第5話 この世界でただ一人の人

「ふう……」


 部屋を与えられ、そこで食事を摂った俺は大きなベッドに身を横たえていた。

 天蓋付きの豪奢なベッドだ。ベッドだけでなく部屋の調度品はみな贅の限りを凝らしたものばかりのように見えた。

 きっとこれは王族並の待遇だろう。慣れない環境に少しばかり落ち着かない。


 天蓋を見上げながらこれまでのことを思い返してみる。

 俺は前の世界で死に、反魂の儀式とやらによってこの世界で第二の生を得た。

 そして魔族たちは彼の信仰の中で俺が住んでいた世界を神のいる世界だと信じ、召喚した俺を血統に加えようとしている。

 日本的に例えるなら、天女と結婚すれば子供が常人離れした力を得たり学問の天才になるに違いないとかそういう感じだろうか。確か日本昔話にそんな感じの話があったな。羽衣を騙し取って天女が天界に帰れないようにして結婚したとかいう。

 この世界ではその為に異世界召喚までしてしまうというのだからご苦労様なことだ。


 つまり俺はアルことアリステッド王子との間に子供をもうけることを期待されている訳だ。

 子供……子供……? 俺、男なのに?


 アルも誰も俺の性別に触れてこない。

 それは俺が男でも構わないということなのか、もしや俺のことを女だと勘違いしているのか、あるいは魔族には性別という概念が存在しないのか。謎が多い。

 藪をつついて蛇を出すことになりかねないので、このことをアルに直接尋ねる勇気はない。


 そのことを脇に置いても、勝手に召喚されて即はい結婚しましょうと承諾する気分になるには無理がある。

 それは過去に召喚を受けた人たちも同じだったのではないだろうか。

 彼らがどんな経緯を経て魔族との契りを結ぶことにしたのか俺は知りたかった。


 その為に明日も図書室に足を運ぶとしよう。


「まあ、寝るしかないか」


 これ以上いろいろ考えても煮詰まるだけだろう。

 俺はさっさと気分を切り替えて、目を閉じたのだった。




 *




「タツヤ、タツヤ!」


 翌日。

 図書室に着き司書さんに記録を持って来てもらい、さて読もうかと本腰を入れたその時だった。

 静かな図書室にアルの急いた声が響き渡ったのは。


「どうしたんだ、アル?」

「良かった、無事だったかタツヤ」


 俺の姿を見つけた途端、彼がほっと胸を撫で下ろした様子で駆け寄って来る。


「何かあったのか?」


 彼の様子にただならぬ雰囲気を感じ取って尋ねる。

 相変わらず仮面を付けていて表情は見えないが、彼が俺の為にこうして駆けつけてくれたのだろうことは窺えた。


「実を言うと、貴方が害されるかもしれないとの情報があったんだ」

「害される……って?」


 害されるとはつまり攻撃されるということ。

 一体何故? 知り合いなんてまだアルしかいないこの世界で誰が俺のことを攻撃するというのか。


「魔族も一枚岩ではないということだ。魔族の中にも御子を敵対視する勢力がいる」

「御子を敵対視?」

「ああ。逆賊の名を『反神聖同盟』と言う」


 なるほど、話が読めてきた。

 俺の世界でもそうだったように、魔族たちの信仰にもいろいろと一悶着あるらしい。


「半ば予想がついたが、それはつまり俺みたいな存在が召喚されたのをよく思わない奴らがいるってことか」

「そういうことだ。察しがいいな」


 アルは頷いて肯定すると、詳細を話し出した。


「反神聖同盟はその名の通り、神的なものを否定する思想を持つ者たちだ。神や天使、そういったものに頼ることは魔族には不要のことだと考えている。もちろんタツヤのような神界から召喚されたという御子の存在などは以ての外という訳だ」


 大体予想通りの話だった。そういう話は何処の世にもあるもんなんだなあ。


「それで俺が害されるかもしれないっていう情報があったっていうのは? その何とか同盟から予告でも来たのか?」

「いやまさか。貴方の世界ではわざわざ予告してから犯罪を行う人がいるのかい?」


 結論を先走り過ぎ、アルに不思議がられてしまった。

 現実に存在する犯罪組織はそりゃそんな怪盗じみた真似はしないか。

 ちょっと恥ずかしい。


「昨晩、我が国の軍が件の逆賊の根城を攻略したんだ。その際、暗殺者を城に忍び込ませ御子を暗殺するという計画が記された計画書が見つかった。その報せを受け取ったのがつい先刻だったという訳だ」


 それで俺が無事か確かめに慌てて図書室に飛んできてくれたというのか。


「以上が事の次第だ。今の説明で理解できただろうか?」

「ああ」


 こくりと頷く。


「ということは……」

「ああ。今日はなるべくなら安全の為に貴方の部屋で過ごしていてもらいたい」

「つまり図書室にはいられないってことか」


 なんてことだ。出鼻を挫かれた思いだ。


「あの、じゃあこの本を借りていくことはできないか?」


 記録を部屋で読めないかとアルに尋ねてみる。


「原則的に公式文書等は図書室から持ち出せないことになっている」


 残念。俺はがっくりと肩を落とした。

 そんな俺にアルは言葉をかける。


「ふふ。あくまでも原則的にはだよ、タツヤ」

「どうにかしてくれるってことか?」


 アルが仮面の向こうからにこりと微笑んでくれている感じがした。


「御子の為とあれば、それくらいの決まりは何とかなる筈だ」


 その言葉に純粋に感謝の念が沸き起こってくるのを感じた。


 昨日から薄々思っていたが、やはり彼は良い奴だ。

 魔族とは思えないくらい素朴に善良だし、王子とは思えないくらい感情豊かで分かりやすい。

 これで彼の顔が見えたらさぞかし面白い――――美しい表情をしているに違いない。俺はそれを一目目にしてみたかった。


「記録のことは後で頼んでおく。とにかく今は一刻も早く貴方の部屋へ向かおう。部屋までは私が送ろう」


 彼の誠実さは王子というより姫に仕える騎士のそれのようだった。

 それが真っ直ぐに俺に向けられているのだと思うと顔が熱くなる。

 こんな彼が俺に一目惚れをしたと言っていたのを思い出し、本当だろうかと記憶の方を疑いたくなる。


「分かった。危険な事態なんだから仕方ないな」

「じゃあ、申し訳ないが早速戻ろう」


 歩き出したアルに、俺は後ろから言葉をかける。


「アル」

「うん?」


 彼はくるりと振り向いた。


「いろいろと公務とか忙しいだろうに、わざわざありがとうな。俺なんかの為に」

「……!」


 アルが目を見開いた……ような気がした。

 仮面を着けているから、そんなような気がしただけだ。


「タツヤ」


 アルがそっと手を伸ばし、俺の手を握る。


「私は貴方の為なら何でもする。それは貴方が神の世界から来た御子だからではない。私がそうしたいからだ。……だから、そんなに卑下する必要はない。覚えていてくれないか」


「あ、ああ……」


 彼のその言葉があまりにも真剣すぎて、すっと胸の内に入り込んでくるようだった。気恥ずかしさすら感じる必要もない。彼の言葉が真実だと分かる。


 頼ってしまっていいのだろうか、彼に。

 何一つ分からない異世界で命まで狙われているというこの状況で唯一頼れる人……そう認識してしまってもいいのだろうか。


 或いは俺の心はもう傾いてしまっているのかもしれない。

 この状況の中で取り乱さず不安もさほど感じていないのは、常に彼がそばにいてくれているからではないだろうか。


 俺は……もしかして……




 ――――――――彼が握る手が熱かった。

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