第9話 アルの弟登場
二頭の飛竜が引く馬車は、一面の青い芝生が広がる空間に降り立った。
どうやら俺が運動場だと思っていたこのだだっ広い空間は馬車の発着場だったらしい。
「知り合いって、いったい誰なんだ?」
「……すぐに分かるよ。私の傍を離れないで」
アルは俺を庇うように慎重に馬車に近づいていった。
傍を離れないでと言われたので、俺も後に付いていく。
漆黒の馬車の御者席から御者が降り、恭しく馬車の扉を開ける。
それから馬車の中にいた人物がゆっくりとステップを下りて馬車の外に出てきた。
その男は、黒かった。
馬車や飛竜と同じ、漆黒のウェーブがかった長髪をオールバックにし後ろで一つに纏めている。
着ている装束もマントも漆黒で、陶器のような白い
その立ち姿を見ただけで、黒で統一された馬車も飛竜もこの男の趣味なのだろうと察せられた。
馬車を降りた男が俺に視線を向けた。
片方に眼帯を付けた碧い瞳が俺を真っ直ぐに見据えていた。
この世界の住人にしては不思議なことに、その男は格好が異様に黒で統一されていることを除けば、人間とまったく変わらない姿をしているように見えた。何処かに角や尻尾が生えていたりしない。瞳の数は眼帯を付けているから定かではないが。
それよりも、男の顔に俺は何となく見覚えがあるような気がした。この男の顔は何かに似ている。……そうだ、アルだ。アルに雰囲気が似ているんだ。
男はすいっと俺から視線を外すと、次にアルを見やる。
そしてその口元が裂けたかと思うほど唐突にニヤリと笑った。
「これはこれは、城の主が真っ先に歓待してくれるとは。いつの間にか馬小屋係を兼ねるようになったのか?」
いきなりのアルに対する不躾な物言いに俺はむっとした。
この黒い男に対する俺の第一印象は最悪なものとなった。
「城主は私ではなくお父様だ」
必然的に男に対するアルの返答も鋭い口調になる。
「それよりも、何故戻ってきた。よりにもよってこの時期に」
アルは男を問い質す。
アルのその問いを聞いた黒い男は失笑を漏らした。
「はっ、何故戻ってきただと? もう少し暖かく迎えることはできないのか、せっかく実の弟との久方ぶりの再会だというのに」
男の言葉に俺は衝撃を受けた。
「なっ、実の弟!? じゃ、じゃあ、アルの兄弟……っ!?」
「ああ。クライス・ファロ・オルギュラント――――私の弟だ」
こんな奴がアルの弟……!?
というかそもそも兄弟がいるなんて初耳だぞ!
アルの弟、クライスは声を上げた俺に対してにこりと微笑んだ。
途端に彼がアルの弟なんだということがはっきりと実感できるほど顔がアルに似通る。
クライスは俺の前に跪いて口を開く。
「これはこれは御子様。ただいまご紹介に与りましたクライスと申します。以後お見知りおきを」
「え、あ……? お、おう」
アルの兄弟であるということと、突然の丁寧な言葉遣いに、第一印象から抱いていた敵意をどうしていいか分からなくなり狼狽える。さっきのクライスの敵対的な第一声は兄弟同士の軽口だったのだろうか?
「御子様、今日は貴方に一つお願いをしに此処まで伺いました」
「え、俺に!?」
てっきり兄のアルかそうでなかったら父親だという魔王に用があるのだろうと思っていた俺は完全に虚を突かれた。初めて会ったばかりの俺に用があってわざわざ城まで飛んできたなんて一体どういうことだ。
「ええ、お願いというのは他でもなく――――オレ様のモノにならないか、ということだ」
俺の前に跪いたクライスはニヤリと不敵に笑った。
「は……?」
「タツヤから離れろ!」
アルが俺たちの間に割り入るようにして俺を庇う。
「いきなり何を言い出すんだクライス!」
アルの紅い瞳が激情に燃えている。彼の美しい顔が怒りに歪むと迫力があった。
だがクライスはそれが可笑しそうにますます笑みを深くさせる。
「何って、その御子が気に入ったからオレ様のモノにする。ただそれだけのことだが?」
「き、気に入ったってどういうことだよ!?」
俺の動揺した様子にクライスは前髪を掻き上げて嗤う。
「ふふ……オレ様はお前が気に入った。お前の黒い髪、黒い瞳。何もかもオレ様のモノになるに相応しい」
彼の口ぶりに俺は愕然としてしまった。
俺の髪と目が黒いからだって? そんな理由で?
「ふざけるな、俺は物じゃない!」
思わず激昂してしまった。
誰がお前なんかの物になってやるものか。
「そうだ、タツヤは私の御子だ。諦めろクライス」
アルが鋭くクライスを睨み付ける。
その言葉にクライスは何故だかくくっと笑みを漏らした。
「"私の御子"? それは違うだろう兄上よ」
どういう意味だろう。確かに俺はアルの物でもないが。
「王の子であるならば誰しも召喚された御子に婚姻を申し込む権利がある。そうだろう?」
そうだったのか。
それならばアルの弟であるクライスも俺にプロポーズしていいってことか。
……え、俺今プロポーズされてたの?
「それとも何か、兄上はもう御子から婚姻を承諾されたのか? そうではないよな、まだだろう?」
「……っ」
クライスの言葉にアルは歯噛みする。
「そうであるならば、より完璧な
クライスの言葉にそうかと合点がいった。
クライスが人間に近い姿をしているのは、彼が王族でありアルよりも人間の血を濃く受け継いでいるからなのだろう。
だがだからといってアルよりもクライスと結婚したいとは思わないぞ。
「……だが御子と結ばれるということは王になるということだ。城を飛び出して放蕩していたお前が何故今さら?」
アルはクライスの言葉に反論せず話題を変えた。
その様子を見て、アルが自らの容姿に密かにコンプレックスを抱いているのは彼の弟が原因の一つなのではないかという気がした。
彼の言葉によると、どうやらクライスはこの城には住んでいないらしい。それどころかアルの口ぶりからすれば、ほとんど家出状態みたいなものだったのではないだろうか。それでとっくに王位継承権を放棄したものと思われていたのだろう。
「ククッ、王になるのが目的ではない――――そこの御子がオレ様の伴侶になるのであれば、王になってやるのもやぶさかではないと思ったまでのこと」
「はい?」
クライスの言っていることがよく呑み込めず、間抜けに聞き返してしまった。
こいつは今、俺と結婚できるなら王になってやってもいいと言ったのか?
「いいか、オレ様は黒が好きだ」
唐突にクライスが俺に向けて言った。
いや、それは格好を見れば黒色が好きで好きで堪らないのであろうことは分かる。
「だがこの世界には黒髪はまだしも黒い瞳を持つ者は存在しない。オレ様は初めて見た。だから、欲しい。お前の姿を描いた写し絵を見た瞬間、オレ様の伴侶になる者はお前しかいないと気づいたんだ」
「な……」
クライスは俺の髪と目の色だけが理由で俺を欲しいと言っている。
この男の言葉、どこまで本気なんだ?
「御子よ。そこの兄上は王になる為にお前を欲している。一方でオレ様はお前を得る為に王になる。どちらが良いか一目瞭然ではないか?」
クライスはニヤリと碧眼を細める。
「クライス、私は決して王位を継ぐ為だけではなく……っ」
「兄上は黙っていろ。決めるのは御子だろう?」
どうしてこんなことになったのか。
眼帯の碧眼は真っ直ぐに俺を見つめて微笑んだ。
「なあ、どっちがいい? ここで決めろよ。お前が決めたなら納得するからさ」
『どっちがいい』って、まさか結婚相手と次期国王を俺が決めろってことか!? 今ここで!?
「さあ、答えを示せ御子よ!」
「そんなこと言われたって……!」
迫る決断に俺は――――――――
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