第1001話。イデオロギーを踏み鳴らす真っ赤になったクマノミがオーロラに飛び込み月に穴を空ける。

 またもやタイムリープ。仕方が無いんだ。あのあと学校に戻ったら、体操着姿の幼なじみが、校庭に突入してきた無人トラックに轢き殺されていた。また時間を戻すしか、無いじゃないか。

 亀裂が生まれても。亀裂を、生むことになっても。

 幼なじみを助けるために、始めたことなのだ。この目標を成し遂げるまで、やめるわけには、いかない。

 次回だ。次回で必ず終わりにする。今回で集められるものは全て集めて、次回に臨む。考えられる限りのことを尽くして、全てを、終わらせるのだ。発火能力の次は何が起きるのかわからない。物語的に考えると次が現れるのだろう。しかしこれは現実だ。こんなにタイミングよく展開が進むわけがない。

 だから山場が来る前に。

 盛り上がりが来る前に、全てを終わらせる。

 カタルシスなんて溜めてられるか。こんなふざけた話は一刻も早く終わらせる。

 現実に戻るんだ。早く、早く。タイムリープなんてものを手にする前のように、ゆっくりと幼なじみと過ごしたい。これが終われば愛を告白するなんて気はさらさら無いが、とにかくあいつと笑いたい。

 今の僕は笑えない。全く笑えていない。何度も何度も幼なじみの苦痛に歪む顔を見た。何度も何度も人が死ぬところを見た。そしてさっき……僕は人を殺してしまった。消火器をぶちまけて、殺してしまったのだ。

 笑えるわけがない。

 過去に戻ったことで罪は消えたがバツが悪い。

 少なくとも、幼なじみを助けるくらいは、やり遂げなくちゃあ、笑えない。

 そして僕はテストを放棄し外に出て、活動を開始した。


 発火能力者はいなかった。

 前回、火柱が上がった家は無事で、玄関先で猫が気持ち良さそうに寝ている。

 なぜだ? なぜいない? 前回、前々回と火事が起きたのに、今回は少なくともこの街であの規模の火事は起きていない。

 いや、それはこの街に限っての話か。僕ら人間の悪い癖だ。なにも発火能力者や、それに類似する何らかの超越者がこの街に現れなければならないというルールは無い。

 ならば今、僕は何をするべきか?

 決まっている。

 あの紙袋の男を探すんだ。

 まずはあの高架線の下だと思い立ち、スニーカーで回れ右をする。

 歩いていると、亀裂が見えた。

 亀裂というよりは、軋轢というべきか。それは僕には理解できない、常識の認識差。

 散歩に連れられている犬が、総じてピアスをつけているのだ。汗の代わりによだれを垂らすために常に外に出ている舌に、無数のピアスをつけている犬までいる。犬が、スプリットタン。

 信号はライトが五つもあるし、横断歩道がカラフルだ。三角錐の家の隣には、白骨で組み上げられた家。骨組みが、骨。前衛的過ぎるだろう、これは。

 遂に能力が何とかいうレベルではなく、街の姿まで変わってきている。

 一度気づけば、全てが違うように見えてくる。いつからだ? 今回のタイムリープからか? 今まで余裕がなかったから、もしかすると二回目のタイムリープから変化は起きていたかもしれない。

 しかしそんなことは、どうでも良いんだ。

 僕の目的は幼なじみを助けることだけだ。

 世界を変えてでも、あいつだけは助けてみせる。

 真っ直ぐに高架線に向かっていると、信号無視をしたバイクが、横から飛び出したパトカーに捕まった。

 そして警官は帳簿のようなものを持ってパトカーを降り、優しそうな顔で笑い、違反者をバイクから降ろす。

 そして射殺。

 射殺。

 ピストルで、頭を、撃ち抜いた。

 通行人がいる中で、射殺した。

 それでもそこを歩いた人間たちは気にすることもなく、「あーあ、捕まった捕まった」という顔で。

 通り過ぎるだけだった。


 価値観。


 根底から、違う。

 街が変わったなんてものじゃない。

 なんだよこれは。

 これが、僕の、街か?

 警官はパトカーからレンチを取り出して、面倒臭そうにバイクを叩き壊す。

 通行人は頭に風穴が空いている男を、携帯電話でメールを打ちながら跨いで。

 犬は、スプリットタン。

 亀裂? 亀裂だと?

 すでに、砕けているじゃないか。ヒビなんてものじゃなくて、すでに割れて、粉々だ。

 なんだよ、これは!

「なんなんだよ……」

 わけがわからない。これが僕の結果だっていうのか?

 僕だけがタイムリープしただけで? こんなちっぽけな、いてもいなくても良いような男が一人、世界のルールに逆らっただけで? こんなことになるのか? マスコミに相手をされたこともない僕が、こんなときだけ世界に影響するっていうのか? 隣人にだってすら名前が知られていないくらいの矮小な僕が!

 理不尽じゃないか、これは。

 中学生が描いた漫画じゃないんだ。僕がこんなに強力な存在であって良いわけがない。

 本当に、どうしろって言うんだ。

 本当に、どうしたって言うんだ……

 幼なじみを助けたって、こんなぶち壊れた世界で生きていけるのか?

 ……だめだ、考えるな。

 考えるな!

 助けることだけ。それだけを頭に置け。そのあとはそのあとだ。とにかく最初の目的を忘れてはいけない。

 このふざけた能力で、幼なじみを死から救うんだろう、僕は!

 なるべく周りを見ないようにしながら高架線の下にたどり着くと、やはりピエロはいた。

 僕から見ると後姿だが、誰かに手を振っている。

 誰かは見えないが、誰かに手を振っているんだろう。

 そして。

 僕は彼に声をかける。相変わらず紙袋はかぶっているが、恰好がカジュアルなそれからスーツ姿になっていた。

 彼も、変わっている……

「おい」声をかけると振り向いて、首を傾げた。

 これは前に会ったときに学習している。

 僕が彼に会うのは初めてではないが、彼が僕に会うのは初めてなのだ。タイムリープしているのは、僕だけ《・・・》だから。

「僕はお前からタイムリープの力を貰った。幼なじみの死を回避するためだ。でも、なぜ、タイムリープしても助けられないんだ。未来の結果が、変わらないぞ!」

「……なんだって?」

 その声色から、深刻さが伝わってきた。紙袋で表情が見えないのだが、それでも、わかる。

 なにかが、起きた。

「きみは、タイムリープしているのか……?」

「そうだ」

 なんだ? 何をこの男はそんなに焦っている?

「やばいな。急げ、きみ! いつでも良いから早く過去に戻れ! いや違うな、いつでも良いってわけじゃない! 少なくとも十分前までは戻るんだ! そして僕に同じことを言え!」

「な、何が起こってるんだよ」

「良いから早く! い、いや待て最後に聞かせてくれ。きみは何回、時計・・をいじった……?」

「え、えーと……」

「そんなにか」紙袋の男は絶望した声で答える。「数える必要があるくらい、滅茶苦茶にしてしまったのか」

 滅茶苦茶? タイムリープのことか? 確かに滅茶苦茶にしてはいるけれど。紙袋の男の様子が、明らかにおかしい。最初に会ったピエロのような掴みどころの無さが微塵もなく、ただの……そうただの、一般人のようなのだ。

「きみにその能力を渡すとき、僕は何か言ったか?」

 もう男はさっさと過去に戻らせることも忘れたように、僕にくってかかってきた。

「えー……と。『何が起こるかわからない』とか……」

「そう言っていたのに、きみは何も考えなかったのかああああああああああああ!」

 急に肩を掴み、吠える。

 面食らった。何をやっても暖簾に腕押しという印象だった男の、この変わり様。

 これも亀裂のせいなのか?

「だ、だから! 幼なじみが助けられないんだよ! だから仕方が無かった!」

「仕方が無いわけがあるか! できないのなら諦めろ! 頑張れば何でもできると思っているのか! ああ! ああ! 思っているんだろう! きみは若い! 若すぎる! ひよこの卵のように! ああ! 滅茶苦茶だ! もう滅茶苦茶だ! この世界は、滅茶苦茶だったのか《・・・・・・・・・》!」

「な、なんだよ……」

「なんだよ!? 僕が聞きたい! ああ! もうダメだ! 神様がいたって、もう何が起きるかわからない! プロットは乱れて設定は狂う! 僕にはそれに気付けないが、観測者にとっては滅茶苦茶だ! 秩序も理論も存在しない! ああ! 何もかもがゴミクズだ! こんな世界で科学なんてやってられるか! こんな歴史を読んでられるか! まるで胎児が書いた小説だ! きみのせいだからな! きみのせいだぞ! なぁ、この世界で何かおかしいことがあるか、観測者!」

 観測者?

 それって僕のことか?

「え、なんていうか、いろいろ、おかしいけど……」

「そうかそうかそうだろうな! 僕にしてみりゃ歴史の教科書で見たまんまだよ! 文化財の展示センターで見たことがあるものばっかりだ! 普通なんだよ! ああ! 狂っていたのか《・・・・・・・》! 全てに《・・・》! 既視感・・・! きみは早く過去に戻れえええええええええ!」

 あまりの迫力に、僕はつい、念じてしまった。

 過去に戻れ。

 過去に戻れ。

 過去に戻れ……

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