第1話 受難の始まり
『アルディーオ』……美しい海と、緑の大地で形作られたこの星の名だ。
星から溢れ出すエネルギーは、肥沃な土地や自然を支えている。
星の生命エネルギーたるその不可思議な力を、人々は『マナ』と呼び、称え敬いそして強く魅入られた。無形のエネルギー体であるマナは、稀に天然石に宿る事があり。人類には到底扱いきれない代物であるが故に、いつかしかこぞって石を奪い合うようになっていた。
マナは人々に大いなる力を分け与えた。が、その一方で滅びすらも招き寄せた。
マナを通じて多くの技術が生まれ、それに沿うように人々の生活は目まぐるしく発展した。しかし、その過程で文明や国という概念が増えるのに比例して、石を巡った争いは激化していく。
まるで光と影を体現するように、マナは時に命を救い、また命を奪い去った。
発展した技術が生み出した万能の兵器は、当然の如く石を扱う。使えば使うほど、争えば争うほど、手にできる石は少なくなる。それに気づいてなおも争いは止まず、呆気なくパワーストーンという遺物はこの世から姿を消し、マナの宿らない宝石ばかりが残った。にも関わらず、生命は争う事を止める事をしなかった。
そうして、数々の文明が排他し淘汰されていく中にも、二つの文明の争いは続いていた。
思想と海を隔てた、二つの文明。魔術と科学。
相反する文明は、互いにその存在を疎ましく思いながらも、争いの傷を癒すためにしばし矛を収める事にした。
束の間と思われた平穏は、予想したよりもずっと長かった。消えた筈の石が舞い戻ってきたのは、戦があった事などとうに忘れた頃だった。
星歴1528年 季節は春
魔術文明によって発展を続け、四つの国から構成された国家連合、その名もアルテリーズ。馬の蹄を歪に象ったような大きなアルテンシア大陸と、その上に沿うように浮かぶ小さなリーブリース大陸の二つから構成される、巨大な【魔導国家連合】だ。
アルテンシア大陸は、蹄型の巨大な大陸が南に向かって口を開けたように海が広がり。その湾の最奥を中心として、西に向かっては広大な面積を有する一方、東にかけて徐々に細く狭くなっていく。
アルテリーズには四つの国が存在し、魔術に連なる秘儀をそれぞれ受け継いだ連合国家でもある。
それぞれが、他にはない財産を保有することで、大国としての権威を示す。時にはそれを分け与える事によって、連合国家としての機能を円滑化し、国同士の関わりをより深いものへとしていた。
アルテンシア大陸の北部の豊かな平原地帯を中心とした、聖憲である王都【レスティア】。
同大陸の西部に存在する、豊富な鉱物資源を蓄えた鉱山をいくつも保有する、金鉱の覇者【グランガリア帝国】。
そして、アルテンシアの北に浮かぶリーブリースで独自の文化を築きあげた獣人国家、北の霧深き樹国【ネヴェラ】。
そんな強豪国に挟まれた、残る最後の国。
東の領土を治める小さな国の存在は、大国と比べると随分と影が薄い。国を潤す目立った資源もなければ、人口も少なく国力は平並み下回っていた。
アルテリーズ随一の国土を持つレスティアの、三分の一にも満たない版図だけを見れば、やせ細り脆弱な小国である。
が、しかし……
その存在は、大陸きっての変わり種として、遥か異国の地でも伝え聞く。
囁かれる風説の数々に、真意を求める声は常々絶えず。けれど、人々は答えを知る事に僅かばかりの畏怖を抱く。
アルテリーズの最東端、四人の当主によって守られ、荒ぶる武人と卓越した職人が集う国……戦都【倭国】。
そこで生を受けた少女を中心に、物語の幕が大きく開かれようとしていた。
いつからだろうか。悪夢に苛まれるようになったのは。
始まりも終わりも毎度違う断片的な夢。しかし、その全てには確かな繋がりがあるような気がしてならない。
バラバラにした映画のフィルムを、適当につなぎ合わせれば。丁度こんなふうに、脈絡がない中にも妙な統一感とやらが生まれるのではないか。
疾駆する馬上から眺めるように、乱立する人々の最中をすり抜けていく。一瞬に過ぎ去るいくつもの顔には、皆一様に影が差しており、表情を読み解く事は出来なかった。
しかし、そのどれもが琴線を掠め、同時にチクリチクリと胸を痛ませる。
鋭利に光る、鋸のような歯。幽鬼のように佇む女性。月光を閉じ込めた花々と、雄々しき角獣。芳醇な果実の甘い香り。暖かな日向の匂いと、埋もれるような和毛の感触。
五感全てに訴えかけてくるそれは、私の身の内を容赦もなく揺さぶった。
次第に、不穏な空気が辺り一面に漂い始める。いつの間にか、私は四方壁に囲まれた場所に辿り着いていた。
艶めいた黒々しい壁に挟まれた私は、名状しがたい圧迫感に自然と身体が震える。
異質さに目を凝らし、ようやくそれがただの壁ではない事を悟れば。脈打つようにうねりだし、びっしりと覆う鱗が生々しい光沢を放っていた。
気付くと、頭上から忍び寄る影の中に、私はいつの間にか沈んでおり。見上げれば、鋭い牙を向け大きく口を開いた大蛇の頭が目に入る。
次の瞬間、抵抗する間もないまま、私は呆気なく大蛇に飲み込まれてしまった。固く目をつむる中で、分厚く生ぬるい不透明な壁を抜けた感覚が肌越しに伝わり。耳をつんざくような悲鳴と、むせ返るような血の臭いが鼻を叩いた。
幾重にも重なる声と、濃く生臭い血煙は、いずれ一つの場面へと収束していく。
恐る恐ると目を開ければ、大蛇の姿はどこにもなく。傍には刃折れた小刀。そして、私の腕の中には一人の女性が居た。ドクリと、心の臓が鷲掴まれたように縮み上がる。
絶え絶えに、雑音の混じった息を漏らす彼女に誰かの面影を見た。青白い顔とは違い、身を包む赤く染まった装束はじっとりと重い。
彼女の眼から徐々に光が失われていくのが分かり、私は深い絶望を覚えた。こんな光景を見せられるくらいなら、大蛇に食われていたほうがどれ程楽だろうか。
何か言わねばと思いはしても、まともな声さえ紡げずに、乾ききった喉からは情けない音だけが漏れている。
流れ落ちる血と共に、彼女の熱が奪われ冷たくなっていく。あまりの堪えがたさに、私は頭を振る。
細く柔らかい体をきつく抱きしめながら、みっともなく鼻汁を垂らして、幼子のように泣く。
不意に、誰かが私を呼ぶ声がした。
「うわぁああッ!?」
布団を押しのけ、叫び声と共に飛び起きる。額には玉のような汗が浮かび、激しく肩で息をした。漏れ出る音は、自身から発せられたものだと言うのに酷く耳に響く。
ぐらりと視界が揺れ、咄嗟に身を寄せるように壁へと手をついた。
収まらない揺れを不思議に思っていると、視界に映る窓にかかった水しぶきを見て、ようやくここが船の上である事を思い出す。
幾分か落ち着きを取り戻せば、改めて部屋を眺め回した。見慣れた船室である事を確認し、安心したようにゆっくりと長い長い息を吐く。
「イテテッ」
しかし、怪我も忘れて、ベットで跳ねたのが悪かったのだろう。遅れて痛み出した身体を、顔を歪めて抱きしめる。
湿布薬と包帯に包まれた姿と言えば、まるでミイラのようだ。清涼感のある香りだが、強すぎるのかツンと鼻の奥を刺激する。
自分で言うのもなんだが、見る程に結構重症ではないのかと思ってしまう。
「こんなになっても治癒魔術かけてくれないとか……鬼畜かよあの女」
何でも、治癒魔術というのは、成長に必要な痛みまで取り除いてしまう為、肉体造りの妨げになるとか。
まぁ、理屈は分かる、が、あの女には限度がない。
舌打ちを漏らしながら、ノソノソと布団から這い出す。船室に誰も居ないと言う事は、甲板に出ているのだろうか。
右へ左へと傾く船体のなか、ヨタヨタとおぼつかない足取りで進む。どうにか身体を支えながら扉の前へとたどり着くも、取っ手に伸ばした筈の手が宙をきった。
「ブッッ!!」
反対から押し広げられた扉が、強かに顔面をうつ。
勢いのまま床に倒れ込めば、一際強い波の影響か、船内が大きく揺れた。床をゴロゴロと転がった先で、固定されていた机の脚に運悪く頭をぶつける。
「いったぁぁあああ!?」
これには堪らず声を上げてしまった。
「なんだ起きていたのか……随分楽しそうだな、新しい遊びかい」
のたうち回る私を見下ろす目を、愉快気に細めながら声を揺らす。鬼畜というのは、やはりこの女に相応しい評価だ。
きつく睨みつけても、悪びれる素振りすらない。まったくいい根性をしている。
「目ん玉腐ってんのか!? 扉開けるならもっと気いつかえやクソババア!」
悪態をついたところ、容赦もなく脳天にかかと落としをお見舞いされた。
撃沈した私の襟首を掴み、配慮の欠片もなく、女は甲板まで引きずって行く。
「見たまえ! ようやく、目的地に到着したのだ。初めての王都はどうかね、海からの街並みとはいえ美しいだろう」
宣う女を横目に、ご自慢の街並みへと視線を移す。が、女の一撃を受けた私の視界は、不鮮明に滲んでしまっている。
旅の仲間たちが、船首の方に集まって騒いでいるのが辛うじて分かった。
「反応が薄いな。まったく、これだからバトルジャンキーは情緒がなくて困りものだ」
やはりこの女には、限度はおろか道徳があるのかさえも疑わしい。
「今日くらいは街並みを楽しんでおくと良い。一週間後には飛空艇に乗ってアスガルド女学院へと向かう事になる、その為の準備にかかる時間を想えば、決して余裕のある滞在では無いからな」
アスガルド女学院。良家の子女を中心とした、道徳的かつ人道的な魔術師を育成する、学院式魔導機関の一つ。
五十年ほど前に終結した【月永戦争】を機に、体制を一新しより革新的な技術向上を目指す意欲的な学院である。一方で、かつての戦争相手であった、スタックアイゼンの機械技術を取り入れた事に、未だ難色を示される事も度々あった。
魔術師の育成を謳いながらも、軍事力の増強も視野に入れているのだろう。暗に兵科と言う側面を併せ持つゆえに、白兵技術の重要性が存外に高いと知ったのはつい最近の事だ。
「まぁ、君が無事合格出来ればの話だが」
そう言う女が、人の悪い笑みを浮かべているのが気配で伝わってくる。ぼやけた視界が少しだけ暗くなったように感じられ、私は深い溜息を零すのであった。
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