馬鹿に効く薬(お題:薬を題材にしたもの)

「馬鹿に効く薬はない」


 言うことを聞かない俺に、母がよく言っていた。俺は所謂捻くれたガキだった。只単に、親の言うことを聞かないことがカッコいいとばかり思っていた。だから、勉強しろと言われたから学校の授業は真面目に受けなくなった。夕飯までには帰ってこいと言われたから、帰宅する時間をどんどん遅くした。あーいう連中とは関係を持つなと言われたから、地元でも良くない噂ばかり流れるような連中とばかり遊んでいた。

 その結果が、今こうやって街の路地裏で麻薬の売買に携わっている、屑みてえな俺だ。高校を卒業して、就職も進学もしなかった、いや、出来なかった俺が唯一行けた道がここだけだった。まあ、後悔はしてないんだがな。毎月それなりの金がもらえる。それこそ、飯を食って、ついでに女遊びをしても困らない程度には。テレビやネットでは低賃金が云々と聞いていると、馬鹿みたいだなと思う。なんで苦労してまで、安い金でこき使われる生活を選ぶんだろうってな。自分が屑であるのは分かっているが、それでもなお、茨の道を選ぶ連中が理解できなかった。

 店舗を構えた場所が良かったのか、俺達の元にはいろんな奴らがやってくる。会社の上司のパワハラが辛くて病んだ社畜、興味本位で手を出してきた高校生、熟年離婚してやることのない老婆まで様々だったが、全員に共通しているのは、自分の置かれている現実ってものから逃げたい馬鹿ばかりってことだ。自分で選んだ道なのに、道を変えることもせず、唯々一時的な逃避だけばかり選ぶ馬鹿どもだ。まあ、そういう馬鹿が多いから、俺達の商売が成り立つわけなんだが。


 今日の営業が終わったのは大体深夜も明け、日がそろそろ上るだろうっていう時間帯だった。本日も頭の悪そうな恰好をした馬鹿のカップルを筆頭に、それなりに買い手が来た日だった、


「なあ、おい、ちょっと残れるか?」

「え?なんすか?」


 先輩がこそこそとしながら俺に手招きする。先輩と言っても、商いを俺より先にやっていたというだけで、何かを教わったとかそういう関係ですらないが。


「いやさ、新しい麻薬を仕入れることになりそうでさ」

「はあ……」

「んで、ちょっと、今手元にあるからさあ……お前、試せよ」

「俺があ?いや、なんで急にそんな」……

「いやさあ、効果自体は確かだけども、仕入れた奴が妙な事言っててよお……その薬は、数分間だけ夢遊状態を味わえる代物らしいんだけどよ……効果が強すぎてたまに“ブッ飛ブ”んだってよお……身体から魂が」

「先輩、それマジで信じてるんすか?」

「いや……ただ、聞いた話だとこれを試した別の“島”の奴が、翌日から急に性格が変わったかのようにおとなしくなったとか聞くし、もしかして、扱ったら不味いもんの可能性もあるだろ?な?」

「だからって……」

 

 不本意ではあったが、同時にそれほどまでに強い効果のある麻薬というものに興味があったのも事実だった。


「了解しやした。挑戦しますよ」



 実際の麻薬は、少なくとも見た目は只の錠剤だった。デザインとしては、何の刻印もない、白くて丸いだけのシンプルなもの。


「これが?本当に?」


 なんだか拍子抜けしたが、とりあえず口にいれ、水で流し込む。舌で触れた時点で溶けているくらいだから、時間を待たずとも溶けて効き始めるだろう。


「……とくに変な感じはないっすね……」


 傍らでどう?どう?と急かす先輩にそう言った……途端に、急に頭がフラフラしてきた。視界が霞みだし、頭の中身が左右に揺れている感覚に俺は襲われた。先輩に助けを求めようとして……声が出せねえ!喉も舌も自由に動かせないまま、俺は最早、立っていることすらできずにその場で倒れた……

  

「……頭が……ふわふわする……」


 気が付くと、俺は、何もない空間にいた。何もない、そうとしか表現できないような場所だ。前を見ても、左右、下ですら、真っ白で何もない「無」だ。

 なんなんだろうここは……とにかく、この妙な空間を俺は歩いた。気分は最悪だ。吐き気もするし、頭痛してくる。これが麻薬の効果なら、売りものにならねえとしか言えない。


「……あれ?」


 そうやって歩いていたはずなのに……俺はいつの間にか、子供部屋にいた。何故だ?入った覚えもないのに……そして、気が付いた。この子供部屋に見覚えがあることを……


「なんで?なんで、俺の部屋なんだよ!」


 俺は、俺の部屋にいたのだ。かつて住んでいた部屋。ガキだった俺が寝ていた部屋。そして、親への反抗心で、捨てた部屋だ。住んでいた時のままだ……そう、俺がこの家を出て行ったときまんま……


 なんで……?


 困惑しつつ、開きっぱなしの扉から俺は部屋を出る。ガキの頃の記憶が蘇る……あの頃のまんまだ。まるで、タイムスリップしたような感覚だ。

 そうやって家の中を徘徊していた時だった。玄関から音がした。玄関の扉が開いた。外から入ってきたのは……父だった。


「あ……」

「ただいま……帰ったぞ……」


 数年ぶりにみた……今、目の前にいる父は、俺の記憶の中よりも老け込んでいたが、それでも本人だと分かるくらいは見覚えのある姿だった。夜明けに帰ってくるなんて…・・・と一瞬思ったが、よく考えれば、俺が、父が帰ってくる時間を気にもしてなかっただけだったのだ。

「ああ、おかえりなさい」


 部屋の奥から女性の声が聞こえる……母だ。


「ああ、起こしてしまったか?」

「いえ、今日は……何故か目が醒めてしまって」


 父は俺が目の前にいるのに気が付いていないようだ……俺を挟んで、母と会話を始めた。


「なんか……帰ってきた気がして」

「あいつがか?」

「はい……」

「今……なにをしているんだかなあ……」


 おい、やめろよ……なんだ、いきなり、俺の話か?目の前でそんなことするのはやめろ。

「出て行って何年も経ってますからねえ……」

「ろくでもないことをしてないといいが……」

「……」


 俺は、どうせ聞こえないといはいえ、何も言えなかった。そのろくでも無いことで生活をしているんだぜと、言えるわけがない。


「まあ、元気だといいんだが……それだけで」

「そうですねえ」

「……やめてくれよ」

「元気なら、いつかまた会えますからねえ」

「そうだな……いつになるかわからんが、あいつが元気なら……」


「やめてくれよ!俺はそんな、只の馬鹿なんだぞ!」

  

「おい、おい、大丈夫か?」

「あ……」


 気が付けば、俺は元の……仕事場に横たわっていた。先輩と言えば、金魚のような困惑顔で俺を見ている。


「お前、三十分くらい倒れてたぞ……ほれ、飲めや」

「あざっす」

 

 もらった水を飲んで落ち着こうとして、ふと、気が付いた。


 自分が涙を流していたことに。それと同時に、先ほどの……両親のことを思い出して、俺は頭を抱えた……こんな俺を、見せられないと、今更実感したのだ。


「で、どうだった?」

「ええ、効きましたね……」


 それしか言えなかった。あの麻薬は、馬鹿にとても効いた薬だった……

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