第7話 見つめる瞳
翌日も俺はアルを見舞いに彼の部屋へと赴いた。
「アル、具合はどうだ?」
「ああ。だいぶ良くなったよ」
ベッドから身体を起こした彼は……二対の瞳を細めて俺に微笑みを向けてくれていた。
ありのままの素顔を晒していたのだった。
「……!」
久しぶりに見た彼の素顔に思わず言葉が詰まってしまった。
前に見た時と同じ。硝子細工のような透き通る睫毛が紅い瞳を縁取って飾っている。
彼が瞬きをすると、二対の睫毛はそっくり同じタイミングで瞬くのだった。
「あ……やはり顔を隠していた方が良かったか?」
俺の反応を見て彼の顔が曇る。
「いやいやいや、そうじゃない! ちょっと、感動しただけだって!」
彼がベッド脇に置いていた仮面に手を伸ばすのを慌てて止めた。
アルのことを底抜けに明るい奴だと思っていたが、こんな繊細なところがあったなんて意外だ。
「大丈夫だ。俺はアルの顔に怯えたりしてない。ほら、震えてないだろう?」
彼の手にそっと触れてそのことを伝える。
「本当だ。本当に貴方はこの容姿に偏見を抱いたりはしていないんだね」
「ああ。昔の文献に召喚された異世界人は怖がりだとでも載ってたのか?」
「まあね。それから、近年の魔界ではより
なるほど、顔のことはアルの密かなコンプレックスだった訳だ。
彼になんと声をかけたものかと迷っていると、突然彼の四つの瞳がにこりと細められた。
「それにしてもタツヤは積極的だね。もうこんな風に手を握ってきてくれるだなんて。親愛の証かな?」
「なっ、ち、違う!」
彼の言葉にずっと手を握っていたことを自覚して、真っ赤になって手を離した。
「ふふ。そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに」
「だから違うって!」
くすくすと彼は笑い出す。
彼が笑っている素顔を俺は初めて目の当たりにすることができたのだった。
「まったく、そんな軽口が叩けるんなら随分元気になったみたいだな?」
「そうだね。明日からは公務に復帰できると思うよ」
「ええっ!? そんなに早く!?」
いくら何でも治るのが速すぎないだろうか。
身体を刃で貫かれたくらいでは魔族は死なないというのは本当のようだ。
「そうだよ。これでまた貴方のことを直接守ってあげられるね」
「あー……そのことなんだけどさ」
彼に言わなければと思っていたことをその言葉で思い出す。
「あの侍従長?っていう人がまた俺が暗殺者に狙われたらいけないからって対策を考えてくれたんだ」
「ああ、爺やのことか。それで?」
「護衛を付けることになって」
「なっ、そんなものは必要ない! タツヤのことは私が直接守る!」
そう言うのではないかと思っていたから少し切り出しづらかったのだ。
「いや、それがもういるんだ。その護衛」
とん、と肩に軽い衝撃。
俺の肩に乗ったその小さい動物は甲高い声で吠え立てたのだった。
「キャウ、ワウ!」
「それは……地獄の魔犬ブラック・ネビロス!」
御大層な名前で呼ばれたこの小動物こそが俺の護衛だった。
どう見てもただの小型犬というか色が真っ黒の綺麗なパピヨンにしか見えないのだが。身体のしなやかさが何処か猫っぽさも感じさせる。この小動物のふさふさとした体毛が今現在俺の顔を擽っており、ムズムズとして堪らない。
ちなみにアルの口にした単語は「地獄の魔犬」と俺の耳には届いたが、それは儀式の時に自動付与された翻訳魔法が勝手に訳しただけで本当は犬でも猫でもない単語だ。異世界に犬や猫がいる訳がないのだから当たり前だ。
「確かにブラック・ネビロスが付いていれば賊の刺客ごとき気にする必要はなくなるだろうが……」
「こいつがそんな大層な動物なのか? 嘘だろ」
この小犬が刺客より強いだなんて本当だろうか。
俺が少し手を伸ばして顎を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めている。
それを見てアルは愕然と目を見開いていた。四つの瞳が大きく見開かれているのだから、彼の瞳の綺麗な煌めきがよく見えた。
「タツヤは知らないかもしれないが、ブラック・ネビロスは心の底から認めた相手にしか懐かないと有名なんだ。一体どうしてそんなことになっているんだい?」
「朝早くから使い魔召喚の儀式とやらをやることになって、召喚したらこれが出てきた」
と黒い小動物を指し示す。
「そうか……タツヤはとても幸運なんだな」
アルは『なんかガチャから出てきたコレ強いんですか?』と最強カードを見せびらかしながら尋ねるソシャゲ初心者を目にした重課金者の如き複雑な嘆息を漏らした。
「まあそういうことなら良かった。もう刺客ごときに怯えることもないだろう。貴方は城の中を自由に歩き回れる」
「ああ、今日もネビロスと一緒にここまで来たんだ」
「ワウ、ワウ!」
ネビロスが得意げに胸を張る。話を理解しているのだろうか。
「タツヤを守る役割は奪われてしまったな」
アルが寂しげな顔を見せる。
あんまりにもしょんぼりとした顔を見せるので、俺は正直な気持ちを吐露せざるを得なかった。
「いやでも、俺はアルさえ良ければ一緒に城の中を歩き回ったりとかしたいと思ってるよ?」
「え」
俺の言葉がよほど意外だったのか、彼は目を丸くさせる。
「だってほら、まだアルに案内してもらったのは図書室とバルコニーだけじゃん? まだ何処に何があるかとかよく知らないし。案内してもらいがてら一緒に散歩とかそういうのも、悪くないなって」
「そ、そうか、なるほど。分かった。明日にでも必ず城を案内しよう」
そう言った彼が何故か顔を反らしたのは、締まりのない嬉しそうな口元を隠す為だろう。
やっぱりアルはすぐ顔に出る分かりやすい奴だった。
「アル、なんでそっちを向くんだよ?」
俺がにやにやとして意地悪く尋ねると、アルはぱっと素早くベッドの脇に手を伸ばした。
一瞬後には仮面を着けたアルがこちらを向いていた。
「何でもないが?」
と彼は小首を傾げてみせる。
「あー! なんでまた仮面を着けちゃうんだよ! それ着けるの止めたんじゃなかったのかよ!」
「そんなことは一言も言ってない」
ぎゃーすか騒ぐ俺とそれを受け流すアルとの小競り合いは犬も食わぬとばかりに、ネビロスは部屋の片隅で退屈そうに身体を丸めて欠伸をしたのだった。
* * *
「ほう、これがその天界より舞い下りし御子か」
長い指が一片の紙片の表面を撫でた。
それは光の魔術で焼き付けた精巧な現実の写しが描かれたものだ。
その絵には一人の人物が写っていた。
異世界から召喚された今代の御子、黒木達也。
写し絵の表面を滑るようにタツヤの姿を見つめていた蒼い隻眼がすっと細められた。
「気に入った」
男は短く言い捨てる。
「馬車を用意しろ。こいつをオレ様のものにする」
男は控えていた従者に命じると、漆黒のマントを翻して羽織った。
「このオレ様こそが御子に最も相応しい――――そう、兄上よりもな!」
男はニヤリと呟いたのだった。
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