱音は胡乱気な視線を送り、蠱惑的に顎をなぞる扇子を押し返した。


「だからこそ、君にはいろいろと学んでもらわないと」


 そう言い、カミラは体を離す。


「……何事も、そう上手くはいかない。まぁ、腐らず頑張りたまえよ」


 けれども、その僅かに疲れを滲ませた言葉は、珍しく本音が織り交ぜられているようだった。


 記憶に新しい、何とも言えない表情の試験官とカミラが少し重なって見える。

 朱音は楽観的だ。しかし、思い起こした結果では、流石に夢を見るのは難しいようだった。


 見るに見かねた様子で、試験官が用意した杖。魔術を行使する際に使われる補助具の一種らしく、形状は水晶やアクセサリーなど一定しないらしい。

 魔力を通す事で、杖に組み込まれた魔術が発現する機構から。魔術を理解していなくとも、最低限の魔力の扱いさえ心得ていれば魔術を使えるという便利な道具である。

 その杖には、明かりの無い夜間などに、宙に短時間の間周囲を照らす光を生み出す術式が組み込まれ。本来ならば優しい光が朱音や試験官たちを照らすはずだった。


 その筈が……


(ツチノコか……見えなくもない、のか)


 そう納得しかけてしまい、一際大きなため息をつく。

 制御がいまいちだったのか、出てきたのは夜光虫の様な不気味な光を放つ、ぐねぐねとした不定形の"何か"だった。


 端的に言って大失敗である事は、誰の目から見ても明らかだ。

 ツチノコもどきは宙を息苦しそうにうねうねとのたくった後、ぼたりと床に力なく落ち霧散して消えて行った。


(何の為に出てきたんだよ)


 不満を持て余す朱音だが、否定しようにもそれは紛れもなく自分の力を使って顕現したモノだ。

 いっその事、何も出なかった方が名誉は守られた気もする。が、魔力を扱える者という必須条件は満たせず、試験は不合格だろう。結果としては助かったのだが、あのツチノコ擬きに感謝の念は抱けそうにない。


「はぁ~~~~~」


 ガリガリと頭を掻いて、少しでも不満を払拭するように、朱音は大きく息を吐き出した。

 そんな彼女の姿を、ニヤニヤと様子見していたカミラが、不意に少しだけ距離を開ける。


「いてっ!」


 その瞬間、朱音は道の真ん中で、ある筈もない奇妙な壁にぶつかった。

 勿論、本当の壁を、こんな通行量の多い街道のど真ん中に作る訳もない。


 朱音は女子の割に長身で、尚且つ腕力も強い方だ。そこら辺の一般人になら、力負けする事はないと自負している。

 そんな彼女が押し負けたうえ、逆光に伸びた影へとすっぽりと覆いつくされていた。むずりと襟首を掴まれ、軽々と持ち上げられる


 驚いて声を上げると共に、いつもの彼女なら拳を突き出していただろう。しかし、この二週間の経験を経て、こんな状況にも慣れが沁み込んでいた。


「あ、ジークのおっちゃん!」


 太い腕に捕まって、プラプラと揺れる彼女は鼻面を抑えたまま言う。


「……おっちゃんではない」


 渋面の男はまた、今日も律儀にそう答えた。

 ジーク=ジェフリーは、様相を含め岩のような男だ。筋骨隆々で二メートルはありそうな巨躯な身体。ごつごつとした厳めしい顔つきと、猛禽類のような鋭い眼光は、人を寄せ付きにくい雰囲気を纏っていた。

 仕立ての良い黒のスーツなど着ていれば、ちょっと危ないその筋の人にも見える。

 彼が今着こんでいるのは、重厚で頑強なプラチナアーマー一式だ。使い込んだ鎧は、無数の細かい傷によってか、光沢が薄れくすんでみえた。


 背負った武器も、ジークの頑強さに引けを取らない逸品だ。朱音の身長と、そう変わらない程の大剣。

 剣の長さに加え厚みも相当であり、剣というよりは鉄塊と称するにふさわしい。それを片手で振り回す怪力と、自在に操る技量を有する男の腕から抜け出すのは至難の業だ。まさしく、今の朱音ように。


 とはいえ、概ねジークの人格を理解しつつある彼女は、緊張感など欠片も抱いてはいなかった。朱音を地面に下ろすジークの仕草は、持ち上げた時よりもずっと慎重で、彼の風体に隠れがちな内面を映している。


「試験は合格したのか?」


 低い声で問うジークに、朱音は難しい顔をする。

 判然としないまま、ジークは赤いドレスの女へと視線を移した。


「合格はしたが……ちょっと問題がな」


 薄く笑うカミラは、ジークから見ても全く困っているようには見えない。その表情から、彼女のプランから然程外れていないのだろうと予想した。


「んん、なんだねジークゥ。生贄の子ヤギでも見る様な目をして」

「……」


 目は口ほどに物を言うというが、ジークの場合は顕著に出やすい。その瞳は、彼の感情によって時々に温度を変えるのだ。

 チラリと、朱音に視線を送ったジークは、気まずそうにこめかみを抑え、解す様に指先へと力を込めた。カミラは相変わらず実のない笑みを向けている。


 カミラの計画が順調であればあるほど、常に厄介ごとが先に待ち受けていると、彼は経験則から悟っていた。

 要領を得ない朱音はただ一人、不機嫌そうな顔つきで両者を睨む。特にカミラをだが。


「合格出来たのならそれでいい」


 言い切ったジークが、踵を返した事で問答はそこで打ち切られた。

 二人も、彼の後に続き歩き出す。


「おっちゃん」

「……おっちゃんではない」


 少しして、また朱音はジークへと声を掛けた。彼もまた、そう答える。


「合格できたのはおっちゃんのおかげだよ。ありがとう」


 朱音は真っすぐに、ジークの目を見て言う。

 彼は不意に、初めて顔を合わせた日の事を思い出す。その時も、彼女は恐れも怯みもなく自分を見返していた。

 そして、痛々しい傷跡と湿布薬のにおいに、ゆっくりとここ二週間の記憶を手繰り寄せる。


「お前は……」


 そのおびただしい傷は、命令とはいえジークが付けたものに他ならない。良心の呵責と懸念から、彼は言いよどむと唇を固く結んだ。


 カミラは、最初から朱音を魔術師として学院へと合格させる気などなかった。

 知識もなく、魔術を扱った事もない小娘には、「無理だろう」と一笑に付すと、ジークへ命令を下す。


 カミラは試験の内容ではなく、試験担当者を調べていた。彼女が辺りを付けたのは、白兵戦術の担当であるボルトス教官であり、ジークも見知った存在であった。

 ボルトスはおよそ十年近く、アスガルドで白兵戦術の教師を務めてきた男だ。アスガルドの風潮をよく理解している反面、魔術と白兵戦術の扱いの差に、長年鬱憤を溜め込んでいたらしい。


 ボルトスはかねてより、白兵技能の資質を持った生徒の入学を強く希望しており。そこを狙い目にして、カミラは見事思惑通りに事を進めた。


 ジークの任務は、試験日までに戦闘における感覚と冴えを、最高潮まで引き上げることだ。

 あの煩わしい事を嫌うカミラが、手製のスケジュールを持参した日、ジークは腹を括らなければと悟る。朱音にとっての過酷な日々の始まりは、ジークも同様だった。


 二週間の殆どを、朱音は一方的な暴力の雨に晒され続けた。ジークと朱音の埋められない力量差は、誰が見ても明らかである。

 にも拘らず、腐るどころか朱音は常に全力で挑み続けた。異常な打たれ強さで無茶無謀を繰り返す彼女に憂慮しつつ、ジークは辟易とした感情を抱かざるを得ない。けれど、痛みで鈍くなるどころか、日々鋭さを増して行く動きには、少なからず心躍らされていた事も否定できなかった。


 何はともあれ、入学できたのなら、ジークとしてはその甲斐もあったというものだ。


「何だよ……うわっ」


 黙り込んだジークを訝しむ朱音に、彼はすっと手を伸ばす。自身の大きな手に収まった頭を、わしゃわしゃと短く撫でた。

 突然の出来事に、声をあげた彼女の髪はあっと言う間にボサボサになっていく。


「根を詰め過ぎた。今日はゆっくり休め」


 思うところは多い。しかし、諭すべきは自分ではない気がして、ジークはそれ以上何も言わなかった。


「私への礼はワインで手をうとう」

「水でも飲んでろ糞ババア」


 カミラは当然とばかりに言い、朱音は忌々し気に足元の小石を蹴飛ばした。

 次の瞬間、小石の後を追うように彼女も転がって行く。足を振り上げたカミラの赤いハイヒールに、太陽の光が反射しチカチカと瞬いた。 

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