魔弾(お題:銃)
魔弾とは、放たれたら必ず目標に命中する、魔法の弾丸……いや、敢えて言うなら、悪魔の弾丸だ。古くはドイツのオペラの題材にされ、近年の創作でも、銃を扱う登場人物には百発百中の「魔弾」が能力として付加されているものだ。それくらい、銃使いにとって夢のようなものなのだろう。
だが……とりわけ「魔弾」と名称されるものにおいて、「必ず命中する」ことが必ずしも「持ち主を幸せにする」ことではないことを意味してもいる。射手の意のままに操れるなど、そんな都合のいい弾丸など、実際にはないのだから……
現代では数少ないマタギとして生活している細谷も、魔弾が欲しいと思っている人間の一人だった。勿論、魔弾が想像、伝承のものであるのは承知している。それに、普段であれば、自分の射撃スキルであれば、そんなものが無くても大丈夫であると自負していた。実際、彼の散弾銃の腕前は、周りのマタギと比べても劣らないレベルであった。
だが、それは、平時の話だ。森にいる増え過ぎた鹿、猪を一発で仕留めるのには困らないだけだ。万能でもない。彼のスキルは、必死の一射でもないのだ。
まして、今、目の前にいるヒグマを倒すのなど、不可能なのだ。
自分でも間抜けなことをしたと、細谷は思った。市の依頼で猪狩りに来ただけだったのに、猪の足跡を追って、森の深くまで入ってしまったのだ。そこにいたのが、猪……ではなく、ヒグマだった。本来、冬眠している時期のはずだ……それなのに起きている理由には何パターンかあるが、ある一点においては共通している。 腹が減っており、通常時以上に狂暴であることだ。
最悪だ。
ヒグマを目視して、立ち向かうような愚かな真似をする細谷ではなかったが、その場を離れようとしたタイミングになって、ヒグマと目が合ってしまったのは、確信している。
実際、そう遠くない距離で大きい彷徨、そして、巨体が動いたことで木々が軋む音が聞こえている。追いつかれるのも時間の問題だ。
覚悟を決めるしかない。細谷はヒグマがいた方向へと向きなおすと、手元にある散弾銃を構える。長年の狩りを助けてくれた相棒であるが、ヒグマが相手となると玩具の銃に等しい。だが、ヒグマに背を向けて逃げたところで、追いつかれて食われる未来しか見えない。ならば、散弾銃で一度射撃して、ヒグマをひるませるか、音で追い払うしかない。勿論、実現性としては失敗する確率が高いが、僅かな可能性にかけたのだ。
轟音は、既に近くまで来ていた。木々で遮られているとはいえ、ヒグマが向かってきているのを、細谷は視認した。その巨体に見合わない速度で駆けている様は、死が可視化して襲いに来ているに等しい。
まだだ……まだだ……
ヒグマの頭部を直接狙ったところで、その硬い皮膚と分厚い頭蓋骨を貫通するのは、散弾銃では不可能だ。だが、それでも、胴体を狙うよりは足止めになるだろう。例え、僅かであってもだ。だから、確実に狙わないといけない。この一撃の失敗は、そのまま細谷自身の生命の終わりを意味しているのだから。
どん、どん
いよいよ、熊の足音と共に、木の枝が乱暴に破壊される。そして、細谷の視界でも、はっきりとヒグマが見えた!
ヒグマと細谷、遮るものは、もう、何もない。
そして、細谷は、引き金を引いた。
はあ……はあ……
散弾銃の銃声が山を響かせた後に聞こえたのは、細谷の吐息の音だけだ。目の前には、有り得ない光景があった。
雪の中に頭部を埋め、そのまま動かなくなったヒグマだ。
恐る恐る近づいて、細谷は気が付いた。ありえないことが起きたのだと。
散弾銃は確かに命中した。それも、ヒグマの“目”にだ。ヒグマの左目からは、血が流れていた。瞼の当たりには、焦げたような跡も見受けられる。
まさか……弾丸が、目から脳へ直接当たったのか?
それは、おそらく狙ってもできるマタギはいないだろう、正に『魔弾』と呼ぶにふさわしい神業だった。
流石の細谷も、自分の所業に興奮が抑えられなかった。誰もいない雪山で、大人げなく勝利の叫びをした。
……そうして、ヒグマの亡骸の傍に、小さな影があるのに、気が付いた。
ああ……まさか……
細谷は嫌な予感がした。そして、的中した。
そこにいたのは、小さな小さな、ヒグマの子供。あのヒグマの子供だろうか?ヒグマが狂暴化しているタイミングの一つに、子供を守るためというのもあったなと、細谷は思い出した。
そして……人間、子供の目の前でその親を殺すのは、気分がいいものではない。それは、長年マタギとして生活していた細谷も同じだった。
さて、どうしたものか……
魔弾によって命拾いしたはずの、細谷の顔に安堵の表情はなかった。
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