第8話 王城案内という名のデート

 アルが自分で言った通り、翌日にはすっかり復調して元気な姿を見せてくれた。

 美しい瞳に、硝子細工のように繊細なブロンドの髪。そしてはにかんだ笑顔。

 彼は素顔のまま俺の前に現れてくれた。


 今まで使っていた仮面は装飾品のように細い鎖に引っ掛けて彼の腰に吊り下げられている。

 王族は仮面をどこかに身に着けていなきゃいけないという決まりでもあるのだろうか。


「寝ていた分仕事とか溜まってるんじゃないのか。俺から言ったことではあるけれど、俺の案内なんかに時間を割いて大丈夫か」

「問題ないよ。御子から命じられたことがあるのであれば、それは全ての公務に優先される。そういうことになっているからね」


 ははあ、なるほど。魔族全体の総意というものが見えてきた。

 要は「仕事はこっちで全部やっておくから王子は御子と仲良くなっておきなさいあわよくば婚約まで漕ぎつけなさい」ということだろう。

 余計なお世話だ、と言いたいところだがこっちはまだ右も左も分からないので正直アルが傍にいてくれて心強い。魔族の配慮が功を奏しているのが悔しい。


「それではまずは貴方をこの城の心臓部へと案内しよう。いいかな?」

「心臓部、って……」

「ああ。玉座の間さ」


 そ、それってつまり魔王がいる場所――――!?


「大丈夫だよタツヤ。どちらにせよお父様は忙しくて会うことはできないからね」


 目的地を聞いた途端に青い顔になった俺を安心させるようにアルが微笑む。

 お父様と彼が口にしたということは魔王は男性のようだ。


「この時間は玉座の間で謁見を行うのに忙しいんだ。今日は玉座の間の場所を知っておいて欲しいから、その前まで案内するだけだ。それなら緊張することもないだろう?」


「それなら大丈夫だ」


 いきなり魔界の王と対面することになれば緊張で心臓が破裂してしまうかもしれない。

 アルの言葉にこくこくと頷いた。


「異界から来た御子にとってはこの世界自体が刺激が強いものだと聞いているからね。心理的負担をかけないように、召喚から数ヶ月はあまり多くの人目には触れさせないことになっている。けれどタツヤがこの世界に慣れてきたらお父様と正式に顔を合わせて挨拶をする機会がある筈だよ」


「そうか……」


 どちらにせよいつかは魔王と顔を合わせる日が来るらしい。

 魔王とはどんなに恐ろしい存在なのだろうかと想像を巡らせてぶるりと震えてしまう。


「大丈夫だタツヤ。その時も私はタツヤの隣にいるから心細く思う必要はない」


 アルがにこりと微笑む。

 その笑みに俺は勇気をもらう思いがした。


「ありがとう。頼む」


 自分はあまり人見知りをする方ではないと思うが、魔王の肩書きにはびびらざるを得ない。魔王と顔を合わせる日には俺はシャイな幼児のようにアルの後ろに隠れることになっているかもしれない。……流石にそれは大の大人としてどうかと思うのでなるべく頑張りたい。


「キャウ、キャウ!」

「ああそうだ、ネビロスもいたんだった。よしよしお前のことも頼りにしているからな」


 どこからともなく姿を現した小動物の頭をうりうりと撫でる。


「苦もなく透明化の魔術を行使するとは……」


 ネビロスがいるとは思わなかったのか、アルが驚きに息が止まったかのような顔をしている。

 そうなのだ。ネビロスは普段透明化して俺の周囲を守ることに決めたようで、つい存在を忘れてしまいそうになる。

 透明になる魔法が勝手に使える辺り、ネビロスもただの小犬ではないのだろう。


 そんな話をしながら廊下を進んでいくと、やがて先の方に人の気配を感じられるようになる。廊下の角を曲がると、気配の正体が分かった。

 人々が一列に並び、その人々を守るように、或いは見張るように兵士が目を光らせている。

 その人の列は一直線にある部屋へと向かっていた。重厚な扉が開かれ、入口の両脇を兵士が固めているその場所こそが玉座の間なのだろう。

 きっとその先には魔王――――アルの父親がいるに違いない。一体どんな人物なのだろう。


「ネビロス、静かにしてるんだよ」


 厳粛な雰囲気にしーっとネビロスに言い含めておく。

 ネビロスは何もかもすっかり分かっていますともとでも言いたげな物分かりのいい顔をすると、静かに姿を消した。再び透明になったのだろう。


「日中はこんな風にほとんど謁見を願い出る者たちに会っている内に父の一日は終わってしまう」

「へえ」


 魔王の一日は案外地味なようだ。


「さあ、次の場所へ行こうか」

「ああ」


 玉座の間前の物々しい雰囲気はあまり居心地が良くない。アルの言葉に俺は喜んで頷いた。




「ここが正門だ」


 玉座の間前から真っ直ぐに繋がっている大階段から下っていった先にあったのは、城の玄関口だった。

 分厚い城壁に開いたトンネルのような正門をくぐると、アルの存在に気が付いた警備兵がさっと敬礼と思われる仕草をした。


「城の外は危ないから決して一人で出ることのないように」

「城の外が危ないってどういうことだ?」


 わざわざ一人で出歩こうとは思っていないが、聞いてみた。


「近くの森には危険な野生生物が出るからね。稀に街道にも出没することはある。それに反神聖同盟が今か今かと貴方を亡き者にするチャンスを窺っているかもしれない。ブラック・ネビロスが付いているとはいえ、城の外まで安全とは言い難いよ」


「そうだな。絶対に勝手に外に行ったりはしないぜ」


「ああ、そうしてくれ。もし王城の外に出かけてみたい時は私と共に行こう。飛竜に引かせる馬車での旅は楽しいよ」


 にこりとアルは微笑む。


「飛竜!?」


 飛竜とはつまりドラゴンのような生物がいるのだろうか。それが馬車を引く???

 想像の付かなさに目が点になった。


「い、行きたい! っていうかその飛竜っていうの、見てみたい!」


 俺はアルに飛びつかんばかりの勢いで目をきらきらと輝かせた。

 ファンタジー世界に転生したワクワクといったものが初めて湧いてきた気がする。

 そうか、この世界にはそんな楽しそうなものがあるのか。折角ファンタジー世界に転生したんだ、面白そうなファンタジー存在にはすべて触れてみたい。そんな欲求が湧いてきた。


「ふふ、貴方が楽しそうだと私も嬉しいよ。旅行に行くのはほとぼりが冷めるまで待ってもらうことになるけれど、飛竜なら今すぐ見ることができるよ。竜舎に行くかい?」


 ほとぼりが冷めるまでというのは、反神聖同盟が俺の命を狙っているという件についてだろう。アルの体調もまだ万全ではないだろうし、すぐに城下に行ってみたいとまでは望まない。

 その代わり竜舎というのが城にあるらしい。言葉の響きからして、飛竜を飼っている場所だろうか。


「是非!」


 俺は彼の提案に一も二もなく頷いたのだった。


「飛竜ってどんな生き物なんだ?」


 竜舎へと向かいながらアルに話を聞く。


「タツヤの世界には飛竜がいないのか。タツヤの世界がどんなところなのかも興味があるな」

「おう。アルにとって面白いかどうかは分かんねえが、話ならいくらでもしてやるぜ」

「貴方がしてくれる話ならきっとなんでも楽しいよ。それで、飛竜がどんな生き物かって話だったね」


 彼がすいと寄せた視線が美しくて、思わずドキリとしてしまう。

 素顔が見えているからか、ふとした瞬間に顔の良さに圧倒されそうになってしまう。

 くうっ、凶器だ、凶器。この顔の良さは凶器だ。


「飛竜は高潔な空の生き物だ。気性が激しいから、竜舎に着いても気安く飛竜に触れてはいけないよ」

「分かった」


 こくりと彼の言葉に頷いた。

 名前も分からない華美な見た目の花が乱れ咲く庭園を通り過ぎさらにその奥へと進むと、青い芝生が一面に広がる広大な空間が目の前に広がる。

 運動をするためのグラウンドにしては随分広いけれど、王城ともなるとこれが普通なのかもしれないと俺は疑問をそのままにした。

 平坦な空間の先に、立派な木の建物が見えてきた。あれが竜舎だろう。木製ということは飛竜とやらは火を吹かないドラゴンなのかもしれない。


「これはこれは、アリステッド殿下!」


 建物から出てきた男がアルの姿を見るなり敬礼をした。

 馬屋番らしき中年のその男は上半身が人間で下半身が馬のケンタウロスのような魔族だったものだから、一瞬厩舎から馬が一頭逃げ出してきたのかと思いそうになってしまった。


「もしやそちらの方は……」


 馬屋番、いや竜舎番のケンタウロスはアルの隣にいる俺を見て目を見開く。

 どうやら異世界から召喚された御子がいるというのは周知の事実らしい。


「ああ。彼が飛竜を目にしてみたいというから来たんだ」

「なるほど。それなら、うちで一番見目のいい奴を連れてきますよ」


 竜舎番は笑顔で頷くと、奥へと引っ込んでいった。

 やがて彼は丈夫そうな革のリードを引いてがっしりとした首輪の嵌ったその生物を連れてきた。

 煌めく銀の鱗を持ったその生物は翼を小さく器用に折りたたみ、その巨体にも関わらず足音一つ立てず優雅に歩いている。

 俺はその見事な姿に思わず息を呑んだ。


「これが……飛竜か」

「御子様に気に入ってもらえたようで嬉しいね」


 竜舎番のケンタウロスはニッカリと気持ちのいい笑みを浮かべた。


「ああ、すげぇ! 超すげえよ! コイツが地面を蹴って馬車を引いて走るのか?」


 ザ・ファンタジー生物そのものといった存在を目にして、俺のテンションは最高潮に達していた。


「走る? 空を飛ぶ生き物が引くのだから、『走る』のじゃなく『飛ぶ』に決まっているだろう?」

「と、飛ぶ!? 馬車が!?」

「そうだよ?」


 馬車が飛ぶことの何が不思議なのかとばかりにアルは首を傾げる。


「えっ、だってそんな、いくら頑丈そうなこの竜でも馬車を引いて飛ぶのは重すぎないか!?」


 そもそもどうやって馬車を空中で安定させるのだろうか。

 ガシャガシャと空中で馬車が揺れまくり、中に乗っている人は頭を天井にぶつけないように必死に何処かに掴まっているという大変な絵面を想像してしまった。


「ああ、なるほど。そこが分かってなかったんだね。飛竜は風の力だけを使って飛ぶ訳じゃない。魔術で浮遊するんだ。そこが飛竜が空で最も高潔な生き物だと言われる由縁だ」


 だから我が国の国章にも飛竜があしらわれているんだよ、とアルは続けた。

 彼が説明してくれたところによると馬車の方にも魔術をかけてあって、飛行中に揺れたりすることのないようにするらしい。なんでも空に透明なレールのようなものを架けて馬車の車輪がその上を走るようにするんだとか。


「うわぁ、それ見てみてえなあ」


 美しい飛竜が馬車を引いて駆ける様を想像しながら空を仰ぎ見る。

 すると空の彼方に黒点が見えた。それは段々と大きくなっていく。


「あれ、もしかして馬車?」


 空の一点を指してアルに聞いてみる。


「うん? ああ、そうだね。どうやら誰かが城に来るようだ。タツヤは運がいい、早速馬車が飛んでいるのを見られるよ」


 近づいてくる黒点をじっと見つめる。

 黒点はやがて形が認識できるほど大きくなる。二頭の真っ黒な鱗の飛竜が、その見事な翼を広げて馬車を引いている。飛竜だけでなく馬車本体も真っ黒だ。漆黒の飛竜が漆黒の馬車を引いて飛んでくるその光景は、まるで地獄からの使者が飛来してくるかのようだった。


 俺が想像していたよりもずっと速いスピードで馬車は近づいて来る。

 車輪の辺りによく目を凝らしてみると、宙に何か氷のようなレールが自動的に敷かれ、車輪がその上を通り過ぎると後ろからサラサラと崩れ去っていくのが微かに見えた。幻想的な光景だ。


「待てよ。もしや、あれは」


 近づいてきた馬車にアルが顔色を変える。


「どうしたんだアル?」

「……どうやらアレは私の知り合いのようだ」


 アルが頭上を見上げる視線が心なしか鋭く感じた。

 彼にこんな顔をさせる相手とは一体――――?

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