第6話 仮面の理由

「暗殺者は誰に変装しているか分からない。部屋に着くまでは絶対に私の傍を離れないでくれ」


 アルの言葉にこくりと頷いた。


 図書室から俺の部屋までのほんの短い道のりだが、刺客はそこを狙ってくるかもしれない。だから決して気を抜かないでくれとのことだった。

 確かに部屋に籠ってしまえば安全なはずだ。だからこそ部屋に戻るまでの間隙を狙われるかもしれないということだった。

 俺は彼の後ろをぴったり付いて離れないように廊下を進んだ。


 彼の服の裾がひらりと翻った拍子に、彼が腰に帯びているものがちらりと見えた。

 細剣だ。彼は剣術に長けているらしい。


「うわっ!」


 突然。

 廊下を曲がった瞬間に誰かがアルにぶつかってきたらしい。

 行先を阻まれ立ち止まることになったアルの背中に俺も顔から突っ込んでしまった。


「ご、ご、ごめんなさいっ!」


 恐怖に震えたようなか細い声が聞こえた。

 アルの背中から顔を出してみると、そこには灰色がかった長い前髪に顔が覆われた人物がいた。

 羊のような巻き角が生えている。この人も当然ながら魔族だ。手に持った箒から察するに、この城の召使いさんの一人なのだろう。

 可哀そうに、よりにもよって王子様にぶつかってしまったせいですっかり委縮しているようだ。


「君、大丈夫かい?」


 前に進み出て彼に微笑みかける。


「ッ! タツヤ!」

「え?」


 アルの焦燥した声。

 そして「シャキンッ」と涼やかな――――刃物を抜刀したような音が響いた。


「……ッ!」


 ザクリ。

 鮮血が飛び散った。


 気が付けば俺の前にアルが立ちはだかっていて、その身体で刃を受け止めていた。

 アルに刃を突き立てたのは羊角の召使いだ。箒だ。箒に刃が仕込まれていたんだ。

 完全に油断していた。傍を離れないでくれと言われていたのに。


「ぐ……ッ!」

「アル……っ!」


 羊角の奴がぐっと力を込めて刃を引き抜く。

 多量の血飛沫が飛び、視界を濡らした。


「アル、アル!」

「大丈夫だ、これくらいの傷は魔族にとっては何ともない。それより下がっていてくれ」


 アルは懸命に痛みを堪えているかのように肩を上下させながら、腰の細剣を抜いて構えた。

 ドクドクと血が流れ出ているのに何ともないなんて本当だろうか。


「……ふふっ」


 緊迫した場面に似つかわしくない微笑。


「本当に、ごめんなさい……お命を頂戴することになって」


 巻き角を頭に戴いたそいつが長い前髪の向こうで笑っていた。

 くそっ、何が可笑しいんだ!


「タツヤを殺させはしない」


 男とアルが睨み合う。

 一瞬の膠着――――羊角の男がピクリと動かれた。

 刃が交差する。


「ぐあッ!」


 果たして傷ついたのは羊角の男の方だった。

 アルの細剣が男の腕を貫き、奴は刃を取り落とした。

 床に落ちた仕込み刃がカランカランと乾いた音を立てた。

 巻き角の男は不利を悟ったのか、素早く身を翻した。


「待て! ……ぐッ」


 男を追いかけようとしたアルが傷を押さえてその場に崩れ落ちた。


「アル、大丈夫か!」


 慌てて彼に駆け寄る。

 彼の首筋には脂汗が浮かんでいた。


「大丈夫だタツヤ、心配はない……っ」

「そんなこと言ったって……誰かーッ! 誰か来てくれーーッ!!」


 俺は必死で叫んで助けを呼んだのだった。




 *




「ご安心ください。我ら魔族はあれしきの傷で死に至ることはありません」


 侍従長と呼ばれていた髑髏頭がしわがれた声で言う。

 見た目では判別がつかないが、かなりの高齢なのかもしれない。


 アルが刺客と見られる巻き角の男に襲われてからすぐに城の人が来て、アルを運んで行って手当してくれた。その時手早く周囲に指示を出していたのがこの侍従長とやらだった。


「毒でも塗られていれば危うかったやもしれませぬが、医師が診た結果その心配もありません」

「じゃあアルは無事なんだな……!」


 ほっと胸を撫で下ろした。


「ええ。体力が回復するまで幾ばくか時は要しますが、殿下は健在です」

「良かったぁ……!」


 安堵のあまり涙が零れそうになった。


 怖かった。

 身体から血を流すアルの姿に、彼が死んでしまうのではないかと俺は心の底から恐怖した。

 自分が殺されるかもしれないことよりも、目の前で誰かが死ぬことの方が俺にはずっと怖かった。


 彼が生きていてくれて本当に良かった。


「じゃあ、アルの見舞いに行っても?」

「勿論です。殿下もお喜びになるでしょう」


 俺は早速アルのところに行くことにした。

 直接彼の顔を見て安心したかったから。


 アルの部屋までの道のりには護衛の人が付いてきてくれた。まだ暗殺者が俺を狙っているかもしれないからだ。護衛の人はミノタウロスみたいないかつい人だった。

 危惧したように何かが起こることもなく、俺は無事アルの部屋の前まで辿り着けた。

 羊角の刺客は腕を怪我したから、もう俺の命を狙うのは諦めたのかもしれない。


 護衛の人は扉の前で警備してくれるそうで、俺は一人でアルの部屋に足を踏み入れた。


「アル……大丈夫か?」

「タツヤ?」


 彼はベッドの中で横になっているようだった。

 俺が声をかけると身動ぎをする気配がした。


「タツヤ、ちょっと待ってくれ……っ」


 天蓋から垂れ下がったレースのカーテンの向こうに四つの赤い光が見えた。

 それで彼は今仮面を外しているのだと分かった。どうやら彼の美しい瞳は暗闇の中では宝石のように光るらしい。


「アル?」


 ベッドを囲うカーテンをそっとめくると、包帯で身体をぐるぐる巻きにした痛々しいアルの上半身が目に入った。

 そして彼はたった今顔に仮面を装着したところのようだった。まるで俺が来たからわざわざ身体を起こして仮面を着けたようだった。


「なんで顔を隠しちゃうんだよ」


 彼の行動に驚いて思わずそんな言葉が口を突いて出た。


「貴方に見苦しいものは見せられないからね」


 彼の言葉に俺は口をぽかんと開けてしまった。

 傷ついた身体よりも素顔を隠す方が先。それはつまり、あれか。

 自分の顔の構造が人間と少しばかり違うから俺が怯えるとでも思っているのか。

 それじゃあ何だ、俺と一緒に食事を摂らなかったのも目の前で仮面を外せないからってことか?


「そんなの、俺はもうアルの素顔を見たことがあるじゃないか!」


 最初に出会った時、いきなりプロポーズをしてきた時に仮面を外していたじゃないか。

 それをなんで今更大怪我を負っている時まで仮面を着けることを貫こうとするのか。


「それは、顔も見せずに婚姻を迫るなんて卑劣だろう? 契りを結んだ後に顔を見せて『騙したな』とは言われたくない。だって私は……タツヤの世界で言うところの"化け物"の顔をしているのだから」


 そう言って彼は俯いた。

 そんなことを気にしていたなんて。

 俺は静かに口を開いた。


「アル。俺が一度でもお前の顔がどうこうと言ったことがあるか?」

「いいや。でもそれは貴方が優しいから……」


 尚も彼はそんなことを言い募ろうとする。


「そうじゃない」


 だから俺はきっぱり言うことにした。


「俺は自分の顔がお世辞にもイケメンからは程遠いことはよく知っている。そんな俺が他人の顔にどうこう言う権利なんてある訳がない。むしろ俺はアルの顔が羨ましいとすら思っている。絶世の美男子じゃないか」


「美……? 私の顔を、美しいと言ったのか?」


 アルは信じられないとばかりに俺の言葉を反芻する。


「ああ、そうだよ。悪いか!」


 認めてしまった。遂に彼の顔が好みであることを認めてしまった。

 そうだよ。アルは滅茶苦茶ハチャメチャに顔がいいし、俺はそれが好きなんだよ。

 まだ一回しか彼の顔を見たことがないのに、瞼の裏に焼き付いて離れないくらいなんだ。


「そうか……そうなのか」


 再び彼は俯く。


「気に障ったか?」

「いや。貴方の言葉はとても嬉しかったよ。ただ、少し考えさせてくれないか」


 呟きながら、彼は自らの顔を覆う仮面にそっと触れた。

 彼もすぐには気持ちの整理がつかないようだ。


「分かった。無理して外す必要はねえよ。けど……もし顔を見せてくれたら、俺がちょっと嬉しくなる」


 ぽそりと呟き、照れくさくて頬を掻く。


「へえ。それは興味あるね」


 アルがにこりと仮面の向こうで笑ったような気配がした。


 どうしよう、アルのあの超絶美形顔で結婚を迫られたら俺は首を縦に振ってしまうかもしれない。

 俺は最大の弱点を彼に教えてしまったかもしれないのだった。

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