第12話 図書室で過ごす一日

「すまない、今日はどうしても外せない公務があって……」

「分かった。じゃあ今日は図書室に行くよ」


 ある日。

 アルがあんまりにも暗い顔をして現れるので何事かと思ってしまった。


「今日はほぼ一日貴方を放っておくことになってしまうと思う」

「それくらい大丈夫だって。子供じゃないんだから」


 色々なことがあったから俺と離れるのが不安らしい。

 一日くらい平気だとアルを宥めて、彼を仕事へと送り出した。


「さ、ネビロス。行こうか」

「キャウ!」


 ネビロスに声をかけると、ネビロスは元気に返事をしてくれた。

 ネビロスが護衛してくれるから一人で図書室までだって行ける。


 図書室に着いた俺は司書さんに頼んで御子に関する記録を持ってきてもらった。

 いつだか中断された作業の続きだ。


 歴代の御子が遺したという日記の数々を大雑把にめくって、知っている言語で記されたものがないかとチェックする。

 結婚のこと以外にも前の世界と魔界とで大きく違う常識や文化などがあるなら知っておきたい。

 性別のことだけで随分と齟齬を感じたのだ。他にも違いがあるなら知っておかねば、またアルに恥ずかしい質問をしてしまうことになるかもしれない。


「こ、これは……!」


 その時ふと、理解できる文字の羅列が目に入った気がした。


「英語だ!」


 信じられなくて何度もアルファベットの文字列を見直したが、やはり英語だった。

 やっと自分の知っている言語に出会えた!


「よっしゃ、これで過去の御子の記録が読め……読、め……」


 そこで俺は気が付いた。

 俺は別に英語も大して読めないと。


「学生時代もっと英語頑張っとくんだったぜ……」


 がっくりと肩を落とす。

 それでも雰囲気だけでも解読出来ればと日記に目を通し始めた。


「ざ、か……かすたむ……? おぶ……」


 たどたどしくても何度も何度も読み返し、何となくでも意味を推測した。

 細かい文字でびっちりと書かれていて目がしぱしぱしたが、これ以上ないほど真剣に読み込んだ。

 こんなに集中して英文を読むのは初めてのことだった。


 何とか苦労して推測を交えつつ以下のことを読み取れた。


・魔界では魔族間の身体の大きさなどが違う。個人差が大きい。子作りの際には同性間でも男女間であっても『身体を作り変える』行為が必要になる。

・『身体を作り変える』行為は女側の負担が大きい。だから、男側が浮気をして複数の相手の『身体を作り変える』のは駄目なこと。

・代わりに□□を伴わない□□は比較的……(意味がよく読み取れなかった)

・魔族には個人差しかない。種族がない。性別の違いも数ある個人差の一つでしかない。

・魔族と魔物の違いは要研究。


「なるほど……?」


 司書さんに貸してもらった紙にメモした文に目を落として頷く。

 大いに誤読もあると思うがこんな感じだと思う。

 アルはこれを日記と表現していたが、内容を見ると研究書に近いと思う。

 魔族にはこれが読み取れないからきっと日記を書いていると勝手に思っていたんだろう。


 読み取れた内容によると、魔族同士ならばどんなに見た目が違っていても番うことができるらしい。

 例えばミノタウロスみたいな魔族とマーメイドみたいな魔族という組み合わせであっても何の問題もなく結婚して子供をつくれるんだとか。だから魔族には種族という概念は有って無いようなものらしい。


「この世界では性別の違いなんて小さな差異な訳だ」

「へえ、何を読んでるんだ?」


 いきなり間近からかけられた声に俺は飛び上がるほど驚いた。


「ははっ、反応が愛らしいな」


 振り返るとそこにいたのは黒い眼帯を付けた隻眼の男、クライスだった。


「お、お前はっ、クライス……!」

「おいおい、オレ様に会えて嬉しいのは分かるが図書室では静かにしないとな?」


 クライスは唇に指を当てるジェスチャーをした。

 もっともなことを言われてぐっと口を噤む。

 非常識そうなクライスに正論を言われてしまったのが悔しい。


「なんでここにいるんだ」


 声を潜めながらクライスを睨み付ける。


「ククク、読書をしに来たのだ。そしたら我が将来の伴侶を見かけたから声をかけたという訳だ」

「誰が将来の伴侶だ」


 クライスの手の中には確かに一冊の本があった。小振りのその本は小説か詩集か何かに見える。偶然図書室に来ただけというのは本当のようだ。

 それにしてもクライスが読書を嗜むというのは少し意外な気がした。


「それで、何を読んでるんだ?」


 クライスは興味津々に俺のメモを覗き込む。


「おい、勝手に見るな!」


 魔族であるクライスには地球の言語は読めない筈だが思わず隠してしまう。


「お前の言った通りお前のことを知ろうとしているだけじゃないか」

「え?」


 彼の言葉に思わず眉を上げてしまう。

 まさか前に俺の言ったことを実行しようとしているのか?

 それはまた……随分と素直なことだな。


「せっかくだ、タツヤ。お前に聞きたいことがあったから聞くとしよう」

「おい」


 クライスはそう言うと、椅子を引いて俺の隣の席に勝手に腰掛けた。

 ここで俺が席を離れて話を打ち切ったとしても俺の後を付いてくるに違いない。

 それを考えるとここで聞きたいこととやらに答えてやった方が早いように思えた。


「聞きたいことって、何だよ」

「理解できないのだ。お前がオレ様を選ばなかったことが」


 なんだまたそのことかと溜息を吐きそうになった。

 どうやらクライスはよほど自分が選ばれる自身があったようだ。


「それはもう言っただろ?」

「いや、この間聞いた理由に関してではない」

「?」


 何のことかと俺は眉を顰める。

 そんな俺に向けてクライスは勝手に話し出した。


「――――兄上はな、幼い頃から王を目指していた」


 いきなりアルの話が出て頭が混乱する。


「それで、それが何の関係があるんだ?」

「まあ聞け」


 勝手に話を進められて釈然としない気持ちはあるものの、アルの話は聞きたいのでそのまま口を閉じていることにした。


「兄上は……兄は自分が王位を継いだ時の為にこの国の歴史、地理、文化、他にも王として身に着けるべき教養など様々なことを学んできた。兄は自分を品行方正な人物に見せるのが得意でな、周囲も兄が王になることを望んでいた」


 勉強家であるアルの姿は想像に難くない。クライスの話は事実なのだろう。


「だから兄が学ぶ"教養"の中には『御子との接し方』なんてものも含まれていた。王になるには御子と結ばれなければならないからな。何が言いたいかっていうとな、兄がお前にどんなに甘い言葉や都合のいい言葉かけていたとしても、それはあらかじめ決められた台本かもしれないんだぜってことだ」


「アルの言葉が、台本……?」


 彼にかけられた優しい言葉の数々が脳裏を駆け巡る。


『何かあればいつでも私を呼んでくれて構わない。いつでも駆けつけよう』


『私は貴方の為なら何でもする。それは貴方が神の世界から来た御子だからではない。私がそうしたいからだ。……だから、そんなに卑下する必要はない。覚えていてくれないか』


 彼の真っ直ぐで思いやりに溢れた言葉の数々が台本によるものだとは到底思えなかった。


 むしろあれは自分の容姿にコンプレックスとネガティブとすら言えるほどの繊細さを併せ持つ彼だからこそ出てきた優しい言葉なのではないかと思うのだ。

 俺がいきなり異世界転生してきてどれほど心細くて不安だろうかと彼ほど親身になって考えてくれている奴はこの世界には他にはいない。


 クライスはさらに言葉を重ねる。


「兄はな、お前が召喚されるずっと前からお前を"愛する"準備をしていたんだ」


 クライスの言葉に、アルが言っていたことを思い出す。


『どんな人であっても好きになる努力をしようと思っていた』


 その好きになる努力をしようと思っていたというのは、彼が無事滞りなく王になる為にという意味だったのか。それが彼の幼い頃からの夢を叶えるのに必要なことだったから。

 ただ、それとは別に彼は俺に一目惚れしたと言ってくれたし、俺はその言葉を信じている。


「幼い頃から王を目指していた兄にとって、お前と契ることは通過点の一つに過ぎない。奴の視線はその先にある。今は甘い言葉をかけてくれるかもしれないが、いずれお前は顧みられなくなる。そう、兄からお前に持ちかけるソレは"政略結婚"なんだよ。そんなものが愛だと言えるのか?」


「通過点に……過ぎない?」


 その言葉が実体を持って俺の頭を殴ったのかと思った。


 もしもアルを選び、アルが周囲からの期待通りの有望な新国王となったとして。

 彼の人生の中に俺の居場所はあるのだろうか。

 魔王としての多忙な公務をこなすアルの傍ら、俺に出来ることと言えば部屋に引き篭もって食って寝ることだけ。そして、彼の子供を身ごもる。

 そんな人生は――――あまりにも家畜的過ぎやしないだろうか。


 アルが俺のことをぞんざいに扱うとは間違っても思わない。

 ただ俺に優しい言葉をかけてくれた彼だからこそ王としての仕事には一切手を抜かないだろう。

 彼はきっと良い王になるだろう。そしてそうなればなるほど俺は孤独になるのだ。


 そんな人生を俺は送りたいのか?

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